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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第005話 揺り籠の奇跡

 転生してから三年の月日が流れた。


 俺、ユウ・ヴァルゼイドの日常は、一言で言えば、()()()()()()に支配されていた。

 朝、目が覚めた瞬間から、俺の身体は必ず誰かの温もりの中にある。

 物理的な左腕を持たない俺を、家族たちは自分たちがその腕になると言わんばかりの献身で包み込んでいた。

 特に母様であるエレインは、片時も俺を床に降ろそうとしない。

 食事、着替え、移動。時には排泄時。

 そのすべてが彼女の柔らかな腕の中で完結していた。

 パサージュの言っていた『一人では何もできない無力な人間』という偽装データは、この三年で完璧に構築されたと言っていいだろう。


 「ユウ、美味しいですか?さあ、あーんして」

 

 公爵邸の陽だまりが落ちる窓際で、母様が笑みを浮かべ、細かく刻んだ果実をスプーンで運んでくる。

 彼女は俺を膝の上にのせ、まるで壊れ物を扱うように大切に抱きしめていた。


 「おいちい。母様、ありがと」

 「まあ!なんてお利口さんなの。ガルド、お聞きになりましたか?」

 

 母様が弾んだ声で報告すると、近くで書類に目を通していた父様が、顔を輝かせて身を乗り出してきた。


 「ああ、聞いたとも。ユウは本当に聡明な子だ。三歳にしてこれほどまでに家族を敬う心を持っているとは。もっと近くへおいで、ユウ」

 

 父様のガルドが、俺を母様から受け取り、高い高いをするように持ち上げる。

 俺はされるがままになりながら、心の中で前世の自分を振り返っていた。

 保育士として働いていた俺が、今や三歳の幼児として全方位から世話を焼かれている。

 この『甘やかされれば甘やかされるほど、神に近い力がチャージされる』というシステムは、正直に言って、背徳的ですらある快楽である。


 実際、俺の左肩にある『空白』には、日を追うごとに膨大な魔力が蓄積されていた。

 物理的には何も見えないし、触れられない。

 だが、俺がその見えない腕を動かそうと意識すれば、周囲の空気が僅かに震え、銀色の粒子が陽炎のように揺らめくのが俺にしかわからない。


 俺の左肩に宿る、パサージュの鍵。

 それは物理的な肉体としての腕を失った代わりに、存在しないはずの腕が世界の理に干渉し、運命を書き換える力である。


 俺を可愛がればかわいがるほどに、神の力は、その出力は跳ね上がっていく。

 それはかつて、崩落する瓦礫から子供たちを救うために失った左腕が、転生の理を超えて昇華された力そのものだ。




 そんなある日の午後、事件は起きた。

 父様と母様、および双子の兄姉であるゼノンとサリアも揃って、庭園の東屋で過ごしていた時のことだ。

 ゼノンとサリアは、最近始めたという魔導の基礎訓練を父様に見せるべく、小さな魔石を浮かせる練習をしていた。


 「父様、見て!三つも浮かせられたよ!」

 「私だって、すぐに四つ浮かせられるわ!ゼノン、見てなさい!」

 「ははは。二人とも筋が良い。さすがはヴァルゼイドの血筋だ」

 

 父様が満足げに頷く。

 ヴァルゼイド家は、王家に次ぐ武芸と魔道の系譜。

 幼いうちから魔力の制御を学ぶのは、この家では当たり前の光景だった。

 だが、その時のことである、サリアが調子に乗って魔力を込めすぎたのか、彼女が操っていた魔石の一つが異常な光を放ち、制御を離れて跳ね上がった。


 「あ……!」

 

 サリアの短い悲鳴。

 高速で飛来した魔石は、テーブルの上にあった、熱い紅茶が注がれたティーポットを直撃する。

 陶器が砕け散る鋭い音と共に、煮えたぎる琥珀色の液体が、すぐ側に座っていた母様の顔めがけて飛散する。


 「危ない!」

 

 父様が咄嗟に手を伸ばすが、魔導騎士である彼をもってしても、この至近距離での不測の事態には僅かに間に合わない。

 母様は恐怖に目を見開き、反射的に腕の中の俺を庇うように背中を丸めた。

 彼女は自分の身を犠牲にしてでも、俺を守ろうとしたのだ。


 (母様……!)

 

 俺の思考が、現実の時間を置き去りにして加速する。

 前世で、瓦礫の下の子供たちを守ろうとしたあの時の衝動が、魂の奥底で爆発した。

 俺は母様の腕の中で、無意識に左肩の空白を突き出し、パサージュの鍵を起動する。


 『世界律の欠損(ワールド・グリッチ)!』

 

 その瞬間、俺の左腕から銀色の閃光が奔った。

 因果律のバグを指先でつまみ、物理法則を無視する力。それは家族であっても認識できないものである。


 飛散していた熱い紅茶と陶器の破片が、母様の肌に触れる寸前で、まるで重力が消失したかのように空中で静止した。

 いや、静止したのではない。

 それらの物体が持つ運動エネルギーそのものが、世界の方程式から消去される。

 パラパラと、勢いを失った紅茶の雫と破片が、母様のドレスを汚すこともなく地面に落ちた。

 東屋に、静寂が訪れる。


 「……今、何が起きた?」

 

 父様が呆然と呟いた。


 「ユウ……、怪我はない?」

 

 母様は、自分の身に起きた奇跡よりも、俺の安否を確認し、震える手で俺を強く抱きしめた。


 「う、うん。ぼく、だいじょうぶ」

 

 俺は動揺を隠し、子供らしい幼い声で答えた。

 心臓がバクバクと高鳴っている。

 やってしまったぁ。

 咄嗟のこととはいえ、あんな不可解な事象を引き起こしては、家族にバレるのではないか。

 父様が鋭い目つきで、破片が落ちた地面と、俺の左肩を交互に見つめる。

 武芸、魔導共に達人である父様であれば、今の現象がただの偶然ではないことに気づいたはずだ。


 「あなた……、まさか……、今のは、ユウが?」

 

 母様も、信じられないものを見るような目で俺を見つめている。

 このままだと、俺が強大な力を持っていることが露見してしまう。

 俺は咄嗟に、福音の揺り籠(エデン・クレイドル)を極小規模で展開した。

 これは、俺の周囲を『不幸』という概念を成立させず、周囲の人間に強烈な安寧と慈愛を植え付けるものだ。


 「うえぇ……びっくりしたぁ……」

 

 わざとらしくぐずると同時に、パサージュの鍵をそっと回す。

 すると、父様の険しい表情が、一瞬で溶けるように崩れた。


 「ああ、済まないユウ。怖かったな。サリアの魔石が跳ねて、お前に当たりそうになったのだ。運良く……、そう、運良く風が吹いて、逸れたようだが……。あぁ、本当に無事でよかった」

 

 父様の中では、今の異常事態が『幸運に愛されたユウに起きた奇跡』として処理されたようだった。

 俺が欠損したままであることが、皮肉にもこの『不憫な幸運』という認識を強化している。


 「ユウ、ごめんなさい!私、そんなつもりじゃ……」

 サリア姉様が泣きながら駆け寄ってくる。

 父様は姉様を宥めながら、母様に向き直って真剣な表情でこう告げた。


 「エレイン。今のは私の不徳だ。ユウは左腕がない分、身を守る術が他の子よりも限られている。今後、このようなことが二度とないよう、これまで以上にユウの傍を離れるな。移動する時も、必ず誰かが抱きかかえておれ。この子を、一秒たりとも独りにするな」

 

 「ええ、この命に代えても、ユウを守り抜きます」

 母様が深く頷き、俺をさらに強く抱きしめる。



 その日の夜。

 俺は母様の温かな寝台の中で、彼女に抱かれながら天井を見つめていた。


 (ふぅ……危なかった。でも、これで監視の目はさらに厳しくなったな。一人では何もできない不憫な子として四六時中抱っこされていれば、家族は俺を無害な存在だと誤認し続けるんだが……)


 母様の規則正しい寝息が、耳元で聞こえる。

 彼女の温もりに包まれていると、パサージュの鍵に、再び新しい魔力がじわりと満ちてくるのがわかった。


 愛されれば、力が溜まる。

 守られれば、世界を書き換える鍵が手に入る。


 俺は、前世で失った左腕の代わりに手に入れた、この甘美な制約を存分に利用してやることにした。

 すべては、俺を愛してくれるこの家族を守り抜くために。

 俺は世界で一番無力な、世界で一番最強の子供として生きていく。


 俺の小さな右手が、母様のナイトドレスの裾をぎゅっと掴んだ。

 彼女は夢うつつに俺をさらに強く抱き寄せ、幸せそうな微笑みを浮かべる。

 そうして、俺の二度目の幼少期は、より一層深い過保護の海へと沈んでいくのだ。

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