9月24日⑦
周囲への警戒を怠らないようにしながら、後ろ向きにゆっくりと後退していく……。
鳥居の下まで辿り着いたところでいったん停止し、腕組みをしながら次にどう行動するのが正解なのか考えていた時のことだった。
「裁判になったら、もう二度と出てこれんよ」
耳元でそう囁かれたように感じ、思わず振り返っていた。
雑木林が広がっているところからも窺える通り、神社の周りはやけに細く背の高い樹木の群れで占められていて、それゆえ「明かり」と言えるのは、少し離れたところに点在する人家の灯と街灯ぐらいだった。当然視野の大半はわずかに透き通った鉛色で塗りつぶされており、だから初めのうち、私の目は景色のうちに動きらしい動きを捉えることができないでいた。
それでも根気よくじっと闇を睨んでいると、やがて視界の端の方を足早に通り過ぎていく後ろ姿に意識が引き寄せられた。いや、「引き寄せられた」のは何も「意識」だけじゃない。気づくと私は既にその男の後を追っていた。「競歩」にでも勤しんでいるかのような態勢と速度に、とたんに私の警戒レベルが引き上げられる。こちらもそれなりに急いで歩いているのに、全然追いつくことができない……。
だが徐々に距離を詰めていく過程で、私がその男の危険性を確信するに至ったのは、そいつが「競歩」に勤しむ傍ら、頭にかぶせられた所謂「マッシュルームヘア」を左手でかき分けつつ、空いた右手で真剣に電話機の操作を行っていたがゆえである。
一見すると特にこれと言っておかしなところのなさそうなその「キノコ」の行動は、実際にはあまりに問題含みな仕草であるとして、絶対に「黙殺」といった類の厚遇を与えられてはなるまい。たとえそこらへんに溢れかえる有象無象どもの目を誤魔化せたとしても、この筋金入りの「名探偵」を出し抜けるだなどとは決して思うな。やはりあらゆる先入観の類いを廃し、虚心坦懐に考えてみたまえ。すると、すぐ前の場面で事前に私が「キノコ」の嘆き(「裁判になったら~」)を聞かされていたことが、それ自体決定的に重要な価値を帯びて立ち現れてくることに否応なく気づかされるはずである。……どういうことか?
問題はひとえに、その「嘆き」がいったい誰に向けられたものだったのか?という点にこそ存する。……いや、だから、どういうことなのか?
まず仮に「キノコ」が、通話の最中に送話口に件の言葉を吐きかけていたのだとしよう。その場合、「嘆き」は通話の相手へと向けられたものということになる。実に単純明快な話だ。
だが実際にはこの時「キノコ」は「通話の最中」だったのではなく、カリントウと見まがうばかりのやけに太い指で、電話機の操作に注力していた。そのことから、件の「嘆き」が、例えば会話の中で発せられた「応答」の類などではなく、ただの「独り言」であり、かつこの私に向けて発せられた「メッセージ」でもあったということが判明する。
裁判になったら、もう二度と出てこれんよ
では一体、これは何を、意味しているのか?




