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4話



『……なるほど。お前の主張は理解した』


しばらくの空白の後、龍は言葉を紡ぎ始めた。


私はと言えば、重圧の中必死に声を上げたことの反動で疲労困憊の一歩手前。肩で息をしながら、実体のない虚像を見つめるしかなかった。


『非暴力による復讐。率直に言って、我からしてみればその手法は非効率、不確かであると言わざるを得ない。極めて馬鹿々々しい選択だ』


『お前が書物に自分の意思を起こしたとする。それらをどうにか、世に生きるすべての人間に読ませた。……それで、本当に貴様の復讐が成されると。そう思っているのか?』


『であるとしたらお前は人類史上類を見ない阿呆であるか、もしくは同じくらいの自信家だな。全ての人間に自分の書いた文章を読ませて復讐する。かつてのどの文豪であろうとそれを成し遂げられるかは分からぬ偉業、人とは愚かさを象徴とする種であると考えていたが、お前はその中でも極めつけだ』


『首を切れば人は死ぬ。これは道理である。では、本を読んだ人間すべてがそれに影響を受けるというのは果たして道理か?取るに足らぬと、読了の前に目の前の本を閉じる存在が一人もおらぬと?』


「……」


反論は出来なかった。一字一句その通りだから。唇の端を強くかんだ。


私自身、それは理解している。自分の選んだ道がいかに困難であるのか、そもそもそれは手段ですらあるのか。


自分に最適な過程であるから選んだこの道は、まずもって道であると言えるのか。


これはそういう話であり、私には自信をもって答えることは出来ない。


道を行く覚悟はいくらでも持っているが、それが虚像で、踏み込んだ足が空を切るようなものでは意味がないことくらいわかっている。


『他に幾らでも指摘できる矛盾は存在する。……が、そんなものは我の知ったことではない。お前か、その師とやらが意図的に残している矛盾、そうでないものも合わせて諸々、我にとっては関係なき事故』


『望みは不明瞭。過程は不確か。結末も不確か。あるのは意志のみ……、貧者でもまだ持ち合わせが幾らかはあるだろうに。中身は穢れ、外身もまた惨めなり。笑わせる……』


正論の嵐に飲み込まれる。拳を強く握りしめた。


『話にならぬな……。特異な存在が来たと思ったが、ただの愚物であったか』


話はこれで終わりだ、と。そう見切りを告げる様な声色で彼の龍は告げる。


『立ち去れ、娘。貴様の身に受けた呪いを憐み、我が元からの生還だけは許可してやる』


ふわりと、重圧が無くなったために身体が軽く感じる。


それは、彼の龍がもう私のことを見つめてはいないということ。どこからか全身を眺めていた視線ももう、閉ざされた。


本当に。本当に一言一句、龍の言は正しかったと私も思う。


なんせ、私だって結局のところこの方法の正確な形をつかめてはいないし、結局のところ、どうなれば復讐となったのかも見えてはいない。


どんな本を書くかはこれから決めるとして、納得できる結末を妄想すら出来ていないのだ。本を読んだ人たちが自身の業を悔い改め涙すれば気が済むのか、悔恨に駆られ首をくくれば許せるのか、はたまた何のアクションもなくても勝手に満足できてしまえるのか、逆に満足なんて不可能なのか。


そこら辺が不明瞭での行動なんて、結局のところは思い付きとさして違いはない。


それらを指摘した龍は真に正しかったのだ。それは、どんなに言葉をこねくり回しても変えられない事実。私が不甲斐ない事に変わりはない。


……なんて。そう思う私の心も本当だけど、


「だーっ、もう!!」


そこで諦められるほど賢かったら、そもそもこんな選択なんてしていない。


ペンが剣よりも強いというのも、だから私の復讐が本を書くことだというのも結局は詭弁に過ぎない。


でも、詭弁で何が悪い。


何かを成せるか、納得できるか。いろいろな点でこの選択は分の悪い賭けの側面を持つ。でも、負けが確約された戦いでは決してない。


詭弁を真に変える為に、私は筆を執ったのだ。


「師匠みたいな長台詞での口撃はやめてください!正直耳が痛いです!」


『……』


体は未だ軽く、羽の様。先ほどまでの重しが嘘のようだ。


本当におかしな話だと、自分で思い笑いそうになる。


さっきまでは恐ろしく感じた重みを、今感じないことに感謝し、そしてそれを得ようと必死に努力している、だなんて、本当におかしな話。


「ですがお言葉ですけど、私の選択にとやかく言われたくありません!書くと言ったら書くんです!書きまくるんです!大長編、具体的に言えば部屋の壁から反対の壁まで届くくらいのビッグストーリーを!」


自分で勝手に訪れて、勝手に要求して、勝手にキレている。


こんなバカげた行動ができるのも、身体が軽いおかげというべきか。それとも、重りが無いからこんな軽薄な行動をしてしまっていると嘆くべきか。


「先生は言いました!私には本を書く上で、人の感情への理解が足りないと!だから貴方様に取材させてもらいに来た!」


私にだって人並みに感情はある。でも、それらについてあまりに無知だ。


本来人とふれあって獲得するべき感情を、私は経験から自発的に生み出してしまった。


感情が昂ることを喜び、感情が猛ることを怒り、感情が落ち込むことを哀しみ、感情が安らぐことを楽しみだと後から勝手に名前のラベルを張っただけ。


その中身に関する知識は無く、どんな形をしているかだけが見えている状態。


無知なものについての論文なんて書けるわけがない。だから、学びたい。学んで、その中身に自分なりの解答を書き込みたい。


「龍よ!貴女を知れば私の先生は四感情、喜怒哀楽の内、哀を知れると聞いてここに来ました!それがどのようなもので、どのように作用し、どのように成り立っているのかを修めに、私は来たのです!」


体が軽い、口が軽い。


先ほどまでの喋りが嘘のように次から次へと言葉が出てくる。矢継ぎ早、とはまさにこのこと。射ては構えて更に射る。極小の的も、数打ちゃ当たろう、と。


私は思い切り、息を吸い込んだ。


「ここに宣言します、嘆きの龍よ!我が宝物、その全てに誓いましょう!今は空虚な夢、無意味な願い、空っぽな身体ですが!」



「私は必ず成し遂げる!世界だけには踏みとどまらず、最強たる嘆きの龍!貴方にさえ響く書を成して見せる、と!」



「世界の次は貴方に小さな復讐をさせていただきます!一回目の刎頸は不法侵入への罰として受け入れますが、二度目の裁断は許しません!」



「貴方がきっと、悪いことをしてしまった、と。そう思ってくれるような文章を書き表して見せます!」





ぜぇ、はぁ、と強めに息を整える。長文による身勝手な宣言で、今日二度目の酸欠状態。


その結果は、一瞬で分かった。



「……っ!!」


がくり、と膝をついた。酸欠が進んだからではない。


重くて。膝が重くて、どうしても立ってはいられなかったのだ。



『……言ったな?』



じろり、と。先ほどまでの視線が遊戯の様な、そんな強い眼光に当てられる。呼吸も難しい程な桁違いの重圧。


どうやら勘違いしていたようだ。


先程まで、見られているから体が重いのだと思っていた。が、実態は違う。存在を認識されたから重かったのだ。


実際に比べてみて、その違いは明らかだ。下手をすれば、今にも心臓が止まりそうなほどに弱弱しい。


だけど、コレが本当に最後の機会。今度こそ、本当の最後のチャンス。決して、逃がせるわけがない。


ヒュー、っと。変な音を立てながら呼吸モドキのようなものをする。ちょっとでも良いから酸素が欲しかったのだ。


最後のダメ押しの為に。



「ええ、言いましたとも!何千年だか何万年だか知りませんし、過程とかも全く知りませんが、世界の果てで延々と嘆き続けるだけだった貴方が偉そうな口を叩かないでください!」



『欲も感情も理解できておらぬ人形の癖に良く吠える。書けるというのか、お前ごときに?』



「書いて見せます、必ず!!」



『………………』



言いきってやった、と。そう宣言できるほどの最大級の啖呵であった。私にとっては、最大級の。


たらりと流れ落ちた汗が唇を掠り、若干の塩味が口内に広がった。


脳が軋む。脳内に先ほどまであった声による振動を、今か今かと求めているのだ。



沈黙は一瞬だった。だが、私には人生で最も長く感じた時間となる。



『――良いだろう』


『愚物ではあるが、我に喧嘩を売ったその度胸は認める』



(……っ!)



その言葉の持つ意味を理解するまで数コンマ、全身に喜びが駆け巡る。思わずはしたなく、大声で叫んでしまいそう。


が、そんなことをしている暇もなく、続きの言葉が送られてきた。



『だが、条件を付ける。――貴様の言った取材とやら。それを受けるのはすべての終わりとしよう』



「すべての、終わり……?」



いまいち要領を得ず、聞き返してしまう。が、すぐさま返答は来た。脳内に再度声が響く。



『貴様は言ったな、四感情を修める、と。我との邂逅がその内の哀を求めて、と。不可解かつ不愉快だが、それは呑み込もう』



『見ればわかる。貴様は残りの三感情、喜び、怒り、楽しみも未だ修めていない状態だな。つまりはそう言うことだ……』


明瞭かつ、わかりやすい返答であった。


長文句で返ってくることもあれば、こうして必要な返答だけのことがある部分がますます先生に似ている、と。そう思ってしまう。


彼の龍はこう言っているのだ。


「つまり、他の三人のインタビューを終わらした後なら許可してくれる、と?」


『……』


沈黙は肯定であった。


『他の三つの存在を巡った後、我がその価値有りと認めることが出来れば……、ではあるがな。愚物のままで居れば即刻、魂ごと燃やし尽くす。――不服か?』


「いえいえっ、そんなまさか!不服だなんてっ!?」


突然の投げかけに思い切り首を横に振る。そもそも得られたこと自体が奇跡の機会だ。不満なんて抱きようがない。



『そうか……。ならば支度をしろ。行くぞ――』


「へ……?行くってどこに……、ってあれ?!私の鞄!」


いったい何を、と、そう疑問に思っていると目の前に急に現れたのは見覚えのある鞄。一回目の死亡でその場に落としてそのままだから、今いるこの場所のはるか下にあったはずだが。



龍が運んでくれたのか……?何のために?



『早くしろ――。その中に服飾類が入っていることは確認済みだ。それとも、その恰好で外をうろつくつもりなのか?』


「なっ、誰が痴女ですか!?もとはと言えば貴方が私を……って、いやいや。そんな事より何を……?」



いそいそと鞄の中から着替えを取り出し、身に着けながら問いかける。久方ぶりの布が肌を撫でる感覚が若干こそばゆい。火照った肌の温度やいつの間にか溜まっていた汗を吸い、お世辞にも快適とは言えないが今は昨日よりも人の常識を選ぶことにする。



(急に何なんですか?!自体が一気に動き過ぎでは?いや、それ自体は望んでいたことですし、方向もこれ以上ないくらいに自分贔屓ですけど……。いえ、問題はそれではなく)



「その口ぶりは、まさか……」



「準備はまだか、まったく。愚物め……」



ポン、と肩を軽く叩かれる。先ほどまでの脳の揺れは納まり、ここに来て初めて自分の声以外で鼓膜が振動した。


自分の後ろに、誰かが立っている。


それが誰かだなんて、一瞬で分かった。


だって触れられた瞬間、全身の鳥肌が立ち、腰は抜けたから。この感覚は、何度味わっても慣れることができない。


ペタリ、と自分にへたり込む。


振り返りたくは無かった。だけど、振り向かないという選択肢を私は持てるほど強くは無い。



恐る恐る、後ろを振り向くよう首を回す。



「――――ぁ」



思わず声を漏らす。



そこには一人の人間が不服そうに立っていた。



背は百と八十から九十ほど。歳は若くは見えないが、老いても見えず、性別もどちらだとはっきり言える様なものではなく、極めて中性的。


特徴と言えば、美しい顔立ちとこの場には若干に会わぬ派手な服。


そして、足元と同じような白銀の長い髪。


総評して、白銀の長髪を携えた美人である。が、どうしてもそれだけでは資格情報を受け取らせてはもらえない。



その姿を確かに視界に収めた瞬間、私は理解した。



戦士でも何でもない私にはおよそ、審美眼なんてものは備わってはいないがそれでも分かるものは分かる。



目の前の存在には敵わない。それだけの圧倒的な存在である、と。眼から始まり、次いで脳、最後に全身の細胞が理解を行った。



震えが止まらない。目の前の強大な存在への恐怖もあるが、それだけではない。


つい先ほどまで、こんな存在に舐めた口をきいていたという事実が恐ろしくて仕方がないのだ。



だがそんな私の気持ちも相手はどこ吹く風。


一向に立ち上がらない私にしびれを切らしたのか、更に眉の間の皺を深めながら軽くため息を一つ零した。




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