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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第010話 左腕のない宝物

 厳しい寒気が邸宅の石壁を叩き、窓を震わせる音が低く響く中、俺の周囲だけは常に春のような穏やかな温もりに満ちている。

 それは単なる暖炉の物理的な熱ではない。

 俺を不憫で愛おしい弱者として定義しており、その欠損を埋め合わせようと必死に注がれる家族や使用人たちの献身的な愛情のせいだろう。左腕が根元から存在しないという残酷な事実は、この苛烈な世界において、俺を被守護者という絶対的なものへと押し上げている。


 窓の外、厚いカーテンの向こう側では冬の嵐が咆哮を上げ、雪がいつまでも降り続いている。だが、その過酷な状況がこの邸宅の敷居を越えることは決して許されることはない。

 俺の視界にあるのは、磨き上げられた机の滑らかな木肌と、そこに置かれた花瓶に生けてある温室室育ちの真っ赤な薔薇、そして母様が運んできた、湯気を立てる琥珀色の紅茶だけだ。


「ユウ、寒くはありませんか。風邪を引いては大変ですから、もっと厚手の毛布を使いましょうね。あなたの肌が少しでも冷たくなると、母様は胸が締め付けられ辛いのですよ」


 母様が顔を輝かせながら、雲のようにふかふかの毛布を抱えて部屋に飛び込んできた。

 彼女の瞳には、少しでも俺の顔色が優れないと世界の終わりを予感するかのような、過剰なまでの狂気さえ孕んだ心配が宿っているのだ。

 俺は机に広げていた魔導書を右指でそっと閉じ、母様に向けて、毒のない、子供らしい柔らかな微笑みを浮かべた。


「母様、だいじょうぶ。お部屋、とってもあたたかいよ。母様がいてくれるから」


 俺を包む毛布の重厚な感触とともに、母様の纏う気高い香料が鼻をくすぐる。

 母様は俺を壊れ物を扱うように抱き寄せ、何も存在しない俺の左肩を、慈しむように何度も撫でてくれる。彼女にとって、俺の欠損は自分自身の身を削られるよりも痛ましく、生涯をかけて償い、埋め尽くすべき空白なのだと思う。


 俺が知性の片鱗を見せれば見せるほど、家族は俺の不自由さを嘆き、その才能が俺を苦しめるのではないかと恐れ、より一層の過保護で俺の日常を塗りつぶそうとする。その矛盾に満ちた愛こそが、この世界における俺の生存戦略であり、同時に、外界の喧騒や汚濁から俺を隔絶する、世界で最も甘美な檻となっていた。



 午後になり、父様が重厚な鎧の音を廊下に響かせ、軍務の合間を縫って戻ってきた。

 戦場では一騎当千の王国元帥として畏怖される彼は、俺の前に立つ時だけは、その荒々しい気を完全に消し去り、柔和な父親の顔を見せてくれる。父様は俺を自らの膝の上に乗せ、その大きな掌で俺の小さな右手を包み込んでくれる。


「ユウ、今日も変わりはないか。不便なことはないか?欲しい物は?お前が望むものがあれば何でも言うがいい。たとえ隣国の王冠であれ、伝説の秘宝であれ、この父がすべて薙ぎ倒してお前の元へ運んでやるからな」


「父様、おかえりなさい。お仕事、たいへんだった?ユウは、父様がここにいてくれるだけでいいよ」


 俺の、あまりに無垢で健気な問いかけに、父様は絶句し、強靭な腕で俺を壊さないよう細心の注意を払って抱きしめた。彼の鎧が冷たく肌に触れるが、その奥にある鼓動は驚くほど激しく、俺を想う情熱に満ちている。


「ああ……。ユウ、お前は本当に……。冬の領地経営など、お前のこの一言に比べれば塵に等しい。お前はただここにいて、健やかに笑っていればいい。泥臭い困難も、血生臭い責任も、すべてはこの父と兄が引き受けるからな。お前の歩く道には、一枚の枯れ葉すら落とさせはしない」


 父様の掌から伝わる無骨な慈しみと、母様の注ぐ献身的な情愛。

 俺はその温もりに身を沈め、ただ一人の非力な子供として、彼らの愛を無条件に受け入れる。

 俺は左腕がない。だからこそ、重い荷物を持つことも、剣を振るうことも、馬を駆ることもできやしない。俺は、ただ愛されるだけという、この邸宅における唯一無二の役割を全うすれば、この世界は俺を中心に、俺の望むままに回り続けるのだから。



 夕刻、訓練を終えて汗を流したゼノン兄様とサリア姉様が、競うようにして俺の部屋へ雪崩れ込んでくる。


「ユウ!見てくれ、この剣を。魔力を増幅させる名剣なんだぞ!お前を守るために、僕はどんな騎士よりも、誰よりも強くならなきゃいけないんだ。お前の左腕の代わりになれるほどにな!」


「私はユウのために、王都で一番の毛糸を取り寄せたのよ。これで手袋を編んでいるの。ユウの綺麗な手がしもやけになったら大変だもの」


 二人の瞳には、俺という不自由な弟を一生守り抜くという、純粋で、どこか危ういほどの意思が宿っているように見えた。


 彼らは俺の空いた左袖を見るたびに、その欠損を埋め合わせるかのように、過剰なまでの優しさと物理的な贅沢を俺に注ぎ込んでくれる。

 俺はその過保護の連鎖の中で、何不自由なく、ただ愛される存在として時間を過ごしていけばいい。

 俺が羽ペンを落とせば、家族の誰かが拾い、俺が窓の外の雪を眺めれば、誰かがその寒さを取り除くために魔法を使い始める。



 夕食の席では、俺の口元に運ばれる温かな野菜スープの味に、家族全員が固唾を呑んで俺の反応を待っている。


「ユウ、お味はいかが?美味しい?熱くない?」

「うん、とってもおいしいよ。心配してくれて、いつもありがとう」


 俺が微笑むだけで、家族の幸福感が部屋を満たす。この完璧な、そして歪なまでの楽園。

 俺はその中で、左腕のない不自由な次男として、永遠の安らぎを謳歌する。外界がどれほど荒れようとも、王宮でどのような陰謀が渦巻こうとも、この邸宅の中だけは、家族の愛で築かれた、何物にも侵されない空間であり続けるのだから。


 俺は自身の右手を、何も存在しない左肩にそっと添えた。

 そこには肉体的な腕は何もないが、家族からの尽きることのない愛情が、目に見えない強固な重みとなって確かに宿っているのだ。

 不自由であることは、俺にとって不幸ではなかった。むしろ、その不自由さこそが、この温かなスープの味と、髪を撫でる母様の掌の熱を、永遠に繋ぎ止めるための、あまりに安価な対価だと思っている。


 ヴァルゼイドの次男。

 愛される、不憫で、気高き御子。


 俺は家族の優しい言葉と、笑い声に包まれながら、明日もまたこの変わらぬ幸福が続くことを確信する。

 絶対に、誰にも邪魔はさせないと固く心に刻みながら……。

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