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逆転裁判

 大騒ぎの新年からちょうど一ヶ月。

 ここは高等法院。

 今日はバルトロメイへの判決が下される日。

 法廷に居並ぶのは各種族の裁判官や傍聴人や警備の兵士達。書記官や法務官吏を務めるゴブリンとエルフなど。

 傍聴人の中には裕太と京子の姿もあった。

 被告人席には心労で顔色の悪いバルトロメイ。

 裁判長の席には、黒い法衣をまとったゴブリン。

 ゴブリンの裁判長は重々しげに木製の小槌を振り上げて打ち鳴らす。

 そして、厳かに判決を述べた。


「判決を下す。

 被告人、エンツォ・セレーニ=バルトロメイ。

 魔界支配者にしてルテティア市民たる魔王殺害未遂への共謀共同正犯について、懲役五年の刑に処す。

 以後はモン・トンブ監獄にて自らの罪を悔い改めよ。

 なお、神聖フォルノーヴォ皇国教皇シモン七世殺害については、ルテティア市民として登録されていないため、同市民法の保護範囲外にある。

 また、神聖フォルノーヴォ皇国における人間族の刑法は魔界に及ばないため、これも適用範囲外である。

 よって教皇シモン七世殺害の共謀共同正犯については不問に処す。

 以上をもって閉廷する」


 バルトロメイは死刑を免れた。

 大幅に刑を減じ、懲役五年の刑が下された。

 判決と同時に法廷は悲喜交々(ひきこもごも)賛否様々な声で騒然となる。

 傍聴人席の京子は得意げに胸を張り、裕太は力を込めてガッツポーズ。


 この判決に、被告人席のバルトロメイは安堵のあまり、ヘナヘナと崩れ落ちていく。

 被告人席に情けなく寄りかかっている人間の男へ、裁判長のゴブリンは耳障りな高音で、それでも情のある言葉を投げかけた。


「良いダチを持ってるじゃねえか。

 たっぷり礼を言っとけ、こんな奇跡はなかなか起こせるもんじゃねーからな」

「は、はひ……ありがとう、ございましたぁ……」


 その言葉通り、バルトロメイは振り返って精一杯頭を下げる。

 京子と裕太へ、とくに京子へ向かって力強く。

 そう、彼が死刑を免れ五年程度の懲役で済んだたのは、京子のおかげだった。

 彼女の法廷闘争が男を処刑台から救った。





 魔王殺害未遂事件裁判。

 その重大さから傍聴席は連日満席だった。

 裁判の模様は街の隅々で、内周部の王侯貴族官吏将軍から下々の子供達まで、大きな話題を呼んでいた。

 なおかつ法廷で展開された斬新な法理論は、壇上に並ぶ判事達のみならずルテティアの法学者や法務官吏の度肝を抜いた。



「異議あり!」


 京子の声が高らかに響く。

 被告人側弁護人として出廷した彼女は、判事と傍聴人達へ向けて語り出した。

 魔王すらもなし得ない、バルトロメイを救う秘策を。

 恐らくは何十回と予習練習したであろう言葉を、淀みなく連ねる。


「魔王陛下は、理性と知性に基づいた公平で公正な統治を指針としています。

 これは皆様が周知の事実ですので、これに異論は無いことと思います」


 証言台に凛として立つ姿に、恐れも迷いも見えない。

 衆目監視の中、胸を張り堂々と語り続ける。


「この理性と知性に基づいた統治を明文化したものが、ルテティア市民法やジュネヴラ市民法といった、各市民法です。

 これは統治から私情と私益を排し、公平で公正な統治を実現するため、誰にでも統治の基準たる法の内容を分かるよう示したものなのです。

 ゆえに、バルトロメイ氏も明文化された法をもって裁かれねばなりません」

「異議を申し立てる!」


 訴追する側であるワーウルフの法務官吏が逆に意義を唱える。


「魔王陛下は唯一無二にして絶対なる存在。

 その統治はルテティアのみならず、魔界全域に及ぶ。

 よって各市民法の適用範囲に捕らわれぬ至高の存在である。

 そのため恐れ多くも魔王陛下に関わられる裁判は、過去より連綿と築かれし魔王典範によって裁かれるものである」

「いいえ。

 魔王典範によって裁かれてはなりません。

 何故なら、それこそが魔王陛下の目指す統治に沿うからです」


 魔王関連の裁判でありながら、魔王法典に依らず裁くべし。

 この常識外な発言に、傍聴席が騒然となる。陛下への赦されざる冒涜だと怒号すら飛ぶ。

 裁判長の木槌が幾度も叩かれ、ようやく静粛を取り戻した所で京子の法律展開が続けられた。


「魔王陛下は理性と知性に基づく統治を目指されるのは、先ほど述べた通りです。

 統治から恣意と私欲にまみれた暗君の独断を排するがため、理性と知性を明文化したのが各市民法だとも述べました。

 賢明なる市民ならば、これらに異議はなきものと思います」


 これに抗議の声は起きない。

 その様に満足した京子は、さらに語る。


「ならば!

 その理性と知性を具体化した明文法によって自らを律し裁くことこそ、魔王陛下の御心に沿う行いと知るべきです!

 陛下は私利私欲を持たぬ高潔な方であるため、法を持って律すべき事態が起きず、この問題は表面化しませんでした。

 ですが今、魔王陛下に関する明文法が無いがために生じる不都合が皆様の目前に現れたのです。

 よって、私はここに、魔王陛下とバルトロメイ氏が居を構える魔王城とリュクサンブール宮殿、これらが存在するルテティアの市民法こそが、本件を裁くに相応しい法であると主張します!」


 京子の策。

 それは適用される法を、いわゆる魔王法典ではなくルテティア市民法へ変えること。

 魔王典範なら王に剣を向けた者は、事情を問わず関係者全て等しく死罪。だが市民法なら情状酌量を認められ減刑される可能性が高い。

 彼女はこの点に賭けた。


 無論、これは魔界の常識を根本から覆す発想だ。

 魔王を律するのは魔王典範ではなく、単なる市民法。即ち、神に等しい力を持つ魔王も、人間のバルトロメイも、同じく一市民として扱い、等しく裁くということ。

 これまでの判例と慣習を全て覆す法理論。


 彼女の主張に傍聴人も判事達も、裁かれる本人であるバルトロメイすら呆気に取られる。

 怒声、哄笑、その他様々な叫びと唸りが沸き起こる。

 しょせん人間か、皇国の走狗が魔界の安寧を乱しに来たか、と叫んで剣や宝玉に手をかける者すらもいる。

 警備の兵達が傍聴席に向けて威嚇し、裁判長の木槌が幾度も着席と静粛を命じる。

 そんな中でも京子は、恐れを知らぬかのようにバルトロメイの弁護を続けた。


「そもそも!

 処罰は、刑の執行は市民の権利を奪う最たる行政権の執行です。

 これを執行するに不文律など適用しては、いかな賢明なる市民達といえども恣意的な取り締まりと刑の執行を恐れ、自由な活動を阻害されます。

 よって! 刑法は明文でのみ記された罪状と刑罰が執行されるべきなのです!

 私はこれを罪刑法定主義と呼び……」



 新年の祭が過ぎてから、一ヶ月にわたる裁判。

 市民法を適用するため根拠として主張し続けたのは、罪刑法定主義。

 これは、『ある行為を犯罪として処罰するには、犯罪行為の内容、それに科される刑罰を、予め明確に規定しておかなければならない』とする原則。

 地球では多くの国で採用される、刑法の基本原則。


 金三原京子は国立大学法学部の学生。

 罪刑法定主義は、日本国憲法第31条に「適正手続きの保障」として記してあることを学んでいた。

 入学から夏休みに魔界へ転移するまでの数ヶ月しか法学を学んでいなかったが、それでも知っているほどの基本的な法律知識。

 だが魔界では極めて先進的かつ開明的な法理論だった。


 京子は、バルトロメイの一件を耳にした後、すぐにエルフ教師達を呼んで魔界の法について学んだ。

 魔王が理性と知性による統治を指針とし、各都市が市民法を明文として有していることから、この原則が使えると判断した。

 また、魔王の基本原則から、魔王自身に対しても伝統的な絶対王政や慣習法より明文化された法を優先させることができるとも考えた。

 即ち、ルテティア市民法が適用出来る、と。


 結果、一ヶ月の裁判の後、居並ぶ各種族の判事達を見事に納得させた。

 バルトロメイの処刑を回避した。





 朝日に梢の雪と氷が輝く。

 薄く雪が積もる泉の畔、魔王の前に膝を付き頭を下げるバルトロメイが居た。


「陛下、本当に、どれほどの忠義を尽くせばよいのか想像もつきませんわ。

 このご恩、監獄にて罪を償いし後、必ず命をもってお返し致します」

「いやあ、礼には及ばないさ。

 僕もうっかりしてたよ。ルテティア市に暮らしてれば、そりゃあ僕も市民の一人だよねえ。

 余計な心配をかけさせてしまって、こちらこそ申し訳ないよ」

「いいえ。

 陛下の、自らも一市民に過ぎない、という『市民宣言』が無ければ、私は間違いなく死罪でした。

 この恩情への感謝の想い、言葉でなど尽くせませんわ」

「宣言って、そんな大層なものでもないんだけどなあ」


 モン・トンブ監獄移送の日。

 雲一つ無い冬の朝、バルトロメイを乗せた飛空挺は、監獄へ行く前に魔王城へと寄った。

 移送前に魔王城の人間達への面会許可が下りたためだ。


 ル・グラン・トリアノンの西にある大きな泉の畔に着陸した飛空挺。

 その前には多くの人間。バルトロメイと、ノエミその他の保父達、子供達、もちろん京子と裕太の姿もある。

 他にも魔王やミュウ、侍女執事の妖精達など他種族も集まっていた。





 市民宣言。

 宣言といえば聞こえは良いが、実際は以下のような何気ないやり取りだった。

 まあ、何気ないと思っていたのは魔王だけかも知れないが。


 京子の法廷での発言に激高した魔王配下達が、彼女を不敬罪に基づき処罰すべく、魔王へ直訴した。

 これに対し、魔王は少し首を捻ってから、聞き返した。


「僕はルテティアに住んでるんだけど……だとすれば、僕はルテティア市民じゃないのかなあ?」


 この問いに、跪く各種族の忠臣達は呆気に取られた。

 だが魔王はポンと手を打って言葉を続ける。事も無げに、当たり前のように。

 多少は演技過剰に。


「そうか……言われてみれば、その通り!

 僕はルテティア市民なんだから、僕も市民法の下にいるんだよ。

 というか、自分達で決めた法を自分達が守らないなんて、とんでもない話だ。

 うん、だったらバルトロメイ君の件も、いや僕自身も、市民法で裁くべきだね」


 忠臣達は絶句し、怒気も毒気も抜かれて放心してしまう。

 だが同時に、いかにも魔王陛下らしいお言葉だと納得してしまった。

 魔王は権威を笠に着ることを嫌い、強大な魔力にものを言わせることもない。理と和を重んじる方だ、と。

 ならば、陛下ご自身がそう言われるなら……と、臣下達も納得して引き下がった。


 以上のやりとりが市井に伝わったときには、『魔王市民宣言』という仰々しい題目が付いていた。

次回、第二十章第五話


『表と裏』


2012年2月26日00:00投稿予定


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