11話
それは町を出て暫くした頃の話。唐突に彼、嘆きの龍ことエリュファニア様が思いついた話題が発端であった。
「喜びの家族……?なんだそれは、新手の宗教か何かか?」
「違いますよ!?」
こて、と顔を横に倒しながらそう問いかけてくる龍。その瞳には一切の曇りなく、表情にも他意は無い事を示すように無。つまりは真剣そのものな発言なわけで、そしてだからこそタチが悪い。なんてことをそんな真面目な顔で言うのだこの御方は。
「いや、だが……。喜びに、家族だろう?やはり……」
「だから違いますって!」
「そう、なのか?」
怪訝そうな顔を続ける目の前の美丈夫。若干その真紅の瞳も疑問で曇っているように見える。この人のこんな顔、初めて見た気がする。
「エリュファニア様が聞いて来たんですよね、今は何処を目指しているのかって」
急に立ち止まったので何事かと思ったら『そう言えば我、今どこに向かっているか教えてもらってないぞ』って、そう尋ねてきたのはつい先ほどのことで記憶に新しい。
私もそう聞かれて、アルカードとかの件でドタバタしていて今どこに向かっているか言い忘れたことに気が付いたから、
『今はエリュファニア様の次に当たる目的、先生曰く『喜びの家族』を目指しています』
と知っている通り答えたというのに。
「宗教施設を目指しているとかじゃあ?」
「普通の一般家庭と聞いています!」
『喜びの家族』、その名称を聞いてからずっと宗教か何かかと疑ってくる。いや、まあ気持ちは分からなくはないけれども。名称はその手のアレに近い気がするが……。というか、私も初めて聞いたときはその名前は引っかかったし。
でも違う、と知っている以上間違いは正さなければならない。
「宗教じゃなくてただの人の家族!人の持つ四感情、そのうちの一つ『喜』として先生から示された方々ですよ!」
「……宗教だろう?」
「だから違いますって!」
しかし一向に引いてくれない。何が彼をそんなに頑なにさせているのか。そんな風に疑問に思っていると彼の口からその原因がポロリ、と零れ落ちた。
「先ほどの町でも見かけたぞ。『悦び』がどうとか、みたいな感じの宗教を。あれじゃないのか?」
「あっ、あれは違いますよ!」
ぐむ、と突然の根拠に言葉が一瞬詰まる。
しかし直ぐに、絶対違う、とも確信がある根拠であったため強く否定した。確かに名称は信仰風味を感じるフレーバーだけれども、その宗教には関係ないだろう、そう思う。というかそう思いたい、という気持ちの方が強い。そうでないと言えば嘘になるくらいには本気で。
だってその『悦び』がどうのう、って宗教って恐らくアレだろうし。というか、あれ以外思い当たるものも無いし……。
そんな私の強く否定する態度が気になったのか更に追及を続けるエリュファニア様。
「どう違う?」
「私が思う浮かべているモノと同じモノは分かりませんよ?」
「かまわん、どっちに転ぼうが中々に楽しめそうな話題のようだからな」
「このぅ……っ」
クククっ、と嫌そうにする私の様子を見て笑みを零す彼。こういったやり取りもなんだか慣れてしまっている自分が嫌になる。ずっと彼のオモチャに成っている気がするのだけど。
しかしまぁ、仕方ない。ここまで来て話すの嫌です!なんて言っても彼の機嫌が急降下するだけだし。それに彼が思い浮べているモノと違っていても別に良いという簡単な話題でもある。断る方のデメリッドの方が大きい。
そう思い、自分も詳しいわけでは無いと前置きを挟みつつ話を始める。
「あの人たち、私が思い浮べている宗教で言う『悦び』は、つまるところ性感。えっちなことをして感じる幸福です」
「……ふむ?」
続けろ、とばかりに片方の眉だけを上げて反応する目の前の龍。腕を組みながら尊大に振舞っていて今日も絶好調そうだ。
「私も噂でしか知りませんが、西の方の国で興ったその宗教では性交を重視しているそうです。その圏内に住む信者の方々は誰彼かまわず交わるとか……」
話していてその光景を想起し、辟易とする。所かまわず、相手もかまわずそのような行為を行うような事を教義とする宗教があるだなんて、世界が拾いにしたって広すぎる気がするのだが。
「なんだ、きちんと人らしいではないか」
「……エリュファニア様から私たちって本当にお猿さんなんでしょうね」
確かに無性のエリュファニア様からすれば私たちってそう見えるのかもしれないのだけれども。しかし人の一人として異を唱えたい気分だが、彼はそれを真面目に受け取ってくれるだろうか。無理そうな気がして口を開くのを止めた。
「というよりも、だ。そのような宗教があるのならば貴様も混ざってくれば良いのではないか?心の傷を克服するいい機会になるぞ」
「いや、ムリです。結構真面目に」
かつての経験からそう言った行為に忌避感があるのは事実な私だけれども、それが無かったとしても無理なものは無理だ。私の持つ倫理観等が、『いや、それはダメだろ』と叫んでくるに決まってる。
私の持つ価値観が何時でも、何処でも、誰とでもなんて教義を認可などしないはずだ。
「……それに、確かにエリュファニア様の言うことはもっともですけど、人の持つ三大欲求の内、『性欲』は種の生存への欲求です。不死になってしまった私が持つ必要もないですし」
「そうか?貴様は結局のところ、結果死なないだけの人間。死ぬまでは普通の人間のソレだろう、ほとんど。性欲だって人並みにあるだろうし、きちんと向き合わねばならぬと思うが」
不死になってしまった私に、種の寿命由来の欲求などと、そう思うのだけれども。龍はその考えを否定する。あくまで私は人間だろう、と。ただ死なないだけの人だと。
人ならばあくまでその問題は付いて回るぞ、と彼は断言した。
(もしそうだとしても、私は……)
ぐっ、と強く拳を握る。かつてのことを思い出し、身体が強張るのだ。
龍は私のそんな姿を傍目に呟いた。
「まぁ、好きにしろ。これ以上はとやかく言わん」
「……話が大分逸れましたね、喜びの家族についての話です。例の如くこの呼称も先生伝来ですので、それ以外の詳しいことは分かりません」
話題が気まずくなったので話を元に戻す。もともと、この会話は今の目的地につい手が発端であった。決して関わる予定もない宗教組織などでは無いのだ。
彼は未だに『喜びの家族』という名称が引っかかるのか微妙そうな顔をし始める。さきほどまでの愉しそうな顔とは打って変わって酸っぱい葡萄でも食べたようだ。
「なぁ、おい」
「なんですか?」
龍は更に気になったことがあったのか更に疑問を投げかけてくる。どうしたのか、その気に食わなそう、というか、気に掛かっていそう、みたいな表情の理由は幸か不幸かすぐに分かった。
「我のことを貴様は『嘆きの龍』などとふざけた名で呼んでいたな?」
「ええ、まぁ、はい。そう先生に教えてもらったので」
その返事を聞いたエリュファニア様は少し考える様なポーズをとるとさらに問いを重ねてきた。
「その恥ずかしい呼称どもは、貴様の師が勝手に作ったものではないだろうな?」
私もその真実は知らないから何とも言えない。博識な先生だから私の知らないようなことを知っている、なんてことも全然ありうる話だから断言なんてできない。けど……、
「どう、なんでしょうね?」
なぜだかその問いへの返答はイエスである気がした。記憶の中の宣誓が何故だか両手でピースをしているような光景が思い浮かぶ。乾いた笑いが漏れ出てきた。
「喜びの家族、という方々について私は教えてもらっていません。と言いますか、エリュファニア様についてもそうですし、残りの二つもあまり詳しいことまでは教えて貰えてないのです」
「大分なヤツだな、お前の師は」
はぁ、と龍が大きくため息をついた。呆れているのだろうか、そんな彼を見るのも今日が初めてな気がする。しかし私も、
「……否定はできません」
否定は出来ない。少し小さなため息が出てしまう。先生には感謝しているけど、本当に感謝しているけども!否定はできない発言なのだ。
「唯一教えてもらったのは、その家族の方々の居場所程度でして」
「で、当たり前だがそれが今向かっている先と」
「そうなりますね」
こくり、と頷く。まぁ、エリュファニア様がいた異常領域から当分は一本道気味なので目指している、というのも若干変な話だけれども。
「まぁあと一月はかかりますから、ゆっくり向かっていきましょう」