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小休止②

 この時だけに限らず、私の行く手には常にあまりに多くの障害が出現してきすぎる。意図したアクションを滞りなくスムーズに実現できるということが決してない。特に最近その傾向に拍車がかかり始めた気がする。「名探偵」としての宿命であるとは言え、正直かなりうんざりしていた。そもそもこの時私が鍛錬を始めようとしたのはそれが「名探偵」としての義務だからである。Hの一味と思しき輩どもと頻繁に相対する中で自分の力不足をこっぴどく痛感させられた私は、さらなる高みに達するため、もう一度「身体づくり」から見直さねばならないと、そう考えたのだった。つまり完全に、「世のため人のため」なのである。なのになぜ、ただ何も考えずのうのうと生きているだけの一般人に横やりを入れられねばならんのか……。

「先客」の姿を目の当たりにし、思わず立ち止まってしまったのはほんの数秒だったが、その隙を逃さずに流れ込んできた情報の数々が、私の怒りのボルテージを、徐々にだが確実に高めていくこととなる。

 まずは「出で立ち」だ。端的に言えば、「先客」は全身に野球のユニフォームをまとっていたのだ。

 こう言った時点で、そいつが先に紹介した第一の「依頼人」(S)と同一人物であるという可能性がにわかに浮上してくることとなる。そしてそれは「可能性」ではなく、確かな「事実」であった。目深にかぶられた帽子と猫背の感じにはっきりと見覚えがあった。……と言うよりもそもそも、そんなふざけた格好で外界をうろついている者が他に何人もいてたまるものか!

 先頃とは異なり、「先客」改めSの上半身は体に密着するタイプの長そでシャツで覆われていた。そのせいで見たくもないのにボディラインがくっきりと際立てられており、私はすぐに気持ちが悪くなった。ごく一般的な感覚及び認識からすれば、そのシャツは所謂「アンダーシャツ」であり、つまり言わずもがな、本来何かの「下」に「肌着」として着用するもののはずだった(何しろ「アンダー」な「シャツ」なのだから)。

 しかし、Sのまとうそれは夕闇の中で剥き出しになっており、その結果、月か街灯かの光を湛えて怪しく輝きを放ってさえいた。また、ご丁寧にベルトを巻き付けたユニフォームパンツもまた前回とは異なり縞模様ではなく純白で、色濃さを増し始めた薄闇の中にあって、言うならば完全に「不協和音」を成していた。律儀に装用されたストッキングやスパイクに関しては、もはやツッコミを入れる 

 もっともこれまでに幾たびか同様の言及を行ってきたが、私は他人の装いになど取り立てて興味はない。誰が何を着ようが、そんなことはどうだっていいことで、それはたとえ白日の下、競技や練習を行っているわけでもないのにユニフォームを着用して平気でいられる人物に対しても同様である。まあ勝手にやってくれという感じだ。そもそもSがおかしいのは既に動かしがたい自明の理であり、つまり「おかしい」のが常態なのであり、だとすれば、奴のおかしな服装にいちいち目くじらを立てるような真似は、全く以て不毛の試みということになり得よう。

 だがダメだ。

「服装」のおかしさは看過できるが、「挙動」のおかしさについては黙殺を決め込んでやるわけにはいかない。なぜなら前者とは異なり、「挙動」が異常であることは、私を含めた他者に迷惑をかけることに直結するからだ。J・S・ミルも言っている。「自由の名に値する唯一の自由は、われわれが他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしないかぎり、われわれは自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由である」(『自由論』より。引用は岩波文庫版による)。

 迂遠な物言いは誰にとっても資するところがないので、簡単に要約する形で申し上げよう。

 かつての依頼人Sが、その時私を先回りして雲梯を占領していたことは既に述べた通りだ。もちろんそれ自体、個人的に非常に不愉快な事態ではある。だが仮に奴が雲梯を利用してトレーニングをしていたのであれば、私はまだギリギリで許容できただろう。所謂「パブロフの犬」よろしく、雲梯を前にすると反射的にどうしても身体を鍛えたくなり、居ても立ってもいられなくなるというのは、私自身、幾度となく経験してきたある種の「条件反射」だからだ。

 だがダメだ。

 Sは実際にはトレーニングなどどこ吹く風という感じで雲梯に腰を下ろしていた。そして垂れ下がった足を私の視線の高さのあたりでぶらつかせながら、グイグイと酒を飲んでいたのだった。


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