接触Ⅱ⑬
私はしばらくの間、頭に血が上るほど集中して『怪人二十面相』を読みふけり、そこから何か得るものがないかどうか、貪欲に追求した。なぜか頻繁にすぐ近くの棚のところまでやってきて、何をするでもなくただ単に私の後ろを行ったり来たりし続けるという、明らかに挙動の不審な店員がいて、非常に鬱陶しく不愉快だったが、私はそれでも読むことをやめなかった。当たり前だ。この「読書」に街の未来がかかっているかもしれないのだから。
そして本屋での滞在が5時間半を超えた頃、私は再び書棚に本を戻し、その場を後にした。もちろんここで言う「5時間半を超えた」というのは、私が『怪人二十面相』を読むのにかかった時間と1分1秒違わず正確に一致する。つまり子ども向けの娯楽小説を読むのに5時間半もかかってしまったということだが、その事実は何も私の「読む力」が「幼稚園児並み」である、ということを意味しない。むしろ私は、例えばスラヴォイ・ジジェクの『否定的なもののもとへの滞留』(ご存知だろうか?)をわずか2分で読了したとの事実にはっきり表れている通り、「読解力」という点において他の者が右に出ることのできないくらい高い能力を有している。より正確を期せば、「2分で読破した」のではなく、「2分で読むのをやめた」ということになるのだが、まあそんな細かいことは別にどうだってよろしい。いずれにせよ、そんな私がここで『怪人二十面相』に「5時間半」も費やしてしまったということは、だからそれだけ真剣に、敢えて時間をかけて慎重に「マンドリル」の捜索に取り組んでいたことを意味するのである。
ところでそんな私は書店を後にした後、次にどのようなことをし始めたのか。
既に参考文献まで明らかにしているのであるからして、皆まで言う必要などどこにもありはせぬのだろうが、持ち前の寛大さを十全に発揮し、「空気を読む」や「行間を察する」という能力に乏しい可哀そうな有象無象どもに基準を合わせた上で、敢えて丁寧に記述を進めてやることにしよう。
本屋を出た私は、「事務所」に戻ることはせず、その足で街中をあてもなく彷徨うことを開始した。塾、薬局、わけのわからないビル、学習塾、レコード店、わけのわからない建物、銀行、わけのわからない建物……。一見バラエティ豊かに見えるが、どれも古びて色彩を失っているという点で共通するそれらの建造物の前を足早に通過した。側溝の蓋が不安定に緩んでおり時折ガタガタと鳴き声を上げる。既に夜が近づいてきており、そうしている間にも闇はどんどんと周囲を色濃く染め始めている。
すぐ前で「あてもなく彷徨うことを開始した」と述べたが、それはもちろん「目的が何もなかった」ということと同義ではない。本当に何の目的もなく、ただひたすら彷徨うことを始めたとすれば、それこそただの「徘徊人」として、行政の厄介になる必要が出てくるだろう。だからそうではなくて私の「彷徨」には目的自体は存在した。ただそれがどこにあるかの見当が初めからついていたわけではなく、それゆえ結果的に行動自体が客観的に見て「あてもない彷徨い」に該当することになったということである。
そして一軒のコンビニエンスストアを通り過ぎた後、その煌々と灯る明かりから避けるようにしてその裏手へと入り込んでいった私は、さらに歩くこと体感にして10時間の後、確かに一軒の家にたどり着くことになる。それは所謂「閑静な住宅地」とやらいう風に陳腐に表現されるような、そんな紋切型的な空間に、唐突に何の前触れもなく現れてきた。しかし当然のことだが、その「一軒家」こそ、私の目指していた場所であった。つまり私は苦節数時間(体感)にして、見事「目的地」にたどり着いたということになる。「努力は裏切らない」とか何とか言う、あまりに寒すぎる文句を私はこれまで信じたことはないし、これからも一切信じるつもりなどないが、殊にこの時の私の「達成」については、その成句を差し当たりあてがっておくのが適当だろう。
その家屋の特性は、まず入り口、すなわち外部との境界線上に設置された門にはっきり表されていると言ってよい。なぜならその門は、文字通り、「門」であったからだ。
……どういうことか。
その家の門は、単に普通の家の入口に申し訳なさ程度に設置されているような、そういうショボいパチもんではなく、寺とかにあるような、高さが3メートルぐらいある(憶測)本物の門だったのである。そしてそのことはもちろん、単に「その家の門が馬鹿でかいものである」という、文字通りのたわけた事実しか意味しないというわけではない。ほんのわずかであれ「理性」を持つ人間とやらを傲岸にも自称する気があるのなら、門それ自体ではなく、むしろその門が象徴するものの方にこそ、より熱烈な視線を向けて然るべきだ。要するにこの場合で言えば、最端に位置する「入り口」の標からして見るからに高級感溢れる造りのその家は、外観自体が非常に裕福な存在によって所有されていることを何より能弁に示していたのである。




