Perso(喪失)
春眠暁を覚えず。
そんな地球の言葉をそのまま現実にしたような、うららかな春の日、のはずだった。
事実として天気は朝から晴、ゆっくりと流れゆく雲が少々浮く程度。
木々は新緑に映え、動物たち草を食み、虫を追い、命を謳歌するのに忙しい。
だがそれは、文明という十字架を負わされずにすんだ、在る意味幸運な生き物たちに限る。
このモンペリエにおいて、そんな眠気を覚えている者はいない。
時は既に皇国飛行戦艦隊レジーア・マリーナが魔力炉補給を受けてより三日目の朝。
旗艦インペロの艦橋、指揮官席に座るリナルド皇太子は、モンペリエの街を望遠映像で俯瞰にて確認していた。
翼を広げた巨大な白鳥のようなインペロを中心として、他の飛行戦艦四隻が四方に配される。
さらにその周りを十機以上の中型機が随行している。戦艦の内一隻からは次々と銀色で水滴型の艦載機が射出されていく。
射出された飛空挺は、艦隊のさらに上空で編隊を組み、攻撃の時を待ち続けていた。
インペロの艦橋、天井近くの巨大画面とリナルドの目の前の小さな画面に、モンペリエの俯瞰映像が投影されている。
最大望遠のため、いまだ小さな点としてしか見えないが、空を渡る飛行戦艦にとってはさしたる距離ではない。徐々に街の映像は大きく、鮮明になる。
リナルドの横に立つ参謀長は、冷静にモンペリエ周囲に配された戦力の分析を続けている。
「……事前の情報通り、モンペリエの北に発着場が見えますぞ。
見たところ、飛空挺や竜騎兵はありませぬ。先の小競り合いで勝ち目が無いと悟ったようです。
代わりに飛翔機とかいう空戦力が見えますな。
かなりの数です」
「飛翔機、か」
リナルドは手元の宝玉を操作する。
すると、空中に幾つかの画像が浮かび上がった。
それは地上に激突してバラバラになった何かの残骸の映像。
「二年前に、レニャーノ近郊で墜落したヤツだな」
「……そうですぞ」
参謀長は、端正な顔を少し引きつらせる。
実は、インターラーケン奇襲作戦を立案したのは参謀長。それを完膚無きまでに叩きつぶしたのが飛翔機で皇国領内へ侵入したトゥーン領主。
その経緯は戦役後にカラより詳細な報告を得ているため、参謀長には良い想いがあるはずもない。
口の端を不愉快そうに歪めながら、話を続けた。
「インターラーケン奇襲作戦を妨害した、トゥーンとかいう失敗作が乗り込んだ機体ですぞ……。
まあ、飛翔機は問題ではありません。残骸から情報は十分に得てあります」
「形は……スズメみたいだな。
墜落したヤツは、ツバメのようだったが。まあ、さしたる脅威ではあるまい。
問題は『嘆きの矢』だが」
「それですが……見たところ、奴らはこちらを引きつける算段ですぞ。
あれだけの大戦力ともなれば、必ず失敗作の一匹や二匹はいるはず。
奴らはまだ『矢』の存在を知らないのでしょうな。あれなら楽に近づいて狙えるでしょう」
そんな話をしている間に、発着場から離陸する飛翔機の数は増えていく。
最大望遠で確認すると、飛空挺が風船なら、現在離陸している飛翔機は雀のような外見だ。
その数は、少なく見積もっても五十機はある。
そして急上昇を続け、高度も上がり続ける。既に多くの機体が皇国艦隊と同じ程度の高度にまで上がっていた。
「大したものですぞ。
数だけなら、このレジーア・マリーナの艦載機総数を上回りますな」
「そのようだな……おい、局長。
魔力炉はどうだ?」
手元の宝玉を再び操作すると、何やら機材で埋め尽くされた部屋の中にいる白衣の局長が映し出される。
豊満な腹を揺らして何か指示していた局長は、慌てて画面へ敬礼した。
《失礼致しました。
全魔力炉は正常稼働中、艦載機への魔力充填も完了。
レーダーと障壁を最大出力で長時間稼働しても問題在りません。
ですが勇者への魔力充填には、いま少しの時間を頂きたい》
「何だと、勇者はまだなのか?」
《さすがに対魔王用兵装、必要とする魔力量は桁外れです。
艦の推力や兵装が優先ですので、七体全てへの充填は時間がかかります》
「いや……うむ、七体も要らん。
もしかしたら出番が無いかもしれん。
すぐに動かせる軽装備のヤツを優先して起動させろ」
《え? あ、そうでしたか。
では指示の通りに致します》
それだけ聞くと局長との通信を切り、参謀長へ視線を送る。
「さて、それでは『矢』を撃つとしようか」
「ですぞ。
まずは索敵を致しましょう」
そういうと参謀長は操作盤へ向かう部下達へ手早く指示を出す。
「レーダー波照射、最大広域!」
鋭い返事と共に部下は幾つもの宝玉を操作する。
すると艦橋の天井近くにある巨大モニターに、旗艦インペロを中心とした円が映し出された。
ほぼ全ての射程範囲外である、極めて広大な範囲を、回転するように照射された魔力レーダー波。
甲高い音と共に探知した魔力源を光点として表示していく。
インペロ周囲四方に配された戦艦四隻、計十二機の中型機、五十機弱の艦載機が平面上の光点として映し出される。
そこから離れた場所に巨大な光点の集合が一つ、小さな光点が無数に表示された。
艦橋の中に音もなく機体と興奮が満ちる。リトンやティータンを討った時のように、瞬時に『嘆きの矢』が旧型魔力炉を射抜く光景を思い描き。
だが、何も起きなかった。
淡々と、ただ機械的に光点が増えていくのみ。『矢』が射られることはない。
少々の落胆と共に、表示されきらないほどの光点を見てリナルドは目を見張る。
「なんて数だ……」
「まったくですぞ。
それにしても、『矢』が自動発射されなかったということは、どうやら失敗作共は索敵範囲内にいないということですな。
ならば目の前にいるのは、単に数が多いだけの雑魚。
こうしてレーダーにて捕捉した以上、なんら恐るるには……ん?」
濃い緑色を背景に、白い光点として表示される魔力源。
皇国艦隊も魔族の戦力も、全てがレーダーに捕捉された、はずであった。
だが、奇妙な表示がポツンと混じっている。
白い光点の中に、赤い点と赤い矢印と赤い文字。
点を指す矢印には、「Perso」という文字が添えられていた。
そのPersoという文字を、参謀長は何度も瞬きして見つめる。
「Perso(喪失)……?」
「なんだ、これは?」
「いえ、初めて見ましたぞ。
局長、度々すまない。これは何か分かるか?」
再び呼び出された局長は、機材が埋め尽くす室内にある別画面に映し出されているであろう表示を見る。
さっきまで痩せる思いで忙しく動き回っていただろう局長が、固まった。
手元の機械を慌てて操作しだす。レーダー表示の詳細を見ているらしい。
表示された詳細を何度も見直した男は、少し考え込んでから答えた。
《これは、反射波が帰ってこなかったということですな》
「反射波が、帰って来なかった?」
《そうです。
ご存じの通り、レーダーとは照射した魔力波の反射波を捕らえるものです。なので、不自然に帰ってこなかったら、このような表示が出ます。
恐らく、魔力波を反射しない何かが存在したのです。
レーダー避けですな》
「な、れ、レーダー避けだと!?
そんなことが出来るのか?」
《理論上は可能です。
魔力波を吸収する陣を組んだり、反射波の方向を変えて受信装置で受信できなくしたり、と。
他に、魔力波が届かない地下深くに潜るという手もありますが……ああ、この場合はそもそも索敵範囲外となりますから、Persoとは表示されませんな。
魔物がレーダーを使った記録がありませんので、研究したことはありませんが》
「やつらは研究したわけか……侮れぬ」
彼らは知らないが、魔力波は完全に吸収されたために反射波となって戻ってこなかった。
地球の物質が生む抗魔結界があるために。
参謀長は通信を切り、リナルドへ向き直った。
「どうやら、思ったほど簡単にはいかないようですぞ」
「そのようだな。
だが、その赤い点は一カ所しかない。
大局としては問題なかろう?」
「そう思いますぞ。
では通常攻撃に移りましょう」
「そうだな」
刻一刻と両陣営は間合いを詰める。
艦橋内の緊張感が目に見えて増していく。
が、参謀長は小首を傾げて考え続けていた。その思考が口から漏れている。
「あれだけの大軍が、失敗作共以外にまとめられるはずがないぞ……だが、となると失敗作共は……あ!」
驚愕の声を上げた参謀長に、隣のリナルドも部下達も驚いて目を向ける。
大きく開けた口を手で塞ぐ彼女は、皇国艦隊にとって非常に不味い事実に気付いたのだ。
冷や汗を飛び散らせて王太子へ顔を向ける。
「やられましたぞ!
失敗作は、あのPersoです!
奴らは、我らレーダーで捕捉し攻撃を仕掛けるのを見越し、魔力波吸収陣を組んだのです!」
「な……し、しまったっ!
これでは『矢』はおろか、レーダー連動式兵器が全て、失敗作共を狙えん!」
愕然とする艦橋。
そんな人間達の動揺を知ってから知らずか、モンペリエ北の発着場から離陸した飛翔機の群は南北へ展開し接近する。
飛翔機を表す光点は、淡々と皇国艦隊が包囲される光景を映し出していた。
だが艦橋内の人々は淡々とはしていられない。
「魔族、接近します!」「攻撃指示を!」「な、え……!? しまったぁ!!」
参謀長が赤い点の正体に気付き、意識を向けた一瞬の隙。
その間に両勢力は距離を詰めてしまっていた。
気を逸らされたのは長い時間ではなかったが、空を飛ぶ飛行戦艦隊と飛翔機にとっては一瞬で埋められる距離。
即ち、皇国艦隊が長射程兵器の利を生かせる間合いを失い、敵を懐へ飛び込ませてしまった、ということ。
攻撃命令が遅れた一瞬、その隙を突かれたのだ。
彼ら自身が大規模な空戦は初であったこと、指揮官の権威と軍の規律を重んじて命令無き発砲を禁じたこと、これらが緒戦における重大な一撃の機会を逃してしまった。
慌てて参謀長が腕を振る。
「いかん!
スパルビエロ全機、アスピーデ射出!」
操作する兵士達も慌てて指示を飛ばす。
スパルビエロ(Sparviero:ハイタカの意)と呼ばれた中型機、その暗い機内では、長さ1ヤード(約91cm)の丸太のような物に描き込まれたアスピーデ(Aspide:マムシの意)の文字が光り出す。
ガコン、という鈍い音と共に幾つもの歯車が動き、チェーンがジャラジャラと音をたて、機体下部が開いていく。
立て続けにリナルド王太子の命令が全艦隊に響く。
「サエッタ!
汚れた魔族共を打ち払えっ!」
その命と共に、艦隊上空で旋回していた艦載機サエッタ(Saetta:稲妻、矢の意)が降下開始。
重力加速度を加え唸りを上げて飛翔機の編隊へ襲いかかった。
さらに王太子の命が全戦艦の力を解き放つ。
「全艦、撃てぇっ!」
モンペリエ北、飛空挺発着場。
次々と発進していく飛翔機を管制室の窓から眺めるのは、ベウル。
勇者の鎧を装着し、左手にはルーシュを装備し、腰には剣を下げ、その上から白いマントをまとっている。
地球の繊維が折り込まれた布であるマントは、その役目を完全に果たしていることを狼頭の王子は確認した。
満足げに頷き、マントの白い布地を眺める。
「どうやら、効果有りだな」
後ろに並ぶ女性ワーウルフ士官達も、安堵の表情を浮かべる。
実のところ、皇国軍の攻撃はレーダーと連動していることは知っていたため、先ほどのレーダー波が戦端を開く合図と承知していた。
なおかつ、皇国は魔王一族を最優先で狙う、と。
インターラーケンに存在するレーダーより高出力の魔力波は、魔族側の予想外な遠距離から魔界戦力を捕捉した。
だが実際には、皇国軍はレーダーを放ったにもかかわらず、まるで呆けたように反応を見せない。
その隙を突き、飛翔機編隊は一気に展開、艦隊へ襲いかかる。
皇国の初手を封じたことに安堵した女性士官の一人が、カツンと靴音を立てて一歩前に進む。
「司令っ!
モンペリエ仮設司令部へ下がって下さい!
ここは既に危険です!」
他の部下達も、総司令自らが前線にいる危険性、戦線全体を見渡せず総指揮に支障が出る、等の理由からモンペリエへ下がるよう進言する。
だがベウルは、口の端を歪ませ牙を光らせて笑った。
「総指揮もなにも、俺が指揮する戦力は全てこの発着場にある。
この戦、陸戦は無い。空戦で決する。
ならば、俺がいるべき指揮発令所は、この管制室だ」
ベウルは下がらない。
管制室の窓から空を見上げ、各編隊が艦隊を包囲するように広がるさまを眩しそうに眺めている。
次回、第二十三章第三話
『空戦』
2012年4月11日00:00投稿予定




