皇国軍分析
ル・グラン・トリアノン二階の一室。
窓の下には、『肉体強化』の魔法を使って走る、という基本訓練を終えた子供達が次々とやってくる。
迎えるのはワーウルフ族の近衛兵達。
座学は知恵に長けたエルフが教師として行うが、やはり実技は実戦で鍛えた兵士達の方が向いている。
なので、デンホルム達エルフの魔法教師達は教鞭を執らず、彼らを見下ろす城の一室にいた。
魔法の教師達は大きな机を囲んで着席し、黒板へ目を向けている。
そこには大きな魔界の地図が張られ、ピンで様々な紋章が、あちこちに取り付けられている。
魔王軍と皇国軍の各軍団部隊を表すものだ。
黒板前に進み出たデンホルムは、ビシッと指示棒で地図を叩く。皇国と魔界の西側国境線であるヴォーバン要塞の辺りを。
「……現状は以上。
要約すると、農閑期はおろか、春になった今でも皇国軍は未だに侵攻していない。
既に偵察と工兵が少数残るだけのヴォーバン要塞すらも落とされていないのです。東のトリグラブ山も同様。
この不可解な事実、卿らはいかに読まれるか?」
机を囲むのは四人のエルフ。
いずれも現在は子供達の教師役として城に勤めているが、実はその全員が将来を嘱望される優秀な学生だ。
そして教師達のうち二人は春の訪れと共に新任へと交代している。本日は新任教師との会合を行っていた。
エルフは長寿で有名。就学率は高く、その学生時代も長い。
学業の最後に、見聞を広めるため魔界各地を巡る旅行や研修を行うのがダルリアダの最新の流行になっている。これは俗にグランドツアーと呼ばれる。
エルフの軍事顧問機関『円卓会議』入りを目指すデンホルムは、昨年の夏まではルヴァンの補佐官の一人だった。
いずれにせよ、彼ら五人は学業・研修及び人脈形成の一環として子供達の教師という任に就いていたわけだ。
そのうち一番小柄な若者、分厚い丸眼鏡をかけて茶色の髪は短い女学生兼教師が立ち上がった。
彼女は新任教師の一人だ。
「小生が思いますに、神聖フォルノーヴォ皇国では軍主力を士官学校出身の職業軍人が多くを占めていることが大きな要因であると愚考致しますです。
かつての兵は民から強制的に徴用された農民が多くを占めていました。ゆえに農閑期でなくば食料生産の点から大軍を動員出来ず」
そこまで話が進んだ所で、デンホルムがすぅっと右手を挙げて発言を制した。
「ミス・イーディス、話が長すぎます。
もっと要点のみを語って下さい。
我ら英知の化身たるアールヴの末裔と異なり、他の民は我らほどに知と理に通じてはいません。
ですが、その他の未熟なる種族にも我らの英知の一端を示さねば、彼らの理解と協力を得ることは叶いません。
ゆえに、彼ら異種族でも理解しうる、平易な言葉で簡略化して、なおかつ謙虚な姿勢をもって語る必要があります。
まだダルリアダを離れたばかりなので慣れないでしょうが、例え我らエルフのみ列する座であっても、この点を常に念頭に置いて言葉を語って下さい」
話を短くと言ってる奴の話が長い、と他種族なら言うだろう。
他種族を愚かと見下す点も、なかなか改まらない。
だが彼らはその点に突っ込まない。エルフにとってはこの程度は長い話とか傲慢な態度の内に入らないからだ。
なのでイーディスと呼ばれた新任教師の、あくまで彼らにとっては短い話が続く。
「失礼しました。
結論として、農業技術革新が大きいかと思いますのです。
農業の技術革新は大量の農産物を安定供給し、農閑期に無関係な都市住民を多量に養うことが出来たのでは、と思います。これにより多くの職業軍人をも支えることが出来るのでは、と。
また、奴らとて要塞に罠が仕掛けられてあるのは百も承知でしょう。放棄した田畑には塩を撒き、井戸には毒、道も橋も破壊し尽くしたのです。
十分な軍備回復もせず、雪山を焦って進軍して来るとも思えませんです」
事実として、東西要塞内部には大量の爆薬が仕掛けてある。焦土作戦のため放棄した土地は、長期にわたり不毛の地のままだろう。
インターラーケン奇襲失敗により精兵一万と最新鋭の装備を失ったのに、無理を押して進軍するはずもない、という理由だ。
だがこれには隣の青年が手を上げて反論した。
「確かに領地の占領についてはそうだろう。
だが各要塞は極めて要衝に位置している。これを早々に奪取し自陣とするは、少々の手間と危険を冒してでも為すべきことだ」
その意見には幾つもの同意の声があがる。
段々と挙手や起立という形式も飛ばし、自由な発言が続くようになった。
「その通り。
だとすれば、奴らは要塞に価値を見いだしていない、ということではないかな?」
「皇国の兵器群からすれば、確かに要塞など大きな射的の的に過ぎないね。
しかしそれは皇国から見れば、の話だ。我ら魔界の兵器では要塞の城壁を破れない。
なら皇国にとっては要塞占拠は魔界侵攻に資するはずなんだけど」
「魔王陛下の絶対なる魔力なら、要塞は破壊出来よう。
だがそれにしても、軍事拠点としても陛下の魔力を防御するにも有効であろうに」
「ヴォーバンやトリグラヴ周辺の地も併せて占拠する好機。
いくら罠を警戒するにしても、斥候すらも全く近寄らないというのは、極端すぎると言わざるを得ない」
「だとしたら、一体何故なんでしょうね……」
若きエルフ達は軍略の専門家ではないが、決して軍略に無知でも無関心でもない。
だが彼らが額を寄せても、一向に結論は出てこない。
各要塞は軍事上の要衝。獲得すれば魔界へ一気に進軍する足がかりとなる。少々の罠を気にして要塞を奪わないなど考えられない選択だ。
ゆえに、空城を前に動かないのは、あまりに不自然な行動だ。
結論がでないまま時間が過ぎる。
黒板前に立っていたデンホルムは、今は窓際にもたれていた。
ふと切れ長の赤い目が窓の外をみると、訓練で走っていた裕太がようやく帰ってきたところだった。
息も絶え絶えでフラフラの彼は、ゴールである城の前にたどりつくと、そのまま座り込んでしまった。
その光景を見ていた彼は、答えが出ない他の四人へ話しかける。
「ところで、この点についてユータが面白い推測をしていましたよ」
議論はピタリと止まる。
口々に、「ほほぅ、彼がねえ」「素人の意見でしょうに」「参考にくらいはなるかも」と、それなりの興味を示す。
皆の興味が向いた所で、デンホルムは再び口を開く。
「彼、曰く。『皇国は要塞を奪う必要が無いかもしれない』、だそうです」
要塞を奪う必要が無い、皇国は要塞が要らない。
その予想外の言葉に、場は少し困惑する。
「根拠は魔力炉と、皇国が開発したとされる新型巨大飛空挺です。
この飛空挺に多数の魔力炉、兵士、アンク、武器、それらを全て搭載しているのではないか、と。
即ち、言うなれば空飛ぶ要塞」
その意見に、他の四人は目を見開き声を漏らし、驚きを隠さない。
魔界の飛空挺は、ワイバーン便が所有する大型艇でなら、それだけの武装を一気に運ぶことは不可能とまでは言わない。
ただし、目的地までの飛行は難しい。
飛空挺は基本的に風船と同じ。大型になればなるほど風の影響を受ける。機体が重くて高度を上げれなくなる。
魔法で浮力推力を得ることは出来るが、もちろん大量の魔力を要する。
そして、鈍重な大型飛空挺など竜騎兵の餌食にしかならない。装甲を厚くしても限界はあるし、ますます重くなるのだから。
なので魔界側からすれば、飛空挺は要塞の代わりになどならない、単なる輸送用であり前線には出れない、というのが常識。
だが裕太は要塞の代わりになる、と考えた。
「全ては魔力炉とレーダーによって成り立つのです。
魔王陛下に匹敵する強大な魔力を安定的に発生させれるがゆえに、鈍重なはずの巨大飛空挺も空に浮き、自由に飛行出来るだろう、と。
また、竜騎兵などの空戦力も広範囲なレーダーにより接近前に探知され、迎撃撃墜される。
防御は装甲ではなく長射程のマジックアローと光魔法、彼が言うレーザーによってなされる、と」
とたんに、まさか攻撃をもって防御となす気か、机上の空論ですよ、いや先進的発想と思います、一隻でそんなに積み込めるものか、等の意見異論が噴出する。
それらの意見は織り込み済みだったらしく、デンホルムは涼しい顔で話を続けた。
「無論、それらの反論は私もしました。
彼の返答は、他に多くの小型艇や空戦力を搭載した艦艇と同時運用することで、全ての解決がなされる、です。
レーダーを載せた鑑、長射程や高火力に特化した鑑、高機動の竜騎兵を大量輸送する鑑、糧食などの補給を専門とする鑑、高速小型艇、等です。
彼はこれを『Fleet(艦隊)』と呼びました」
この言葉に、まさかそれだけの新型艇を建造できるのか、どれほどの技術力と工業力があればできるというのです、などの驚き呆れる感想が続いた。
だがデンホルムのさらなる説明に、反論も力を失い真剣に黙考してしまう。
裕太がデンホルムへ語ったのは、地球の原子力空母を中心とした艦隊。
燃料補給を長期間必要としない原子力空母を中心に、巡洋艦・駆逐艦・強襲揚陸艦などを一個の軍団とした運用。
魔力炉は原子炉とは全く異なるが、もしかしたら軍事的に同様の運用が可能かも知れない……そう裕太は考えたのだ。
皇国が開発したのは新型の飛空挺。飛空挺であるが故に原子力空母以上の高速移動が可能なため、補給線の問題は少ない。
新型飛空挺自身に在る程度の軍事拠点としての機能を持たせることも可能だろう。
ならば、あえて地上から罠だらけの要塞や不毛の地を進まなくても、艦隊の陣容を完全に整えて空から侵攻してくる気だ……と。
これが単なる推測や妄想の類なら一笑に付すこともできたろう。だが地球の海軍を知る裕太の言葉には説得力があった。
「……この、彼の推測が正しいなら、要塞を奪わないのも説明がつきます。
彼らは長距離の陸路移動を行わないので、地上からの進軍にとって重要拠点たる要塞には興味がないのではないか、と。
また、飛空挺の運用員は通常、専門職です。農業に従事していません。だから農閑期に関わりがないのです。
要塞は、魔王軍全軍を空から撃滅した後に、落ち着いて爆破するなりして片付けるだろう、というのですよ」
彼ら学生達は、京子と裕太が異世界から来た、という話を信じ切れていない。どこか遙か遠くの異文明から迷い込んできた、とくらいにしか考えていない。
だが同時に姉弟が遙かに優れた自然科学を有する世界から来ていることは理解している。面白半分で嘘をつく人物ではないことも。
ゆえに、裕太が語る原子力空母を中心とした艦隊の存在を軽々しく疑い否定することは出来ない。
そしてそれが魔王軍の圧倒的不利という結論を導く推測ということも認めざるをえなかった。
最初に発言した女性のエルフが腕組みして考え込む。
「ふぅ~む……となると、困りますですね。
皇国軍は高い技術力を背景に、大火力かつ長射程の攻撃を、高々度から地上へ繰り出してくることになります。
これまでの魔王軍の優位は、豊富な物資と圧倒的兵力を用いた飽和攻撃、物量作戦が基本でした。これに、魔王陛下を始めとした王族の方々による戦術戦略級魔術の支援と一点突破です。
だが戦闘が空戦力に限定されては、その利点が大幅に制限されてしまうですよ」
「その通りです」
女性エルフの言葉にデンホルムも頷く。
「裕太も、戦いは制空権を得た者が勝利する、と話していました。
これを破るには正攻法以外では、レーダーを無効化する兵器をもって敵艦隊へ接近するか、防御が間に合わない程の高速で敵中枢を一撃……だそうですよ」
「ですが、それらは全て彼の予想に過ぎないのでは?
円卓会議の発表とは合いませんです」
過大評価という意見に、他のエルフも深く頷く。
そしてデンホルム自身も。
「その通りですね。彼の意見は円卓において非主流派です。
現在は件の新型飛空挺確認のため、リトン様がラコナ島近海へ潜入を試みています。
その報告を待って、円卓会議と彼のいずれが正しいかを見定めるでしょう」
結局、現状では全て予測に過ぎない、と彼らは結論づけた。
魔王城で教職に勤しむ彼らには真相を知り得ない、として。それは事実なので、彼らにはこれ以上の議論は行い得なかった。
お茶をすする彼らは、裕太と言えば、と話を変えた。
「彼は魔王軍の兵として戦地へ向かう、と聞きましたが……気は変わらないのでしょうかね?」
その言葉に彼の元教師が頷く。
少し眉をひそめたのは、お茶が渋かったわけではないだろう。
「意思は固いようだよ。
全く……彼らチキュウ人の真価は後方での情報管理や諜報、単騎突撃してくる勇者への最後の防壁、これらの点にあると何度も説明したのですが」
「あの、小生は教職の任を受けるにあたり、彼らは抗魔結界使いとして魔力炉の子供達を世話している、と伺いましたです。
子供達の暴走を止める、という本来の任務はどうなったのですか?」
「ああ、それなら……」
彼らの五組の視線が窓の外へ向かう。
庭園では当の子供達がワーウルフ達の指導の下、隊列の組み方や行進の仕方で厳しい指導を受けていた。
この辺は軍人である近衛兵としてのこだわりが出ている。
子供達は全員が同じデザインの、藍色の布地に黄色や赤の流れるようなデザインが施された服を来ている。
他にも鮮やかな黄色のリボン、スカーフやチョーカー、指輪やイヤリングなども身につけていた。
裕太はというと、はじっこで動けずひっくりかえっている。
「子供達に支給されたお仕着せには、チキュウ産の繊維が折り込まれています。
裕太は、彼が持っていた品々の多くを提供してくれました。
その中にあった大きな背負い袋、バックパックというそうですが、それは恐ろしく強靱な繊維を編んだものなのです。各所に金属も付属していました。
それを分解し繊維にほぐして、衣服に折り込んだのですよ。金属は打ち直して各種アクセサリーへ。
だから彼らが所持しているお仕着せと装身具は、下着も含めて全て、抗魔結界を有しているのです」
「なるほどです。
でも、それで暴走の被害は抑えられるでしょうが、暴走の発生それ自体は止められないのではありません?」
「今年に入り、暴走は二件しか発生していないのです。彼ら二人が来てからは、子供達は心安らかに過ごせているのですよ。
それにチキュウの物質が有する抗魔結界は、あまりにも強力なのです。絶対的と言ってよい程に。
暴走により漏出する魔力は、その繊維に触れただけで消失します。その濃度が著しく低下するのです。
よって以前と異なり、多少の危険は残ってはいますが、暴走を抑えるのは彼ら自身でなくても出来るようになったのですよ。
先の二件とも、キョーコとユータの力を借りることなく収束されています」
「そうでしたか。
それで保父の任を解かれ、魔王軍へ」
お役ご免で任を解かれた、という言葉にデンホルムは少し笑った。
「任を解かれたわけではありません。陛下は変わらず保父の任を続けて欲しい、と勧めたのですが。
彼自身の強い希望なのですよ。
魔界に勝利と繁栄をもたらしたい、だそうです」
「まあ、勇ましい子ですね。
でもあの細腕で、兵として役に立つとは思えませんが」
「彼は一兵卒ではありません。
魔王陛下直属の、将と同格の地位を受けています」
「将ですって!?
何かの間違いでは?」
「いえ、間違いではありませんよ」
かつての姉弟専属教師だったエルフは天井を見上げて歩き出す。
まだ一年も経っていない過去のことを懐かしむかのように。
「彼は優秀な軍師となってくれるでしょう。
魔界の大きな力となってくれます」
「脆弱で病弱そうに見えますが……」
「確かに脆弱で病弱でした。
彼らは魔界に来るまで『温室の花』のような生活をしていたそうです。
清潔な環境で、栄養価の高い食事を摂り、不自由の無い生活だったと。
そのため魔界に来てからは、何度も大きな病気をしていました。一度は生死の境をさ迷った程です。
しかも症状をよく見ると、単なる風邪や食あたりのような病気なのに、極めて激しい症状を示していました」
実際、二人は魔界に来てすぐ生死の境をさ迷う大病を患った。が、その後も大小様々な病気に倒れている。
幸い、魔王一族の最大限の配慮で最高の医療を受けることが出来たため、無事に回復が出来ているのだ。
これは地球と魔界における感染源の違いからくる免疫の有無や、病的なまでに潔癖すぎる日本育ちのため免疫力が低い、とかが関係している。
その辺の事情は魔界育ちのエルフ達には、よく分からないことだ。
分かるのはコツコツと靴音を鳴らしながら話を続けるデンホルムだけだろう。
「体は貧弱で魔法も使えない身でしたが、知性と知識は卓越していました。
新年から今までの僅か数ヶ月で、基本的な政戦両略は習得しています。
何より、我らとは全く異なる視点、全く異なる知識体系を有していることが大きい。
ユータの艦隊運用に関する知識、年始めにキョーコが示した法律知識、その他、挙げればきりがありませんよ。
彼はきっと戦地に置いても、魔王陛下に良き献策をなし得ることでしょう……性格的に向いてないとは思うのですが、ね」
そういって、デンホルムは窓の下にいるユータを見た。
他の四人も席を立ち、褒め称えられた少年の姿を見下ろす。
彼は、必死で立ち上がろうとしたが結局膝を付き、しかもゲホゲホと咳き込んでいた。 ブリュノが優しく背中を撫でて介抱している。
四人の冷たい視線がデンホルムに刺さる。
「……まあ、前線に立たなければ大丈夫ですよ」
さすがに戦場へ向かうには不安の大きい有り様だった。
そこでイーディスが再び右手を挙げた。右手には一行の文が表に描き込まれた封筒が握られている。
「では、ルヴァン様より預かった計画書ですが、これは伝えないほうがよいですか?」
その質問に、少しデンホルムは考え込む。
「……いえ、姉のキョーコは帰国の意思を変えていません。
また、ユータ自身もいつの日か郷愁に身を焦がすかもしれません。
元々の約束ですし、やはり事実を伝えたうえで、本人達に選択して頂きましょう」
教師は複雑な感情を抑え込むように、封筒の表を見つめる。
そこには、こう書かれていた。
Dimension-couloir Experiment(次元回廊実験)。
次回、第二十二章第四話
『ヴォーバン要塞陥落』
2012年3月18日00:00投稿予定




