西部戦線
《ごらんください! あの神の加護を受けし勇猛果敢なる戦士の列を!
彼らこそは汚泥に満ちた魔界を浄化するため清浄なる皇国を旅立つ皇国軍です!
さあ臣民達よ、いまこそ私達も立ち上がりましょう。
我らと我らの子らに、皇国の未来のために歌いましょう!
世界を滅ぼさんとする邪悪の化身、魔王との戦いへ赴く彼らへ清き祈りを……》
女性の話が一区切りついたところで画面が切り替わり、皇国軍が出立する野営地を見下ろす丘が映された。
そこには金糸銀糸で飾られた法衣をまとう聖シモン八世と黒のスータン(僧衣)をまとう枢機卿達の姿があった。
僧達は丘のふもと、進軍を開始する兵達へ祈りを捧げている。
ゆったりとした貫頭衣をまとう男性が、国教会の高僧達の儀式を解説する。
《こちらはオルタ駐屯地です。
教皇猊下と枢機卿団の各猊下による祝福の儀は、現在も聖なる祈りの声を鐘楼の鐘がごとく響き渡らせております。
猊下による祈りは鋼の勇気と真なる信仰を抱き魔界へ踏み居る皇国臣民全てに等しく守護を賜り下さいます。
この秘技により呪詛にまみれた魔界の大気は兵達の熱き息に吹き飛ばされ、兵達の鎧はいかなる怨念も弾き、その剣が突き立てられた大地は浄化され……》
皇国軍の進軍、その中継は延々と続いている。
映像は皇国全土へ配され、多くの人間達が見入り、興奮のるつぼと化しているだろう。
だが、この映像は実は、皇国だけで放映されているわけではない。
実は魔界側でも見ることが出来ていた。
インターラーケン戦役で獲得した各種の皇国の機材の中には、通信機などもある。
これら機材を使い、皇国領土内で密かに放映を傍受し、魔界へと送信しているのだ。
このため、この映像は魔王自身が見ていた。
そこは薄暗い、巨大な空間。
各所にほのかなランプが灯っているが、空間の全体を映し出すには至っていない。ランプ近くの壁と石畳がボンヤリと闇の中に浮き上がっている。
どれほどの奥行きがあるのか見通せない空間、その中心に魔王はいた。
古くさい肘掛け椅子に腰を下ろし、目の前の鏡に映し出される皇国からの中継に目を向けている。
長きにわたり皇国を守り続けた要塞が一瞬で瓦礫の山へ転じた光景を、何の感情も示さず黙って見つめていた。
周囲からはさわさわと小声のざわめきが聞こえる。
よく見れば、闇の中には多くの影がいた。そのシルエットは耳の長いもの、背の低いもの、巨大なものと様々だ。
魔王配下の各種族が、暗がりの中に控えている。床に直接座っている者、壁にもたれる者、宙に浮いている者、控え方も様々。
だが視線の向く先は同じ。鏡に映された光景に魔王と同じく目を奪われていた。
「なんと……あの巨大要塞が、一瞬で……」
「いつまでも要塞を落とさぬから妙だと思ったが、このためか。
なおかつ山の雪解けまで待っての行軍開始。なんたる用意周到さか」
「魔界側への示威行動と、皇国内向けの戦意高揚、じゃなあ。
わしらがこの映像を見ているのも折り込み済みというのじゃろうよ」
「やられたわな。
こんなもん見せつけられたら、勝ち目があるやなんて思われへんで。
下っ端共のやる気ガタ落ちや」
「おまけに見ろよ、あの巨大飛空挺を。
ワイバーン便にだってあんなデカイのはねーよ。しかも飛行高度もたけーぜ。
あれを落とすのは、やっかいだろうよ」
「しかもご丁寧に、兵共に祝福の儀式までやってやがらあ。
嘘っぱちの猿芝居でも、教会に騙された人間共の腐れ脳みそには効果抜群だろうぜ」
「インターラーケンで敗残兵が大量に裏切った反省ってわけですかね」
皆、口々に皇国軍との戦力差に驚愕し戦慄する。
これらの映像を見た瞬間、魔王配下の重鎮達は絶句してしまった。しばし言葉を失っていた。
ようやく出た言葉は皇国軍の信じがたい精強さと用意周到さを語るものばかり。
そんな中、一人のワーウルフが闇の中から魔王の傍らへ進み出た。
力強く敬礼した狼の兵士は、陰鬱な闇を振り払うかのような大声を張り上げる。
「西部戦線よりベウル総司令からの緊急報告!
現在、敵新型飛空挺を五隻、後続の小型飛空挺多数を視認! 地上部隊はインターラーケン山脈を西進中!
西部全軍は現状を維持、戦端を開くと同時に整然たる後退を開始!
後方の方々には、予定通り包囲殲滅への協力を請う!」
ベウル司令からの伝令を伝えると、再び敬礼した兵士は一歩下がる。
これを皮切りに、勇気を奮い立たせた重鎮達の声が上がった。
「ま、この程度は予想通りだニャ」
「そうである。
でなくば大事な田畑に塩まで撒いた甲斐がないというものである」
「じゅ、準備は、出来てるんだな!
来るならこい、なんだな!」
「どれだけの準備をしてきたか知らんが、どうせ最初だけだぜ。
弾も魔力も尽きてから、たっぷり可愛がってやるぞ!」
雄叫びを上げる部下達をチラリと見まわした魔王。
ゆっくりと立ち上がると、気勢を上げていた者達は静まり、厳かに口を閉ざし頭を下げる。
闇の中に浮かぶ魔王は、一言口にした。
「今回は、僕も最初から出ようか」
おお……、というどよめきが広がる。
戦力的には絶対的ながら、平和主義者で荒事が嫌いな魔王は滅多に前線には出ない。
それが先のインターラーケン奇襲作戦に続いて、連続で前線に立つことになる。
圧倒的なまでの信頼感は確かだが、同時に総大将にして最大戦力という切り札を最初から切らねばならない現状の厳しさも物語る言葉だ。
そのことは皆が理解している。だからこそ配下達の緊張感と士気は目に見えて向上した。強い意思の光が全ての者の目に宿る。
だが、静かで理知的な言葉が魔王の決断に意見した。
「お待ち下さいな、陛下。
円卓会議副議長からの緊急提案です。
魔王陛下には、しばしルテティアに留まって頂きたく存じます」
意見を口にしたのはゆったりとした黒のローブをまとう老女のエルフ。音もなく前にでるその足は床についていない。宙に浮いている。
周囲から即座に反論や怒声が飛びそうになったが、すぅ……と魔王が手を挙げると共に皆は口を閉ざす。
小さく礼をしたエルフは、再び円卓会議の提案を続けた。
「陛下直属の部下、ユータ卿により皇国の兵装兵種に在る程度の予測が出来ました。新型兵器の開発と配備も順調です。
ですが、いまだ全貌は知れず。皇国は必ず魔王陛下を倒す算段を立てているはず。いかなる新技術新兵器を開発投入するかは不明です。
インターラーケンでの戦いでは勇者を大量投入し、陛下を後退させるにまで至らせました。
どうか拙速なる突撃は控え、魔王軍により皇国の秘技秘術を明らかにさせた後に御出陣願いたい」
とたんに周囲から、陛下の力を侮るか、先手必勝、我らの真の力をもって鎧袖一触すべし、奥の手など使う暇を与えねばよい、といった血気にはやる叫びが上がる。
だが主戦派というべき声に包まれても、老女の進言は慎重だった。
「エコナ島を偵察するリトン王子からの報告もいまだ無く、新型飛空挺の武装は知れません。
奴らの奥の手を知ってからでも」
「陛下ぁっ!」
円卓会議副議長による魔王への直訴を遮り、叫び声が上がる。
それはゴブリンの甲高い耳障りな声だったが、焦りで震えているらしく、さらに甲高く上ずっている。
「たった今、エコナ島偵察隊の魚人が帰還したぜ!
け、けどよ……」
その表情は、薄暗い中でも苦渋に満ちていることは明白だった。
口ごもったゴブリンは、意を決して声を張り上げる。
一度は回復した場の士気熱気を、再び地に堕とす報告を。
「帰還した魚人は、たった一名!
それも半死半生ですぜ!」
「何だって!?」
驚愕の声を上げた魔王は、目の前の鏡に向けて右腕を振る。
即座に映像が切り替わり、多数の画面が鏡面上に並ぶ。
その中に目的の映像を発見すると、それを画面一杯に拡大した。
それは、海辺を背景にした映像。画面内には魚人族の女性の姿があった。多くの者に囲まれ介抱されているその姿は、痛々しいほどに傷だらけだ。
だがそれでも女性は顔をあげ、必死の形相で報告を語る。息も絶え絶えなその声は、苦痛に震えてすらも美しく澄み渡っていた。
「へ、陛下に、申し上げます……。
リトン様、は、敵の手に掛かり……戦死……!」
その報告に、今度こそ拭いきれないほどの動揺が広がる。
魔王は目を見開き、驚愕に硬直する。
魚人の女性は、頬の傷から血を流し続けながらも報告を続ける。
「敵の、兵器は……不明。
直に見た者は、ことごとく、倒れまし、た。
ですが、威力は、海を煮えたぎらせ、津波を起こす、ほどに、凄まじく……。
リトン様と、共に、斥候の多くが死に、僅かに生き残った、私達も……ここまで帰還するまでに、海獣の餌食となり……」
「……分かった、もういいよ。ご苦労様でした。
今はゆっくり休んで、傷を癒してくれ」
「も、もったいなき、おことば……」
それだけ口にして、女は口も目も閉ざし倒れ伏した。
沈痛な空気が薄暗い空間をますます暗くする。
囁き声が、あちこちから漏れてくる。
「……まさか、第九子リトン様が……」
「魔王一族からの、初めての討ち死にじゃ……」
「……不敗を誇った、かの方々すら、容易く討ち取られるとは……恐ろしい」
「お、おらたちオークなんかで、相手になるか、な?」
「愚か者め……!
愛しき子を失った陛下の御心を知らず、我が身の安寧のみに思い巡らすとは、恥を知れ……!」
叱責の言葉が一際響く。
途端にざわめきも消え、静寂が広がる。
魔族達は皆、目を見開いたまま動けず立ち尽くす魔王へ視線を集める。
しばし、沈黙の時が過ぎる。
魔王は強く目を閉じ、大きく息を吸う。袖口で目元を拭う。
そして目を見開き、高らかに令を発した。
「みんな、聞いてくれ!
今は魔界存亡の危機だ。リトンのことは残念だったけど、落ち着いて葬儀をしていられる暇はないと思う。
葬儀はこちらで簡単に済ませておくから、みんなは戦いに専念してくれ。
それと、副議長」
魔王の傍らで静かに浮いていた老女のエルフへ向き直る。
副議長は改めて小さく頭を下げた。
「円卓会議の判断に従うよ。
今回は、確かに僕が先陣を切るのは危険過ぎるようだ」
「英断ですわ」
満足げに首を垂れる老女。
魔王は周囲に居並ぶ部下達へ、厳しい表情を向ける。
「済まない、どうか皆には頑張って欲しい。
皇国が復活させた古代技術、余りにも底知れない。これは大変に厳しい戦いになると思う。
必ず後から僕も出る。それまで、少しでも皇国の力を削ぎ、隠している奥の手を明らかにしてくれ」
広大な空間を光の代わりに雄叫びが埋め尽くす。
声の大きさを競うかのように、おう! 委細承知! やるどー! 等の各種族部族ごとの鬨の声をあげた。
そして先を争って踵を返し闇の中へと姿を消していく。それぞれに前線へ赴き軍をまとめるのだろう。
喧噪が一段落してから、改めて魔王は鏡へ手を向けた。
映し出されたのは野営陣、無骨な武具や地図などが並ぶテントの内部。
その場にいたワーウルフの女騎士が敬礼と共に応答した。
《お待たせ致しましたっ!
こちら西部戦線総司令部!
魔王陛下に勝利と栄光あれ!》
堅苦しく熱い返答に、魔王は穏やかな笑みで応じる。
「こんにちは、そう固くならなくていいよ。
ベウル君はいるかな?」
《はっ!
ベウル総司令は練兵場であります!》
「今は呼んでも大丈夫かな?」
「御意っ!
しばしお待ちを!」
一々暑苦しく返答する女騎士は、天へ向けて遠吠えする。
それはさほど大きな吠え声ではなかったのだが、ベウル総司令には届いたようだ。
騒々しい甲冑の音が段々と近づいてきて、荒々しく天幕入り口の布が翻った。
姿を現したのは、筋骨隆々とした巨漢のワーウルフ。全身の大半は見事な白い毛並みだが、鼻から耳にかけてが青黒い毛に覆われている。
狼頭の第七子、ベウル。
《父上、お待たせして申し訳ない!
ベウル、ただいま参上致しました!》
背中には、その巨躯をもってしても振れるかどうか怪しくなる大剣を背負うベウル西部戦線総司令。
大量に取り付けられた宝玉が残存魔力で明滅し、刃が泥や木くずで汚れている。鍛錬の最中だったらしい。
そして茶色の目には、うっすらと涙を浮かべていた。
「ベウル……泣いていたのかい?」
《これが泣かずにいられようか!
魂を交わし、拳すらも重ねた弟の死。
涙も流せぬ程度にしか悼まぬほど、俺は冷血漢ではない!》
「そうか、そうだね。
それで、リトンの葬儀だけど」
《参列せぬ。
ミュウ姉上は悲しまれるであろうが、この戦場を離れるわけにはいかぬゆえ。
皇国兵の血で咲かせた花を、弟への献花といたそう。
それが一番の供養かと思う》
涙に濡れた茶色の瞳には、強い意志の光が宿っていた。
いかにも武人という葬儀に、父たる魔王も強く頷く。
「そっか、ベウル君らしいね。
でね、一つ提案なんだけど」
《提案ですと?
このような火急の時に、いかような》
「実は、去年から僕の下で働いてくれてる人がいるんだけどね。今度の戦いには是非参加したい、というんだ。
君の下で使ってくれないかな?」
《むぅ……縁故採用は信用に関わるゆえ、軽々しく首肯は致しかねます。
各人の技量力量に応じた扱いしか出来ませぬぞ》
「それでいいよ。
必ず軍師として役に立ってくれると思う」
《新しい軍師……。
ですが円卓会議のエルフ達だけで、既に十分すぎるかと》
魔王の提案に、僅かに口の端を歪めたベウル。
エルフの軍師達がこれ以上増えることに抵抗があるらしい。
熱血を絵に描いたかのような彼と、ひたすら話が長く理屈をこねるエルフでは、少なからぬ衝突もあるのだろう。
そんなベウルの不満を見透かしたように、魔王はにっこりと微笑んだ。
「安心して欲しい。
エルフじゃないよ。チキュウというところから来た、人間に似た種族なんだ」
《ふむ?
すると、先日の会議で熱弁を振るっていた抗魔結界使いですな》
「その通り」
《彼の者、あまり戦に通じてはおらぬと見受けましたが。
勇者を倒す能力は買いますが、どちらかというと、学者が似合いかと》
「うん、でも彼は現在の皇国の戦力分析について、円卓会議に多くの助言をしたんだ。
きっと役に立つと思うんだよ」
《御意》
かくて、裕太の西部戦線派遣は決定した。
次回、第二十二章第六話
『生態調査』
2012年3月20日00:00投稿予定