5話
「…………」
「おい、何を呆けている。何度も言わせるな、さっさと準備をしろ」
心底うんざりとした様子でそう告げる彼、もしくは彼女。美しい容姿に怒りの様相を張り付けられると余計に怖いなと、私はそう思わされる。マジで、すっごく怖い。
ただ、こうして固まったままでいるわけにもいかないので意を決して声を出す。
「……あのぅ、ちょっといいですか~?」
「――なんだ?」
「その……、えっと。確かめるまでもない気がしますけど……。貴方は、さっきまで話していた……」
「――はぁ」
(ひっ、怖ッ――)
何を当たり前なことを、と。そう言いたげな表情でさらに深くため息をつく目の前の存在。
まあ、私にだってわかっているよ。今目の前にいる人が誰かって。それでも聞かないわけにはいかないでしょう、とそう思う。
だって目の前の存在が思った通りの人ならば。今私が立っているこの白銀の地はいったい、なんだという話になる。この輝ける山こそ、彼の龍の本体であるはずでは?
その様な感じのことをあたふたとしながらも、必死に伝えれば龍はつまらなそうに答えた。
「ふん、つまらないことを気にする娘だ。……確かにこの足元にある山の様な巨躯こそ我が身体の一つではある。まあ、その内だった、になるがな……」
「???」
いまいち要領がつかめない解答であった。私はさらに気になり質問を続ける。
「えっと……?今足元にある山が貴方様の本体で、目の前にいる人型の貴方様は分身、的なことで?」
「違う、阿呆。何方も本体だ、と言っているのだ。足元のこれも、目の前の我も等しい存在。同時に複数存在しているだけだ。動こうと思えばどちらも共に自由に動かせる。性能的な差も一切存在しない」
「……なる、ほど?いまいちピンときませんが、人間では龍の生態を理解できないこともあるでしょうし、納得します。……それで、その内だったになる、というのは?」
「特別この身体を残しておく理由もない。この地を立ち去った後、巨躯の方は消滅させるというだけだ。そうなれば世に残る我はこの身体だけとなる。たったそれだけのことだ、理解したか?したのならさっさと準備をしろ」
「なんか言葉遣い若干違いません?!私への攻撃性はそのままですけど、若干砕けているというか!!」
「……この身体依存の口調だ。気にするな」
「???」
身体依存、とこれまた良く分からない言葉が出てきて困惑する。が、もうこれ以上言葉でぼこぼこにされるのも嫌だったので追及することはやめておく。
これ以上待たせると本当に痺れを切らしそうなので急いで着替えることとした。
鞄の中には簡易的な着替えしか入れていないからそれ自体は一瞬だ。適当に伸ばしてから袖を通す。
「……なんだそれは」
「これですか?先生がくれた服ですが」
今では行きに身に着けていた外套も無残な姿だが、これらの服は先生が私の細胞を利用して作成したらしく、私が耐性を得ると自動的にこの服もそれらへの耐性を持つのだとか。
難しいことはよくわからないが、まあ私が耐えられる場所なら服も壊れないと、そういうことらしい。私だけ生きていて服は破壊、素っ裸、な事にはならないと。
「それを作った奴は碌な死に方をしないだろうよ」
「む、コレを作ったのも先生なのですが……。まぁ、先生が碌な死に方をしないというのは頷かざるを得ない、というのがネックですけど」
先生のことは心底尊敬している感謝している。あの地獄から救ってくれたこと、生き方を教えてくれたこと、道を指し示してくれたこと。その総てがありがたかった、私の光。
でも、一緒に過ごしてみればどうにも破綻している部分とか、異常な部分とか、おかしい部分も見ることになる。
人格者ではあり、善人でもあるのだが行動が褒められるような人じゃないと私は勝手に評している。
なんというか、知識に貪欲すぎるきらいがある人なのだ。初めて知ることは、その総てをその脳裏に刻み込まないと気が済まない、みたいな行動をする。この服だってそれの延長線上で出来たもの。『せっかく得た不死性なんだから、実験しないのは損だろう!』、とそう言って私の身体の一部を容赦なくちぎっていったのを今でも覚えている。
「良いヒトなんですけど……、時々やり過ぎちゃう、みたいな……」
「?やり過ぎるならそれは良いヒトではないだろう?」
「それは、……そうなんですが。そうだけど違う、と言いますか」
心底不思議そうに首を傾げながらそう問いかけられ、答えに窮する。上手く説明できなくてヤキモキする。なんと説明すれば伝わるだろうか。
……。
(うん、ムリだ。諦めよう)
しばらく考えて私はそれ以上の思考を放棄した。もはやそれ以上考え込んでも良い言葉は浮かんできそうになかったから、そこで打ち切る。
直接会わないとあの雰囲気は伝わらないと、そう思ったから。
「まぁ、その内会うことがあったら紹介しますよ」
「そうか。紹介されたところで気に食わず灰にする可能性の方が高そうだがな」
パチリ、と服のボタンを留める。会話も区切り良く、着替えもタイミングよく同時に終わった。私は地面に置いた鞄を持ち上げ、背中に背負った。
ちなみにこの鞄は外套と同じ素材で出来ている貴重品とのこと。こっちが原型を保っているのは最初、外套の保護圏内に鞄も包まれていた二重保護の形式だったからだ。
中身が無事でよかった。
「はい、大丈夫です。準備終わりました」
「……そうか。ならば早く行くぞ」
そう言うと彼はそのままスタスタと前を歩いていく。もう待つつもりは到底ないらしい。
私はその横にまで軽く小走りで追いつき、横に並びながら行きの道を遡った。
「……」
「……」
豪、と吹き付ける嵐意外に大した音は無く沈黙の気まずさが私を襲う。出発から半日ほど経過し、あれから大した会話もなく歩き続けて今に至っていた。
私は耐性を得たから、というのがあるが彼の龍は持ち前の性能か、一切この環境を苦とせず黙々と進む。行きの辛さを知っている分、生物としての格の差に慄くが、まぁそもそもそうでも無ければこんな場所に住んでもいないか、と納得のモノでもある。
「……」
「……」
しかし、本当に気まずい。ザク、ザク、と一定リズムに鳴る足音になんだか嘲笑されている気分にすらなる。お前が口を開かないからオレが音の割合を牛耳っているのだ、みたいに。
もうしばらくして、やっぱりどうにも沈黙に耐えられなかった私は意を決して話しかけることにした。
「あの~……」
「――なんだ?」
チラリ、と前を行く彼は振り向きこちらを睥睨する。その視線の強さに若干しり込みをするも、それ以上に会話を欲していた私は言葉をつづけた。
「そう言えば龍様って男性なんですか?それとも女性なんですか?その御姿だとイマイチ
……」
そう問いを投げかけると、途端に彼は眼に失望の色を乗せ、気怠そうに答える。
「急に口を開いたかと思えば、また詰まらぬ質問を……」
「う……、すみません……」
ぐっ、と情けなさを堪え乍ら下を見つめる。確かに自分でもなんか変な質問をしたなぁ、とそう思う。勢いの質問とは言え、もう少し内容を考えるべきであった。
そんな私の様子を見ていったいどう思ったのか。憐れんだのか、はたまた単なる気まぐれ化。はぁ、とため息をつくと彼は渋々だが返答を続けてくれた。
「私に性別は無い。貴様らと違い個として完成しているからな。子孫を残す、という設計自体が不要なれば、もとより性別なぞ持つ理由がない」
「なるほど……」
勝手に彼、といつの間にか設定していたが彼でも彼女でもどっちでも無かったのか。じゃあ、まあどっちでも良いってことでこのままにしておこう。
「じゃあ世界に龍は貴方一人で今後も増えることは無い、と?」
「番う相手がいないから当たり前だろう……、と、そう言いたいところだがな。実際は色々手があり、望めば作る事も出来なくはないが、……まぁ貴様には関係ないことだな」
「凡そ殆どが謎ですね、龍の生態」
それからはある程度気が楽であった。
一度会話ができればこっちのもの。度々心に浮上する質問を投げかけては答えてもらう、の繰り返し。たまに質問でなく、雑談を投げても彼の龍はなんだかんだ律儀に返答してくれた。
取材に関係ない簡易的な質問なら許してくれるし、多少馬鹿げた会話にも乗ってくれる。
なんというか、やっぱり……。
「……あっ」
「……今度はなんだ、歳か?出自か?少しは静かにし「名前ですよ、名前!」……名前?」
すごく今更な話だけれど、単純すぎて忘れていた。それで困ることなく会話が回っていたからってのもあるけど。
そう言えば私、まだ彼の名前を知らない。
「私はずっと龍様、とか、貴方様、とか。そう呼んでいましたし、そちらも私のことを貴様、とか、おい、とかお呼びになられるので失念していましたよ!」
「……それで会話が成り立っているのなら別にそのままでも良いだろうに」
「今は良くても後々困りますよ!――とりあえず、今さらですが自己紹介です。私のことはポシェ、と。そうお呼びください!」
まぁポシェ、というのは正確には名前ではないのだけども。
本当の名前はもう思い出せないし。気が付いたころにはそう呼ばれていたから、それ以外の呼ばれ方を知らないし。
「ポシェ、ポシェ……。ふむ、極めて趣味の悪い名づけを受けたな、貴様」
「うわ酷い……。もしも親からもらった大事な名前だったらどうするつもりですか」
「戯け、お前の状態を見ればその名の意味も自ずと分かるに決まっているだろう。それが親から与えられたものでは無いことなど一目でわかるわ」
趣味の悪い、と詰られたポシェという呼び名。私としても異論無い。この名前は最悪だと自負している。捨ててないのは、あの頃唯一の持ち物を捨ててしまえば何か大事なものも失ってしまいそうだと思ったから。その選択に意味があるのかは分からないけど。
「龍様はなんてお名前なんです?」
と、暗い話から一転させるために強引に話を区切り、続ける。焦点は私から彼に。主役は脇役となり、脇役は主役と転ずる。
「……名、か」
「これも性別みたいに無い感じですか?唯一の存在だから個体識別用の名は必要ない、とか」
「……」
彼は黙り込む。真剣に悩み込むようにしながら、一切声を出さず。その様子に自然と私も固唾をのんでしまった。
ザク、ザク、と再度移動の音が耳に届く。気まずい空白の再来であった。
だが、その終わりは思いのほか早く訪れる。
「……まぁ、良いだろう」
彼は思い決断を告げるように厳かな声色と口調で話し始める。私もそれを聞き逃すまい、と集中した。なんだか、教えて燃えるのはこれっきりな気がしたから。
「本来ならばこの質問は報酬の範囲に掠るものだが、今回は特例としてやる」
「我の名はエリュファニア……。そう呼ばれたことが確かにあった存在だ」
互いの自己紹介から数日たち、ようやくこの異常地帯の終了が見えてきた。もうここら辺までくれば異常気象も弱い弱い。奥に比べればそよ風程度と言ってもいい。
だがそれでも人には毒であることには変わらない地でもあることには変わりなかった。
「……ふむ。どうやら貴様に客の様だぞ、ポシェ」
「……そのようですね。何とも間の悪い、いえ、ずっと待っていたのでしょうね。彼らは……」
遠方に人影が複数見える。大型の影もあり、どうやら野営している様子。人数にして二十人ほどか。それがただの道楽ならばどれほどよかったのか、とそう思う。
まぁ、こんな危険地帯の一歩手前で道楽に興じる人間なんているわけがない。あの集団には、確かな目的があってこの地に居るはずで。
とどのつまり、それは私であるという話であった。