表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/167

小休止⑧

 Wはまずブランコから降りると、身体の向きを180度改め、中腰で遊具の方に向き直る格好をし始めた。例えるなら相撲の力士が所謂「すり足」で移動する時のような体勢だった(Wは移動せずに、その場に留まってはいたが)と言えば伝わるだろうか。その時点で、既に普通じゃない感をこれでもかというほど色濃く醸し出していたことは言うまでもない。だが、実際にはまだ序の口で、次の動作こそ、本当の「始まり」を告げるゴングだった。

 Wは屈んだ姿勢のままブランコの板を両手でつかむと少しだけ後ろに引き、一瞬後、満身の力を込めて前方へと押し出したのである。

 この行動が、それなりに鮮明なイメージを伴って連想できるものかどうかについては、あるいは個人差があるのかもしれない。常に命の危険に晒されており、それゆえ近い未来に起こり得る全ての事象のパターンを瞬時にかつ同時並行的に想定して状況判断を行うことが習い性になっている者からすれば、その場に居合わせずとも、この時のWの行動を頭に思い浮かべることは容易なはずである。現実があまりにキツすぎて、常に「ここではないどこか」を夢見ている者もまた同様だ。だが逆に何不自由なく与えられて育ってきたことの弊害で、深く思考すること自体をいつしか放棄してしまって久しい所謂「ボンボン」の連中からしてみれば、Wがそもそも何をしたのか、その一端をつかむことさえ決して容易ではないだろう。

 だが反面、この行動がもたらす「帰結」に関して言えば、基本的に誰もがさしたる苦も無く予想することが可能なはずである。なぜならここで言う「帰結」とは、個人的な感慨や印象の類ではなく、あくまで物理法則に則った普遍的な自然現象の領域に属するものだからだ。「ブランコを力強く押す」こと自体を成し遂げるためには、「人間」として絶対に踏み留まらなければならない「一線」を越える必要があるが、「力強く押す」ことにより、その「ブランコ」が「前後に行ったり来たりの振り子運動」を展開しだし始めることは、合法則的であり、それゆえ推論・観察もまた容易な一事象に過ぎないということだ。

 だが実際にはWはここでもさらにわけのわからない行動を重ねて披露することで、予定調和的で平々凡々な「紋切型」の支配する現世に対し、見事な殴り込みをかけてくれた。

 しばらくの間、奴は相変わらずブランコの正面に立っていた。位置関係の点から、私にはそのほとんど黒に近く見える深緑色の制服の、背中の部分に浮き出た肩甲骨や背骨の一部が見えているだけだった(つまりWの姿を背後から捉えていたということ)ので、実際に奴が何を考え、何を感じていたのかについて、本当のところはよくわからない。

 だいたい3回ほどブランコの板が往復したところで、Wはわずかに前に出た。そして加速度的に勢いを増しながら迫って来る板を、あたかもドッジボールでもしているかのように、やはり中腰のまま腹部で受け止めるに至ったのである。しかもただ一度だけではない。連続して、一度、二度、三度、四度……。

 結論から言えばWは、同じ一連の動作を、そのまま延々繰り返し披露し続けた。〝痛くないのだろうか?〟という至極「真っ当」な気遣いは、ここでは反転してむしろ「的外れ」という評価に甘んじざるを得ない。なぜなら仮に「痛」かったのなら、いや、「痛」くてどうしようもなく「嫌」だったのであれば、そもそもWはその動作を実行しないはずだからだ。裏を返せばWがその動作をしかも繰り返したということは、敢えて自ら意図して、満を持してその動作に身を投じていたということを意味する。つまり気遣いなどもちろん全く無用なのだ。

「……」そんなことを考えながら私が何も言えず、ただ強い驚きと呆れの入り混じった気持ちに苛まれて顔をしかめていると、何度目かの受け止めの後、Wは振り返り、こう言った。

「ずいぶん辛気臭い表情してるじゃないか」

「……どの口がほざいていやがる」と私は言いたかったが、口を開くのさえ億劫で黙っていた。するとWはさらに偉そうにぬけぬけと何事かをほざき始めた。

「この世界はどこかおかしい、何か間違ってる、絶対に狂ってる、何もかもが少しずつズレている気がする……、そんな感覚に襲われたことはないか?」

「……おかしいのは世界じゃなくてお前だよ」と私は言いたかったが、やはり黙っていた。

「そういう時に必要なのは、細かな一つ一つの事柄に囚われるのではなくて、物事を可能な限り大局的な視点で捉えること、そして原因の大本を見つけ出し、それを断つことだ」

「……」

「では、改めて問おう、大本を断つとは言うものの、そうするためにはいったい、どうすればいいのか?」

 状況自体に息苦しさを覚え、かと思うとすぐにそれに耐えられなくなった私は、思わず喉の奥辺りで「……お」という音を漏らしてしまった。ほとんど聞こえるか聞こえないかというぐらいの音量だったはずだが、Wは聞き漏らさず、即座に「シッ、静かにっ!」と叱責してきた。右の人差し指を唇に当てることまでするという名演ぶりだった。そして次の瞬間、周辺一帯に散らばる無数の生物をビビらせることこそが目的とばかりに、次の音が周囲に響きわたったのである。

「ジャジャジャジャーンッ! ジャジャジャジャーンッ!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ