12話
天高くあった日も落ち辺りには暗闇が蔓延る。光源と言えば空から注がれる星々の光程度、頼りにするには若干心もとない。
簡単な光源を求めて私たちは焚き木を組んで囲んでいた。
「そも、お前にとって喜びとは何だ?」
「なんです、藪から棒に」
長時間、パキッと薪が爆ぜる音をぼうと聞いていたので唐突な問いかけに面食らう。対面に座る彼はいつもの無表情でこちらを見つめていた。
「この旅は貴様が人間の感情に対する理解を深めることを目的としている、と我はそう聞いている。相違ないな?」
「えぇ、はい。そうですね」
「ならば知見を深める前、今現在での貴様の印象はどうなのか、とそういう話だ。要は唯の思い付きによる雑談だな。気楽に付き合え」
「なるほど……」
雑談、雑談かぁ。エリュファニア様ってどんな話題でも今みたいに無表情で見つめてくるからその話の重要度がイマイチ掴みづらいんだよな。
「しかし急にそんなことを言われましても……」
「ならば我の問いに答えろ、こちらで勝手に解釈する」
「それで良いならば」
適当に脚を組みなおす。さっきまでは寛ぎ体勢だったけど、今度は会話をする程度には畏まった感じで。
良い感じの体勢がとれたので対面の彼の目を見る。準備できました、とアイコンタクトで伝えるのだ。直ぐ様こちらの意図はきちんと伝わったらしく、こくりと一回軽く頷いた。
「まず、お前はこれまでの生で喜びと言った感情を持ったことはあるか?」
「えぇ、はい。あったと思います」
「それはどういった時であった、一つで良いから例を出してみろ」
「例、ですかぁ。急に言われると難しいですねぇ……」
別に私だって苦しい日々だけだったわけでは無い。不幸自慢じゃないが大分悲惨な人生を送った自負はあるが、それでも笑顔を一度も見せなかったなんてことは無かった、と思う。
それがいつか、と言われるとやっぱり難しいけれど。
「すごく昔の話ですけど……、妹といっしょに遊んでいた頃は楽しかったと思います。基本息苦しい場所に居ましたけど、ごくまれに自由な時間があったんですよ」
「ふむ、妹か」
「言ったことありませんでしたっけ?」
そう言ってかつての光景を懐かしむ。おぼろげに浮かび上がる十三人の姉妹、その中の長女としてふるまう自身の姿。地獄のような日々の中で、急に湧いて出た僅かばかりの休息。
浮かび上がる彼女たちの顔は朧気で、そして若いというよりも幼いと言った風貌だ。それらの印象を更新する機会をとうに私は失ってしまったから。
最後に見た彼女たちの顔は……、あまり思い出したくはないけれど。
「妹は十一人か?」
「十一?いえ、十二人ですけど」
「何?いや、まぁそう言うこともある、のか?」
「???」
一体全体何を根拠に十一人って言ったのだろう。憶測にしてはかなり近い数字だし、それも私たち人間にはわからない感覚で見えているのか。彼は珍しく困惑したような表情をしている。
いや、割とこの人いつも困惑している気がするかも。
「一緒におままごとしたり、歌を歌ったり。外に行って遊ぶことは出来ないので室内で遊べる範囲内でやりましたねぇ」
話ながら少しずつ朧気な記憶が復元されていく。不確かだった形が少しずつ輪郭を得て確かな形を獲得していく感覚だ。
「あの時間はきっと楽しかったと思います、多分。私も妹たち同様、笑顔でしたから」
十三人、そっくりな姉妹たちで作る輪の中で私は確かに笑っていたはず、と。そう記憶している。もうその時の会話なんて覚えてもいないけど。
「なるほど。――毎度のことながら重症な女だなお前は」
「うぅ……」
はぁ、ともう聞きなれたため息が聞こえる。呆れられるのももうこれで何回目だろうか。
「イマイチ歯車があっていないというか。喜びを感じるというのに、それを喜びと認識するには頭で今自分は喜んでいる、と確かめなければならない」
「未習熟の外語みたいなものだな。声を聞いても脳内でいちいち翻訳、あるいは自国語に変換せねば理解ができない」
「貴様の師の厳命にも納得がいく、そもお前は人として未熟なのだ。育まれた環境が原因なのは分かる、が、それは言い訳にはならん」
耳が痛い。彼の指摘は毎度私の心を的確に穿ってくる。しかも龍という超越種がもつ圧倒的な俯瞰から来る意見だから私如きじゃあ反論できない。
「まぁ今はソレで許してやる。ただ我との取引を忘れてはいないな?」
取引?と一瞬悩むもすぐに思い出す。えぇ、忘れてはいない。それがこの旅の始まりですから。
こくり、と一度確かにうなずく。彼はそんな私を見て少し満足そうな顔をすると、
「ならば、そうだな。経過観察だ」
思い付いた、とばかりの表情で宣言をした。
「貴様がその喜びの家族とやらと接触をして何らかの答えを得たとしよう。それを我に聞かせろ」
「今回の様な貧弱な返答を解とは認めぬ。お前がそれこそ確かな人の喜びというモノだと結論付けたものを述べるのだ」
にっこり、と見る人すべてが見惚れる様な表情でこちらに微笑むエリュファニア様。薄く開かれた瞳からこぼれる赤い双眸も、火に照らされる白銀の髪も、その整いすぎている顔立ちも全てがこの世のものとは思えないほどに甘く魅力的だ。
しかし私にはすぐにわかった。その瞳は一切笑ってなどいない。蛇が蛙を見つけた時のような冷酷な目を彼はしている。
今はまだ見定め中、自身が飲み込むにふさわしい餌かを遠くで眺めるだけ。気に入らなかったのなら、尻尾でどこかへと吹き飛ばすのだ。
「楽しみにしているぞ、ポシェ。あまり失望させるなよ?」
ククク、と喉の奥で響かせる笑い声が耳に届く。
このお方は本当にいつも私をなんだと思っているのか、良く動くオモチャ程度にしか思っていないのではなかろうか。
しかし何故だろう。そんな彼を見ていても不快感は一切抱かない自分がいた。
「ふふふっ」
私も思わず彼に引っ張られ笑い声を漏らしてしまう。全然、笑っていいような状況ではないのだというのに、しかし笑いは止まらぬ。
その理由は分からない。
でもきっとその内わかるのだろう。
これはそのための旅でもあるのだから。