封鎖
最高裁判所を脱出し、安全な場所へ向かうはずの裕太とリィン。
街路に置かれた案内板らしき巨大石版は、その各所に魔法陣が光を放って浮かび上がっている。
そこから落ち着いた女性達の声が、しかし大音響で響き渡っていた。
《敵襲、敵襲。
現在、第三防衛陣出動中。
ルテティア全市民へ緊急避難指示発令。各街区領主の指示に従って待避せよ》
《各自警団は市民保護を最優先、敵との交戦を禁じます。各団長の指示に従い避難誘導に専念して下さい》
《迎撃は魔王第一子、ラーグン閣下指揮下にて行われます。
市民は落ち着いて、女性と子供を優先して避難して下さい》
《繰り返す。敵襲、敵襲……》
案内板は街頭放送の機能を兼ねていたようだ。
裕太達が落ち着いてれば、その声の主の中にパリースィオールムのヴィヴィアナ達がいたと分かったろう。
どうやら彼女達は歌手としての、大勢を相手に話しかける能力と声の知名度を買われてアナウンサーの仕事もしているようだ。
が、島から脱出することで頭が一杯な彼には気付けなかった。
護衛もかねて、大犬を駆るワーウルフの巡視官に送ってもらうことになった。
裕太は柴犬顔の巡視官の後ろに乗り、リィンは彼らの頭上を飛んでいる。
だが、大犬の騎兵はいきなり足止めを喰らって動けなくなった。
目の前の隊列に邪魔されて。
「ちょっとコレ、進めないんじゃ?」
「こちらはダメですね。
島の反対側から逃げましょう」
高等法院や警視庁があるパリシイ島。
島の出入りは四つある大きく長い石橋を通ることになる。
南側の橋を通ろうと犬を駆ったのだが、橋の上には既に完全武装の兵士達が盾と槍衾で隊列を組んでいる。
その後ろには矢を装填したボウガンを構える弓兵隊。
さらに呪文を詠唱する魔導師達。
銃を構える者もそこかしこに見える。
一番後ろには指揮を執るオシュ副総監と、どこから持って来たのか武装を整えたネフェルティ王女が立つ。
動きやすそうな迷彩模様のズボンとシャツ、それに頑丈そうな皮のベストをまとっている。
さすがに裕太が銀行本店で報告して一日、警視庁に完全武装の兵を揃えるには十分な時間があった。
が、そのせいで橋が兵で埋め尽くされ、彼らが通る隙間もない。
そして橋の彼方、向こう岸の町並みからは爆発音と闇夜を切り裂く閃光が上がる。
隊列と戦火に阻まれて戻ってきた彼らに、副総監が声をかけた。
「奴らは南から来るぞ。
北側から大回りしてリュクサンブール宮殿へ向かうのだ」
「宮殿ですか?」
「あそこが一番守りが固い。
飛翔機と飛空挺もあったはずだ」
「ヤー!」
かけ声と共に巡視は犬を180度反転させて北へ走り出す。
高等法院と警視庁を左右に見る通りを走り抜け、北側の長い橋へと出た。
妖精の羽を輝かせるリィンは高度を上げ、街灯に照らされた対岸の街を見る。
すると大慌てで下りてきた。
「だ、ダメよ!
この先も進めない!
急いで戻って!」
「駄目とは何故ですか?
短耳共は南から来るはず。
北側は安全に……と、うお!」
リィンの警告に構わず北へと走り続けようとした巡視だったが、騎乗する犬の方が勝手に方向転換してしまった。
上位者に従順なはずの犬が、命令も聞かずに、文字通りに尻尾を巻いて島へ戻ろうと橋を駆ける。
「ど、どうしたのだシェーヴル!?
いきなり何を怯え、て、わ、っわわわ!」
「まさか、ムこうから来るのは、ドラゴン!?
赤竜が、こっちに来る!」
北岸を振り向いた巡視と裕太は、北岸側から押し寄せる赤竜に追われている形になっていることに気が付いた。
シェーヴルという犬は赤竜に怯えて逃げていたのだ。
リィンは彼らの頭上を飛び、状況を伝え続けている。
「赤竜に近寄ったらダメよ!
戦いになったら、あいつらのブレスに巻き込まれて焼かれちゃうわ!」
「言われるまでもありません!
戦場で怒り狂った赤竜に近づいて、踏み潰されたり喰われた仲間は数知れないと評判ですからね」
「そ、そんな危険セイブツを街中にツれて来るなんて!」
「あら?
あいつら、橋の前で止まっちゃったわよ」
リィンが言う通り、数体の赤竜が橋の前で急停止した。
牙を剥き爪を石畳に食い込ませるが、そのまま進もうとはしない。
ふと横を見ると、北側から島に掛かるもう一本の橋にも赤竜の群がいる。だが同じく橋を渡ろうとせず、島側を睨んだままだ。
「あいつらは橋を渡らないぜ」
いきなり背後から声が飛んできた。
瞬時に巡視は抜刀し、大犬の制御を取り戻して背後に立つ者へ切っ先を向ける。
それは漆黒の鎧をまとった少年の姿。
「あ! トゥーン様じゃないですか、お久しぶりですわ!」
リィンの声に、闇に溶け込む影の顔をよくよくのぞき込んで見れば、確かに得意げな顔をするトゥーン。
巡視は慌てて剣を収めて敬礼し、裕太は驚きに目を丸くする。
「おお、トゥーン王子ではありませんか!
知らぬ事とはいえ、失礼致しました」
「領主!
ナゼここに?」
トゥーンはゆっくりと、油断無く背中の弓に手をかけながら答える。
「俺も祭のために来たのさ。
だが皇国連中の潜入を聞いてな、パレードに参加せず出撃準備をしてたってわけさ」
「なるほど。
ならホカの王族もですか?」
「ああ、ラーグン兄貴も来てるぜ。
あそこだ」
トゥーンの視線が斜め上を見上げる。
見れば警視庁の一番上、尖塔の頂点に男の影がある。
暗くてよく見えないが白銀の鎧をまとったラーグン王太子が立っているようだ。
王太子が北へ向けて腕を振ると、赤竜は大通りから横道に入り川岸で伏せる。
これほどの距離を開けていながら、幾頭もの巨大な竜を自在に操っていた。
「あんなメダつ所で、一体ナニを?」
「エサだ。
カラを泳がせたおかげで、高等法院に勇者共をおびき寄せることが出来た。
だがな、それだけじゃ確実に奴らを罠に嵌めれない。
その点、ラーグン兄貴は今んとこ、気にくわねえが次期魔王候補筆頭だからな。
奴ら、絶対食い付くぜ」
「そんなムチャな! 危険スぎます!」
「勇者は魔王一族にしか止められねえからな。
殺しても後で復活する連中相手に、街ごと吹っ飛ばしたんじゃワリに合わねえし。
俺達が前に出るしかねえのさ」
「そ、そうなんですか……?
でも、リュウはハシを渡らないって、ナゼです?
強そうなのに」
「あいつらの重さじゃ橋が壊れちまうし、他の兵士も巻き込んじまう。
赤竜の役目は別だ」
「トゥーン殿」
第十二王子の後ろからさらに声をかけてきたのは、第二王妃クレメンタイン。
真っ黒な衣をまとい、やはり黒い三角のトンガリ帽子をかぶっている。まさに魔法使いといった出で立ち。
後ろには他のエルフやゴブリンなどの、魔導師らしき者達を連れている。
「そろそろ奴らが来ますぞ」
「そうだな、それじゃおっぱじめるとするか。
おい、リィン。ユータ達を安全な場所へ誘導してやんな」
「え、あ、はい」
命じられたリィンは、どこへ誘導しようかと周りを見渡す。
だがここは中州。南は兵隊に塞がれ、北は赤竜が通せんぼしている。東西は城、その向こうは川。
どこなら安全か確かめようと一気に高度を上げて島全体を見渡した。
川岸の街灯と燃え上がる炎に浮かび上がるパリシイ島は、東西に長い瞳型の中州。
南北に二本、計四本の長い橋で対岸とつながっている。
薄暗い中でも街灯に照らされた赤竜の鱗は紅に輝く。北側の橋二本、そのたもとには何頭もの赤竜が陣取り、橋を睨んでいる。
南側の二本は両方とも、幾重にも並ぶ兵の横列で封鎖されている。そして北側と同じく南岸にも竜達が川岸に伏せる。
島は完全に封鎖されていた。
そして南東側の橋から南へ延びる街路は、戦闘状態となっていた。
炸裂する爆弾。
巻き上がる炎と煙。
地上を走るリザードマンの騎兵達。
建物の屋根も壁も構わず走り抜けるワーキャットの影。
空を飛び回るサキュバスと妖精。宙を自在に飛ぶ者達は、銃や弓を手にしている。
地上や建物からも矢と魔法の炎が撃ち込まれる。
街路を北へと走る五つの人影へと。
それは、人間。
五人の『勇者』と呼ばれる存在。
防御は額当てや胸当て、簡易な籠手に脛当てなど、あくまで軽装。ただ、服がかなり目立つ。
全身を覆う、忍者のような出で立ち。それ自体は機能性と機動性を重視したもの。ただ、色が派手すぎる。
五人はそれぞれ、白、赤、青、黄、緑。暗い夜でも一目で分かるような、隠密とは対局の姿だった。
服の各所には、カラ達が数ヶ月かけてチャージした宝玉を幾つも装着している。
そんな人影が五つ、街を走り抜けていた。
建物の壁も屋根も縦横無尽に跳ね回る。輝く宝玉の軌跡を残し。
敵地中心たるルテティアの内周部、その中心近くに位置するパリシイ島を目指して。
追いすがる騎兵達は矢を放つ。だが敵は矢より早く飛び回った。
サキュバス達は上空から銃撃する。しかし文字通りに敵の影しか捕らえられない。
それらは、あまりに速過ぎる。
周囲全てが見えているかのように攻撃をかわしていく。
それも、必要最小限の動きで、自らの体に直撃する攻撃だけを避ける。
直撃しない、もしくはかするだけのものは無視して走り抜ける。
妖精の戦士が素早さと小回りを生かし、壁を走る勇者に接近して確実に矢を当てようとする。
だが妖精以上の小回りで街灯と露店の間を走り抜け、易々と振り切ってしまう。
進路上にある建物の屋根に陣取ったエルフ魔導師が、街路と建物に大被害が出ることを覚悟で全魔力を込め、爆炎を撃ち下ろす。
勇者達は瞬時に爆心から飛び離れ、魔法は虚しく街を焼き、追撃する騎兵達の進路を阻んでしまう。
爆炎と吹き飛んだ破片から飛び離れた勇者達は、放物線を描いて路上や壁に着地しようとする。
滞空中を狙おうとサキュバスと妖精の射手が狙いを定める。
だが彼らが狙いを定めるより早く、勇者達が放つ投げナイフが彼らの体に命中してしまう。
狙いを定める一瞬の隙を、勇者達は跳躍中にもかかわらず正確に狙ったのだ。
宙を舞う勇者達も、重力に引かれて落下する。
着地する瞬間を狙い、着地点へ多くのワーキャット兵達が跳躍する。
だが勇者は自分の着地点めがけて小さな赤い宝玉を投げつけた。
ドムッ!
宝玉は音と光と爆風、そして土煙を上げて殺到した猫の兵士達を吹き飛ばす。
勇者は、なんと爆風の中にそのまま突っ込んだ。
その次の瞬間には、爆煙を体にまとわせながら再び疾走する。
自分の負傷を、命を気にする様子は一切無い。ダメージを受けたかどうかすら分からない有り様だ。
あまりに有り得ない素早さに、無尽蔵かとも思える体力に、命知らずの戦法に、追う魔族の兵達は太刀打ち出来ない。
勇者達を足止めすることも叶わない。
人間の強攻偵察兵部隊である五人は、目立つ服と輝く宝玉で自らの存在を誇示しながら、前方にある一切を構わず北を目指す。
パリシイ島南東の長い橋へ。
そう、彼らは一切気にしなかった。
南側の川岸、街路を曲がった建物の影に巨体を隠す赤竜達にも。
巨大な赤竜が、勇者達の走る道と橋を繋ぐ十字路、その左右の建物の影に一頭ずついることにも気にしなかった。
五人の勇者は、左右で口を開けてブレスを吐く準備をしている竜達にすら、気を止めることはなかった。
彼らは街路を飛び出し、橋上へと躍り出た。
同時に竜達の首も橋へと向く。
「や、やばっ!」
ここでリィンはようやく赤竜達の役目に気付いた。
次の瞬間、何が起こるかを想像して顔面蒼白になり、慌てて高度を下げる。
そして地上にて待つ恋人と巡視官に、声の限りに叫んだ。
「伏せてえーっ!」
轟音。
地鳴り。
勇者達が走り抜けるはずの南東の橋から、瓦礫と突風が生じる。
赤竜達は巨大な顎を橋へ向けて開いている。
その口から吐き出されたのは炎、というより光。
凶悪な衝撃波を伴った、何かが爆発するかのような光だった。
圧倒的破壊力が橋へ、勇者達の背へと放たれる。
左右の赤竜が生み出した二本の光は岸壁をえぐり、川面を吹き飛ばし、石で出来た橋を削った。
橋上で交差したそれらは、橋桁ごと橋を粉砕させてしまった。
その地点に居たはずの勇者達もろとも。
水面と川岸が光に照らされる。
橋を破壊したブレスの余波は、そのまま対岸のパリシイ島まで達する。
だが兵士達は前面に大盾を並べ、その後ろの魔導師達が印を組み呪文を唱えて障壁を生み出す。
光は城と盾を焼くには至らず、衝撃波も障壁を破ることは出来なかった。
恐怖の象徴たる赤竜のブレスと、吹っ飛ばされた橋の破片は、パリシイ島に展開する兵士達まで達することはなかった。
その光景を、裕太は呆然と眺めていた。
彼の背中にはリィンが抱きついている。
柴犬の巡視官は怯えて伏せるシェーヴルを落ち着かせようと躍起になっていた。
その隣では魔導師達が各自に印を組み、呪文を唱えている。いつの間にか足下には大きな魔法陣が輝いていた。
クレメンタインが崩落した橋の方へと腕を突き出している。
「ダメですぞ、仕損じました。
数は5、大魔力反応3、小反応2……上です!」
妃が叫ぶ通り、竜のブレスを回避した勇者達は建物の屋根や出窓に降り立っていた。
狭い橋の上に追い込み、まとめてブレスで橋ごと吹き飛ばす作戦は、勇者達の信じがたい機動力の前に失敗してしまった。
だが尖塔の上に立つラーグンは慌てる様子もなく、スッと腕を上げる。
そして良く通る声が対岸まで響き渡る。
「封じよ!」
同時に、残りの三本の橋も吹き飛んだ。
それぞれの橋のたもとに配された赤竜達が、一斉にブレスを吐き橋を破壊したのだ。
同時に島の対岸には兵達が殺到する。
翼持つ者達が群れを成して滞空し、銃と矢が勇者達を狙う。
島を挟む南北の岸辺には、十重二十重の包囲陣が築かれていく。
その意図は、裕太のうめきに全てが表されていた。
「閉じコめられた……巻きコまれた!?」
島を孤立させ、逃がさないために。
戦闘を市街から隔離し民に被害を出さないために。
狭い島で機動力を削ぐために。
完全武装の精兵をもって速やかに討ち取るべく。
勇者達を島へ誘い込み橋を破壊して閉じ込めたのだ。
裕太達もろとも。
《敵パーティはパリシイ島へ上陸。
今よりパリシイ島への非戦闘員の接近を禁じる》
《迎撃はラーグン閣下自らがあたられます。市民は安心して、落ち着いて島から離れて下さい》
《第一・第二・第六・第七街区領主旗下各部隊へ告ぐ。内周部へ進軍しパリシイ島を対岸より包囲封鎖せよ。
繰り返す、第一・第二・第六・第七街区領主旗下各部隊はパリシイ島を包囲……》
案内板からのアナウンスは、虚しく裕太の耳を通り過ぎた。
次回、第十九章第二話
『愛、ゆえに』
2012年2月16日00:00投稿予定