ナイフと光
残存した勇者は白と赤の二人、うち赤い方は裕太が倒した。
右手に握る怨響弾で。
左手には副総監のナイフ。
目には溢れそうな涙、顔は極度の恐怖と緊張で引きつり、汗が滝のように流れる。
肩も、足も、力がこもりすぎて動きがぎこちない。
それでも彼は勇者を倒した。
半べそをかきながら。
勇者が使用した自爆用武器、怨響弾を逆手に取って。
黄色い雪のように舞い落ちる火の粉の中、彼は立っている。
残るは一人。
トゥーンを狙う白装束の勇者。
目を向けるが、涙で視界がにじむ。
慌てて服の袖で目を拭く。
数十ヤード先にある、二つの人影を見直す。
そこにいるのは這いつくばって逃げていたトゥーンと、よろめきながらも追う勇者。
トゥーンは上半身を起こし、苦しみつつも驚愕の表情で裕太を見ていた。
二本の足で立つ勇者は、虚ろな目を一瞬だけ向ける。
裕太と勇者は目があった。
刹那、裕太の背は凍り付く。
勇者の目の冷たさに。
感情が、心が欠けた視線に。
それはまさに機械、人形。
人間のそれとは著しくかけ離れた、熱を持たぬ土くれ。
戦うための機械。
今、その殺戮機械と戦えるのは裕太のみ。
右手に怨響弾、左手にナイフ。
恐怖で折れそうな心を奮い立たせ、涙を拭きながら敵を睨む。
だが、勇者という名の戦闘機械は純粋に任務を遂行しようとしていた。
裕太など何の興味も無いかのように視線を即座に戻し、足下のトゥーンへと狙いを定める。
未だ鳴り響く怨響に耐えながら、手にする短刀を構える。
「ま、まずい、クソ!」
距離は数十ヤード先、短刀を振り下ろすより早く駆けつけるなど無理。
怨響弾を突き付けて気絶させるより先に、トゥーンの胸を刃が貫いてしまう。
なら間に合わせる方法は一つ。
南無三! と祈りつつ、彼は勇者目掛けて怨響弾をぶん投げた。
カキンッ!
打ち返された。
力が入りすぎた投球フォームから投げられた怨響弾は奇跡的に勇者への直撃コースにはあった。
だが勇者はトゥーンへ向けられていた短刀を振り、黄色の宝玉を弾いてしまった。
至近距離の怨響に苦しみながらも、振り抜いたその軌跡に狂いや迷いはない。易々と投げつけられた怨響弾を打ち返した。
そして改めてトゥーンへと刃を向ける。
焦りの極地。
最も確実な武器であった怨響弾を拾いに行く暇はない。
今どうにかしないと、次の瞬間にはトゥーンが殺される。
何か、何かないのか!?
ほとんど無我夢中で、左手に握りしめていた短刀もぶん投げた。
それは、全く見当違いの方へ飛んでいく軌道。
どうひいき目に見ても、投球フォームから繰り出された投げナイフは、目標に当たりはしない。
当たったところで刺さりもしないだろう。クルクルクル、と無秩序に回転するナイフでは。
万一刺さったとして、せいぜいかすり傷程度。気にするほどの事もない。
現に狙われたはずの勇者自身がナイフを気にもとめなかった。
そんなことは投げた裕太自身が分かっていた。
それでも彼は「当たれ!」と願わずにはいられない。
万に一つの奇跡を本気で期待するしかない。
当たれ当たれ当たってくれ、と真剣に念じた。
神が居るかどうかは知らない。
そんな存在は人間の幻想だ欲望の擬人化だ、という者もいる。
いずれにせよ定義すら無限なのに、どれが神でどれが神でないのかなど分かるはずもない。
だが少なくとも、裕太の願いを少しくらい聞き入れる存在は居たようだ。
投げナイフは当たった。
ただしナイフの柄が、勇者の頭に、コツンと。
軽い投げナイフの、しかも柄が当たっても勇者にダメージがあるはずもない。
だが勇者の動きは止まった。
虚ろなはずの目が、食い入るようにナイフを見つめる。
宙に浮くナイフを。
裕太もナイフを凝視していた。
彼自身が、ナイフの命中に仰天していた。
当たれと祈りはしたが、当たると信じてはいなかったから。
なぜなら緊張のあまり、ぜんっぜん見当違いの方向へ投げてしまっていたからだ。
その見当違いな方向へ投げたはずのナイフが、当たった。
放物線の途中、いきなり方向転換。有り得ない軌道を描いて。
デタラメにクルクル回転しながらも、勇者の頭にコツンと当たったのだ。
結果、柄をぶつけたナイフはさらに勇者の眼前で浮いていた。クルクルと回転しながら。
再びナイフは勇者の顔を目がけて飛ぶ。
軽く頭を右に振って避ける白の勇者。
だがナイフはすぐに方向転換して再び勇者を襲う。
怨響の影響で震える手ではあったが、それでも精確に短刀で投げナイフを打ち返す。
投げナイフは諦めずに勇者へ目がけて反転する。
健気に、柄にはめられた宝玉をおぼろに光らせながら。
愕然。
心ない勇者の分も足し合わせ驚いたとしても、この驚きには届かない。
魔法が使えないどころか、魔法を打ち消す裕太の投げたナイフが、魔法を発動させている。
宙を舞い勇者を狙う投げナイフは、明らかに魔法の効果を受けている。
恐らくはナイフを遠隔操作で『浮遊』させる術式がナイフの宝玉に組み込まれていたのだ。
だが魔法の投げナイフも、魔力を込めなくては単なるナイフ。
そして抗魔結界を有する裕太は純粋な魔力の影響を受けない代わりに、魔法は一切使えないはず。
だが、ナイフの宝玉は光を放っていた。
弱々しくとも、それは確かに魔法の輝き。
怨響が鳴り響く中、ヨタヨタと頼りない飛び方ではあっても、必死で勇者に飛びかからんとしている。
刃の腹からぶつかりに行ったり、勇者の短刀で力任せに弾き飛ばされたり、時々は見当違いの方へ向かっていったりしながら。
立ち上がろうとするトゥーンを勇者の兇刃から守り続けていた。
なおかつ、裕太は気付いた。
自分の左手に残る、僅かな感覚に。
それは投げナイフの動きに合わせて変化する、何かが掌の中で歩き回るような感覚。
自分の掌を見つめ、勇者の周囲を飛び回るナイフと幾度も見比べる。
「まさか……!?」
腕を突き出す。
掌を動き回る感覚へ意識を研ぎ澄ます。
視線は数十ヤード先をハエか蚊のように飛び回る投げナイフへ。
それが今あたかも手の中に握られているかのようなイメージを抱く。
瞬時に掌の中の感覚が確かなものへと成長した。
クルクルと無秩序に回転していたナイフもピタリと停止。
軽く腕を動かせば、同じくナイフも宙を滑る。
「……使えるっ!」
全身の血が沸騰する。
力が沸き起こる。
白の勇者を睨み付ける。目に恐怖ではなく闘志を込めて。
腕を振り抜いた。力の限りに。
同時にナイフが闇を切り裂く。
先ほどまでの頼りない動きとは比べものにならない速度と安定感をもって。
カキンッ!
刃は手甲で防がれる。
勢いを付けすぎたナイフは、今度は地面スレスレで大きく円を描いて飛ぶ。
裕太の手の中に、いや、かざした掌の直前で浮いたまま停止。
刃は真っ直ぐに勇者へ向けられたままだ。
いける……!
その想いと共に、ナイフへ全ての感覚を集中。
すると宝玉の輝きが増す。魔力が供給され、宝玉に組み込まれた術式がフル稼働を開始。
腕を振る。
その軽い動きとは裏腹に、ナイフは風を切り裂いて撃ち出された。
輝く宝玉が光の帯を残し、凍てつく大気を貫く。
白の勇者目がけて。
だが勇者には当たらなかった。
上体を僅かに捻るだけで刃を避ける。
白装束が裂けたが、それだけだ。
腕を横薙ぎに払う。
ナイフも連動しツバメのごとく軽やかに旋回。
勇者の背後へ回り込み、頭を狙う。
だが、まるで背中に目があるかのごとく、軽く首を振るだけで避ける。
裕太が腕を振れば急加速し、指を曲げれば方向転換し、手首を捻れば刃の向きを変える。
先ほどまでの蚊かハエのような動きから、獲物を狙う猛禽へと生まれ変わった。
必死に立ち上がろうとするトゥーンへの攻撃を確実に阻止し続ける。
だが、それでも勇者には当たらない。良くてもかするだけ。
勇者の死角から、植え込みの影から、フェイントも加えての緩急織り交ぜた攻撃も、全く当たらない。
全て紙一重で回避されてしまう。
「こ、この……これでどうだっ!」
人差し指と薬指をシュッと曲げて手首を捻る。
するとイメージ通りにナイフが急旋回、今度は直上から勇者目がけて急降下。
だがそれも、怨響弾でまともに立てないほどの状態であるにも関わらず、軽く右足を軸に半回転するだけで避けられた。
ナイフはそのままの勢いで地面に突っ込む。
そのまま刀身を石畳に激突させてしまった。
当然ながら砕け散る。衝撃で柄の宝玉まで一緒に、粉々に。
「し、しまっ……!?」
うっかり武器を自滅させてしまった裕太。
だが、勇者はそれ以上は動かなかった。
動けなかった。
何故なら、その胸を剣が貫通したから。
トゥーンの剣が勇者の心臓を正確に刺していた。
裕太のナイフが暗殺者の気を引き、時間を稼いでいる間に、どうにか立ち上がって剣を構えたのだ。
白装束が鮮血に赤く染まる。
勇者以上に覚束ない足取りで、震える手で、それでも剣は敵を討ち果たした。
「や、やった……?」
トゥーンを襲う勇者を倒し、一瞬は安堵した裕太。
だが敵を討った王子の方が安堵していなかった。
必死の表情で裕太の横を睨み付けている。
その視線の先へ裕太も顔を向けた。
そこには、意識を取り戻した赤の勇者がネフェルティへ向けて刃を振り下ろす姿。
一閃。
光が走った。
舞い落ちる火の粉とは異なる、光の筋。
一筋の光が、ネフェルティへ刃を振り下ろす勇者の胸を背後から突き抜けた。
血を噴き出し、赤い装束をさらに紅く染め上げ、糸の切れた人形の如く崩れ落ちる勇者。
それは銃の生み出す光線と似ていたが、それより遙かに強力な光。
しかも角度から察するに、パリシイ島対岸の建物から撃ち込まれたものらしい。
つまり夜の闇の中、遙か彼方から勇者を狙撃した者がいたのだ。
怨響が途切れた。
どうやら怨響弾の効果が切れたらしい。
それでも多くの者は散々に苦しめられた結果、簡単には立ち上がれないほどのダメージを負ってしまった。
特に怪我をしたとかいうことはないのだが、回復には少し時間がかかりそうだ。
なので、立ち上がれる者は少ない。
トゥーンと裕太だけが、パリシイ島に立ち続けていた。
二人は狙撃手がいるであろう方角を見る。
だが建物の影と包囲の隊列が見えるのみで、誰がどこから狙撃したのかはここからは分からない。
「ふん……結局、俺が尻ぬぐいか。
手間かけさせやがって」
裕太達が目を向けた建物の屋上。
屋根の上には巨大な術式が光りを放ち、その中央にある丸い物体が毒づく。
暗い闇に溶け込むような黒い布をまとった物体は、魔法陣の光に浮かび上がる。
それは左目を閉じ、右目をありえないほど輝かせるオグル。
次回、第十九章第四話
『チート』
2012年2月18日00:00投稿予定




