浮気と書いてマジと読む②
特別棟の三階、長い廊下を一番奥まで進むと、そこには、自分の記憶を担保にどんな依頼も受けてくれる『諜報部』なる生徒会非公認サークルがあった。僕、服部源蔵は、自身の彼女の浮気調査を依頼し、今日は一時報告を聞くために、また、この部室を訪れていた。
今から、彼女の浮気調査の結果を聞くのか。やっぱり少し緊張するな。
呼吸を整え、コンコンコンと、ドアをノックして、中に入る。そこには、天井からロープでつるされているバディさんの姿があった。
「あの? 何してるんですか? バディさん?」
「おお。君は彼女ネトラレボーイの服部君じゃないか。もう来たのか早いな」
バディさんは、さわやかな笑顔で僕を迎え入れてくれた。
「これか? これは、まぁ、何というか。男のプライドをかけた戦いの後ってことだな」
「いや全然わかんないっす」
どう見ても、プライドもへったくれもない姿をさらして何を言ってるんだろうこの人。というか、顔が血だらけだな。
「あー、おっす。服部君。来てたんだ」
奥の給湯室からキャリーさんが手をタオルで拭きながら出てきた。タオルはじんわりと赤くにじんでいる。
「なんか飲む? 今日は、買い出し行ったから、コーヒーとかもあるけど?」
キャリーさんは、人がつるされているにも関わらず、平然とした態度で言った。おそらくつるした本人だから、動揺も、くそも、ないんだろうけど。というか、少し優しいぐらいだ。
「てんんめぇー!! ここからおろせぇー!! 大根足ぃ!!」
声を荒げるバディさんの頭めがけて、マグカップが飛んでいった。バディさんは小さく「うっ」とうめき声をあげ、気絶し、力なくぐるぐる天井を回っている。
「お客さん用のカップ壊れちゃったから、昨日と同じやつで良い?」
何事もなかったように話すキャリーさんに対して僕は、「あっ、はい」と短く返すことしかできなかった。マジで怖いなこの人。
「ごめんね。部長、今ちょっと外してて。もう少ししたら、帰ってくると思うから」
キャリーさんは、部長用の机に腰掛けている。バディさんは大根足だとは言ったものの、長い手足と小さな顔が、ともすればモデルみたいだ。僕はソファに座り、昨日と同じエナジードリンクを二人で飲みながら時間をつぶした。
「それにしてもすごいですね。キャリーさんの能力。男一人天井につるし上げるって、結構なレベルじゃないですか?」
僕はごくごくとエナジードリンクの缶の蓋を開けて言った。国家指定能力開発校である『伊賀学園』の生徒なら、誰だって他人がどれくらいの能力値なのかは気になるものだ。
「能力?」
キャリーさんは、きょとんとした顔で、目をぱちくりさせて聞き返してきた。
「えっ? キャリーさんって強化系の能力なんじゃないんですか?」
「んぁ? ああ、私の能力はね。『テレパシー』だよ。レベルも2で、相手のパンチがこう来るかもなぁって、わかるぐらいだけどね」
キャリーさんは、自身の能力に自信がないのか、少し気まずそうに言った。少し恥ずかしそうに崩したその表情は、可愛かった。
「へぇー……えっ、素の力でバディさんつるし上げたんですか!?」
「……そうだよ。その女はなぁ、人を人とも思わないナチュラルボーンモンスターなんだよ!!」
突然、復活したバディさんが会話に乱入してきた。
「ちなみに、そこにぶら下がってる男は、『すべての言動がすべる能力』だ。レベルもマックスの5」
バディさんが会話に乱入してきたことにイラっと来たのか、キャリーさんが冷淡に言った。
「誰が『言動だだすべりマン』だぁ!こらぁ!」
「存在そのものが、すべってるだろうが。なんで天井にぶら下がってんだ」
「おまえがつるしあげたんだろぉがぁ!!」
僕が二人のやり取りに、圧倒されていると、部室のドアが開く音がした。
「まぁまぁ。二人とも部室でそんなに声荒げないでよ。いくら元音楽室で防音になっているとはいえ、外まで声が漏れそうだよ」
二人のケンカをたしなめる妙に高い声のする方に目線を向けると、部室の出入り口に部長さんが立っていた。
「バディの能力は、我が諜報部に必須の能力だぞ」
部長さんは扉を閉め、話をつづけた。バディさんをフォローするような口ぶりだが、下ろそうとするそぶりは一切なく、つかつかと自身の社長用のような豪華な椅子に腰掛けた。
「バディの能力はなぁ、『女子を何となくモヤっと不快にさせる能力』だ」
部長さんは、大真面目な顔をしたまま言った。
「ちがっあぁう!!」と、声を荒げるバディさんに対して
「レベルはマックスの5」と、キャリーさんは嬉しそうに便乗した。
「違うでしょうが、部長ぉ。俺、諜報部のエースですよ」
バディさんは、悲し気な顔で、すがるように言った。なんて、情けなさそうな顔なんだ。
「まぁ、エースかどうかは置いといて、バディの『認識阻害』は、結構レアなのは間違いないわな」
部長さんは、さすがにバディさんがかわいそうになったのか、フォローするような口ぶりで言った。それにしても―――。
「『認識阻害』って、特力系ってことですか!? エリートコースじゃないですか!」
「そっ。こいつは、他人が自分を見るときの姿をいくらでも好きにいじれるんだよ。つまりは、変装の達人。レベルは3で、高くもなく、低くもなくってところだが、まじめに能力開発すれば、透明人間にだってなれるし、やれることもかなり多い」
部長さんの言動からは、バディさんの能力をかなり買っていることが伝わってきた。
「こいつ一応イケメンに見えるのに、言動が一致しないぐらい暑苦しいし、ちょっとダサいでしょ。中身と見た目が合ってないんだよ。その辺の違和感までは消しきれないから、こいつ見てると『あれ?なんか違う?』って感じで、気持ち悪いんだよ」
キャリーさんは、本当に嫌そうな顔をして言った。しかし、バディさんの能力自体のすごさは、仕方なしに認めているといった風だった。
二人の様子からバディさんは「部長ぉ、キャリー」と、嬉しそうに感嘆の声を漏らしていたが、その表情に対して、キャリーさんは「ちっ」っと、わかりやすく舌打ちをした。
「おそらく、キャリーは自身の直感的な『テレパシー』の能力で、ほかの人より違和感が強いんだろう。キャリーそろそろ、バディ下ろしてやってくれ。依頼の話に入ろう」
部長さんも、これくらいでいいだろという感じで、手に持っていた書類を机に放り投げた。キャリーさんも少し不服そうに、「了解」と答え、バディさんを下ろす準備を始めた。バディさんは、自分が話の中心にあったことが嬉しかったのか、満足そうにうなずいている。腹立つな、あの顔。そういえば、部長さんの能力は何なのか聞かなかったな。
「『木戸まこ』伊賀学園の高等部1年生。能力はレベル2の『サイキック』身の回りのものを軽く動かせる程度のものみたいだな。本人は若干自身の能力の低さに引け目を感じてるみたいだが、それは、自分の努力で乗り越えねばって思ってるタイプだな。陸上部に所属してて、種目は800m走を中心とした中・長距離。クラスでも、部活動でも人当たりがよく、特定の友人をつくらず、まんべんなく誰とでも仲良くしているみたいだな。中心人物って感じじゃないけど、いい意味で目立たない感じだ」
バディさんは、僕の見えやすい位置にホワイトボードを置き、ボロボロの顔で僕の彼女についての調査結果を話し始めた。ホワイトボードには明らかに隠し撮りで、目線の合わないまこの写真が貼られている。自分の彼女の隠し撮り写真を見せられるの気持ち悪いな。
「おまえは、悪い意味で目立たない感じだもんな。誰も相手にしてない感じで」
キャリーさんは、自分の席に戻り、頬杖を突きながら聞いている。ただ、キャリーさんの表情には若干の緊張感が漂っているのが気になった。
「うるせぇな。いらねぇ茶々入れんじゃねよ―――。彼氏である服部に関係する噂も上々だな。『見ててほほえましい』だの『うらやましい』だの、『付き合うなら、ああいう、何でもない感じの、落ち着いた雰囲気がいい』だの、評判だよ。けっ」
バディさんは、苦虫をつぶしたような顔で吐き捨てるように言った。ただ、自分に関する噂話をこうして見聞きすると、そわそわしてしまう。
「いい感じじゃん。正しき青春カップルって感じ。やるねぇ。服部君」
キャリーさんは、茶化すように僕に言った。
「ただ、最近、陸上部の先輩に付きまとわれているって話が出てきた」
バディさんは、キャリーさんに目線を送り、自分の席に戻った。キャリーさんは、立ち上がってホワイトボードにある男子生徒の写真を張り付け、報告を始めた。
「服部君の話と、そこのバカの話から、たぶんその男はこいつで間違いねぇーな。伊賀学園高等部2年『西条レン』。能力はレベル3の『サイキック』木戸まこと違って、重いものでも振り回せるぐらいには強めのサイキックだな。本人と話してみた感じだと、はつらつとした体育会系、我が強くて、テンションは高め、さわやかというよりは暑苦しい系の印象だな。個人的にはまったくタイプじゃないけど、まぁ好感を持つタイプの人も一定数いるだろうな」
キャリーさんは淡々と調べてきた内容を報告した。
「かぁー。いけすかねぇタイプだな。自分がやってること全部正しいって思ってるタイプだぜこいつ。顔に出てる」
バディさんは、息をするように悪態をついた。
「常に能力使い続けて、かっこつけてるおまえよりは、100倍好感持てるけどな」
キャリーさんは、息をするようにバディさんを罵倒した。「あぁ!?なんだと!?」と、絡みに行こうとバディさんが立ち上がったが、部長が「話が進まない」と、あきれた声でいさめたので、バディさんは不服そうに自分の席に座りなおした。
「服部君の彼女とのことを、それとなく聞いてみたら、『最近、いい感じなんだよね。今まで、後輩と付き合うとか考えたことなかったけど、あいつ、結構考えとかしっかりしててさ』だって、西条自身は、彼女が彼氏持ちだって知らずに、純粋に好きになってるみたい」
キャリーさんの報告に、バディさんは「はっ」っと鼻で笑う。
「なんだよ『考えがしっかりしてて』って、お前はどこぞの会社の社長気取りか。手ごろで、自分より立場の弱い女が寄ってきたから、手ぇ出したいだけだろ。何、俺は見た目じゃなくて、中身見てますアピールしてんだ、はっ」
バディさんは、それはそれは嫌そうに言った。キャリーさんは、バディさんの発言を聞いて普通にドン引いていた。目を細めて、普通に嫌そうな顔をしている。
「バディ、あんま、思ってもそういうの言わない方がいいぞ」
部長は、キャリーさんとほぼ同じような顔をして言った。
「まぁ、こいつがキモいのは、いつものことだからほっておくとして―――」
「おい、誰がキモさ24時間営業だ」
「服部君には、残念かもしれないけど、彼女ちゃんから、西条に言い寄ってるっぽいね。高等部に上がったし、心機一転、新しい大人な彼氏が欲しくなったんじゃない? 個人的にはそんな女『はぁ?』って、感じだからボコにしてきてもいいけど、どうする?」
キャリーさんは、「コンビニ行く?」ぐらいに軽やかな口調で言った。
「……あっ、いやぁそんな物騒な……」
僕は口ごもってしまった。僕は手足がふわふわとした、不思議な感覚だった。残念なような、悲しいような、虚しいような、感情が、喉の奥からこみあげて、血管を通って体中をめぐっていくような感覚だ。僕が、落ち込んでいるのを察したのか、バディさんは僕の近くまで来て、肩をつかんだ。
「やってもらえ。やってもらえ。こいつ普通にヤンキーだから。元ヤンとかじゃなくて、今ヤンだから。いぃー、塩梅でやってくれると思うぜ。なっ」
バディさんは、冗談っぽく、僕の肩をゆすりながら言った。キャリーさんは、あきれた顔でその様子を見ていたが、今からでも行くぞという感じで、腕や首の筋をストレッチし始めた。二人のその気遣いに、僕は少し泣きそうになった。
「いやぁ、ちょっと待て」
部長はいぶかし気に眉をひそめながら続けた。
「バディの調査してきた彼女のキャラと、西条の証言がかみ合わなくないか?」
「……あー、確かに。彼氏、ほっぽっといて、他の男にちょっかいかけてたら、噂になりますもんね」
キャリーさんは、部長の疑問点をすぐさま察して、そういえばという感じで、腰に手を当てて言った。
「そうかぁ? 服部の彼女が目立たねぇから、噂が出回ってないだけじゃないか?」
バディさんは、僕の肩から手を放し、自分のデスクの椅子を、ホワイトボード前まで引っ張て来て言った。
「馬鹿、目立たないとは言っても、お前じゃねーんだから」
キャリーさんは、はぁとため息交じりに言った。バディさんは「あぁ?」と、顔をしかめたが、引っ張ってきた椅子に座って黙って話を聞いている。
「『木戸まこ』は、目立たないというよりは、『おっとり穏やかなキャラ』ってだけだ。顔もそれなりに整ってるし、成績も、ふるまいも、準優等生。そんな、やつが彼氏いながら先輩に言い寄るなんていう、悪女ムーブかましてたら、恰好のネタだろうが」
キャリーさんは、淡々と、部長の意図を組んだかのような解説を話した。僕は、彼女が西条に言い寄っているショックを飲み込めないまま、自分の彼女がほめられているのか、けなされているのかよくわからない話を聞き呆けてしまっていた。
「まぁ、伊賀学園は一学年800人規模のマンモス校だから、普通にばれてないってのも、なくわないがな」
部長はそうは言いつつも、その可能性は薄いだろうと考えているようであった。
「どうしますか? 部長、ちょっとややこしそうな話になってきましたが」
キャリーさんは、少し鼻を鳴らして言った。部長は少し、頭を搔くようなそぶりをし、軽く「うーん……」と、唸った後、
「どうするも、こうするも、まだ、浮気の決定的な証拠もつかんでないしな、調査続行かな。バディとキャリーの二人で、木戸まこにしばらく張りこうか。西条をチェックするよりは、そっちの方がなんか出てきそうだ」と言った。その後、部長さんはうっかりしていたと、ばかりに表情を変え、僕の方を見て言った。
「ああ、ただ、服部君が、やめてくれって言うなら、僕らも無理はしないけど? どうする?」
部長さんの声から、僕を気遣っていることは、何となく伝わったが、言い方はすごく業務的だった。
「……いえ、お願いします。ここに来た時に、ある程度は覚悟できてましたから」
僕は少し悩んだ後に、恐るおそる答えた。何となくの罪悪感があるのは、僕にまだ、真子への未練が多量に残っているからだと思う。
「大丈夫。一応、犯罪っぽいとこまでは、しないように普段から言ってあるから」
部長さんはこの手の配慮になれているのか、少し困ったような笑顔を作って言った。表情からは「不安だろうけど、仕事の都合上ある程度は勘弁してね」と、大人な意味合いがふくまれていそうだ。
「……!!」「……!?」
張り込みを指定された二人は、僕が罪悪感と葛藤している間、終始無言でメンチを切りあっていた。細かく顎と、眉を動かし、ずっと牽制し合っている。声に出して、ケンカしないのは、二人なりの僕の配慮だろうか。いや、普通に声も出したくないほどお互いが嫌いなんだろう。
「そんな、般若みたいな顔でメンチきり合っても、依頼なんだから行ってもらうぞ。リュウはいないし、俺も別件あるし」
キャリーさんとバディさんは、お互いに「っち」と舌打ちしながらも、しぶしぶ納得した様子で引き下がった。引き下がりつつも、お互い目線は切らそうとしない。
「あのー……リュウっていうのは?」
「ああ、うちの部の3年でね。八千草リュウロン。正真正銘、うちのエースなんだけど、今はちょっと別の依頼をこなしててね。外部からの依頼で『連続骨壺すり替え事件』の捜査」
「あっ、やっぱりバディさんがエースじゃないんですね」
僕はうっかり思ったことをそのまま口に出してしまった。バディさんは、キャリーさんから目線を切り、素っ頓狂な顔で僕の方を見た。キャリーさんの方は「ぐっ」と笑いを漏らしていた。部長さんもけたけたと笑う。というか、骨壺すり替えて何になるんだ。
「それで、僕もそっちの捜査に顔出さなきゃいけないから、料金の話をしとこうか」
「……はい」
僕は和やかな空気から、一変して、借金取りに詰められているそうな緊張感を持った。噂では「記憶」が料金の代わりになるということで、一番幸せだった時の記憶がうばわれるだとか、自分の愛した人に関する記憶が奪われるだとか。
「ああ、いやいや、そんなに緊張しないで」
「へぇっ?」
部長さんは、慌てて手を前にふり表情を崩す。その顔に、僕は酢頓狂な声を漏らしてしまった。
「たぶん噂じゃ、結構物騒なこと聞いてるだろうけど、よっぽどのことがない限り、無理やり記憶奪ったりとかしないから。多いんだよ。その手の変な覚悟もって依頼してくる人がさ」
部長さんは、困り果てた顔をして言った。
「あれ誰が流してる噂何っすかねぇ」
バディさんは興味なさげに言った。
「そもそも、必要な記憶じゃない限り、普通にお金で支払ってもらってますしね。ほら、会計簿もあるよ。見る?」
キャリーさんは自身のデスクから、ノートを引っ張り出してきて、ノートを広げて見せた。ノートには何やらそれらしき数字が羅列されている。
「キャリーにはうちの事務ごともやってもらってるからね」
部長さんは、持ち前の変に甲高い声でカっカっと笑った。まぁ、バディさんに、任せるよりはよさそうだ。
「そもそも、学園内の金銭のやり取りはあんまり、やりすぎると、自治局に目を付けられるからね。何人かの生徒からは、俺の能力で『とある事件』に関係する記憶を写し取らせてもらってるだけだよ」
「部長は、学園で8人しかいないレベル5の能力者なんだよ」
「本来、こんな学園の片隅の暗っい部室にいるような身分じゃないんだけどな」
「まぁ、レベル5なんて、今後のあんたの人生で関わり合いになること絶対ないもんね」
「おまえは、俺を罵倒しないと、会話が進められねぇのか」
バディさんとキャリーさんは、当たり前のように会話を進めている。しかし、僕は目の前の人物が『レベル5』である事実に、困惑していた。レベル5と言えば、能力者の中でも国が直接管理するレベルだ。能力次第では、そのまま人間兵器として運用されることもあるということだ。
「あのねぇ、君ら。あんまり、新入生をからかうんじゃないよ。『神童も、二十歳過ぎればただの人』高校生時点でのレベル5なんて、学園に目をつけられた時点で勝手につけられるもんなの」
部長は居心地悪そうに肩をすくめて言った。
「でも、部長。もう進路決まってますよね」
キャリーさんの一言に、部長はギクッと顔を軽くししかめる。
「能力者開発系の大学じゃなくて、思いっきり実務系の部署に」
すかさず、バディさんも、便乗してくる。
「私たちパンピーは、明日をも知れずに、能力開発に励んでいるというのに……」
「俺たち、どんなに勉強やったところで、就職できるかもわからない。不安な時代に生まれたのに……」
「いいなぁ。こっかこうむい~ん」
「いいなぁ。エリートかいどぉ~」
二人は、嬉々として部長をからかった。なるほど、この二人は人をからかうときだけは、仲良くなるのか。いやな習性だ。でも、二人の言い分も痛いほどよくわかる。
「はぁ……二人の言う通り、俺は就職先のこともあるから、他人の記憶を無理やり奪うみたいなことできないんだよ。相手に契約書を書いてもらって、ほんの一部分だけ記憶を読み取らせてもらう程度だよ」
部長さんは、困り果てた様子から無理やりきりかえて、会話を進めようとする。
「それで、服部君はどうする? お金にする? 記憶にする?」
部長さんは、新妻の『お風呂にする? ご飯にする?』くらいのノリで聞いてきた。ちなみに、旦那が帰宅したときに、このセリフを言っている家庭が全国にどれくらいいるのだろうか。ただ、『それとも、わ・た・し?』は、言われてみたくはある。
「それとも……あ・た・す?」
「なんで、なまってんすか。おもしろくもない。バディみたいですよ」
「おい。なんで、部長がすべったのに、俺が罵倒されてんだ」
「えっ。俺今すべったの? バディじゃん」
「バディを悪口みたいに使わないでください」
僕が悩んでいる間を、三人は会話を転がして待ってくれている。
「あっ、あの、その『とある事件』っていうのは?」
僕はシンプルな質問を部長さんに投げかけた。部長さんはにっこりと笑って、目が線のように細くなり、視線が読めなくなる。ただ、雰囲気はとても朗らかだった。
「事件については、部員以外には、詳しく話せないんだ。ただ、読み取らせてもらう記憶は、去年の4月1日のまる一日の記憶。君がその日、何を見て、何を聞き、誰と過ごし、何を話したのかを読み取らせてほしいんだ」
部長さんは、こともなげに言った。バディさんも、キャリーさんも我関せずといった感じで、のほほんと聞いている。
「ああ、もし、服部君がその日、木戸さんと誰にも見られたくないっていうことをしてたんなら、お金ってことになってしまうけど……」
部長さんは申し訳なさそうに付け加えた。
「……いえ、たぶんその日は、特別なことはなかったと思います」
「そっか。じゃあ、記憶の方でよかったかな。あんまり新入生から、お金もらうのも気が引けるしね」
部長さんはかっかっと笑って言った。その日は、それで解散となった。部長さんは八千草さんからの報告を待たなければいけないと部室に残り、僕は先輩二人に連れられて、帰路についた。
帰り際、キャリーさんが「本当に見られて大丈夫かぁ? まこちゃんとのムフフなこととかない?」とか、バディさんが「おまえ、さすがに中3で初体験は許さねぇからな」とか、からかわれた。キャリーさんは、自動販売機でエナジードリンクをおごってくれた。バディさんは、自分にもよこせとふざけて言ったところを容赦なく、ふざけんなとキックで返されていた。西日の強い夕焼けの帰り道、先輩二人と冗談を交わしながら歩く時間は、なんだかとても居心地がよかった。ただ、二人が『とある事件』について目線をそらすようにふるまっているのではないか。そんな考えが焦がしたフライパンみたいに、脳みその底にこびりついた。
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