赴任
彼、金三原裕太は飛翔機に乗っている。
従卒のボア族親子三名も一緒だ。
魔界の飛翔機は魔導師の魔力を直接に推進力へ変換し、地球の飛行機と同じく両翼で浮力を得ることで宙を舞う。
補助的に『浮遊』の術式を組み入れたり、推進方向を変える機能を加えた小型機なら、垂直離着陸機として運用出来る。
昨年から実用段階に入ったばかりであり、未だ設計でも基礎的な素材面でも研究改良が勧められている魔界の飛翔機は、信頼性が高いとは言えない。
それでも従来の飛空挺や竜騎兵より遙かに速く、大きな魔力を有する術者を搭乗させれば航続距離も長いため、その利用価値はあっと言う間に認められた。
今現在、裕太が搭乗しているのは中型機。
座席というには簡素で貧相な椅子がベンチのように備え付けられていて、機内は鉄骨や機材が剥き出しになっている。
どうみても旅客機というより、軍用の輸送機という内装。
機体は魔王軍が所有し、裕太の他にも各魔族の将軍や貴族を乗せて西部戦線総司令部方面へ向かっているので、軍用輸送機で間違っていないのだろう。
中型機ともなると幾人もの魔導師が交代で魔力を供給し続けなければいけないような重い機体である。そのため『浮遊』を使って総司令部近くの空き地で垂直着陸、などという軽やかな運用は出来ない。
総司令部の近隣にある飛空挺発着場へ一旦着陸し、その後陸路で総司令部へ向かうことになる。
発着場は魔界南方、モンペリエ近郊。
魔王第八子にして第五王女、リバスが収めるProvincia地方の都の名だ。
第五王女リバスは、裕太も先日『無限の窓』越しに姿を見ている。サキュバス族のような黒い羽を持つ若い美女だった。
モンペリエ到着後、もしかしたらリバス王女へ謁見の機会があるかもしれないな……と、彼はぼんやりと考えていた。
ベンチの背後には丸い小窓があり、地上のパノラマが高速で移り変わっている。
他の各種族の搭乗者は風景を楽しんだり、今後の政戦両略について語ったり、墜落しないよう神だか祖先の英霊だかに必死に祈ったり、揺れに酔ってぐったりしている。
ボア族の親子は無邪気に窓の外を楽しむ派。
「うんわー、すっげーなあ」
「こんなの、オラ達オークで見れたヤツなんて、いねーだろーなー。
自慢出来るぞー」
「飛空挺すら、すっげー高くて乗れねーのに、こんなひしょーきってヤツに乗れるなんて。
ユータ様々だー」
貧乏な農奴か下層市民扱いのオーク族では、優雅な空の旅など夢のまた夢。裕太の従卒としての役得を、三名は素直に楽しんでいる。
だが裕太の表情は、心ここにあらず、という風だ。
別に酔ったわけではない。魔界の風土病に再び罹患したわけでもない。
出立前に聞かされた話に心をかき乱されてしまうためだ。
覗き魔の二つ名を与えられたミス・イーディスからの説明は、一度は固まった彼の決心を僅かでも揺るがせるに十分なものだった。
次元回廊実験計画。
第二王子ルヴァンが目前に迫った皇国との衝突を差し置いてまで没頭する、最新の研究。
同時に京子・裕太の姉弟が魔界へ協力する交換条件として要求したものでもある。
彼の脳内では、覗き魔イーディスからの説明が繰り返されている――。
「――地球へ帰れるんですかっ!?」
計画書を見るなり、椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がった京子の叫び。
それは彼女が渇望した返答だった。
対して弟の方は驚きに見開いた目で計画書のページをめくる。
イーディスはおずおずと説明を続けた。
「えっと、その、簡単に短く言いますと、確実というわけではないんです。
まだまだ技術的に問題点は多く、実験機材も制作中という状況です。
ただルヴァン様は、ユータ卿が西部戦線へ派遣されると耳にし、お二方の真摯な協力に対する魔王一族からの誠意を示すべきだろう、と仰られたです。
今回の皇国侵攻を防ぎきり、再び平安が訪れたあかつきには、この実験計画を実行する、とのことです」
「は、はいっ! 承知致しましたわっ!
ちょっと裕太! しっかり聞いたわね? というわけで地球に帰るには、あんたも頑張らなきゃならないってわけよ。
あたしもここから応援も助言も何でもしてあげるから、しっかり働きなさいよ!」
無言で計画書のページをめくる裕太。
その表情は、姉のように無邪気に喜ぶものではない。むしろ胡散臭そうな目をしている、とすら言えた。
ペラペラと一通り目を通した彼は、率直にイーディスへ尋ねた。
「成功のカノウセイ、どの程度とカンガえてます?」
「ユータ卿が仰りたいことは承知していますです。
アンクへの膨大な魔力供給、座標設定の困難さ、万一見当外れな場所に『次元回廊』が接続された場合の危険性、ということですね」
「そうです。
ルヴァン様が、その程度のことをコウリョしていないとも思えませんが」
「ちょっと、裕太!
あんた、帰りたくないの!?
ルヴァン様がやるって言うのよ、無様に失敗なんてオチだけはないわ。
それにあんた自身が、『魔界と地球には古くから交流があった』って言ったんじゃないの。
意外と簡単に、安全につながるものかもしれないわ」
弟の悲観的意見に、姉は楽天的観測を割り込ませる。
だが弟からの回答は、実に厳しいものだった。
じろりという音がしそうな視線と共に、淡々と悲観的予想をぶつけてくる。
「あのさあ……交流があったって言うほどのモノじゃないんだ。多分、偶発的に両世界間で遭難が何度かあっただけだろう、という程度のものだよ。
問題点にしても、この前は分かりやすい例をテキトウにナラべただけなんだ。
他にも、まだ言ってない問題はいくらでもあるんだよ」
「な、なによ、まだなんかあるっての?
あんた男のクセにしつこいわよ」
「ボクがしつこいんじゃなくて、元々の問題がオオきすぎるだけなんだ。
例えば、そうだなあ……姉ちゃん、なんでボクらが魔界に来たのか、分かる?」
「今さら、何よ。
そりゃ、LHCの暴走とルヴァン様の重力魔法実験が、偶然ワームホールを生み出したからよ」
「そうじゃなくて、どうして『魔界から地球』じゃなくて、『地球から魔界』という転移がオきたか、分かるかい?」
「え?
え、えと……それは、そんなの知らないわよ」
「答えはカンタン、気圧差」
「あ……!」
端的に問題点を口にした弟。
姉は今さらに驚愕して、手で口を覆ってしまう。
「ボクらがイた地球のジュネーブは標高400m、転移先の魔界のジュネヴラは標高が千をコえてた。
つまり、ボクらは標高が高くて気圧がヒクいジュネヴラへ、空気とイッショに吸いコまれたんだ」
「……掃除機と同じ原理でしょ。
それは分かったけど、それがどうしたってのよ?」
「姉ちゃんさあ、よく考えなよ。
人間を二人もスい込むような風だよ。しかも、『地球の大気』だよ?」
「それが何よ。
その程度の向かい風、根性で突っ切って地球に帰るわ」
「だーっ!
そんなことは言ってない!
つか、姉ちゃんはなんてバカなんだ!」
「誰がバカよ!?
つか、あんたに言われたくないわ!」
裕太は大きく深呼吸し、ゆっくりはっきりと語り出した。
彼の言う数多い問題点の一つを、わかりやすく。
「地球の物質はスベてゼッタイ的抗魔力を、いや、消魔力を持ってるのを忘れたの?
それは大気も、気体もオナじ」
「え? そ、そんなことは知ってるわよ。
それが何なの?」
「ルヴァン様や魔王陛下や、アンクを動かしてる方々まで、吹き込んできた地球の空気を吸ったら……どうなると思う?
次元回廊を維持する方陣に触れたら?」
「あ……!
ま、魔法が使えなくなる!? 術式が消される!」
「そうさ。
地球の物質は抗魔結界というキチョウな性質をモってるけど、それは同時に魔界にとっては毒なんだよ。その効果は魔法が使えなくなるというもの。
危険極まりない」
「何よそれ!?
山を降りればいいだけじゃないの。今度は『魔界から地球』へ吸い込まれるようにしてやるわ」
「……アンクは、実験場所はウゴかせないよ。
これは再現実験なんだ。前と可能なカギりオナじ条件でやらないと、成功率がさらにサがる。
場所も気圧もカえられないんだ」
「え、いや、でも……ルヴァン様は……やるって……」
愕然とし、黙って話を聞いていたイーディスの姿を見る京子。
当のイーディスは、裕太の言葉に大きく深く頷いた。
「さすがです。
ルヴァン様が仰られたとおり、とても知的で博識な方ですね」
褒められた裕太は、別に嬉しそうにはしない。
姉の方は焦りと不安を隠せない。
イーディスは不名誉な二つ名を返上するかのように理性的な説明を続けた。
「ユータ卿が懸念されていることは、全てルヴァン様も考慮しています。
しかし、あらゆる可能性を考慮したうえで、たとえ不測の事態が生じたとしても、魔術向上のために必ず計画を実行する……それがルヴァン様の決定です。
既に大学理事会も長老会も了承し、全ては動き始めていますのです」
「そう、ですか……」
裕太の顔色は優れない。胸の迷いが表情に露骨に現れてしまう。
最初から地球帰還で意思を固めている姉としては、その優柔不断な態度に苛立ちを覚えてしまう。
「なによ、ユータ。
まさか、やっぱり地球には帰らないつもりなの?」
「……うん」
「迷ってるくせに」
「マヨうさ、そりゃマヨうよ。
でも、リィンを置いていけるワケ、ないだろ」
「……そうね」
大きな大きな溜め息をつく姉。
だが弟の決意が固いのは明らか。魔界で軍師的地位につき、リィンへのプロポーズも準備中。これらを知っている以上、もう気を変えさせようとはしなかった。
「……私は、帰るわ。
あんたと違って、魔界に未練を残さないようにしてきたもの。
恋人も作らなかった」
「マルチェッリーノさん、泣いてたよ」
「しょうがないでしょ。
私は、あんたみたいに魔界でやってけるなんてお目出度いこと、とても考えられないわ」
「地球に帰れるってのも、ソウトウにおメデたいと思う」
「モルモットなのは知ってるわ。
でも、それでも私は地球に帰りたい。僅かでも可能性に賭けたい。
父さん母さんにも会いたいし、チョコだって大好きだし、我が家でのんびりTV見ながらコーラを飲みたいの」
「……それじゃ、手紙だけお願いする。
それとPCとかの荷物は置いていって欲しい」
「魔界の写真や動画は欲しいから、メモリーカードやらは持って行くわよ。
写真も改めて撮りまくるとしましょ」
「それと宝玉もタクサン持って行きなよ。
いや、いっそ加工前の原石がいいね。宝玉の術式は、地球じゃ落書きアツカいされるからね」
「むしろ金貨がいいかも。一番分かりやすい価値だわ」
こうして、姉と弟の行く先は完全に別たれた。
姉は次元回廊の彼方にある、かもしれない地球へ。
弟は戦場へ。
どちらも命懸けなのは変わらない。
そして出立の朝。魔王城飛空挺発着場
西部戦線へ向かう中型飛翔機のタラップには、大荷物を抱える裕太の姿があった。
地球産の彼の荷物は大半を魔界のために提供しており、今の姿は魔界の旅人の服装として一般的なものだ。
その表情は、戦地に向かう緊張のためか強ばりが見える。
彼の従卒であるブリュノ・アロワ・シリル達親子は、大量の荷物を飛翔機の貨物室に運び込んでいる。
同時に発着場には、数多くの人間族と魔族が裕太の出立を見送りに集まっていた。
魔王だけでなくマル執事長も、フェティダやミュウ、ネフェルティが裕太の前に立っている。
城の人間達も全員がいる。ノエミやテルニやノーノなど保父達、シルヴァーナなど子供達。
デンホルムやイーディスといったエルフの教師達。
城の近衛兵達や、農夫のオーク達までもいた。
京子は少し離れた場所からデジカメで撮影し続けている。
そして、リィンも居た。
裕太の恋人である妖精は、うっすらと涙を浮かべながら彼の前に立った。
「やっぱり、行ってしまうの……?」
「うん。
必ず魔界に勝利をもたらして見せる。
待ってて欲しい」
「ええ、待ってるわ。
一緒に待ってるから」
「一緒に、て……?」
妙な言葉がついてきたと、裕太はキョトンとする。
涙をこらえるリィンは、彼女のほっそりとしたお腹をさすった。
「この子と一緒に、あなたが無事に帰るのを待ってる」
瞬間、どよめきがわき上がった。
裕太は何を言われたのか分からず、目をパチクリ。「あ……え、ぅえ?」と呻くばかりで言葉が出てこない。
撮影していた京子が慌てて駆け寄ってくる。
「ちょっと! リィン!?
間違いないの?」
「ええ、『探査』で確かめてもらったわ。
間違いなく子供がいるって」
「ええーーっ!!」
叫んだのは姉ではなく弟の方。
目を白黒させ絶句してしまう。
絶句はしていない姉の方が、本人と皆を代表するかのように問いを矢継ぎ早に投げつける。
「ちょ、ちょっと!
人間と妖精のハーフが出来たっての!?
つか裕太の子で間違いないの!?
なんで今まで黙ってたのよ!」
「昨日、分かったのよ。
かなり遅れてたから変だなって思って。
あたしも、まさかって思ってたから」
「ええーっ!
すごいすっごーい!」
大騒ぎになる発着場。
呆然とする裕太を魔王や妖精達や人間達が取り囲み、口々に「にーちゃん、やったな!」「これでお前も一人前の男だぜ」「後のことは安心して欲しい、全力で無事に産まれるよう協力するよ」と祝福する。
同時に握り拳を震わせて悔しがるシルヴァーナを、スザンナやオリアナといった年長の子達が慰めたり背中をさすったり。
ついでに肩を落とすフェティダもミュウとネフェルティに慰められてた。
そんな中、京子はリィンと裕太を横に並べてカメラを向ける。
「それじゃ、さっそく若夫婦の写真を撮るわよ!」
それを合図に魔王も執事長へ指示を出し、撮影用の宝玉を向けさせる。
最初は二人だけの写真を撮っていたが、すぐに我も我もとレンズ前に並びだし、結局全員での記念撮影になってしまった。
執事長は、「すぐに映像は絵にして西部戦線司令部へ届けます」と、撮影用の宝玉を握りしめて飛び去る。
こうして、裕太は皆に見送られて、各地各種族のお守りや護符、差し入れの武器防具に宝玉類、山のようなその他品々と共に南の空へと旅だった――。
――モンペリエ近郊、街の北にある飛空挺発着場へ高度を下げる機体。
機内にいる間、ずっと裕太は出立前の話を思い返し、心の中をかき乱されていた。
その口からはブツブツと声が漏れてくる。
「……まだプロポーズもしてないのに……すっかり機会をノがしたじゃないか……。
てか、ボクが父親って、ありウるの……? まあでも、やりまくったしなあ……。
つーか戦場へ行くマエにコドモができた、とか、帰ったらケッコンシキとか、もろに死亡フラグじゃないか……!
……ゼッタイ死なないぞ。生きて帰って結婚するんだからな……」
彼は、次元回廊実験計画による地球帰還の可能性は、さして興味が無かった。
それより問題なのは、これから築く予定の幸せな家庭の方。
必ず生きて帰るという決意を胸に秘めた少年を乗せた飛翔機は、無事に地上へ降り立った。
かくして裕太は軍事顧問として戦地に降り立った。
皇国飛行戦艦隊の襲来も近い。
衝突の時は迫る。
次回、第二十二章『西部戦線異状あり』、第一話
『Montpellier』
2012年3月23日00:00投稿予定




