チート
パリシイ島対岸、川岸の建物の屋根にいるのはオグル。
その眼光は最後に残った勇者を正確に射抜いた。
大きく見開かれていた右目は、鮮やかな青い光を段々と失い、元の陰鬱な半開きへと戻る。
閉じられていた左目も開き、ようやく両目とも普段通りの半開きになった。
周囲には、皮鎧や迷彩服を着た者達もいた。
それは、からかうように笑うゴブリン達。
「きっひひひ!
いいんですかい、第三陣と旧式だけしか出撃命令はでてなかったろ?
頭取が出たら、どやされるぜえ?」
「愛しい兄弟姉妹を助けるためなら、陛下からのお叱りもルヴァン様の嫌味も恐くないってか?
いつもチビだ不細工だと疎まれてるのに、バカなお人好しだねえ」
「けひゃひゃひゃひゃ……泣かせるじゃねえか!
地獄も金で買うと恐れられたオグル様も、意外と情に篤くていらっしゃる」
嫌味と皮肉を言われていたのは、第十王子にしてブルークゼーレ銀行総裁オグル。
大きく見開かれた目から放った光で、遙か彼方から勇者を狙撃したのだ。
だがその功績を誇ろうとはせず、囃し立てるゴブリン達を怒ろうともせず、つまらなそうに島へ背を向けた。
「最後の一匹、しかも一撃で殺れば見られやしねえ。
皇国で復活しても情報は漏れねえよ。
これ以上、下らん馬鹿騒ぎで商売を邪魔されてたまるか」
ノソリと建物を下りようとするオグルは、自身の行為の正当性を語る。
部下達は相変わらず、嫌味と皮肉と嘲笑を止めようとはしない。
そんな守銭奴と呼ばれる者達の姿は、闇夜の中に消えていく。
こうして、パリシイ島の戦いは終わった。
「市民達よ!
皇国の先兵は我ら魔王軍が討ち果たしたり!」
警視庁の一番上、尖塔の上でラーグンが勝ち鬨を上げる。
川で濡れた白銀の鎧はそのままに、剣を高々と掲げる。
ルテティア各所の案内板兼街頭放送の石版からも喜びの声が飛ぶ。
《敵は討ち果たされました!
ルテティア市民は安心して、避難指示解除をお待ち下さい》
《第六・第七街区各所で火災発生中。
当街区各部隊は速やかに消火作業に入って下さい》
《現在、負傷者の治療のため『治癒』が使える術士の協力を要請しています。
参加して下さる術士は……》
嵐のごとき歓声が対岸から沸き起こった。
警視庁玄関前ではトゥーンが不満げだ。
「けっ!
川に落ちて溺れかけてたくせに、かっこつけやがって」
末の王子は妃を抱き上げて警視庁内に入っていく所だ。
もっとも、エルフの妃は王子より長身なので、かなり珍妙な図になっているが。
抱かれているクレメンタイン第二妃は未だ苦しげではあるが、夫の胸に抱かれて安らいでいる。
「そう言われますな。
勇者共を引きつける囮となり、その三体までを討ち取ったのです。
誇るに相応しき戦果ですぞ」
「自分だけで倒したわけじゃねーだろうが。
まるで自分の手柄みたいによお」
そんな話をしている間にも、川岸から人々は文字通りに飛んできた。
魔法や翼持つ者達だけでなく、パレードで飛んでいた小型飛空挺も、夜間にも関わらず魔法のライトで地上を眩しく照らしながら着陸してくる。
倒れていた人々を助け起こし、負傷者へは『治癒』の魔法をかけ、建物の崩落などで二次災害が起きないか確認していく。
そんな中、裕太はリィンを助け起こしていた。
「リィン! ダイジョウブか!?」
「あうぅぅ……頭、痛い……」
頭を押さえて起きあがろうとする彼女を両腕で抱え上げる。
いわゆるお姫様抱っこ。さして鍛えてはいない裕太でも、小柄で軽い妖精なら抱え上げるのは難しくなかった。
いまだ頭痛に襲われるリィンだったが、もちろん嬉しくないはずもない。
素直に抱き上げられて笑顔を浮かべる。
「ふぅにゃあ~……酷い目にあったにゃあ」
二人の後ろから頭を振りつつ歩いてきたのはネフェルティ王女。
屋根から落ちて気絶してた彼女だが、どうやら大した怪我は負っていないらしい。
しっかりした足取りで歩いてくる。
「ネフェルティ様、歩いてダイジョウブです?」
「大丈夫だよ、あたしは別に怪我してないから」
「でも、ヤネから落ちてキゼツしてたのに」
「落ちて頭を打ったわけじゃニャいんだ。
怨響で目を回しちゃったんだよ。
まったく、あの音だいっきらい!」
プンプン怒る猫姫。
猫の耳には単なる音波兵器でも効果抜群だろうから、さらに魔力を込められれば高い魔力と関係なく気絶するのもやむを得ない。
裕太は深く頷いて納得。
ここでようやく裕太は振り返った。
命を賭けて戦った相手である勇者達を確認するために。
恐らくは血だまりの中に死体を晒しているだろうと予想して。
だが、その予想はあっさりと覆された。
血の海は無かった。
死体も無い。
部下に助け起こされた副総監は、肩を支えられながらも慎重に勇者の衣服の端をつまみ上げる。
勇者の肉体は、消えていた。
後に残っているのは勇者がまとっていた黒装束と簡易な武具のみ。
中身を無くした衣服は虚しく萎み平らになっている。手甲も脛当ても無造作に転がっている。
副総監は軽く手甲を蹴ってみる。カラカラ……と軽い音を響かせるばかりで、中身は何もない。
勇者は、血の一滴も残さず消えていた。
その常識では有り得ない光景に、絶句してしまう。
「まさか、そんな……ホントに消えるなんて……?」
足下には、燃え尽きた火の粉の欠片。
拾い上げてみると、それも同じ黒装束の燃え残り。
ラーグンへ取り付こうとした三人の勇者の衣服、それだけ。
死体も血も何も残っていない。
勇者の肉体は、完全に消失してしまっていた。
「また、消えたね」
呆れたような猫姫の言葉。
裕太は二の句が継げない。
こんな現象、起こりうるはずがない。科学でも魔法でも有り得ない。
まさに奇跡の技、もしくは反則技。
「話には聞いてたけど、まさか、ゲンジツに起こるだなんて……」
本当に信じられない、と彼は愕然とする。
こうして勇者は情報を皇国へ持ち帰るわけか。
しかも何食わぬ顔で再び魔界へ、ルテティアへ突っ込んでくるだろう。
手に負えない、チート過ぎる。
RPGでも何でも、ゲームは何度も死んでリプレイして攻略する。
それを皇国は現実に実行してる。
どんなクソゲーだろうが、何度も諦めず挑戦してたら大概はクリア出来る。
つまり魔界も、いつかは攻略されてしまう。
そんな予想に、いや恐らくは事実に、彼の背筋は薄ら寒くなる。
「……冗談じゃない!
そんなバカなことがあるはずない!」
吐き捨てるように叫ぶ。
だが皇国の技術力は、そのバカなことを実行してしまった。
どうしたらいいのか、想像もつかない。
が、腕に抱く今のリィンには関係ない話で、耳を押さえて眉をしかめる。
「ちょ、ちょっと、耳元で喚かないでよ!
くわんくわん来るじゃないの」
「あ、ご、ごめん」
謝る裕太の肩をネフェルティがつつく。
振り返れば、裁判所と警視庁の間の通りに着陸した小型飛空挺を指さしていた。
「ともかく、あたし達はまだお仕事だから。
君達はリュクサンブール宮殿へ待避しニャよ」
「え?
もう勇者はタオしたんじゃ」
「まだ敵の残りが居ニャいとは限らにゃいの。
そこの小型挺を使わせてあげるから。
宮殿はフェティダ姉ちゃんが守ってて防御は固いよ」
これにも納得して素直に従うことにする。
再び勇者が現れでもしたら、もう彼には付き合いきれない。
さっきは偶然戦って生き残れたが、次もそうとは限らないから。
もし残敵がいるなら、完全に怨響を無視する存在が居ると分かった以上、同じ手は二度と使わない。
むしろ真っ先に殺しに来る。
というわけで、裕太とリィンは小型飛空挺に乗り込もうと足を向ける。
だがそこで苦しげな副総監が部下に肩を支えられながらやってきた。
「ゆ、ユータ、よ。
見事な戦いぶりで、あったぞ、うぅえっぷ!」
嘔吐しそうな副総監は、それでも裕太の奮戦を賞賛してくれた。
いえいえそんなことは、と言おうとした彼は、ある大事なことを思い出して再び血の気が引いてしまう。
隠したい誤魔化したい。が、目の前には当の本人。とても無理。
正直に謝ることにした。
「すいません!
副総監ドノからお借りしたナイフを、コワしてしまいました!」
勢いよく頭を下げた裕太の姿に、オシュはキョトンと目を丸くする。
少し間が開いてから、犬歯の並んだ口を大きく開けて大笑いしだした。
「くははははっははは!
なんだ、そんなことを気にしていたのか!
勇者を屠るにナイフの一本など安いものだ。
むしろ、お主があのナイフを手にしていたのは、我らの祖たる英霊のお導きに違い在るまいよ。
気にするな」
「あ、はい、でも、すいませんでした」
「それにな、あのナイフは元々、我のものではない。
勇者のものなのだよ」
「え?
勇者のもの?」
自由自在に飛び回ったナイフは、元々は勇者の武器。
いきなりの急な話に今度は裕太が目を丸くする。
「インターラーケン戦役では、皇国の武器や技術が大量に手に入った。
その中の一つが先ほどのナイフなのだよ。彼の地に進撃した勇者が使っていた武器の一つだ」
「へえ~、そうだったんですか」
「我もインターラーケンには近衛兵の一人として参戦してな。
褒美として奴らが使っていた大量のナイフを一つ賜ったのだ。
ちなみにこの右目はその時に失った」
そういって副総監は右目を隠す眼帯を指さす。
ニヤリと笑う口元や、顔の他の傷ともとあいまって、歴戦の戦士らしい勇猛さを醸し出している。
「さすがに勇者の装備だけ合って、皇国の秘技の結晶とも言うべき逸品ではあった。
でなくば、お主のような貧弱な魔力で、しかも抗魔結界で大方の魔力を消し去る身でありながら、あのような威力を示せはせんよ。
ふはは、勇者の武器が勇者を倒すとは、なんとも愉快痛快よ」
「フシギな偶然ですねー。
あ、でも、どうしてそんな大事なモノを貸してくれたんですか?」
「ああ、実は大事にしていたわけでもなくてなあ。
怨敵の遺品ゆえ軽々しく使うのは憚られて。
戦後に副総監となってからは使う機会も無し。
こんなものは、子供の食器に使われてしまえ……と思って手渡したら、仕事に追われて忘れていたのだよ」
奇縁とでも言おうか。
不可思議な巡り合わせにオシュも裕太も、彼の腕の中で話を聞いてるリィンも感心しきりだ。
けど長話をしていると、裕太の腕の方が疲れて痺れてきた。
「ありがとうございました、副総監。
イマはリュクサンブールへ行かねばなりませんので、このお礼はアラタめて」
「うむ、ご苦労だった。
宮殿で休むがいい」
別れの挨拶を交わし、飛空挺に乗り込む裕太とリィン。
速やかに離陸した機体は丸々とした外見とは裏腹な軽快さで川を越えた。
次回、第十九章第五話
『ティーナ』
2012年2月19日00:00投稿予定




