7話
「意地悪とは何だ、意地悪とは。勝手に住処に土足で乗り込んできた阿呆を睨みつけて何が悪い」
「ソレに関しては完全に私悪いですけども!ここ数日、一緒に歩いている時もそのままだったじゃないですか!?」
「そうだったか?覚えてないな」
「もうっ!」
たしかに言われる通り、最初は私が悪いので仕方が無いと思う。勝手にこちらの都合で押しかけたのだから文句を言う資格は無い。
ただこうして一緒に過ごすようになってからは別じゃないだろうか。出来るというのならば、消してくれても良かったはずだ。毎度毎度見られるたびに生きた心地がしなかったというのに。
「怯えてる私を見て面白がってたんですか?!」
「いや?特別面白いということは無かったな」
「なおのことタチ悪いですよ!」
シレっと悪びれることもなく答える龍。その様子を見るに本当に理由なくやっていたのだと伝わってくる。別に意味なく、なんとなくそのままプレッシャーをかけていただけ。
「ククッ、そう喚くな。確かに貴様を脅している時は何の感慨も持っていなかったが、今は割かし愉快だぞ」
「楽しそうで何よりですねっ!!……もうっ、一体全体どこが『嘆きの龍』ですか。『嘆き』というより『悪辣』とかのが適切じゃないですか」
先生からは彼の呼び名とか居場所程度の情報しか貰っていないのだが、本当にそれは合っているのだろうか。いや、合っていて欲しいのだけど。じゃなければ取材のため、という前提がひっくり返るし、何回も死んだこと自体も無駄になる。
「……」
「ん、どうしました?」
私の返答を聞くと先ほどまでの悪辣な笑みは消え、何かを考えこむような表情となるエリュファニア様。いったいどうしたのだろう、と近寄ると。
「んぐっ!?」
ぐい、と両頬を右手で掴まれ引っ張られる。一体全体何事だ?!、と驚くも彼は無表情のままこちらの目を覗き込む。
それは深い深い赤色。ルビーの様な宝石よりも透き通り、炎よりも力強い。自分ですら知らない心の奥底のさらに裏側まで暴かれているような錯覚に陥る。
「ど、どうしたんです……?」
「前から気になっていたのだがな。なぜ我をそう、『嘆きの龍』などと称する?」
「え……?」
「なぜだ?はっきり言って心当たりはある。……しかし、それは貴様らが知る由も無いはずの出来事だ。言え、なぜお前は私を『嘆き』と飾った」
問い詰めるタイミングが無かったから失念していた、と彼は一人呟きながらさらに覗き込む。
対して私も頭の中は困惑一色で、何と答えればいいのか……、と。
そもそも私自身、この呼称の理由は知らない。ただ先生がそう呼称していたから倣っただけでしかないのだ。無論、嘆きに足る理由がある、などと言った確信、その外側の説明自体は受けているけれども。
他に返す言葉も思い浮かばないので、そう正直に伝えると彼は見慣れた皺寄せ顔をしながら、ふん、と鼻息を一つ鳴らす。返答に求めている情報が一切なかったからか不機嫌そうだ。
ギュ、と頬を掴む指の力が若干上がってちょっと痛い。しかし今ここでそれを指摘してもさらなる不興を買うだろう、と口に出すのはやめておいた。
「師、また師か……。お前の口から出る奇妙さの由縁を遡ればいつもそれだな」
「むぐっ、まぁ今の私の中に詰まっている情報の殆どは先生から教えていただいたものですし……」
「ふん……。まぁ良い。これ以上は時間の無駄だな。そのうち本人を問い質せば良い話だしな」
「えっ……」
なんかサラっと聞き逃せないことをおっしゃった気がするのだが。
先生とエリュファニア様が会うの?本当に?絶対相性悪いと思うんだけど……。いや、別に正反対の二人という訳ではないのだが。むしろその逆だからちょっと、アレ、というか……。
(なんというか、似てるんですよね、お二方。考え方とか、話が長くなりがちなとことか。しかも元が我の強い方たちですのでそれが二人となると……)
想像する。記憶にある先生像と、目の前にいる龍の邂逅を。
……うん。
(やめよう。今は考えたくないや……)
すぐさま思い浮かんできた惨劇と、それに巻き込まれる自身の図。まだ共に生活して数日しか経っていないのに、こうありありと風景が思い浮かんでしまうのだ。絶対、碌なことにはならない。
……というか、そうだった。忘れてたけど、
「あのぅ……、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
ぐい、と顔を掴まれたまま持ち上げられる。身長差がニ十~三十センチほどある都合上どうしても無理な体勢で首に痛みが走る。というか、顔が近い。至近距離というか、もはやくっつきそうな距離感。はっきり言って、すごく怖い。無表情の美人に詰められると、こうも迫力が出るのか。
なんて、関係ないことを頭の隅で考えるもエリュファニア様を待たせるわけにもいかないので話を続ける。
「先生からの厳命なんですけど……。旅の全てを終わらせるまで帰ってきてはいけないって……」
「旅の終わりと言うと、お前が言っていた四感情がどうの、と言うヤツか……」
「はい、そうです。……で、それらすべてが終わったら帰ってきてもいい。執筆用の部屋は用意しておく、と」
「ふむ……、なるほど。……」
何か気になることがあったのか。彼は私の頬から指を離し、腕を遠ざけ考え込む。だが、すぐに答えは出たのか十秒もしないで彼は身体を翻して歩いていく。私も遅れないようにとせっせこ小走りで横に並ぶと、彼は言った。
「まぁ良しとしてやる。そろそろ出る、遅れるなよポシェ。そして感謝しろ、行く先々までついてこられても面倒だ。あ奴等は私が振り払ってやる」
「総員撤退!この場はオレが担う、お前たちは皆国に帰還し伝えろ!『妃救出失敗、また以降も救出は不可能である』と!!」
領域を出た瞬間耳に届いたのは、爆発音の様な怒号であった。それは、目の前の人の集まり。その中央に立つ男から生じたものであった。
「隊長、いったい何を?」
「撤退だなんて、目標が出てきたばかりだというのに」
しかし周囲の隊員はその様な急な命令に困惑を隠しきれていない。
そりゃあそうだろう。どれだけの期間ココに居たのか分からないが、信号が出てからなら一週間は少なくともここで張り続けていたはず。その目的がおよそ丸腰で、立った二人で現れたのだ。
ならば下される命令も撤退ではなく、確保であるはずと考えるのが道理だ。私だって、先ほどのエリュファニア様の言葉が無ければ何が何だか、と困惑していたはず。
まぁ、この騒ぎの推定原因である横に立つ龍様は涼しげな顔でどこ吹く風。目の前の部隊を眺めながら、少し口角をあげて
「ほう、人間にしては中々見どころがある奴がいるではないか。今の我の接近で危険を読むとは……。人としての上限に近いかもしれぬな、あの中央の男は」
と、愉快そうに語る。しかしそんな上限は一瞬だけのもの。直ぐに顔を不機嫌にし呟いた。
「しかし妃、か。妃ということはやはり王の……。ふむ、物は言いようだな。胎しか見ていないのは変わらぬという訳か」
だがそんな混乱は一瞬だった。
流石は、というべきか。そう言った訓練を受けているのか、困惑しながらも目の前の部隊は中央の1人を除き撤退を開始し始める。それぞれがそれぞれ、異なる方向に。もし追跡されても、一人が情報を伝えられれば十分だという思想のもとで。
意外であったのは、その間、エリュファニア様が一切何もしなかったということだろう。
この御方は意地悪な時もあるが、卑怯ではない。卑怯になる必要が無いほどに飛びぬけた個をお持ちの方で、真っ直ぐでいるだけで十分だから。
しかし同時に、言葉を違える方でもない。
『振り払う』と、彼はそう言ったが、私にはその行為が実際どの程度を指しているのかが分からなかった。もしかしたら彼は目の前の人たち全てを殺しつくすのかも。そう考えてしまったのだ。
だからこその意外。殺害までは行かなくとも、何かしらのアクションを起こすとは思っていたから。
暫くして、この場に残ったのは三人。私とエリュファニア様、そして中央に立つ上官らしき男だった。
金色の少し長めの髪に黒く、精巧な作りをした鎧。無数に刻まれた傷跡が、彼の戦歴を物語る。
右手にはこれまた傷多き、しかし見るだけで目が焼かれそうな熱を持った槍を携えて、構えているような、そうでは無いような。そんな風貌で槍の穂先を向け抜け目なく。
表情はお世辞にも猛き、とは言えない弛んだもの。にへら、と軽く浮かべた笑みは一言でいえば胡散臭い。
そんな姿が、過去の姿と重なって見える。
「――っ」
「ん?なんだポシェ、知り合いか?」
きゅ、と無意識に唇を強く結ぶ。いかに過去の話だと思えるようになったとしても、それでも辛いモノは辛い。
脳裏にフラッシュバックする数年前の記憶。逃げられない地獄の、その門を守護する者。如何に逃亡を企てようと、彼がいるから、という理由で悉くが失敗に終わったことを今でもよく覚えている。
「すんませんねぇ、ウチの奴ら見逃してもらっちゃって。お詫びと言っちゃあなんですが、オレの首とか、要ります?一応それなりに高めなんすけど」
人々は彼をあらゆる通り名で呼んだ。『英雄』、『大将』、はたまたその槍の腕の輝きから『閃光』とも。
しかし最も耳にしたのは、この通し名。
曰く、『人類最強』。
「そのお釣りっちゃなんですけど……。お隣の女の子、置いてってもらったりできません?」
にっこり、と。さらに胡散臭い笑顔を深め、彼は話しかける。
人類最強の槍の名手、アルカード・ジェミンがそこには立っていた。