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黒い穴

 真夏の山。

 そこに異変が起きていた。


 異変に気付いていた人達がいた。

 全然気付いていない人達もいた。


 気付いていようがいまいが、彼らは異変に巻き込まれた。





 恐ろしく急峻な山々が峰を連ねる山脈。

 その山脈は、天高くわき上がる入道雲の高さから見下ろしても、遙か地平の彼方まで続いている。

 全ての山は、ある一定高度までは見事なまでの大森林に覆われているのだが、ある高度より上からは急速に木々の数が減り、地肌が剥き出しになる。

 さらに標高を上がると、真夏の太陽をもってしても溶かすことの出来ない万年雪に覆われた山頂が、長い年月をかけて氷河に削られ鋭さを増していた。

 そして、その山頂に動く者はいない。

 鳥すら飛び越えられぬほど、寒く空気の薄い高地に立ち入る者はいなかった。


 そんな、神話の住人達が住まうかのような山々に囲まれた、広い盆地があった。

 溶けて流れ落ちる万年雪が幾筋もの清流を生み、盆地を水で潤し、広大な森林と湿地帯を育んでいる。

 豊富な水に支えられた森は、多くの命を支えていた。

 枝の間を跳ね回るリス、落ちた葉っぱを食べる虫、草花を食べる鹿、清流を泳ぐ魚。

 そして、蝶の羽を背中に生やした者達。


 蝶の羽を持った者達ではあったが、それは蝶ではなかった。

 その羽は七色に淡く輝き、本物の蝶よりはるかに巨大で、六本足ではなく二本の足と手を持っていたから。

 そして頭部には複眼など無く、髪を生やした人間の頭があった。

 それは、とある場所では妖精と呼ばれる存在。


 妖精は一人ではなかった。

 うっそうと生い茂る森の木々を軽やかに飛び回る妖精は、次々と森の奥から現れる。

 木々には、幹に巻き付くように木の板と枯れ草が組み合わされているが、どうやら妖精達の巣らしいそれらからも、次々と妖精が飛び出してくる。

 彼らは一方向へ、森の端へと向かっていた。


 その森は、一本の川で仕切られていた。

 森の端に集まった妖精達は、川向こうにあるものを見る。

 そこは森が切り開かれ、石造りの建物や丸太を組み合わせた家屋が並んでいた。

 街中には石畳が敷かれた道が通り、その道は川を渡って森の中へと続いている。

 そして街の中央には、建物の屋根の上から布のようなものが飛び出しているのが見えている。

 三角形の頂点を描く布のてっぺんは、周囲の建物より一際高い。

 しかもそれは一つではなく、幾つもの三角形の頂点が街から頭を出していた。

 森の端に集まった妖精達は、その布の方を見つめ、指さし、何事かをささやき合っている。



 しばらくして、どこからか地響きのような音が響いてきた。

 同時に、地面が細かく揺れる。

 妖精達は驚き、とまどい、しかし逃げようとはしない。

 まるでそれが起こるのを知っていたかのように、相変わらず街の方を見ている。


 ただ、彼らが今見ているのは、街の中央の方ではない。

 街から頭をのぞかせる布は光を放っているが、妖精達はそちらを見ていなかった。

 見ていたのは、町はずれに広がる草原だ。

 森を切り開いたらしいその草原は、まるで何かに踏みつけられたかのように、綺麗に丸く草がなぎ倒されていた。

 地響きは今もそこから出ている。

 そして丸く草が倒れた場所を中心として、風が周囲へ吹き出している。


 ピタッと、音が止んだ。

 布の内側から放たれているらしい光も消える。

 大地の振動は即座に収まった。

 風も次第に止まった。

 倒れた草は元に戻らなかったが、それ以外は何事もなかったかのように静まりかえっていた。


 しばらくして別の場所、街の近くにある池で異変が起きた。

 池に穴が空いたのだ。

 先ほどまで鏡のように輝いていた水面、その真ん中が丸く池の底へとめり込んでいた。

 あまりにも不自然に、透明な丸い棒でも突っ込んだかのように、池に穴があく。

 対照的に、めり込まなかった部分の水面は、めり込んだ分に相応しいだけの水量だけ上昇した。

 池の縁を乗り越えた水が、そして突風も池から溢れ出す。


 偶然、池の上空を鳥の群が飛び越えようとした。

 だが鳥達の一部は、飛び越えることが出来なかった。

 鳥は、落ちた。

 池に空いた穴、その真上を通った鳥が突然、ことごとく落下して池に落ちたのだ。

 まるで何かにたたき落とされたか、池に引きずり込まれたかのように。


 しばらくして、池の穴は消えた。

 突如、まるで透明な棒を引き抜いたかのように、周囲の水が穴へ一気に流れ込んだ。

 大きな水柱が立ち、波が池の中を散々往復し、そして次第に静かな水面へと戻っていった。

 落ちた鳥は浮かんでこなかったが、それ以外は全て元通りとなった。


 同じような現象が、街の周囲で幾度も起きた。

 森や建物や妖精達の居ない場所を選んだかのように、何かに踏みつけられたかのような異変が続く。

 まるで透明な巨人が街の周囲を跳ね回っているかのように。





 ところで、同じく真夏。

 見えない巨人が跳ね回っている街とは全く別の場所、別の時間。

 だけど同じような山に囲まれた場所があった。


 あまりにも遠い、という言葉すら相応しくないほど遠い場所だ。

 だが同時に、まるで隣り合うかのように、いや重なるかのように近い場所だった。

 重なるほどに近く、だが決して重なることがないほどに遠い場所。


 そこに森はなかった。

 代わりに麦畑やブドウ畑が広がっていた。

 妖精達もいなかった。

 代わりに人間達がいた。


 人間は、四人。

 中年の男女、その後ろに若い男女。

 彼らは別に川向こうの街を眺めていたりしない。

 道を歩いていただけだ。

 前を向いて、歩いていただけ。


 彼ら四人は、自分達の足下で何が起きているのかなんて知らなかった。

 歩いている道の下、地の底で何が起きているのか。

 そこで起きている異変になど、気付くはずがない。



 そう、気付かなかった。

 彼らが立つ大地とは決して重ならない、だが重なり合うように近い場所で起きる異変になど。

 自分達が立つ地面の下で鳴り響く警報音など。



 彼らが気付けたのは、全然別のこと。


 中年男女は、目の前に落ちている真っ黒な丸い物に気が付いた。

 道のど真ん中に落ちている、こぶし大の黒いガラス玉のようなもの。

 なんだろう、と中年男女の視線は足下の球体へと向けられた。


 後ろを歩いている若い男女が気付いたのは、目の間に突然現れた黒い穴。

 その穴は一瞬で消えた。

 若い男女を巻き込んで。


 黒い球体を手にした中年男は背後を振り返る。

 つられて中年女も振り返る。

 そして二人は異変に気付いた。


 呆然とした彼らは、呆けた顔を向け合った。

 次に、何が起こったのかと幾度もまばたきし、辺りを見まわした。

 周囲には、相変わらずブドウ畑と麦畑。

 彼らの間で生じた異変など全く無かったことかのように、先ほどと何の変わりもない。

 男の手には相変わらず、真っ黒な球体。


 だが、確かに異変は生じていた。

 真夏の真昼に、まるで魔法でも使ったかのように。

 背後を歩く若い男女から少し目を離した間に、それは生じていた。


 

 それが単なる魔法であったなら。

 それが単なる事故であったなら。

 彼らは幸せだったかもしれない。


 ただ淡々と、そして冷酷に、運命の車輪は回り続ける。






  『パラレルParallelo!』

   




「なあ、姉ちゃん」

「なによ、ユータ」

「良い天気だね」

「そうね、良い天気ね」


 見上げれば、青空。

 日本でも世界のどこでも、青空は青空。

 雲が漂うのどかな昼下がり。


「でも……なんで僕達、草原のど真ん中にいるのかな?」

「そうよねえ。さっきまで道路の上にいたのに」

「えーっと、位置は……と」


 スマートフォンを手にとって場所を確認してみる。

 画面にはさっきまでの座標と地図が瞬時に表示された。

 北緯46度14分、東経6度3分。

 それは日本の座標ではなく、ヨーロッパの座標。

 スイスとフランスとの国境近くにある街、ジュネーブ。レマン湖っていう湖の畔にある街の座標だ。

 その下には街のデータも続いている。


「えっとー……。

 人口は約18万人で、面積は15.86平方km、標高は373m。チューリッヒに次ぎスイス第2の都市、か。

 三日月形のレマン湖、その南西側を取り囲むように広がってて、サレーヴ山やジュラ山脈等の山地に囲まれる。標高は350~500m。

 市内をアルヴ川、ローヌ川が流れる……と。

 実際、綺麗な街だったね」

「街……だったわよね」

「あ……うん。

 さっきまで街とか畑とか、あったよな」


 さっきまで居たジュネーブの町並みを思い出してみる。

 ジュネーブはスイスの西の端にあって、周囲をグルリとフランスの国境線に囲まれる。なんとジュネーブ国際空港の土地半分はフランス領なのだ。

 きらめくレマン湖の中には巨大噴水があり、空高く水を噴き上げる。

 中央駅のコルナヴァン駅から南東にメインストリートを下って、噴水を左に眺めながらモン・ブラン橋を渡れば旧市街。チョコの専門店に高級腕時計の店、土産物店とかが沢山並んでた。

 大聖堂や博物館とか、観光施設は主に旧市街にある。中世の趣を残す町並みもある。

 ガイドブックには赤十字とか国連ヨーロッパ本部とか、様々な国際機関が集結してるって書いてあった。

 郊外にはブドウ畑とかが広がっていた。


 で、周りを見渡す。

 ブドウ畑はない。

 旧市街所どころか、街自体がない。

 あるのは草原と山と森。

 自分の足下には、うっそうと雑草が生えてる。


「少なくとも、草原じゃなかったと、思うんだけど」

「いくら僕らが初のヨーロッパ旅行で、この辺の地理を全く知らないといってもなあ。

 郊外の田舎道を歩いてたからって、一瞬で遭難できるほど方向音痴じゃ、ないよな」

「その通りよ。

 あんたは高一、あたしは大学一回、地図もGPS機能付きスマートフォンもあるし、迷子になる年じゃないはず。

 郊外の田園の中を通るアスファルトの道を、クソ重いバックパック背負って、父さん母さんの背中を見ながら、えっちらおっちら歩いてたわ」


 姉ちゃんの目は、俺の背中に向けられる。

 僕の背には大きなチェック柄のバックパック。貧乏な長期旅行者の定番、巨大リュックサックだ。

 姉ちゃんの背にも赤のバックパック。僕の程じゃないけど、相当に詰め込める。

 服装は僕も姉ちゃんもTシャツにジーパン。そして薄汚れたスニーカー。


 お互い日焼けで結構小麦色。

 姉ちゃんは日本では美白とか気にしてた。けど、さすがに夏のヨーロッパを家族で貧乏長期旅行するとなっては、日差しの強さに日焼け止めも追いつかなかった。

 茶髪も髪が伸びて根本が黒くなり、今ではすっかり健康的でスポーティな女性、と言っておこう。

 けど、今はそんなこと、どうでもいい。

 そう、どうでもいい。

 今はンなコト気にしてる場合じゃない!


「……そうだよ、僕らは道路を歩いてたんだ!

 それが、なんで道路が消えてるんだ!?」

「知らないわよ!

 さっきまで、父さん母さんの後ろを歩いてたら、いきなり目の前に黒い穴みたいなモノが現れて……」

「そ、そうだ、そうだよ!

 黒いのに包み込まれたと思ったら、いきなり、なんで草原のど真ん中に!?」

「だから、わかんないって言ってるのよっ!

 ここは一体どこなのよぉ!?」

「僕にもわかんないんだよ!

 前を歩いてた父さんと母さんは、どこいっちゃったんだ!?」


 そうだ、ここは草原だ。

 間違いなく草むらのど真ん中だ。

 地面はアスファルトじゃなくて草と土、周りは田園と農家じゃなくて森と山。

 目の前にいた父さん母さんはいない。横を歩いていた姉ちゃんしかいなくなってる。

 ここ、どこ!?

 僕らはなんでこんな山中の原っぱにいるの!?


というわけで、とうとう新作を投稿してしまいました。


前作『魔王子』を読んで下さった方だけでなく、今回から目にされた方にも楽しめるよう、頑張っていくつもりです


でも、果たしてちゃんとラストまで書き進めれるのか、自分でもヒヤヒヤです。



皆様の熱い支援と叱責とツッコミが頼りの凡作者を、生暖かく見守って下さい。

m(_ _)m



次回、第一章第二話


『スイス……?』


2011年2月16日01:00投稿予定

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