ココロのなかで憂さ晴らし
過ぎし短い秋に、マナモは栗ごはんをたべ、さんまをたべた。いけない、いけない。こうやって書くと、栗ごはんとさんまを同じ日にたべたように思われてしまう。栗ごはんとさんまは、別々の日にたべた。
栗ごはんはデパートの地下で売られていたもので、マナモには珍しく人ごみに臆せず買いものをした。栗ごはんの魅力が勝ちとった結果といえる。そのためマナモは、栗の皮をむく苦労はしていない。栗ごはんのとき、ほかにどんなものが食卓に並んでいただろうか。おそらく、煮ものやおひたし、そういった具合ではなかったか。それとおみそ汁。大根と何かの入ったおみそ汁。
栗ごはんをたべた次の日か、それともその次の日かに、マナモはさんまをたべた。さんまは、口の先が黄色いやつで、とはいっても、焼いてしまうとその黄色はわからなくなってしまうのだけど。マナモは、さんまのはらわたのとこもたべる。たべるといっても、はらわたのとこだけを山盛り出されてもマナモだって顔を背けてしまう。
マナモが人の前でさんまのはらわたをたべると、たいがい、えええ、と言われ、驚かれる。ニンゲンじゃない何かに対して言うような調子で言われ、マナモはひそかに憤慨する。「シャケとか皮もたべたりする?」たいがい聞かれる。たべるよ。マナモはあっさり答える。それでまた、えええ、と言われる。ニンゲンじゃない何かを見るような目で見られ、再び、マナモはひそかに憤慨する。
それでマナモは、さんまを外でたべるのは控えている。マナモが控えていても、さんまのほうからマナモの前にあらわれてくることがあって、そのときはやはり、はらわたもたべる。そして、えええ、と言われる。好きにたべさせてほしい、そう思いながらたべることになる。
マナモに、えええ、と言ってくる人のなかには、カレーライスにお酢をふりかけてたべる人がいたり、チャーハンをおかずに白いごはんをたべる人がいたり、西瓜にケチャップとマヨネーズをぬりたくってたべる人がいたりして、マナモはそれらを思い出しては、ココロのなかで盛大に、えええ、と言って、憂さを晴らしている。




