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3話


重圧ここに極まれり。


虚偽は許さぬと彼の龍はそう言った。もし違えば、私を不死もろとも焼き払うと。きっとそれは嘘ではない。目の前の超常の存在が本気を出せば、私という人類の業の証左はすぐさま灰となるだろう。


『……どうした、呪われた子よ。人の業に縛られる娘よ。お前の望みを言ってみよ』


脳裏に重い言葉が伸し掛かる。直接精神を裁いているかのような声。


『自身を貶めた者どもへの復讐が目的か?それとも業を究めた人類への裁定を望むか?もしくはいっそのこと、間違いを許容してしまった世界そのものの白紙化を願うのか?』


彼の龍は尋ねる。自身を訪れた矮小な存在の望みを。このような場所までわざわざ訪れたのだから、それ相応の望みがあるのだろう、と。


別にそれを叶えるつもりはあちらには無い。ただ純然たる興味として尋ねるのだ。


お前をそのような目に合わせたような奴らが気に食わないからこの場所に来たのではないか。自分ではどうしようもないから龍たる自身に代わりに復讐を担ってほしいのではないか、と。


それは理に適った推論であった。彼の龍は短い邂逅で私の身に起きたことの殆どを理解した様子。ならば、それが発端ならば結論もこうなるであろうと。



しかし、彼の龍は間違えている。決定的に勘違いをしている。私の望みなど、とうの昔に叫んだはずだ。



「龍よ、偉大なる龍よ!私の望みは既に述べたはずです!」


『――何?』



きっとそう言った道もあっただろう。どこかの歯車が狂っていれば今の私はここには居ない。今頃どこかの町の片隅で真っ黒な復讐心に燃えながら、世界の崩壊を希っていただろう。


だが、そうはならなかった。私にその選択を選ばせないでいてくれた人たちがいたから。今の道を進もうと思えるだけのきっかけをくれた人たちがいたから。



「私の望みは唯一つ!私の復讐のため、貴方に本の取材を依頼したい!ただそれだけです!」


初めてここに来た時から、私の要求は変わってはいないし、それは何度生き返ったって変わりやしない。


私が今目の前にいる強大な龍にして欲しいことは、非力な自分の代わりによる殺戮などではないんだ。私のこれまでの人生に暗い影を落とした人たちなんかのことを許すことなんてできないけど、でも殺したいわけじゃあない。


昔はそう願ったことだって何度もあった。いつかは同じように首を叩ききってやる、町ごと業火に包んで見せる、私を含め人等すべて滅んでしまえ。


そう願わなかったと言ったらそれは嘘だ。



だが、今の私は違う。



それはあの地獄の日々から救い出されたばかりの頃の話。


先生に救われて、初めて自分で考える時間を持った時の頃。あの頃の私は、いつか自由を得たら復讐を、と強く願っていた時間をついに手に入れて。でも、どうしてかその時間の使い道に戸惑っていた。


振り上げた拳を振り下ろすことに躊躇していたわけでは無い。振り下ろし方自体を知らなかったんだと今では思う。


実際にこれまでの仕返しができる立場になって、改めて自分のやりたいことを見つめなおして、なんか違うな、って思ってしまっていた。もっと正確に言えば、これは完全な正解では無いな、と。


あまりに多すぎたのだ、私には。復讐してやりたい存在が多すぎた。いくら無限の時間を持っていようと、到底一人では成し遂げられないほどに敵は多くて。そもそも、殺すことに意味があるのかも不明量。


私は、私の復讐の成就の適切なやり方を知らなかった。


でもそんな私に先生は、


「先生、私の師匠に当たる人はこう言いました。『この世で唯一合法的、倫理的に人を殴ることができる手段こそが文学である』、と。『武器では無く己の価値観で、拳でなく己の感性で人を殴れ』、と。それこそが最も人間という種にとって力強く、普遍的な攻撃となると教えてくれたのです!」


彼女は言った。まず本を書くのだ、と。


『君たち全員が受けた仕打ちの告発でも良い。人という生き物の正しきあり方でも良い。今の人の業を論っても良い。』


『ただ君は、君の怒りのままに文字を起こすんだ。書いて書いて、書き尽くして。君の怒りをこれでもか、と筆とインク、それに紙面に起こせ。――それでもなお足りなければ、その時は私も暴力に手を貸そう』


人類史上、人に影響を与えたものは武器ではない。あくまで言葉だ。


例えば、そう。ファーストキス。甘酸っぱい恋の始まりだったり、逆に終わりに成ったりする例のアレ。


これも師匠の受け売りだけど。彼女の急な提案に懐疑的であった私と彼女が、こう説明を受けたことを今でも鮮明に思い出せる。


『ポシェ、文学の力を侮るな。ペンは剣よりも強い』


『そうだな……、うん。君はファーストキスの味と言ったら何を連想する?……ああ、すまない。不躾だったな、君にこの質問は。申し訳ない、謝罪しよう』


『申し訳ないというのは本当だが、例として最適だからこのまま続行させてもらう。君は一般的に、ファーストキスと何を連想する?――甘酸っぱさか?それとも他に何か連想するものが?どちらにせよ、悪い印象は持たないだろう』


『だが実際にファーストキスを経験した、例えば女の感想は二通りとなる。一つは相手があらかじめキスをするだろうと仕込んでおいた香草の香り、もう一つは無遠慮やそもそも予想できずにいたことによる自然本来の味。まあ要は、直近で食べた食事の残滓とかだ』


『例えば、そうだな……。長時間口内に残る香りとするのなら、ニンニク、とか』


『だがそこまでリアルな連想をする人間は少ないだろう。多くの人間がどこかしらで経験し、通過してきた事象でありながら、大勢のイメージは空想に直結している。これが何故か分かるか?』


『恋物語だよ。文学の世界で『ファーストキス』は特別な意味を持ち、それらは理想的なものとして描かれ大衆に嗜まれ、脳裏に刻まれるんだ。だから人間は過去いつか体験した出来事だというのに、連想は空想となる』


『もしも流行りの恋愛小説や昔からの物語で一貫してファーストキスはニンニクの味!なんて書かれていれば、世間の人間は実際に甘酸っぱい味を経験したとしても初めに思い浮かべるのはニンニクとなるだろう。――まぁ、そんな小説が流行るとも思えないけどね』


『君自身、ファーストキスという普段は口にしないような恥ずかしい単語を聞いて、多かれ少なかれその様な幻想を思い浮かべたのではないかな?凄惨な過去があったというのに。――それはファーストキスという概念自体が半ば空想のものとなっているから生じている。初めから空想の概念を想起しているから、イメージも空想が先決する』


『文学の力を侮るなよ、ポシェ。この領域まで達すればもはや催眠や、常識の改編と同格の所業だ。しかもその範囲は文字が読める文化圏内全て』


『――どうだ、剣よりもペンが強い、という与太話にも真剣みが増すだろう?』


それは先生らしい、やや冗長で、若干失礼で、でもとても分かりやすい例え話であった。


たしかにその時私は、内心、爽やかなものを連想してしまっていた。決して自身のそれがその印象には近いわけでもなく、もはや正反対であったとしても。それでも、幼い頃に読んだ物語から得た観念は、どうしても覆せなかったのだ。


だからこそ、私はその道の魅力に取りつかれた。


その手法ならば、いや。その手法でなければ、自身の復讐は到底かなわないと理解できたから。


私は剣で首を刎ねたいわけでは無い。炎で街を焼きたいわけでも、ましてや人を滅ぼしたいわけでは無い。


もしかしたら、私以外の殺された人たちはそれを望んでいたのかもしれないけれど。



「私の復讐は暴力ではなく、文章で成したいのです!それが最終的に、もっとも彼らの頭をぶん殴ってやれるんですから!」



それでも私はペンを執るのだ。



これは私の復讐なのだから。

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