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9月24日⑫

 初めはゆっくりで、しかし時間が経つにつれて速さを増し、それでいて小さくなっていく音……。そしていったん消えたかと思うと、「×××××メェー」とか何とかいう、ヤギの鳴き声みたいなのに続いて再び生まれ、やがて予定調和的に遠ざかっていく音……。それが繰り返し鼓膜を打ち震わせてくることに甘んじながら、私は「また始まった」と思い、うつ向いて大きくため息をついた。……次から次へと際限なく襲い掛かってくる「異常事態」の群れ……、いったいいつ終わりが来るのだろうか? ……いや、終わりなど、本当に来るのか……?

 つまりこのところある種の「伴侶」と化してきた感さえある色濃い憂鬱に、またしても取り巻かれることが始まったわけである。確かに私は「名探偵」ではあるが、それは結局のところただの「(名誉ある)称号」に過ぎず、根本的な部分では「一人間」であるところから逃れられてはいない。つまり人の頭にサッカーボールをぶち当てて混沌させることを得意技とする「コ●ン」くんのような「人でなし」とは完全に性質を異にしている。それゆえ疲れもするし、悩みもするし、負の感情に支配されることも間々ある。もちろんそういう諸々を表に出すことは絶対にないが、今回の一連のケースのように、解決の糸口どころか、問題の所在さえ一向に掴める気配のないような事態に遭遇させられれば、内心激しく懊悩し、暗澹とした気持ちに陥らずにはいられないのである。

 しかし「名探偵」であるからには、やはりいつまでも難局から目を逸らし続けているわけにはいかない。

「ヤギの鳴き声」もどきの発生がのべ13回を数えたところで、私は動き始めた。顔を上げ、しかし視線は決して「足音」の方に向けないよう気をつけながらいったんエントランスに戻る。先刻の私の読み通り、「保護色」は私の許可を得ることもなく、乱暴に郵便受けにチラシ(宅配ピザの広告)を突っ込んで回っていたが、こちらの姿を認めるとやはりタガが外れたように激しく難癖をつけることを開始した。

「お前はいったい誰ですか!? 貴様はいったいいつですか!? これはいったいどれですか? 今はいったいどこですか!? あなたはいったい、何奴ですかあっ!?」

「……」……たわけている、あまりにたわけていすぎる……。

 私は呆れるばかりでもはや怒りさえわかず、極めて冷静に応答を行った。

 まず適当にその辺の郵便受けからチラシを抜き出すと、「おっ、ピザうまそぉー」と言ってからそれをくしゃくしゃに丸め、口の中に放り込んだ。そしてゆっくり咀嚼しつつ、舌の上でそれを転がしながら、「おっ、マルガリータなかなかいけるな……、ペスカトーレもいいね……、だがクワトロフォルマッジ、貴様はダメだ、名前が偉そうなわりに味が生ぬるすぎる、紙でも食べてるみたいだ……、おい、そこのお前、もっとパンチを効かせるためにタバスコか何かを生地が見えなくなるぐらいまでぶっかけるように店に言っとけ」とアドバイスを送る余裕を見せつけてやった。こちらとしては、その後「保護色」が、寛大にも「敵に塩を送る」ことをした私の前にひれ伏し、泣いて謝意を告げ始めるという展開を予想していたのだったが、そうは問屋が卸さず、実際には奴は愕然としたような表情のまま固まり、何も言わなくなっただけだった。さらに2、3枚のチラシを口内に追加してやっても同様だ。……先ほどまであれだけ傍若無人な暴れっぷりを見せつけてくれていたのに、いったいどういう風の吹き回しなのか?

 いずれにせよそのままでは一向に埒が開かないので、私は仕方なく掲示板から画鋲(押しピン)を一つ抜き取ると、再び外の道に戻った。例によって「足音」はまだ続いているらしかったが、先と同様その発生源を視界に入れないように気を付けつつ、アスファルトの上に四つん這いになった。肘や膝など、地面と接触した箇所に砂粒の類が刺さったような感触があるが、もちろん無視し、代わりに右の掌を大きく広げて地面に伏せた。間髪を入れずその指の股目掛けて、高速でピンを突き立てていくことを開始する……。

 もはや言うまでもなかろうが、「ファイブフィンガーフィレ」とも呼ばれるその作業に私が従事し始めたのは、ともすれば憂鬱の影に覆われて鈍麻してしまいかねない自らの意識を、再び先鋭化させるためだった。手っ取り早く「意識を覚醒へ導く」という目的を果たしたければ、「命を危険に晒す」ことを厭ってはならない。要するにそういうことだ。体感にして3分ほどの間、ピンを往復させる中で、結局10回以上針の先で手を突き刺してしまったが、それもまた「覚醒」への一助にしかなり得ない。まさしく「結果オーライ」である。


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