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書記官と女間者

 まだ服も着ていない女、カラは瞬時に状況を判断。

 目の前にはエルフの服を着た若い男が橋の下を覗きこんでいる。

 薄暗くてよく見えないが、背は高くない。顔もまだ少年のあどけなさを残している印象だ。

 ここは薄暗い石橋の下、周囲には他に誰もいない。

 魔法は、種族全体が高位魔導師とすら言われるエルフ相手では分が悪い。

 武器は小さなナイフがリュックの中。相手とは10ヤード(約9m)は離れている。取り出して接近し殺すまでに間が開く。声を出されたらまずい。

 逃げようにも、今は服を着ていない。着ながら走っても逃げ切れない、だがこのままでも目立ち過ぎる。

 やはり殺すしかない、声も音も立てず一瞬で殺やれるか……?

 刹那の間に脳を全力で動かし、これだけ考えたカラ。が、相手の方は全然考えた様子は無かった。


「うわ!

 す、すいません、ハダカだとは思わなくて!」


 その少年は慌てて引っ込んだ。

 自分を見直せば、確かに全裸。しかもこの冬の朝に。

 何をするにも裸ではまずいし凍えそうだ。

 慌てて服を着る。


「あ、あの、それにしても、こんな朝からハシの下でハダカだなんて、どうしたんですか?」


 橋の向こうから尋ねてくる少年。

 こちらを覗きこまないし、何か警戒しているような素振りもない。

 なら、今なら橋の反対側へ走って逃げれるのでは?

 そう思って背後を見る。誰もいないようだし、まだ薄暗い。

 逃げ切れるかもしれない。戦うよりは危険は低い。


 だが、逃げた後のことを考える。

 橋の下で冬の早朝から全裸、どう考えても怪しい。

 これで逃げたとなると、どこかに通報されるかもしれない。

 それに、誰もいない街を走るのは目立ちすぎる。足音も響く。

 魔法で空を飛んだら更に目立つ。鳥人族や妖精族など翼持つ魔物に追われたら、手に負えない。


 見たところ目の前にいるのはエルフとはいえ少年一人。

 自分はずっとエルフの耳を着用してる。髪に大方を隠してるし、作り物とはばれないはず。今までもばれはしなかった。

 もしかしたら誤魔化しきれるかも。

 少なくとも近寄って隙を狙えば声も音もなく殺せる。

 そう考えた彼女は、取り敢えず時間稼ぎの返答をすることにした。

 これまで目にしたエルフの姿を思い出し、あくまで自然を装う。


「ちょっと待ってくれますか?

 服を着ますから」

「は、はい!」


 よし、取り敢えず時間は稼げたわ、と安堵するカラ。急いで服を着る。

 だが急ぎつつも手間取っているかのような素振りを見せ、稼いだ時間でこの場を繕う話を考える。


「あの、橋から街を眺めてたら、川に落とし物を……。

 慌てて拾いに降りたんです」

「え!?

 こんなツメたい水の中に?」

「はい。

 ですけど、ちゃんと拾えましたから。

 服も乾かしましたし、大丈夫です」

「そうですか、それは良かったです。

 それにしてもエルフの女性が、こんな暗いマチナカを一人で?」

「え、ええ……」


 ようやくリュックも担いでフードも被り、必要な荷物は懐に入れ、袖には投げナイフを数本仕込ませる。

 準備完了を確認してから橋の下を光へ向けて歩き出す。

 足音を聞いて再び覗きこんでくる少年。その顔は黒目、フードの隙間から垂れるのは黒髪で、確かにまだ子供っぽい。

 こちらを疑っている様子は無い。

 が、何か奇妙なものを感じる。

 服装はエルフ伝統のものだが、何かこう、他のエルフと比べ違和感がある。

 服が似合ってないというか、子供でも長身のエルフにしては背が低すぎる気がする。

 黒目黒髪のエルフを見たことがないのも理由かもしれない。

 でも何だろう、見れば見るほどエルフのようなエルフでないような……?


「……あの、ナンですか?」


 余程の勢いで観察していたのだろう。見下ろされる方は一歩下がり縮こまってしまった。

 少年への違和感は消えない。だがそれを追求している場合でもない。

 自分の為すべき事は決行の時までに予定の場所へ行くこと。

 それまでは身を隠している必要がある。


「いえ、何でもないんです。

 失礼しました」

「はあ、こちらこそ」


 そういって目礼だけして立ち去ろうと横を通り過ぎる。

 少年も目礼にて応じる。引き留める様子もない。

 どうやら誤魔化し切れたと安堵し、早足で護岸の石積みを上りだす。


  あー! いたー!


 突然、頭上から何者かを見咎める声。

 瞬間、自分のことかと緊張が走る。仕込んだナイフを手に収めようと腕を伸ばす。

 だが声の主は急降下してきた。

 少年の頭に向かって。


  ドカッ!


 少年が吹っ飛ばされた。

 吹っ飛ばしたのは七色の蝶の羽を背に着けた、メイド服の小柄な少女。

 妖精の女性が少年の頭に飛び蹴りを喰らわしていた。

 憐れ地面に転がされた少年は、頭を押さえながら妖精に怒鳴られる。


「ちょっと、ユータ!

 あんたいきなりどこほっつき歩いてんのよ!?」

「い、いきなりナニすんだよ!」

「それはこっちのセリフだわ!

 目を覚ましたら部屋にいなくて、城中飛び回っても見つからなくて、どんだけ探し回ったと思ってるのよ!」

「い、いやその、よく寝てたからオこすのは悪いかな、と」

「そんな気遣いはやめてよ!

 あなたがいなくて、どれだけ不安だったか」

「ご、ごめん、リィン」


 目の前で突然始まった痴話ゲンカ。

 引き抜こうとしたナイフに指をかけたまま、硬直してしまう。

 痴話ゲンカに、というより、目の前の有り得ない光景に。


 妖精の女は、言葉の内容から、明らかに少年の恋人や妻に類する立場にある。

 だが少年は、よく見るとエルフではないようだが、妖精では絶対に有り得ない。

 そう、少年はエルフではない。

 先ほどの文字通りの飛び蹴りを頭に喰らった彼は、フードがずれて頭が露出していることに気付いていない。

 人間の耳を剥き出しにしていることにも気付かず、妖精の女と痴話ゲンカしている。

 つまり、少年は人間族。

 なおかつ妖精族の女と恋仲にある。それも寝所を共にする関係。


 彼女は一瞬、思考が停止した。

 人間以外の種族を全て魔族と呼び、悪の権化や純粋なる敵として見てきた彼女にとっては、有り得ない光景だから。

 彼女の暮らす皇国の常識からは許されない、背徳堕落の範疇にも収まらぬ、まさに外道の行い。

 彼女の行動も完全に停止してしまった。

 そして目の前の二人は、金縛りにあった彼女のことなど意識から放り出していた。


「それで、一体こんな早朝に、どこへ行ってたのよ?」

「あ、うんと、今のうちにと思ってケイシチョウへ行ってたんだ」

「警視庁?

 あんなとこに、こんな早朝に、何の用があるの?」


 リィンが視線を向けた先は、川岸に立つルテティア警視庁。

 その視線に釣られてカラも同じ方を見る。


「実は副ソウカンのワスれ物があるんだ。

 カエそうと思って行ったんだけど、モンバンが通してくれなくて。

 届けてもらおうかとも思ったんだけど、コウキュウそうな品だからチョクセツ返したほうがいいかと思ってね」

「何を忘れてたの?」

「このナイフ」


 そういって取り出したのは、先日オシュ副総監が昼食時に裕太へ貸したナイフ。

 立派な宝玉が朝日を受けて涼やかに光っている。

 刃や柄は簡素で実用性重視。だが宝玉のサイズは大きく透明度も高く、何より描き込まれた術式は精緻を極めている。

 とても安物とは言えない。


「あらやだ!

 相当の逸品よ、それ」

「うん、祭がハジまる前にと思ったんだけどね。

 でもダメだったから、ついでにちょっと散歩してたんだ。

 そしたらハシの下から音が聞こえたので、下りてノゾいてみたら、この人がいたというワケ」


 裕太の説明に出てきたカラは、ようやく我に返る。

 投げナイフから気付かれぬように手を離し、軽く咳払い。

 そして、今度は自分がユータと呼ばれていた少年に尋ねた。

 どうしても聞き逃すわけにはいかない点を、もしかしたら自分の任務に資するかもしれない点を確かめるために。


「あの、ユータさん……と、おっしゃるのですか?」

「あ、えと、はい」

「あなたは、人間族なのですか?」


 問われた裕太は今さらに耳を押さえる。

 だが既に遅い。彼は自分が人間であることを立派に宣伝した後だった。


「あの! えと、その……まあ、そうなんです。

 でもカンチガいしないで下さい!

 僕は敵じゃありませんよ。魔王陛下の下で、ル・グラン・トリアノンにて働いてますから」

「ル・グラン・トリアノン……魔王城でっ!?」

「はい、そうです」

「まさか、去年のインターラーケンで捕らえられた人間?」

「いえ、ボクは兵士じゃないですよ。それとはベツです。

 ボクの仕事は……えっと、今は書記官をしています」


 彼は自分の身分を隠したわけではない。

 ただ、保父より書記官の方が格好良いかな、と思っただけ。

 それに今は書記官のような仕事をしているので嘘でもない、と。


 そしてカラにしてみればまさに渡りに船。鴨ネギ。

 自分と同じ人間族が、魔王城という敵陣中枢で働いている。

 インターラーケン戦役と別の経路とは何か分からないが、相当の重要情報を有しているのは間違いない。

 今さっきも副総監から借りた品を直接に返却しようとした、と。つまり副総監と面識があり、直接会う機会も多い。

 他の高官達、魔王とすらも直接会う機会は間違いなくある人間。

 まさに天佑。

 この少年とこの場で別れ身を隠すのは、確かに安全策。

 だが多少の危険を冒しても、彼から情報を引き出す価値はある。

 彼女は一瞬でこれらの計算を終え、胸中に渦巻く歓喜と緊張を必死で押し隠した。


「あの、ユータ……さん?」

「はい、なんでしょう」

「これも何かのご縁です。

 どうでしょう、祭を一緒に回りませんか?

 お話を聞かせてくれると嬉しいです」

「ボクの話、ですか?

 あーっと、でもなあ」


 チラリと視線をずらした先には、彼の恋人らしい妖精の横顔。

 二人きりになりたいよね? と目が語っている。

 けど妖精の方は好奇心旺盛らしい。


「あたしは別にいいわよ。

 やっぱり連れは多い方が、祭も楽しいんじゃない?」

「う~ん……どうしようかな?」


 悩む少年の脳内には、恋人と二人っきりになりたいなあイチャイチャしたいなあ、という欲望と野望と願望が渦巻いていると見られていた。

 カラとしては、あまりしつこく食い下がって不審に思われてはまずい、このまま決行時間まで身を隠す安全策をとっても損はない。

 なので自分から遠慮したことにして立ち去ろうか、と考えたとき、ユータは元気よく返答した。

 彼女が釣り上がりそうな口の端を必死で抑え込まなければならないことを。


「分かりました、今日は一緒に祭を見に行きましょう!」


次回、第十八章第三話


『Bonn Anéa!』


2012年2月12日00:00投稿予定


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