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立身出世

 魔王城の春。

 冷たい雪と氷は溶け、広大な庭園は新緑で覆われ、小動物達は春の恵みを頬張るのに忙しい。

 冬の終わりと春の到来を喜ぶのはどの種族も、街も城も村も同じ。

 魔王城の人間達も例外ではない。


 でも、ちょっと喜んでる暇のない人もいる。

 その人はゼーゼーひーひーとあえぎながら、城の横にある大きな泉の畔を走り続けている。

 頑丈そうな革の長靴に、動きやすいズボンと上着を着込んだ彼は、必死で走っていた。

 足下で踏まれる草の新芽とか慌てて逃げる羽虫たちとかへ気を向ける余裕は、全くないようだ。

 それは短く刈り込んだ黒髪と黒目の若者。

 金三原裕太。


 裕太は一人で走っているわけではない。

 手ぶらで走ってる彼の後ろを、同じく走っている者達がいる。

 薄茶色の短い毛に覆われ、突き出た鼻と下あごから少し飛び出した牙が特徴的な、魔族。

 二足歩行する豚と言えるオークの一種で、イノシシに近い外見を持った、ボア族。

 ボア族のオスらしき彼は、裕太より少し背が高い。毛皮の上に皮鎧を着込み、背中に大きな袋を背負い、しかも腰には剣も下げながら走っていた。

 全くの手ぶらで走る裕太のすぐ後ろを、重装備のままで同じくついてきている。

 そしてさらにその後ろには、同じくボア族で裕太より小柄な二体が走ってきていた。その二体も背中に槍や弓矢、水筒などを所持している。

 ボアの三体とも、右の牙が少し長いという同じ特徴を持っていた。



 泉の畔には森がある。

 若葉で覆われた森の梢がガサガサと音を立てる。

 裕太とボアのオスの後ろから近づいてくる音は、高速で彼らに追いついた。

 今はガサガサという音が横を並走している。

 梢が揺れる音に重なり、女の子の声も聞こえてきた。


「おーい、ユータにーちゃん。まだンなとこ走ってたの?」

「う、うるさい!」


 からかうような声に怒鳴り返した裕太だが、既に息も絶え絶えだ。

 対して梢にいる少女は息が切れた様子はない。

 服装は、まるで忍者のように全身を覆う、体にピッタリとフィットする藍色の服。外気に晒す頭には、何かの術式のような模様が描かれたリボンを風になびかせている。

 高い枝の上に易々と腰掛ける少女は、からかうような調子で言い返してくる。


「全く、無駄なことしてるよなー。

 ユータにーちゃんには文官で、荒っぽいこと向いてないんだから。

 そういうのはあたしがやるからさあ」

「し、シルヴァーナ、こ、こっちは真剣なんだぞ!

 できることを、出来るだけ、頑張ることには、意味が……」


 必死に鍛錬の正当性を訴える彼だが、体はついてこない。

 大声をあげながら喋り続けるには、既にスタミナは切れていた。

 足が止まり、肩で息をしながら、膝に手をついてしまう。

 その様子にシルヴァーナはケラケラと大笑い。


「まーったく、そんなんで戦場に立つって、本気なのかよ?

 いい加減、諦めてあたしと結婚して大人しく城勤めしなって。

 一生守ってやるからさ」

「バカ言ってんじゃないわよ!」


 いきなり上から声が降ってきた。

 急降下してくるのはメイド服の妖精、裕太の恋人であるリィン。

 彼の訓練を空から見守っていたらしい彼女は、恋敵の介入を察知して飛んできたようだ。


「裕太の頑張りをバカにするようなヤツが、彼の妻になんかなれるもんですか!」

「へっへーん、どうだかねえ。

 チビの妖精ににーちゃんを守れるのかい?

 夫婦って、旦那が尻に敷かれた方が上手く行くらしいぜ」

「うるさいわね!

 あんたも特訓中でしょうが、さっさと行きなさい!」


 ケラケラと笑うシルヴァーナは、まるで猿のように梢を渡り森を駆け抜けていく。

 その後ろから、他の子供達も梢と幹を飛び回ったりして走り抜ける。

 森を走る魔力炉の子供達は、池の畔を走る裕太より遙かに走りにくいはずの森の中、裕太より遙かに高速で駆けていった。

 池の畔で足を止める裕太に声をかけたり笑い声を残したりしながら。

 子供達を追いかけるように足を踏み出した裕太。しかし既に足取りが覚束ない。

 その後ろ姿を見ている大柄なボア族は、申し訳なさそうに呼び止めた。


「あんのぉ、ユータ殿。

 無理すっと体、痛めるんだな。休んだ方がいいぞお」


 厳めしいイノシシの顔つきに似合わず、素朴そうな語り口で休憩を促す。

 その意見にはリィンも頷いた。


「そーね、随分と走ったし。

 これだけやれれば上出来でしょ。少し休みましょ」

「うーん……そうするか」


 というわけで、小春日和な陽光の下、緑の絨毯の中に座り込む。

 間髪入れずに小柄なボア族の一人が水筒を差し出した。


「ユータどの、これ、飲むんだぞ」

「ああ、ありがとう、アロワ」


 アロワという名のボア族から水筒を受け取り、ゴクゴクと一気に飲み干す。

 ぷはっ、と一息ついてから、軽く池を見渡した。

 対岸には修理の始まったル・グラン・トリアノン。水面は風で僅かに波立ち、春の光にキラキラと輝きを散乱させる。

 そして後ろについてきていたボア族達に頭を下げた。


「いやあ、ついてきてくれてありがとう。

 ブリュノ、そんな大荷物を背負って疲れたろ?」


 ブリュノと呼ばれた大柄なボア族は、ドンと勢いよく自分の胸を叩く。


「こんなの大したことはないぞ!

 オラ達ボア族は、オーク族の中じゃ強者ぞろいなんだな。

 ガキ達だって、全然へばってねーぞ」


 ブリュノは事実、全然疲れている様子はない。

 彼が指さす子供達も同じで、体力は確かにあるようだ。右の牙が少し長いのはブリュノの家系の遺伝なのだろう。


「ふふーんだ。

 このアロワ様は、いずれはボア族の戦士として名を挙げるンだからな。

 シリルと一緒にするんじゃないぞ」

「なんだよ、アロワ兄ちゃん!

 オラだって、今度の戦じゃすっげーことするんだからな。

 みてろよー」


 ボア族の兄弟、兄のアロワと弟のシリル。二人は互いに、次の戦では自分の方が活躍する、と主張して譲らない。

 その姿に父のブリュノは目を細めた。


「こらこら、二人とも、それくらいにするんだぞ。

 オラ達ボア族は、いやオーク族みんなが、自分のために戦うんじゃないんだからな。

 かーちゃんや友達、みんなのために戦うんだぞ。

 勝手なことをしちゃ、だめだからな」

「はーい」「わかってるんだな」


 息子達の素直な返事に父は満足げに頷く。



 ボア族。

 オーク族の一種で、イノシシの外見を持つ。

 体はオーク族の中では大柄で、力も強い。一般のオークよりは戦い向きな種族だ。


 オーク族は短命、知能が低い、魔法が使えない。体も妖精族やゴブリン族に次いで小柄。だが多産で何でも食べれる強い胃腸を持ち、病気にも強い。

 何より、性格が大人しく素直で、あまり欲がない。

 これらの理由から他種族からは農奴のような奴隷か所有物扱いされてきた。

 用途は農夫に限らず、家の下男から鉱山の坑夫まで。熟練の技術や知識知能を必要としない単純労働なら何でも。

 中でもボア族は一般のオーク兵より強く、優秀な突撃兵とされてきた。


 現在ではオーク族の歩兵としての価値、対皇国戦での働きが認められて、奴隷の地位からは(あくまで表向きは)解放されている。

 魔王一族の一人たる第八子リバスを女王と頂き、魔界南方のProvinciaプロウィンキアに国を拓き、農業国家として力を付けてきている。

 ちなみに昔から牧畜を営む巨人族とは共存関係にあって仲が良い。戦場でも同じ部隊に編成されるのが一般的。

 なのでモンペリエには巨人族も多く暮らす。


 無論、そうなると問題も多い。

 素直で欲がないといっても限度はある。

 各地で奴隷として虐げられていたオーク達が逃亡して流入してくるため、逃亡農民送還要求が各種族から突き付けられたり、とか。無欲なはずのオーク達が待遇改善を訴えてくる、とか。

 特にドワーフ族からの反感抵抗など、半端なものではない。

 鉱業と工業に従事するドワーフ族にとって、オーク族の生産する食料と、鉱山での労働と、オーク自身の肉が無ければ、瞬時に飢えてしまう。

 オークの国とドワーフ達とで交易や雇用契約という形をとって解決を図るが、まだまだ解決には至っていない。



 オークとボア族の歴史はさておき、今は裕太の特訓だ。

 裕太と子供達は魔王城の庭園を使って訓練をしていた。

 内容は、単に池の周りを走るだけ。ただし裕太は池の畔の草地を。子供達は森を。

 結果、走りやすい草地を走る裕太の方が、森を駆ける子供達より遙かに遅かった。

 この事実に、一息ついた裕太はついつい溜め息をついてしまう。


「はあぁ~……全然追いつけない。

 やっぱ、ボクには無理かなあ」

「無理じゃない?」


 慰めるどころか冷たく言い放つのはリィン。

 しかも、その無理な理由について並べてくる。


「だって、ユータは魔法の技術が低すぎよ。

 その上、魔力が桁違いだし。

 単純に一番基本の魔法である『肉体強化』で走るだけだけど、だからこそ魔力量の差が露骨に出ちゃうわよ」

「んだな。

 あの子たつは魔王一族に並ぶほどの魔力を持ってるんだぞ」


 隣に座るブリュノもリィンと同意見。

 知能が低いと言われるオークでも分かるほど、明確な理由のようだ。


「ユータの魔力、少なすぎだな。

 あの子たつは魔力がメチャクチャ多いから、すっげー魔力を使って『肉体強化』できんだぞ。しかも長い時間。

 オラも魔法は使えねーけど、ユータの魔力がとっくに切れてるのは分かんだぞ」

「むぐぐ」


 悔しさで唇を歪めるが、反論不能な事実だ。

 裕太はパリシイ島の戦いで、確かに魔力を用いマジックアイテムを使った。

 だが彼が宿す魔力量は低い、極めて低い。僅かな魔力でも稼働する高性能な皇国のアイテムだったから使えたのだ。

 普通に魔法を使おうとしても、それが基本中の基本である『肉体強化』であっても、大した効果を出せない。長時間保たない。

 というわけで、『肉体強化』の魔法の訓練として、この走る訓練。彼はあっと言う間に置いて行かれるのだった。

 リィンは彼の頭をまたいで肩に腰を下ろす。肩車になり、黒髪の上に肘を置いて話を続ける。


「そもそも、ユータは『抗魔結界』のせいで、術式もまともに組めないじゃないの。

 魔力だってろくに貯まらないし。

 やっぱり向いてないって」

「そ、そんなことはないぞ!」


 反論したのはアロワ。

 四本の指で握り拳を作る。指が四本なのは豚が偶蹄目なせいかもしれない。


「ユータどのの抗魔結界は、いかなる言霊もきかないんだぞ!

 パリシイ島のときみたいに、皇国の短耳みじかみみが呪いの弾を使ったら、だーれも魔法が使えなくなるんだからな、ユータどのいがいは!

 そンときこそ、ユータどのの出番だぞ!」

「そーだそーだ!

 それにユータは勇者を倒せる力をもってるぞ!」


 シリルも立ち上がり拳を振り上げる。

 だがリィンは冷たい視線だ。


「なに言ってんのよ。

 この前みたいに大規模な怨響弾での攻撃や勇者とやり合うなんて、めったにないわ。でっかい爆弾を撃ち込んだ方が手っ取り早いんだから。

 ユータの出番なんて、元々ないわ。

 だから、あんた達ユータの従卒も出番無しよ」

「ぶっはっは!

 それはそれでいいんだな!」


 出番無しと言われて、彼らの父たるブリュノは怒るどころか大笑い。


「もともとオラ達オークは盾。使い捨てだな。

 ユータ殿の従卒たるオラ達も、ユータの下男であり、盾なんだな。主の代わりに死ぬのが仕事だぞ。

 だから元々生きて帰れない、帰るのは給金だけなんだな。家族一族のために死ぬのがボア族の仕事だぞ。

 でも生きてれば、体も一緒に帰れるんだな。やっぱそれが一番なんだぞ」


 明るく陽気にドライな死生観を語るブリュノ。

 子供達も驚いたり恐れたりするそぶりはなく、それどろこかウンウンと強く頷いている。

 そんなオークの生き方に、横で聞いてるユータは顔をしかめてしまう。


「うーんと、オーク達って、みんなそう言うらしいけど、それでいいの?

 死ぬのが当然だなんて」

「そういうものなんだな。

 だって、オラ達オークは他の種族より、すぐ死んじまうんだからな。

 どんな長生きしても二十ちょっとだべ。三十ももたねーべよ。

 だったら、無理に長生きすること考えても無駄だぞ。どう死ぬかが大事だぞ」

「う、うーん、そ、そう……?」


 あっけらかんと、悲しいはずの事実を話すブリュノ。

 あまりに当然のように言うので、ユータには反論が思いつかない。

 そしてリィンは当然の話として聞いていた。



 従卒とは、隊付きの将校に専属し、身のまわりの世話などをする兵卒のこと。

 裕太は魔王直属の部下で、抗魔結界という特殊能力と地球の科学知識を持つ。また、勇者を倒し魔王の身を守るという戦果も立てた。

 このため軍隊は率いないものの将と同等の扱いをされることとなった。

 だからこそ従卒としてボア族の親子であるブリュノ・アロワ・シリルが就いている。


 裕太は今、魔王軍に所属していた。

 対皇国戦における魔王軍の軍事顧問として。

 来るべき皇国侵攻において必ず投入される勇者達を屠る、魔王の切り札として。



 裕太と京子が地球からの漂流者だったのは、去年までの話。

 彼も姉も、僅か一年足らずで魔界に確かな地位と居場所を獲得していた。

 魔界の文明を飛躍的に発展させ、圧倒的に不利とされる対皇国戦を勝利に導きうる切り札。

 希望の星として。


次回、第二十二章第三話


『皇国軍分析』


2012年3月17日00:00投稿予定

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