接触Ⅱ⑯
先の発言をもう一度確認しておくことにしよう。
「うるせえな、警察呼ぶぞ」
まず気づくのは、巧妙に糊塗された冷静さの内から、それでも抑えきれず溢れ出てきている「怒り」の気配である。しかしその「気配」、故ヴァルター・ベンヤミン翁風に言い換えるならば「アウラ」となるであろうその「空気感」が、仮に顕著なものであるからと言って騙されてはならない。その発言の持つ「真の意味」を寸分たりとも余すところなく把捉するためには、「怒り」さえをもこそげ落とし、基底にある強い「焦燥感」とでも称すべき性質に目を向け直すことが必要だ。
そう、私に応対する際の「家主」は、「怒り」だけでなく、なぜかほんの少しだけ、その声に「焦り」を滲ませていたのである。
そしてその「焦り」という要素は、私の思考をさらに深淵へと導くこととなる。
……焦ってでもいなければ、意図はどうあれ、わざわざお宅を訪問しにやってきてくれた慈悲深き相手に対し、あんな短いアホみたいなセリフをただ吐き捨てるだけで済ませてしまうはずがない。本来であれば、少なくとも宴席を設け、訪問客を上座にすわらせ、可能な限り立派に「おもてなし」を試みるぐらいはあって然るべきはずだろう。「家〈の〉主〈人〉」とは、往々にしてそういう存在のはずだ……。
そこまで考えたところでいったん体勢を立て直すべく近くの電柱の陰に身を寄せた私は、しゃがみこみ、伸ばした右手の人差し指と中指を眉間に当てた。要するに改めて、「何かを考えている」風を装ってみたわけだが、すると不思議なことに、実際に「何かを考えている」気になってきた。それまでよりもずっと高速で、まるで今すぐにでもはち切れんばかりの勢いで頭がエンジンを吹かすことを開始する。
そしてほどなくして「京」(スーパーコンピュータのこと)もひれ伏すレベルの私の脳みそが、「真相」をはじき出してくる。いつも通り、その瞬間の感覚は独特で、どのように説明したところでなかなか凡人にはご理解いただくのが難しい類いのものだ。例えば、一ヵ所だけ長いこと残されていたパズルの穴に、最後の最後で正しいピースがぴったりとはまるというのとは少し違っている。むしろやることが何もなくて暇で、だから仕方なく地面に穴を掘って時間を潰していたら、何者かが生前埋めておいた財宝をたまたま見つけ出してしまったといった感じだ。発見と同時に確信する。俺は何かとんでもなくすごいものを掘りあててしまったのではあるまいか……。
私はもう一度門に近寄ると、インターフォンのボタンを力強く叩き、返答どころか呼び出し音が鳴りやむのさえ待たずに叫んだ。
「フハハハハハハハ、わかった、全てを理解した、騙されないぞ、俺は騙されない、何が『家主』だ、騙されない、貴様はこの家の住人さえないのに、よく平気でそんなホラが吹けたものだ、あまりに堂々としているものだから、危うく信じてしまうところだった、……だが騙されない、わかってる、バレてる、バレバレだ!」
「……」スピーカーの向こうからは何も聞こえてこない。
「……無視か、そうか、そうかそうか、そうですか、この期に及んでだんまりを決め込むわけだな? だんまりを決め込んでいさえすれば、本当に悪いことは起こらないまま、事態が勝手に収束してくれると、そう考えてタカをくくっておりくさりやがるわけだ、笑える、正直非常に不愉快だが、まあよい、別に返事などしなくて構わない、これまで何人の人間を騙してきたのか知らぬが、俺のことは騙せないよ、要するに」
私は敢えてそこで言葉を切り、弁解のための猶予を与えてやったのだが、やはり何も応答はなかった。
「……」
「……要するに、自分の正体がバレそうになったから怒っているわけだ、いや、もう少し正確に申し上げよう、つまり貴様は『家主』を装っているだけのただの『空き巣』なわけだろ? 豪邸に盗みに入り、それでいざ好き放題物色して目ぼしいものを持っていこうと目算を立てていたら、ちょうどそのタイミングで『私』という『邪魔』が入ったということで、内心怒り狂っておりくさりやがり、焦りくさっておりくさりやがりおるというわけだろ? ……フハハハハハ、面白い、自分のやっていることを棚に上げて、私のような誠実さの塊のような人物を逆恨みしくさりやがるとは、なかなかどうして非常に興味深い性質の持ち主だ、悪いこと言わねえから、いっぺん自分の一日の行動の様子をビデオか何かに収めてじっくりと御覧に入れてみよ、……そもそも何が『うるせえな』だ、貴様の存在の方がよほど『うるせえ』だろ、貴様ぐらいうるせえ奴はそうはいねえよ、わかってるか? わかってねえなら、イチャモンつけてくる前に今一度、そのことをもっと強く自覚しろっ!」




