来年になってもお互いに婚約者がいなかったら、私たち付き合っちゃいます? と言ってから王子様の様子がおかしい
300年の歴史あるウィルフォード城。手入れの行き届いた美しいその中庭の一角にある木漏れ日の下。愛らしい少年と少女が丸いテーブル席を囲ってお茶をしていた。
この国の王子アルフォンスと、親戚筋にあたる公爵家の令嬢リーファである。
二人は幼なじみで、かれこれ八年ほど季節に何回かの割合でお茶会を続けている。リーファにとってはかけがえのない時間。けれど、今日のリーファの表情は暗い。
――否。他の誰も気付かないくらいに内心を隠している。それくらい、公爵令嬢として教育を受けてきたリーファは表情を隠すのが上手い。
けれど、アルフォンスにはそれが無理をして浮かべた笑顔だと分かった。
「リーファ、なにをそんなに暗い顔をしているんだ?」
「アル様、わたくしは別に暗い顔などしていませんわ」
リーファはあからさまな嘘を吐いた。それは、これ以上は踏み込まないで欲しいという意思表示だ。けれど、そんな心の壁をアルフォンスは易々と打ち破った。
「リーファ、なにか悩みがあるのなら教えて欲しい。俺は、おまえが心配なんだ」
「アル様……」
真正面から見つめられ、リーファは心を揺らした。リーファにとってアルフォンスは初恋の王子様――だった。そう、過去形である。
リーファはもうずっと前にその思いに蓋をしている。公爵である父に自分の思いを打ち明けたとき、おまえはいつか政略結婚をしなくてはならないと諭されたからだ。
リーファは公爵家に生まれた令嬢だ。
領地から入る莫大な収入の一部を使って品位を保っている。アルフォンスが褒めてくれたドレスも髪飾りも、手入れの行き届いた金色の髪だって、公爵令嬢だからこそ手にしたものだ。
それを理解しているリーファが、公爵令嬢としての責務に目を背けることはない。ただ、好きな人が出来るまえに教えて欲しかったと思うだけだ。
という訳で、リーファは政略結婚させられる事実を受け入れている。ただ、その婚約の時期が迫っている。リーファが成人として扱われる歳まであと一年と少し。
慣例にならえば、そろそろ婚約者が決まる時期。婚約者が決まれば、もう以前のようにアルフォンスと会うことは出来ない。だから、リーファは悲しんでいた。
そしてそのことを、リーファは隠し通すつもりだった。けれど、アルフォンスに追求されたことで、その決意は打ち砕かれてしまった。
「……アル様、聞いてくださいますか?」
「ああ、もちろんだ。俺はおまえの力になりたいと思っている」
丸テーブルの向かいから真摯な瞳が向けられる。リーファはこの青く深い瞳が好きだった。その瞳にほだされたリーファは、「もうすぐ婚約をすると思うと憂鬱で」と口にした。
「……え?」
アルフォンスの目が大きく見開かれた。そして、そんなことを言われるとは想定もしていなかったと言わんばかりに、彼の見開かれた瞳が大きく揺れた。
その瞬間、リーファは言わなければよかったと後悔する。
「ごめんなさい、アル様。こんなことを口にして……」
「い、いや、訳を聞いたのは俺だからかまわない。だが、その……リーファはその婚約を望んで、いないのか……?」
「アル様がそれを聞くのですか……?」
私が好きなのは貴方なのにと、責めるような視線を向ける。アルフォンスが酷く傷付いた顔をする。酷い八つ当たりをしているという自覚のあるリーファを顔を伏せた。
「リーファ、その……すまない」
「いえ、いいんです。分かっていた、ことですから」
アルフォンスも政略結婚をさせられる立場という意味ではリーファと同じだ。王族である彼は、リーファ以上に、政治的な観点で相手を選ぶことになるだろう。
いまはまだ、お互いに相手が決まっていないけれど……
「リーファ、本当にすまない。俺は勘違いしていたようだ。まさか、リーファがそんなふうに思っていたなんて、その……想像もしていなくて……」
「いえ、いいんです。隠していたのは、わたくしだから」
もう少し早くこの気持ちを打ち明けていたら、この運命を変えられたのだろうかと、リーファは少しだけ考えた。だけど、どちらにせよ、後悔しても仕方のないことだ。
(それより、せめて最後くらいは素直になろう)
リーファは意を決してアルフォンスに視線を向けた。彼は相当に動揺しているのか、その顔色が明らかに悪くなっている。というか、罪悪感に苛まれたような顔をしている。
「……ねぇ、アル様。来年になってもお互いに婚約者がいなかったら……私達、付き合っちゃいますか?」
あり得ないことだと知っている。それでも、せめて自分の気持ちを伝えたくて、少しおどけたフリで本音を打ち明けた。それを聞いたアルフォンスは……反応がない。
「……アル様?」
「え? あ、いや……その……え?」
想像もしていなかったと言わんばかりの反応。それだけで、アルフォンスの心の内を察するには十分だった。言わなければよかったと、リーファは胸を痛める。
「ごめんなさい、わたくし……少し夏の日差しにのぼせてしまったようです。どうか、さきほどの言葉は忘れてくださいませ」
たとえ嘘でも自分の気持ちを否定したくなくて、口が滑ったというていで謝罪して立ち上がる。そうして踵を返そうとすると、「待ってくれ」とアルフォンスに呼び止められた。
リーファは足を止めるが、振り返る勇気はなかった。
「……なんでしょう?」
「その……かまわない。一年後、お互いに婚約者がいなければ、その……恋人になろう」
リーファの望んでいた言葉。だけど、さきほどまえのやり取りを経てなお、それがアルフォンスの本心だと思えるほどリーファは無垢ではなかった。
リーファはアルフォンスに背を向けたまままきゅっと拳を握りしめ、涙が零れそうになるのを必死にこらえながら「そうなるといいですね」と震える声で言い放った。
そうして、リーファはお茶会の席から逃げ去った。
それから数週間後。
リーファは父である公爵に呼び出され、内々に婚約が決まったことを伝えられた。この数週間で覚悟を決めていたリーファは、その言葉を比較的冷静に受け止めることが出来た。
だけど、一つだけ気になる言葉があった。
「……内々、というのは?」
「訳あって、正式な発表は一年後にして欲しい、ということだ。おまえが不満なら、相手に申し出ることも可能だが、どうする?」
「……いえ、問題ありません」
リーファはそう言って踵を返す。
「リーファ、相手が誰か聞かないのか?」
「……ええ、必要ありませんわ」
誰が相手でも、アルフォンスでなければ同じことだ。そんなリーファの内心を知ってか知らずか。公爵は「そうか、ならばいい」と素っ気なく言い放った。
こうして、あっさりとリーファの運命は決まった。
それから、リーファは何度かアルフォンスとお茶会を重ねた。彼は先日の一件で思うところがあったのか、毎回リーファに贈り物をするようになった。
先日など彼の瞳と同じ色の宝石をあしらった髪飾りを贈り、それを受け取ったリーファが喜びと切なさで涙するような場面があった。けれどそういったことを除けば以前と変わりない、リーファにとってはかけがえのない時間だった。
だが、楽しい時間ほどすぐに終わってしまう。
あの日からちょうど一年が過ぎた。
そんなある日、王城で王族主催のパーティーが開催された。
リーファの婚約が発表されるのもそろそろだ。婚約が正式に発表されれば、これまでのように過ごすことは出来ない。だからリーファは、これを好きな人と一緒にいられる最後の機会と覚悟を決め、おめかしをしてパーティーに臨んだ。
煌びやかなパーティーの会場、アルフォンスは多くの令嬢に囲まれていた。本来ならとっくに婚約者を発表している時期なのに、まだそういった話がないことも原因の一つだろう。
だが、この人気はきっとそれだけじゃない。
リーファは、自分の好きな人が人気者で嬉しくなる。だがそれと同時、アルフォンスが遠くに行ってしまったような気がして悲しくなった。
だが、リーファに気付いたアルフォンスがふっと笑みを零した。それから周囲の人達になにかを言うと、その輪の中から抜け出してきた。
「こんばんは、リーファ。いい夜だね」
「こんばんは、アル様。皆様をおいてきてよかったのですか?」
「もちろんかまわないさ。すこし、話さないか?」
彼に誘われ、リーファはバルコニーへと移動した。夜の帳が降りたバルコニーは静かで、けれど背後からは、かすかに会場の喧騒が聞こえてくる。
アルフォンスはバルコニーの手すりに身を預け、ゆっくりとした動作で夜空を見上げた。
「あれから一年が過ぎたな」
どきんとリーファの心臓が跳ねた。
「……覚えてくれて、いたのですか?」
「もちろん、忘れるはずがないだろう?」
嬉しいと胸を躍らせたのは一瞬。婚約が内定していていることを思い出す。リーファはきゅっと拳を握り、「わたくし、来月あたりに婚約が決まるんです」と震える声で口にした。
「……え?」
アルフォンスがなにを言っているか理解できないという顔をした。リーファは罪悪感に苛まれながら、言い訳をするように言葉を重ねる。
「その……相手が正式な決定は一年後にと言ったそうで、いままで秘密にしていたんですが、公表されていないだけで、内定はされているんです」
だからごめんなさいと頭を下げた。だが、アルフォンスの反応がない。それから十秒、二十秒と経ち、「リーファは……」とアルフォンスが呟いた。
それで顔を上げると、アルフォンスはもう一度口を開く。
「リーファは、誰と婚約するのか知らないのか……?」
「知りません。だって……」
私が婚約したかったのは貴方だからと、声には出さずに呟いた。そんなリーファの心の声が伝わったのかは分からない。だが、アルフォンスは一度小さく頷いた。
それからポケットからベルベットで包まれた箱を取り出し、それをリーファに差し出した。彼はもう片方の手でそれを開く。中には、彼の瞳と同じ宝石を飾った指輪が入っていた。
「リーファ、俺の恋人になってくれ」
「……え? ですが……」
もうすぐ婚約すると打ち明けたばかりのリーファは困惑する。
「内定しているとはいえ、決定ではない。つまり、まだ誰とも婚約していないのだろ?」
「それは、そうですが……」
「……リーファ、嫌か?」
彼の青い瞳が不安げに揺れた。リーファは慌てて彼の手を掴む。
「そんな、嫌なんてことあり得ません! その……つけていただけますか?」
左手を差し出せば、アルフォンスの手によって左手の薬指に指輪を填められる。
恋人の証。幸せな気持ちで胸が一杯になった。
「ありがとうございます、アル様。今日のことは、一生忘れません」
リーファが満面の笑みを浮かべると、アルフォンスもまた微笑んだ。
「俺もおまえと恋人になることが出来てよかった。あぁそれと……ジークベルト公爵をあまり責めるんじゃないぞ」
父の名前を出され、リーファはこくりと頷く。
「分かっています。政略結婚をさせられたからと父を恨むほど子供ではありません」
「いや、そういう意味ではなく――」
アルフォンスがなにかを言おうとするが、そこにジークベルトがやってきた。彼はリーファとアルフォンスを見て、「殿下と一緒にいたのか」と口にした。
「わたくしになにかご用ですか?」
「ああ。この後の段取りで少し話がある。殿下、娘をお借りします」
「もちろんだ」
という訳で、リーファはジークベルトに連れ出された。パーティー会場の外、人気のない廊下で彼は足を止めてリーファと向き合った。そこでリーファが首を傾げる。
「それで、わたくしになんのご用ですか?」
「ああ。この後おまえの婚約を発表することになった」
「そう、ですか……」
リーファは、もう少しだけ余韻に浸らせて欲しかったと俯いた。
だから――
「なんだ? アルフォンス殿下との婚約なのにあまり嬉しそうではないな」
その言葉が最初は理解できなかった。リーファは瞬いて、それからゆっくりと顔を上げ、ジークベルトを見つめてコテリと首を傾げた。
「誰と、誰の婚約ですか?」
「リーファとアルフォンス殿下の婚約に決まっているだろう?」
「……わたくしと、アル様……? わたくしと、アル様の……婚約?」
何度か繰り返し、ようやくその言葉を飲み込んだリーファは目を丸くした。
「わたくしとアル様が婚約!? 聞いてませんよ!?」
「……ん? おまえはなにを言っているんだ。一年ほどまえに教えただろう?」
「いえいえいえ、わたくしは婚約するとしか聞いていませんよ!?」
「それはおまえが聞かなかったからだろう。というか、相手が分かっていたから聞かなかったんじゃないのか……?」
「し、知る訳ないじゃないですか!」
知ってたら、落ち込んだりしないよと声を荒らげる。
だが、ジークベルトはますます怪訝な顔になった。
「……おまえ、なんのために殿下と毎月お茶会をしてると思ってたんだ?」
「なにって……殿下の話し相手では?」
「婚約を前提とした顔合わせに決まっているだろう」
すごく呆れたという顔をされる。
「ま、待ってください! 子供のとき、お父様が言ったのですよ? おまえはいつか政略結婚をすることになる。だから、好きな相手と結婚することは出来ない、と」
「……ん? あぁ、たしかにそういう話はしたな。というか、『好きな相手と結婚したい』と言うから、おまえが選ぶことは出来ないと言ったはずだが……?」
好きな相手のニュアンス違い。と言うか、そのときのリーファは、好きな相手がアルフォンスとは言っていなかったし、ジークベルトも確認していなかった。
「……つまり、私の相手は最初からアル様だった、と?」
「そうだが……知らなかったのか?」
「初耳です!」
リーファが目を三角にして怒る。
「……やはりこう言うことになっていたか……」
と、口にしたのはアルフォンスだ。
気まずい状況。だが、リーファの中で不満の方がいまは勝った。
「……アル様もご存じだったんですか?」
「ん? あぁ、もちろんだ」
「じゃあ、どうして教えてくれなかったんですか……?」
むぅっと唇を尖らせれば、アルフォンスは「リーファが知らないとは思わなかったからな」と口にした。それでリーファは「うっ」と呻き声を上げた。
「い、いえ、だとしても、一年ほどまえに私が悩みを打ち明けたときに気付きましたよね?」
「あぁ……あのときは婚約が嫌だと聞かされて絶望するところだった」
「あ、あのときは、アル様と婚約するって知らなかったから!」
アルフォンスとの婚約が嫌だった訳ではないと言い訳をすると、アルフォンスは分かっていると微笑んだ。
「そのあとの会話ですぐに気付いた」
「あ、そうでしたね」
一年後もお互い婚約していなかった、付き合おうと言ったことを思い出す。
「……あのときに気付いたなら、教えてくれてもよかったんじゃありませんか?」
「すまない。ちょっとしたサプライズのつもりだったんだ。まさか、一年経っても相手を知らないとは思わなかった」
「……うぐ」
アルフォンスの言うとおりである。婚約の内定を通知されたときにちゃんと相手を聞いていれば、こんなことにはならなかった。それに気付いたリーファはぐうの音も出ない。
「リーファ、おまえが相手を知らなかったことは分かった。だが、おまえの想い人はアルフォンス殿下だろう? 知らなかったからと、なにか問題があるのか?」
「大ありです!」
ジークベルトに食ってかかる。
だが、リーファの顔はさっきまでと打って変わって喜びに満ちていた。
「そんな顔で問題があると言われてもな。……アルフォンス殿下。このように素直になれない娘ではありますが、見捨てずにいてくださいますか?」
「もちろん、末永く面倒を見ると約束しよう」
「それを聞いて安心いたしました」
ジークベルトとアルフォンスが話を進める。
「ちょっと、なにを勝手に話を進めているんですか、わたくしの話、終わってませんよ!」
ジークベルトとアルフォンスが顔を見合わせ、ジークベルトが「後をお願いします。私は婚約発表の準備を進めてきます」と去って行った。
それを見送り、アルフォンスがリーファを見た。
リーファは頬を膨らませて拗ねている。
「リーファ」
「……なんですか?」
「すまなかった。おまえの話を聞いたとき、俺も政略結婚ではなく、恋愛をしたうえで、おまえと結婚したいと思ってしまったんだ」
それが、正式な発表を遅らせた理由。リーファが、一年後にお互いに婚約が決まっていなければ付き合おうと言ったから、その後に婚約を発表しようとしたのだ。
「……そ、そうだったんですか?」
「ああ。だが、一年もおまえを不安にさせるつもりはなかった。とっくに知っていると思っていたんだ。だから、すまなかった」
「……もういいです。わたくしにも悪いところがあったから」
そう言って許せば、アルフォンスはその整った顔に極上の笑みを浮かべた。それから、リーファの手をそっと握った。
「ありがとう、リーファ。おまえはやはり心優しいな。そしてそんなおまえだから、俺は共に歩みたいと思ったんだ。だから、どうか俺と婚約してくれ」
「……はい、よろこんで」
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