依頼⑨
なぜなら現れた男はなぜか、全身野球のユニフォームに身を包んでいたからだ。
上下揃いのそのユニフォームには縦縞の模様が入っており、胸にはローマ字でチーム名のようなものが書かれていたが、あいにく筆記体だったし、そもそも私にその気がなかったので読み取ることはできなかった。まあチーム名など、もちろんここでは大きな問題ではない。
男は野球選手のコスプレイヤーであることを誇りたいつもりなのか、室内に入ってきてもなお律儀に帽子をかぶり続け、さらにスパイクを脱ぐことさえしなかった。とりあえず応接室を兼ねるリヴィングへ通したあと、オオタニを別の部屋へ引っ張って行ってその出で立ちについて問い詰めてみたが、「複雑な事情がある」とか何とかいう風に濁された。……何が複雑な事情だ? 百歩譲ってそれがあったとしても、さすがにスパイクぐらい脱げよ……。
その後改めてテーブルを挟んで対面した私は仕方なく、「選手」(以下、Sと記載)に対して質問を投げかけてみた。ちなみにテーブルの上には湯飲みが3つ並んでいた。それを見て初めて、オオタニが先程口にした「ちょっと……ダメ」というセリフが、「飲み物を準備しなきゃいけないから、訪問客の応対をしている場合ではない」という意味であったことがわかった。……いやいやいやいや、明らかに優先順位が間違ってるだろ? ……たわけている、あまりにたわけていすぎる……。
「それで、このたびはどのようなご用件で?」
敢えて断りを入れる必要もなかろうが、もちろんその時の私は「用件」など知りたくもなかった。
本来であればそれがたとえどのような相手であれ、基本的に「依頼人」を蔑ろにすることは私のポリシーに反する。だがその「相手」が、金属歯のスパイクを履いたまま部屋中をうろつき回るような不届き者だった場合は話が別である。私は自らの威信にかけて、そいつを決して真正の「依頼人」として認めるわけにはいかない。
だから先に私が発した質問には、「『用件』を尋ねること」とは別の意図が込められていた。卑近な表現を用いれば、それは「日常への復帰」であると、ひとまず言い表すことが可能である。「用件」を尋ねること、つまり私にとって限りなく「紋切り型」に近い行為に着手することにより、今まさに「異常」の方向へと大きく振れ行こうとしている状況を、「平常」に戻してやろうとしたわけだ。
だがしかし、Sはその出で立ちから容易に想像できる通り、やはり一筋縄で太刀打ちできる相手ではないらしかった。
「日常復帰」を目論む私の意図を知ってか知らずしてか、いや、あたかもその意図を見抜いていたかのように、極めて「異常」な返答を、スラスラと吐き出し続けてくれたのだ。
「初対面の相手に全く何の躊躇もなく話しかけてくるとは……、いい気なものだ……、さて」
「……」
「むかしむかしのお話です」
「は?」
「うらしまと名乗る非常にたぐいまれなるキラキラネームの持ち主である男か女かわからない不明な輩は、海辺で虐められていたらしいカメをただ助けただけで竜宮城に連れていかれてモテなされて、結果とてもとても楽しい日々を過ごしました」
「おい、いい加減にし」
「うるせえなっ! 黙って聞いてりゃいいんだよっ!」
「……」
「そして吾輩もまた、これまで数々の生き物を助けてきました、蚊に血を吸われても、叩くことはせず、我慢して好きなだけ吸わせ続けてあげます、蝉が地面にあおむけに寝転がっていれば、生きていようが死んでいようが、ちゃんと拾ってあげて木の枝にしがみつかせてあげます、カメを助けてあげたこともありました、自殺願望があったのか知りませんが、こいつはなぜか車道の真ん中にひっくり返って寝転がっていたので、轢かれる危険性を顧みず、急いで拾って川まで運んで水の中に放り込んであげたのです、恩知らずのカメの野郎が、その運搬の最中、正体不明の液体を全身から噴き出してくれたせいで、衣類に生臭いヌルヌルが付着して鬱になりかけましたが、そんな不貞行為にも挫かれず、吾輩はカメの救出をきちんと完遂しました、『聖人』という言葉は、まさしくこんな吾輩にこそ与えられて然るべき称号でありましょう、違いますか? いや、決して違わない、しかし、なのに……、なんでだ? それから何年待っても、吾輩のところに乙姫は来ません」
「……」熱に浮かされたように瞬きもせずに話し続けるSを視界に入れるのが苦痛で、逆に目をしっかりと閉じた私は、その時既に一つの確信を得ていた。




