6話
「……で、アレは結局何が目的だ?」
くい、と顎で前方の人影を指し示す龍様こと、エリュファニア様。それはそれはつまらなそうに眺めている。
「まぁ大方予想は出来るがな。早速その趣味の悪い名前の面目躍如、という訳だろう?」
意地の悪い顔でそう問いかけてくる目の前の美人。若干口角が上がっているように見えるのは気のせいか、はたまたそれとも……。この御方の初めて見る上機嫌がこれな訳だけど、なんともまぁ趣味の悪い。人の名前を笑えないでしょうよ。
と言いますか、軽く予想できる、と簡単に口に彼はなされるけれども。それらの内容が毎回凡そ的を得ているのが何とも恐ろしい。本当に凡そ見えているのだろうな、と思わされる説得力を感じる。
「……」
「ククッ、そう微妙そうな顔をするな。分かるものは仕方が無かろう。なぁ?」
そんな私の様子が追い風となったのか今度は若干の笑い声を漏らす彼は心底可笑しそうだ。しかし、この笑いは愉快から来るものでは無い、と。私は何でかそう感じた。
むしろこの笑いは嘲笑だと。そう感じてならない。
その印象を裏付けるように、または解答を掲示するように言葉を続ける。
「そうか、そうか。このような場所で張ってまでとは……、心底お前という不死を逃したくはないらしいな。……つまりはあれらの存在こそ人間の欲望の裏付け。ポシェ、貴様を求めんとする恥知らず、それらが欲望の見えざる手。その擬人化だ」
龍は笑う、嗤う、哂う。
心底可笑しいものを見たと愉快そうに。龍である彼にとっては、人間である私たちの思惑など、羽虫の浅ましい衝突にしか見えないのだろう。
馬鹿と阿呆が揃いも揃って業を極め、大逆を犯し、今こうして恥をさらしている、と。
「正直、私も驚いているんですけどね。私の身体には凡そどの場所に居るかを伝達する魔法が掛けられていてるんですけど、この辺りや先生の家では機能しないので……。恐らく私がこの領域に入るまでの身近な間の伝達を元にやって来たんだと思います」
幼い頃に掛けられた魔法はすでに魂にまで刻まれ、何度死のうと消えることは無く、また、先生にも解除は不可能な呪いとなった。
結界がある先生の家や、異常気象に遮られるここら一帯ではこの魔法は巧く働かない。
つまり、先生の家からこの領域に至るまでの僅かな間の信号を逃すことなく記録し、当たりをつけて、あの場所で野営をしているのだ。
もう何年も反応など無かったというのに……、とその終着に若干の恐怖を感じた。
「あの様子を見るに、奴らは到着したばかりのようだな。だが簡易的ではあるが、短期間使用目的での野営設備にも見えん。奴ら、貴様が出てくるまで何十年でも待とうという魂胆だったようだぞ」
「え~……。まぁ普通に考えればこんな場所に来てすぐ帰るとも思わないですしねぇ」
「あぁ、そうだな。どう考えても人間にとって害でしかないこの地に訪れた理由が、まさか本を書くため、などと予想する奴はいないだろうよ」
そっかぁ、と口を閉じながら零す。
気持ちは分からなくは無いが、正直面倒でしかない。彼らにとっては時間をかけて成功した不死の生成だ。そして、それの普遍化まであと一歩というところ。私という存在を逃がしたくない、という気持ちは気に食わないけど理解できる。
「旅をするならいつかは終われると思ってましたけど、こんなに早いなんて……」
「それこそ人間の執念と言うヤツだろう。生物が持つ『死』という終わり、その回避が目と鼻の先ともなれば明かりに寄せられる虫のようにもなる。……決して掴んではならない、まさしく夢あり虚像なのだがな」
さもありなん、と龍は結論付ける。
「しかし我としては意外なのはお前の態度だな。悪感情、憎しみこそ向けているものの、それは決して復讐を誓った相手に向ける程ではない……。もっと、それこそ親の仇かのように噛みつくかとも思ったが……。何故だ?」
ぐりん、と大きな瞳が私の瞳を覗き込む。その瞳孔は縦に割かれ、もしも嘘をつけばその首を叩ききるぞ、と宣言してくる剣のように見える。
先ほどまで軽く話をしていたというのに、急にこうして臓物を直接握るかのような感覚を押し付けてこられるとそのまま通り、心臓に悪い。
私はその問いに答えようと口を開き、
「……」
そして、どうしてか閉じてしまう。どうしても言葉が浮かんでこないのだ。なんで、と言われても一向に。
言われてみれば確かに、こうして遠くからではあるがかつての因縁を見つめているというのに、想像以上に私の心はなだらかだ。しかも数年ぶり、初めての接近であるにも関わらず。
いや、私は確かに憎んでいる。恨んでいる。かつての所業、私と、家族と、そしてその他大勢の人たちに行った非業を許してなどいない。少し前、先生に道を示されるまでは不確かだった私の復讐には、確かに暴力的な候補が上がる程度には、決して。
だけど。だけれども……。なんで今私はこうして落ち着いているのか。
そんな風に困惑している私を見て一度、ふん、と彼はつまらなそうに鼻で笑うと、
「つまらぬ問いかけだったな、許せ。この問いを投げかけるべき時は今では無かった」
そう言って話を遮った。私もこれ以上考えても思考が纏まりそうに無かったので考えるのは一旦やめることとする。
(……ん?)
しばらく微妙な空気の中、あちらの人影を眺めている時、頭の中に一つの疑問が浮かんできた。それは小さな違和感か生じたもので、しかし確かに今につながる重要なもの。
(なんであの人たち、普通に過ごしているんだ?)
この前の私と同じなら今、彼らにも同様の悪寒が走っているはずだけど。しかし遠くの人影に動きが無い。あれが予想通りの存在であるのなら、あの重圧を受ければなんらかの動きはあるはず。
しかしそれが無いということは……。
「エリュファニア様……、少しお聞きしたいことがあるのですが」
「なんだ、言ってみろ。先ほどの失言の詫びとして答えてやる」
ごくり、とゆっくりとつばを飲み込む。できればそんな事、あってほしくは無いのだけれども……、と。若干の祈りを重ねて。
「あの人たち、普通に過ごしていますよね?」
「あぁ、そのようだな。一人は薪を割っているし、一人は寝床の拡張をしている。……獣を捌いている者もいるな」
「そこまで仔細に見えるとは、視力も大変よろしいようで羨ましい限りです。が、エリュファニア様……。見える、ということは、当然、見ている、ということで?」
「そうだな。別に必要も無いが、今はこの身体に付いている両目での観測をしている」
「彼ら、普通に生活していますよね?」
「しているな」
「……」
淡々と返ってくる返答は短いながらも、求めている情報をすべて孕んでいる。そうなればおのずと、自身が抱いた疑念も確かな形を得ていくわけで。
私は意を決して、最初に思い浮かんだ疑問を投げかける。
「あの、見られている時に感じる重圧みたいなやつ。もしかしてアレ、消せます?」
「あぁ……。消せるな」
にっこりと、それは見たことも無い満面の笑みで振り返る龍。その要望は美しい姿にすごくマッチしていて、思わずドキリ、と反応してしまいそうになる。
が、その仮面の下に隠しきれていない愉悦と悪辣さに身体はおのずと拒絶反応を示し、猫のように体を跳ねさせて
「この意地悪!!」
、と。そう思わず叫んでしまった。