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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第008話 家族の眼差し

 日々の教育は、俺という存在が単なる不憫な子ではなく、類まれなる知性を持つ神童であるという認識を周囲に植え付け始めていた。

 五歳という幼い肉体に宿る精神は、家庭教師たちが持ち込む既存の知識を瞬く間に食らい尽くし、更なる深淵を求め始めていた。


 今日の講義は、国立魔導学園から特別に招かれた高名な魔導学者である教授による魔力の構成理論についてである。

 彼は偏屈で知られる人物だが、伯父である国王の強い要望と、ヴァルゼイド公爵家の巨額の寄付を国立魔導学園にしたことにより、この地にまで足を運んでいた。


「ユウ様、魔力とは魂の波長そのもの。それを物理的な事象として具現化するには、緻密で複雑な数式に等しい構築が必要不可欠なのです。お分かりいただけますかな?貴方様のように魔力回路に欠損を抱えるお身体では、この構築の際、どうしても歪みが生じてしまう……」


 教授が羊皮紙に書いた数式は、この世界の魔法がいかに不自由であるかを証明していた。彼らは決まった型に魔力を無理やり押し込むことで、ようやく魔法を形にしているようだった。

 教授は自説を解説しながら、手元に小さな光を浮かび上がらせ、その魔力の流れを維持してみせた。


 俺は見えない左腕を机の上に滑らせ、事象の門を開く『因果の鍵(イノセント・キー)』を心の中で静かに回した。

 すると、教授が灯した光の正体が、複雑に絡まり合った色のついた糸のような姿で俺の視界に露わになる。

 俺はその糸を一本ずつ、もつれを解くように丁寧に整えていった。彼らが魔法の構築と呼ぶ作業は、俺の目には、繊細な世界のひだを無理やりこじ開けるような、ひどく無骨で乱暴な手つきに見えていた。


 俺は右手のペンを動かし、教授が正解だと示した数式の欠陥を、子供らしい無邪気さを装って書き換えた。


「先生、ここの線を少しだけ丸く曲げたら、もっと綺麗に光ると思うよ? 無理やり押し込まなくても、魔法さんが自分で通りたがっている道があるみたいなんだ」


 教授は、俺が書き加えた一線を凝視した。最初は鼻で笑おうとしていたが、数秒後、その顔は驚愕に染まり、やがて恐怖に近い戦慄へと変わった。


 俺が示したのは、『因果の鍵(イノセント・キー)』で見つめた、世界にとって最も無駄のない正解の道である。彼が何十年もかけて築き上げた複雑な理論よりも、遥かに単純で、美しく真理を貫く最短ルート。

 教授の手から羽ペンが転げ落ち、彼は椅子から崩れるようにして、五歳の幼児である俺の前に深々と頭を下げた。


「失礼……、大変、失礼いたしました。私は、とんでもない天才を……、いえ、魔法そのものを体現するお方を前にしていたようです。ユウ様、貴方は不憫な子などではない。この世界の至宝だ……!」


 教授の震える賞賛の声は、学習室の扉の外で固唾を呑んで見守っていた母様の耳に届いた。

 彼女は誇らしげに室内に駆け寄ってくる。しかし、どれほど才能があろうとも、俺が左腕のない不自由な身であるという事実は母様の胸を痛め続けている。

 彼女の愛は、俺の能力が高まれば高まるほど、『それでも失われた腕は戻らない』という悲しみを補おうとする献身へと姿を変えていくのだろう。


「ユウ、すごいわ。あなたは本当に私たちの自慢の息子よ。でも、あまり無理をして知恵を絞りすぎてはだめよ?母様は、あなたが健康でいてくれるだけで十分なのですから」


 母様が俺を抱き上げ、その柔らかな胸に顔を埋める。彼女の鼓動は激しく波打っていた。

 俺は見えない左腕を母様の背中に回し、パサージュの鍵を介して彼女の心に溜まった自責の念『どうしてこの子の腕が……』という、終わりのない後悔の残滓を、パサージュの鍵を使い、優しく摘み取ることにした。



 午後になると、父様が急ぎの軍務を終えて戻ってきた。

 彼は鎧を鳴らし、側近たちの呼び止めも聞かずに俺の元へと直行してくる。


「ユウ!教授から緊急の伝令が届いたぞ。お前の才は、王国の魔法の歴史を、千年の停滞を塗り替えるほどだとな!さすがは我が息子だ!」


 父様の掌が、いつものように俺の空虚な左肩を包み込む。

 その感触は熱く、震えるほどに力強い。

 俺は父様の分厚い胸板にしがみつき、甘えるように見上げて微笑む。


「ユウ、父様といっしょに、この国をまもりたい。父様が戦うとき、ユウがお助けしてもいい?」

「…………。ああ……。ああ、そうだな。だが、お前が戦場に出る必要などない。父様がお前のために、生涯、最強の盾になろう。お前がその知性で世界を照らす間、俺がすべての影を切り裂いてやる」


 父様の瞳に、熱いものが宿る。

 彼は王国元帥という以上に、この不自由で愛おしい天才を守り抜くという決意によって、その魂を燃やしているようだった。



 夕刻、庭園ではゼノン兄様とサリア姉様が、王都から届いたばかりの新しい魔法具の実験をしていた。

 二人は俺が庭に姿を現すと、我先にと競うように駆け寄ってくる。


「ユウ!見てろよ、僕の新しい剣筋を!魔導学者に教わった、魔法を剣に纏わせる訓練を始めたんだ。これで、どんな魔物からもお前を護ってやる!」


「私はこれよ。ユウに万が一のことがあっても、瞬時に屋敷の奥まで転移させるお守りを作ってみたの。少し魔力を込めるのが難しいけれど、ユウのためなら私、頑張れるわ」


 二人の瞳には、俺という存在を守り抜くという強烈意思が宿っている。

 ゼノン兄様が振り回す木剣に宿る魔力は、まだ幼い彼には過ぎたもので、制御を失い火花を散らし始めていた。暴発の危険を察知した周囲の侍従たちが悲鳴を上げる。

 俺は見えない左腕を数メートル先まで伸ばし、その剣先に漂う因果の乱れを、まるで絡まった糸を解くように静かに整えた。


 暴走しそうだった魔力は、俺の干渉を受けた瞬間に清らかな奔流へと収束し、見事な一撃として空間を切り裂いた。


「やった!今の見たか、ユウ!僕、やっぱり天才かもしれない!剣が勝手に正しい道を教えてくれたみたいだ!」


「うふふ、私の隣にいたから、私の加護が効いたのよ、きっと。さあユウ、もっと近くに来て。お姉ちゃんがずっと抱きしめててあげるから」


 二人の楽しげな笑い声が、黄金色に染まる庭園に響き渡る。

 俺はその光景を、白檀のベンチに腰掛けて静かに見つめていた。

 家族が俺を愛し、守ろうとすることで、俺の異能はその守護を完成させるためのものだ。不憫さを憐れまれ、守られる対象であることは、俺にとって世界の理を、誰にも気づかれずに掌握するための、この上ない舞台装置であろう。



 夜、一人になった寝室で、俺は窓から差し込む月光を右の掌で受け止めた。


 母様が部屋に入ってくる気配を察知し、俺は急いで布団に潜り込んだ。


「ユウ、まだ起きていたの?勉強が楽しくても、あまり夜更かしをしては疲れてしまいますよ」


 母様が枕元に座り、俺の髪を愛おしそうに撫でる。

 彼女の手は、夜風に当たったのか少し冷えていた。俺は見えない左腕をそっと彼女の手の上に重ね、その温度を、彼女が最も心地よいと感じる熱量へと固定する。


「あなたの傍にいると、不思議と心が温かくなるわね。不安も、悲しみも、すべて消えてしまうみたい……。おやすみなさい、私の愛しい宝物」


 母様が部屋を出て、邸宅に深い静寂が戻る。


 この力は、誰かを傷つけるためのものではない。

 俺を愛してくれるこの家族を、この温かな、それでいて窮屈で優しい過保護の世界を、永遠に守り続けるためのものなのだ。


 ヴァルゼイド家の不憫な御子。

 その肩に宿る虚無こそが、世界を救う唯一の特異点であることを、まだ誰も知らなくていい。

 

 この世界の主は、五歳の幼子の姿ではあるが、静かに守護の意志を秘めて、未来を見据えつづけなくてはならないのだ。

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