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ティーナ

 あっと言う間に宮殿の庭園へ到着した二人は、ようやく安堵して深く息を吐く。

 リィンも羽を背中に生やし飛べるくらいに回復した。かなりヨタヨタと頼りないが。

 深夜の宮殿は新年を祝う空気など全くない緊張感。

 各所で煌々とかがり火と魔法のライトが輝き、槍と銃を構えた完全武装の兵が集結、門も固く閉ざしている。

 猫の子一匹通さない警備態勢だ。


 門と塀の外側も騒然としている。

 パリシイ島に追い込むためとはいえ、勇者達が兵達と激しく交戦しながら駆け抜けたのだから。

 しかも、実はリュクサンブール宮殿はパリシイ島の千ヤード(約900m)南にあり、勇者達が駆け抜けた通りに面して建っている。

 完全武装で殺気立つ兵列の脇を敵が、それも最悪の暗兵たる勇者達が暴れ回りながら駆け抜けたのだ。

 塀と門を挟んでいたとはいえ、一触即発の状況だったことは想像に難くない。

 そのような理由で、勇者達が討ち取られ戦闘が一応は終結した今でも警備態勢を緩めていない。


 飛空挺を降りた二人を出迎えたのはテルニやノーノなど、皇国から来た者達五人だった。

 無事な裕太とリィンの姿を見て心から嬉しそうに笑う。


「いよお!

 無事だったか、良かった良かった!

 陛下のご加護のおかげってヤツか?」

「話は聞きました。

 勇者をおびき寄せるために一肌脱いだとのことですね。

 その若さで大役をこなすとは、見た目に似合わず二人とも勇敢ですね」


 口々に裕太の無事を喜び大任を無事遂行したことを祝う。

 とにもかくにもここは寒いから、と宮殿の入り口へ向かう一行。

 中に入れば、今度は兵を率いたフェティダ姫がユリのように上品な笑顔で出迎えてくれた。

 もちろん彼女も戦闘に備えて、動きやすさを重視した軽装のレザースーツと皮のコートを着込んでいる。

 腰にはホルスターがあり、小銃が収められている。インターラーケン戦役で獲得した皇国の武器の一つだ。


「お帰りなさい、無事で何よりです。

 二人とも、素晴らしい働きでしたわよ。

 特に警視庁でのユータの戦いぶりには驚嘆しましたわ」

「え?

 見てたんですか」

「もちろんですわ。

 対岸から撮影していたのを、こちらでも拝見していました。

 まさか、あの勇者と互角に渡り合う存在が、私達魔王一族以外にいたなんて!」

「え、えと、あはは……。

 たまたまです、ホントにたまたま」

「謙遜する必要はありませんよ。

 あなたの働きは賛美するに相応しいものです。

 必ずや満足のいく褒美を授けましょう」


 裕太に歩み寄りながら、その戦いぶりと戦果に惜しみない賞賛を与える姫。

 すっかり照れて頭を掻く裕太も、恋人が最大級の賛辞を与えられ褒美を約束されるのを見ているリィンも、悪い気がするはずがない。

 そんな至福の時を過ごす二人だが、フェティダが率いるドワーフの部下達には後回しにして欲しいことだったようだ。

 そのうち一人が姫へ耳打ちする。


「と……そうですわね、そうしましょう」


 報告か進言を受けた姫は、軽く咳払い。

 そして改めて二人へ向き直った。


「二人とも、それと後ろの保父達も、聞いて下さい」


 裕太とリィン、その後ろにいた人間達も真剣な顔つきに戻って話を聞く。


「勇者達は倒し、間者も捕らえました。

 ですが、これが全てという保証はありません。ルテティアはいまだ危険です。

 そのため兵達の大半は警邏や守備に回さねばならず。

 とても教皇やあなた達の直接の警護には十分な手が回りません。

 なので、皇国から戻られた方々に教皇の周辺警備を、とりあえず朝までお願いしたいのです。

 ユータも、出来れば彼らの同行をお願いしたいのですが、構いませんか?」


 姫からの申し出に、テルニ達はビシッと敬礼で応じた。

 裕太も、激しい戦闘の直後で疲れてはいたが快諾。


「リィン、ボクは行ってくるから、どこかの部屋でヤスんできて」

「分かったわ。

 でも無理しちゃダメよ」


 まだフラフラと飛ぶ彼女は屋敷の奥へと飛んでいく。



 兵の多くは庭園に配されたようで、宮殿内の警備は少ない。

 横の道を勇者が五人も通過しようと言うのだから、無理からぬことだろう。

 外からの襲撃が明白なのに、暴れる気配もない老人への警戒など後回しにしても不思議はない。

 実際、フェティダに率いられた一行が教皇の部屋に入ったとき、老人は窓にかじりついて外の様子を見ようとしていただけで、逃げも抵抗もしていなかった。


「お、おい、お前ら!

 一体、外は何の騒ぎじゃ!?

 妙な笛の音が聞こえたと思ったら、いきなり爆発が」

「落ち着いて下さい。

 ルテティアに勇者が潜伏していたのです」

「なあっ! な、なんじゃとお!?」

「ですが安心して下さい。

 勇者と、それを手引きした皇国の間者は倒しました。

 ですが念のため、教皇猊下は彼らが朝まで守ります」

「ととっ当然じゃ!

 貴様ら、しっかりわしを守らんと、神罰が下るからな。

 心して盾になれ!」


 随分な言いようだが、フェティダはそれに抗議することなく、ただ小さく一礼するのみ。

 そして踵を返し部屋を出ようとした所で、教皇が呼び止めた。


「それと、ティーナはどうした?」


 言われて裕太は思い出した。

 そして他の者達も同様だったようで、次々に「あ」とか「そういえば」とか呟いてしまう。

 教皇に比べれば確かに重要度は格段に落ちるが、それでも可哀想になる扱いだ。

 ノーノが代表して口を開く。


「お付きの方は一階の奥の部屋におられるはずです」

「は、はずとはなんじゃい!?

 ティーナの守りはどうしたんじゃ!」

「あの小姓の少女を狙う理由は無いかと思いますが」

「な、何を言っておる!

 ティーナがおらんと、わしは、わしゃ、その……困るんじゃ!」

「困ると言われましても……。

 むしろ皇国の追っ手がかかる猊下のお側に居る方が危険ではありませんか?」

「そ、そんな保証がどこにあるか!

 ティーナだってわしが側におらんで恐い想いを……」


 いや、あの女の子が居なくて寂しいし恐いしって言いたいんでしょアンタ。

 そんな風に考えてるのは裕太だけではないのだが、あえてそれは口にしない。

 ともかく、「勇者は倒し間者も捕らえたらから危険は少ないだろう、そこまで言うなら小姓一人くらい同室させてあげようか」と、フェティダの許可が下りた。

 姫は後を人間達に任せ、忙しそうに早足で部屋を後にする。


 さて、教皇とティーナを同室させるのはいいが、問題は彼女は教皇にしか近寄ってこないということ。

 というわけで、一階の奥にあるティーナの部屋へ人間達がゾロゾロやってきた。

 扉を見れば警備の兵もいない。

 どうやら外の守備に狩り出されてしまったのだろう。

 ルテティアの現状とティーナの重要性危険性の低さを考えれば、それも当然か……と誰もが納得する。

 だがテルニが扉に手をかけたとき、ある不自然な点に気が付いた。

 ピタリと動きが止まり、押し殺した声で呟く。


「……鍵がかかってねえよ」


 一行は互いに顔を向け合う。

 幾人かは剣の柄に手をかける。

 そして慎重に、ゆっくりと扉は開け放たれる。


 中にはティーナはいない。

 代わりにいたのは軍服にエプロン姿なバルトロメイ。

 ワゴンを横に置いている彼は、テーブルの上に簡単な食事を並べていた。


 広くはないし質素だがさほど悪くない部屋。

 簡素なベッド、小さなテーブル。執務机に丸イスが幾つか。

 窓は壁の上の方に一つ、小さいのが言い訳程度に。

 時間は深夜だがベッドは空だ。


「あ、あらあら、皆さんお揃いで。

 どうしたの?」


 相変わらずオネエ言葉のバルトロメイ。

 いきなり大人数で来訪したせいかビックリしている。

 テルニの方も少し目を丸くして眉を寄せている。


「そりゃこっちの台詞だよ。

 お前さん、こんなとこで何してんだ?」

「新年の祭だっていうんで、豪華に作ったんだけどねえ。

 なんだか知らないけど、外では大騒ぎじゃない?

 気合いを入れて沢山作ったのに、ほとんど誰も食べに来ないし、下男のオーク達まで棍棒握って出て行っちゃったし。

 しょうがないから余ったのを暇してるティーナちゃんへ差し入れに来たのよ。

 でもねえ……」


 オカマっぽい仕草で頬に手を当てた料理人かつ元皇国少将が流し目を向けたのは、机の下。

 どうやらまた隠れてしまったようだ。


「ティーナや、一緒においで。

 今夜はわしの部屋で寝るといいぞ」


 扉からは、さっきとはうって変わった優しい老人の声。

 途端に机の下から白い防寒服を着たままの女の子が飛び出してきた。

 相変わらず白く美しい髪をなびかせ、雪のように透き通った肌の色と合わさって、まるで消え入りそうな儚さを見せている。

 額を横に流れていくデザインの術式や、純粋な氷のように透き通った青い瞳も変わらない。

 不幸な生い立ちから失われた感情表現、怖がって机の下に隠れていたはずなのに全くの無表情なのも以前に見た通り。

 その時、裕太の脳裏に何かが引っかかった。


 ん……?


 はて、何がだろう。

 教皇シモン七世……小姓のティーナ……。

 あれ?

 なんか、何かがおかしい?

 とんでもないことを忘れているような、前に同じ物を見たかのような。


 彼は振り返る。

 教皇は自分に抱きついた小姓の髪を優しく撫でている。

 その様子に不審な所は見られない。

 だが彼の正体不明な違和感、疑問、デジャヴは消えない。


 以前に似たような何か……え~っと、あの二人?

 教皇みたいなお爺さん、ウチのジーチャンは似てない。

 ティーナさんは、女子に縁がなかった僕にはデジャブのありようもない。

 魔界に来てから出会った人達……いくら脳内検索してもヒットしない。

 そもそもデジャヴはあの二人か? いや、何か違うような。何がおかしいのか分からない。

 気のせいかな?


 ワケの分からない混乱に首を捻る彼のことはおいといて、他の人達は教皇の部屋へ戻っていく。

 裕太も気のせいらしきデジャブはおいといて後を追うことにした。





「……というワケで、スゴい戦いだったんですよ」


 既に深夜、教皇と元皇国兵達に今夜の経緯を語る裕太。

 些か長い話だったが、自慢げに自らの奮戦を身振り手振り付きで話し続ける。

 大人達は彼の貧弱で頼りない外見に似つかわしくない勇姿に感心しきりだ。


「ふ、ふん。

 貧相な若造にしてはよく頑張ったではないか。

 その調子でわしを守り功徳を積めば、天界に昇れる日も来るじゃろうよ」


 そっぽを向きながら、それでも一応のお褒めの言葉を授ける教皇。

 裕太としては、教皇じゃなくてリィンを守るためだったので複雑な気分だ。

 ノーノは、裕太の顔を心配そうにのぞき込んでくる。


「もしかして、どこか負傷されたのではありませんか?

 顔色が優れませんが」

「あ、すいません、ケガとかじゃないんです。

 少しムリをし過ぎたみたいで、熱が出てきたかもしれません」

「おや、そうでしたか。

 体が弱いのですか?」

「いえ、そうじゃないんですよ。

 ボクは魔界に来てから、何度もビョウキで倒れてるんです。

 どうにも魔界は、ボクのいた場所とはチガうハヤリヤマイが多くて」


 実は、京子と裕太は魔界に来てすぐに生死の境をさ迷った時以外にも、何度か病に倒れている。

 それも、魔界の民なら軽い風邪症状で済むような病気が、いちいち激しい症状を伴って現れている。

 地球とは異なる病原菌であるため、十分な免疫を持たない二人には大病として現れてしまうからだ。

 無論、最大限の治療を受けているし、二人は若く健康なため、生死の境をさ迷うほどのことはなく速やかに回復しているが。


「そうですか。

 では、今日の所はもう休まれては?」

「あ、ダイジョウブです、このくらいなら。

 まだ敵が残っているかもしれないし、もうしばらく起きていますよ」


 そんなわけで、裕太もそのまま教皇の警備に加わることになった。

 教皇にあてがわれた部屋は応接間に幾つかの扉があり、寝室・浴室・クローゼットルーム等の部屋へ続く。

 ティーナは寝室へ先に入った。寝るためにというより逃げ込むためらしい。

 各自、立派な布張りのソファーや豪勢な椅子に座ったり、バルトロメイの料理に舌鼓を打ったり。

 そのバルトロメイ自身も部屋に来て武勇伝を傾聴していた。

 皆、ワインやウィスキーを片手に話が弾む。

 一応は教皇の周辺警備という名目だったのだが、酒が進むウチにうやむやになって、最後には教皇自身の苦労話と自慢話で夜がふけていく。

 勇者が倒され緊張が緩み、久々に人間族だけになった安心感もあったのろう。

 まあ、バルトロメイが以前に語っていた通り、教皇はとんでもない酒癖の悪さだった。





 というわけで、魔界の新年。

 爽やかな朝日が差し込む教皇の部屋。

 全く爽やかじゃない裕太は光に顔を差され絨毯の上で目を覚ました。


「……う、うぅぅ、ヒドい目にあった」


 毛足が長くふかふかの絨毯は、冬だというのにホカホカと暖かい。床暖房が入ったままだ。

 自分の体を見れば、誰かが毛布をかけてくれていた。

 おかげで体調を悪化させずに済んだ。


 頭を起こしてみれば、酒瓶だの皿だのが散乱してる。

 教皇が宴会芸で使ったお盆もそのままだ……思い出して、あまりの下品な芸に体調の悪さと関係なく吐き気が蘇る。

 元皇国軍人達は喝采していたけど、あれが皇国の芸風なのだろうか、なんて下らない疑問が湧いてくる。

 というか、よくあんな人が教皇になれたものだという疑問も。

 ここで裕太はあることを思い出した。


 はて、疑問といえば。

 昨日の疑問は結局何だったんだろう。

 ティーナと、教皇……そういえばティーナさんはどうしたかな?


 寝室の方を見れば、ドアが開けっ放しになっていた。

 室内には誰もいない。他の部屋にも人の気配は無い。

 どうやら、まだ寝ていた彼だけを残して部屋を出たようだ。

 またベッドの下に隠れてたり、と考えて室内をあちこち探ってみたが、やはり居ないようだ。

 だが、ティーナの何が引っかかるのかが分からない。

 脳裏に雪の精霊がごとき少女の姿を思い返してみる。


 雪のように白く長い髪。肌も透き通るような白さ。

 小柄で、目は青い。

 額を横に走る術式は言霊除け。

 六歳の頃から教皇付きの小姓をしていて、教皇は自分の娘のように大事にしてる。

 幼い頃に火事で家族を亡くしたショックで言葉と表情を無くしてしまった。

 おかげで無表情で、目にも感情が乏しい。


 ティーナの顔を、表情を思い浮かべる。

 整った顔立ちで、目は心を表さず冷たいまま。



 瞬間、裕太の脳裏に稲妻が走る。

 同時に悪寒と吐き気に襲われる。

 デジャヴの、違和感の正体に気付いてしまった。

 それは魔界を地獄の底へ突き落とす、皇国の狡猾過ぎる罠。

 人を人と見ない悪魔の所行。

 全身に脂汗をかき、蒼白になる裕太だが、それでも早鐘を打つ胸を押さえて冷静さを保とうとする。


「そんな……いや、落ちツけ。

 気のせいや見間チガいはありうる。

 ナンのショウコも無いんだぞ……それに予想通りなら、いきなり全然違うことをするはずが……」


 必死で平静さを取り戻し、それでも部屋を飛び出す。

 宮殿内を走り回り、話の出来そうな人を探す。

 どうやら夜を徹しての警備と捜索は終わったようで、眠そうな顔の魔族達があくびしながら戻ってきていた。

 廊下やホールには新年を祝う飾り付けもチラホラと。

 一階へ下りると、廊下の向こうから飛んできたリィン。

 彼女も裕太を捜していたらしく、彼の姿を見つけると満面の笑顔で手を振った。


「新年おめでとー!

 どうやら元気そうじゃない、心配したわよ。

 なにしろ昨日は」

「り、リィン!

 みんなは、教皇やノーノさんタチは!?」

「え、な、何よいきなり」

「オシえて! 早く!

 教皇や、フェティダさん達はどこにいるの!?」

「えっと、全員は知らないけど、フェティダ様はまだ、ご自分のお部屋にいるはず」

「それっどの部屋!?」

「この一階の奥、右へ曲がった突き当たりだけど」


 聞くが早いか彼は駆けだした。

 リィンが呼び止めるのも聞かず、言い訳程度に新年の飾り付けがされた廊下を走り抜け、フェティダの私室へ到着。

 扉前のドワーフ達に何用か問いただされる。

 だが余程慌てていたのか、話がまとまらず無様に「えっと! ティーナさんが! 陛下は! 皇国が!」と喚くばかり。

 結局、その声を聞き止めたフェティダの方が部屋から出てきた。

 この辺、ほかの文化圏なら来訪者が礼を尽くして入室し、主たる王侯貴族にかしづくところなのだろう。

 だが歴史が浅く諸種族諸部族の緩い集合体でしかない魔界では、そこまでの厳格かつ格式在る礼法は存在しなかった。


「あら、ユータではありませんか。

 こんな朝から」

「ふぇ、フェティダ様!

 教皇とティーナさんは、どこへ行きましたかっ!?

 陛下は今、どちらに!?」

「え、い、一体、何をいきなり」

「大事なことなんです!

 あ、いえ、もしかしたらなんですけど、ショウコも無いんですけど、気のせいかも……ああでも!

 もしかしたら、ヨソウ通りかもしれないんです! 皇国ならやりかねなくて!」

「何のことだか分からないんだけど……まあいいわ。

 お父様、魔王陛下なら、こちらへ来るところよ」

「えっ!?」

「皇国の残党もいないし勇者もいないようだから、街は安全になったろうって。

 そろそろ教皇と直接お会いになられては、て進言されてね。

 教皇達は表でお父様の到着を待ってるわよ」


 といって彼女は窓へ手を差し伸べる。

 外に向けられた指先の方向には、明け方に新たに降ったらしい新雪の上に立つ教皇とティーナの後ろ姿。

 ノーノやバルトロメイ、テルニといった人間達も並んでる。

 見たところ、防寒服を着込んだ一行は普通に立っているだけ。何ら不審な点はない。

 彼らは一様に空を見上げる。その視線の先には、大きな黒いコウモリのような影が羽ばたいている。

 魔王だ。

 それらの姿を視界にいれた裕太は、顔面が生気を失ったように蒼白に、いやむしろ白くなっていく。


「そ、そんな……。

 誰が、そんなヨケイなことを……?」

「誰がって、バルトロメイよ」


 裕太の有り得ないほど取り乱す姿に怪訝な顔をするフェティダは、さも当たり前のように答えた。

 だがその言葉に、彼の目は見開かれる。

 そして昨夜の光景がフラッシュバックする。



 昨夜、バルトロメイは一人でティーナの部屋を訪れた。

 バルトロメイは料理を運んで、ティーナは机の下にいて。

 あの時、二人だけしかいなかった。


 カラの笛が集合と襲撃の合図らしかった。

 呼応して起きた爆発と戦闘は、相当の遠方から生じていた。

 つまり、言霊を込めた笛の音は遙か遠くまで届いた。

 この宮殿にも届いたはず。

 教皇も「妙な笛の音が」と言っていた。



「しまったぁっ!」


 我に返る彼が目にしたのは、あっと言う間に宮殿上空へ飛来した魔王の巨大な翼。

 シュルシュルと見る間に巻き上げられる皮膜は魔王の背中へ収納され、自身は羽毛のごとく軽やかに雪の上へ降り立つ。

 長い毛皮のコートをまとい長革靴を履いた姿は、ただの初老の人間にしか見えない。

 背後に引き連れるマル執事長以下の部下達も順次降下してくる。

 教皇も魔王へと歩み寄る。

 その後ろに隠れるティーナも一緒に。

 周囲に警護の兵はいるが、丸腰の老人と子供で敵意も示さないことから、さほど二人を警戒している様子はない。


 だから、この状況の危険性に気付いているのは裕太一人。

 彼は慌てて窓を開け放つ。

 そして声を限りに叫んだ!


「陛下ぁ! ニげてぇ!」


 新雪で白に包まれた庭園は音を吸収してしまう。

 だが、それでも彼の必死の叫びは届いた。

 ただし警告の意味までは誰にも届かず、はて何事かと皆が裕太へ振り返る。

 一瞬、教皇の背後に隠れるティーナ以外、全員の目が裕太へ向けられた。


「そいつは、ティーナは!

 勇者だあっ!!」


 それは、彼の叫びと同時だった。

 教皇の背後に隠れていたティーナが飛び出したのは。

 ほんの数ヤード先まで近寄っていた魔王の懐へと駆け出す。


 小さな体が宙を舞う。

 細腕が横へ薙ぎ払われる。

 その手には、研ぎ澄まされたナイフ。


 白雪以上に眩しく輝く刃が、魔王の白い喉笛を横一文字に振り抜いた。


次回、第十九章第六話


『暗殺者』


2012年2月18日00:00投稿予定

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