9月24日①
毎月24日にはロクなことがない。昔からずっとそうだった。
祖父が亡くなったのは6月24日だったし、熱烈に支持していた女優が私の許可を得ることもせずに結婚し、それを発表したのも8月24日だった。殴り合いの喧嘩をしたのちに兄が家を出て行ったのは12月24日だったし、大学院時代に「指導教授」という名の人間のクズに、「研究室」という名の密室でパワハラを受けたのも9月24日だった。不倫した父親が家を出て行ったのはまた別の年の12月24日だったし、自転車で転んで右の親指の骨が変に曲がってしまったのは7月24日だったし、さらに意中の女の子に遠回しにアプローチしたところ、あからさまに嫌悪の感を表明され、あえなく撃沈したのも2月24日だった……。
だから私は、毎月24日にはいつもよりも格段に警戒心を強め、あらゆる方面からの責め苦に対応できるよう細心の注意を払いながら、生活を送るよう心掛けていた。
だが結局のところ、警戒心の有無やその強弱が、根本的な面で取り立てて何か大きな意味を持つということはない。そのことをやはり9月24日、私は身をもって思い知らされることとなる。
その時私が行っていたのは、所謂「実況見分」であった。
どうやらオオタニが黒幕であるらしいとの情報提供をWから受けたその日、まさしく「事務所」に帰り着いたところでオオタニと鉢合わせた私は、考え方を根本的に改めることにした。どういう仕組みなのかは相変わらず定かでないが、それでも確実にHは私の動向をリアルタイムで把握し、それを踏まえて先手を打つ形で攻勢を仕掛けてきている。だとすれば、このまま真正面から馬鹿正直にぶつかってみたところで、寸でのところで矛先をずらされ、軽くいなされるのが関の山だろう。もちろん私の「名探偵」としてのモットーは、「困難に対してはがっぷり四つに組み、正々堂々とねじ伏せる」というものであり、暫定的な措置にせよ、迂路を選ぶことは正直言って性に合わないのであるが、四の五の言っている場合ではない。そもそも、凝り固まった考えに囚われて常に自らのこだわりを押し通そうとするというのは、誇らしいことであるどころか、むしろ三下御用達の極めて低劣な愚行である。本当に問題を解決したいと望むのであれば、場合によっては信念を曲げ、「戦略的撤退」に舵を切ることも必要なのだ。
それゆえその日以来、私はパトロールなどの正規の職務を忠実にこなす傍ら、別の仕事にも精を出して取り組み始めた。その「仕事」とはすなわち、あの「部屋」の調査である。
あの「部屋」。
言うまでもなく、いつしか「事務所」の中に出現していた、あのHの根城そっくりの一室、通称「封印領域」のことだ。対象年齢の低そうな逸品で溢れた典型的な子供部屋……。先日初めてそれに遭遇した際、私は本来「書斎」であるべき空間がオオタニ(か誰か)によって一時的に模様替えされたのだと考え、それゆえ逆説的ではあるが、時が経てば自然と元に戻るものなのだと密かに期待して楽観していた。
しかし望みもむなしく、実際にはそれから1ヶ月近くが経とうとしている今現在においてもなお、「封印領域」はやはりそっくりそのまま同じ状態を保ってそこに居座り続けていたのだった。
上記の事情を踏まえれば、私が始めた「調査」の第1の目的が、オオタニ、ひいてはHへの牽制であることは、簡単にご理解いただけるだろうと思う。それまではただ単に、「封印領域」を前にして嫌な気分を味わうだけだったが、ここへ来て敢えてこちらからそこへ身を投じることで、これまでとは違い、「名探偵」がついに重い腰を上げて問題解決に乗り出したとの感を伝えることができるという寸法なわけだった。直接手を下してオオタニを殴り倒したり、はたまた組織を壊滅に導くには至り得ないかもしれないが、Hの奴らを少しでもビビらせられたら、少なくともここでは御の字と見てまず間違いあるまい。
だから最も重要なのはこちらがついに反抗を開始したのだということに奴らが感づくことであり、それ以外はあくまで二次的なものに過ぎないと私は考えていた。
しかし実際に数日間「調査」を続けてみると、意図したわけではないにせよ、やはりいくつかの面で確かな成果を手にすることができた。
例えばそのうちの最も大きなものとしては、【くだんの部屋=H内の一室】という等式の正当性が私の中でほぼ確信に変わったことが挙げられるが、他にもう一つ、重要な発見があった。それをもたらしたのは、「アルバム」に収められたおびただしい数の「写真」である。




