新たな依頼⑨
目的の駅に着き、改札口を出ると、いきなり呼び止められた。
「キクチさん」
見ると口ひげを蓄え、このクソ暑いのに膝ぐらいまでの長さのコートを身にまとったデカい男が、これまたデカい手を頬の横辺りで小さく振りながら私の名前を呼んでいた。その動きからして、本人的にはどうやら愛嬌を振りまいているつもりのようだったが、そいつは残念ながら見るからに怪しく、だから私は、「『キクチ』は全国名字ランキング第115位前後を行ったり来たりするレベルのごくごくありふれた名前なので、先の呼びかけが近くにいる別人に向けられたものであってもおかしくない、いや、きっとそうだ」と、若干の期待も込めて自身に言い聞かせようとした。しかし残念ながら周囲に誰もいなかったこととそいつが気色悪い笑みを浮かべながらこちらに近寄ってきたこととのために、その「期待」は敢えなく崩れ去った。
距離がほとんどなくなったところで、仕方なく私は自分から尋ねた。
「……えっと、どちら様?」
「あ、ワタクシこういう者でして」
男が名詞のようなものを押し付けて来る。一瞬迷ったが、他に選択肢がないということで仕方なく受け取った。名刺かと思いきや、「霊媒師」「山﨑悠人」という2つのフレーズがデカデカと並んで手書きで記されているだけのただの厚紙だった。
「……もしかしてキミが、オオタニの?」
「そうです、霊媒師のヤスナガと言います、今日はよろしくお願いします」
ヤスナガ? 紙には「山﨑(ヤマザキ?)」と書いてあるが……と私は思ったが、何かの罠かもしれないと勘繰り、その件についてはひとまず黙っていることにした。そもそも時間を無駄にしている場合ではない。
「……ああ、で、そのオオタニはどこに?」
「え? あいつ来るんすか? オレには最初から、『今日用事あるからよろしく』とか何とか、舐めたこと言ってたけど」
ヤスナガと名乗った胡散臭い男は、心底驚いたという口調でそう言った。大げさではあったが芝居しているという感じはなく、つまりそいつにとってはオオタニの不在はむしろ想定内であるということが窺えた。
「なに? ……いや、まあ、よい、いない方が何かと都合がよいのは確かだ、だがしかし、じゃあサトウは?」
断りを入れるまでもなかろうが、「サトウ」とはWの名字である。本名なのかどうかはもちろん定かでなかったが、奴が「依頼」の中で自らそう名乗るのを、私は聞き落としていなかった。
もともとの話では、オオタニが「霊媒師」を連れて来て、私とサトウとがそこに合流するという手はずになっていたはずだった。合流地点はハギワラの「最寄り駅」の改札外、まさしくこの場所である。だが当の「霊媒師」はただ一人で現れ、逆にオオタニとサトウは依然として姿を見せないままだった。……あいつら……、もう約束の時間は2時間以上過ぎているというのに……、いったい何をやっているのか?
そのような事情で沸々とした怒りに駆られつつも、私としてはごくごく当然の疑問を投げかけたつもりだった。「詰問する」のではなく、「ただ疑問を投げかけ」るだけに済ませてやったところに、本来であれば称賛の声が投げかけられてしかるべきだろう。だが反面ヤスナガはそれに対し、どうもピンと来ていないようだった。怪訝そうに顔をしかめ、それによってさらにうさん臭さを自ら増させたかと思うと、今度はこう言い放ったのである。
「え? 誰すか? そいつ」
「ダレ……って、オオタニから聞いてないのか?」
「ええ、キクチさんのことは、なんだかヤバい人だって聞きましたけど、あ、あと今日の目的もすね、だけど、その、サカイ……でしたっけ?」
「……サトウな」
「そう、サト、ウ? そいつのことは全く聞いてないす」
「……へえ、なるほど、それじゃあ、まあ、行きますか」
これ以上話していても埒があかないとようやく察した私は、前進を促しつつ、先に立って歩き始めようとした。……そもそもオオタニの知人という時点で、ロクな奴であるはずがないのだ、Hの一味という可能性も、いの一番に考慮されて然るべきだ。そしてだとすれば、やはりまともな返答を期待する方が無駄というものだろう……。
そんな私の気持ちを知ってか知らずしてか、ヤスナガはやはり何やらわけのわからないことを続けてこちらの足を止めようとしてきた。
「霊感とか、結構強いですよ」
「え?」
「これ、見てくれませんか」
今度は手を伸ばし、「名刺」とは別の何かをこちらに向けて差し出してきた。
既に5歩ほど先まで進んでいた私は、わざわざ後退するのも億劫に思われたが、今日一日一緒に仕事に取り組むパートナーなのだからと自らに言い聞かせ、それを手に取った。
3枚の写真だった。
1枚は橋の上で、2枚目は電車の中、そして3枚目は川辺で撮影されたもので、その全てにヤスナガらしき人物が写り込んでいるという点で共通していた。身体の大きさはまちまちで、殊に川辺の写真では、子どもじみたガリガリのガタイを晒してガッツポーズをしているという調子こきっぷりだったが、顔が同じだったので、全ての被写体をヤスナガであると判断できたわけである。だが……。
「……これが、いったい……どうした?」
「心霊写真すよ」
「は?」
「写真をよく見てください、オレの近くに、霊みたいなのが写り込んでるでしょ、昔からそうなんだ、オレはいつも、霊に好かれる傾向がある、たぶん今もどこか近くにいるんだろうなあ」そう言って、わざとらしく周囲を見渡す。
「……馬鹿が、お前が取り憑かれてどうすんだよ……」
私は吐き気が込み上げてきて写真から目を逸らし、ただそれだけ吐き捨てた。要するにこいつも例によってクソだったわけだが、見ず知らずの地に乗り込んでいく時、味方が多いに越したことはない。そのことを経験から知っていた私は、数度深呼吸をして気持ちを立て直すと、改めてヤスナガと連れ立って歩き始めた。




