強面上司が猫になって甘えてきます
「秘書官殿!こちらY区域の報告書です」
王国騎士団第二部隊の新人騎士が、緊張した面持ちで報告書を提出するのは、第二隊長秘書官のクララ・オンディーヌ。
「承りました。 どうもお疲れ様です」
「はっ! 失礼致します!!」
報告書をざっと目を通したクララが、僅かに微笑みを浮かべ労いの言葉をかけると、まだ青年になったばかりの騎士の頬が朱に染まる。
背筋をピンと伸ばして挨拶し、素早く部屋を出た彼はそのままの勢いで廊下を速足で歩いていたが、先輩騎士に声をかけられてへなへなとしゃがみ込んだ。
「……ふ~、緊張したぁ」
「ははっ、最初のうちはみんなそうさ。特にあの部屋は無駄に緊張するわ」
「ええ。 隊長がいなくてよかったです……」
「いなかったんだ? じゃあクララさんを口説くチャンスだったなぁ~」
「へっ?!」
クララ・オンディーヌは有能な騎士団秘書官である。
ただし愛想がないので男ウケはあまりよくなく、もう25歳。『20を超えたら嫁き遅れ』と言われるこの国では、立派な御局様だ。
だが愛想こそなくとも美人は美人。
そしてなにより仕事ができる。
多少厳しく注意はしてもしつこくグチグチ言わないし、教えを乞えば嫌な顔ひとつせず丁寧に教えてくれる。表情は薄くとも労いの言葉や褒め言葉も惜しまずくれて、ズルは許さないが融通は利く。
そんな彼女に対する、第二隊の騎士達からの評価は高い。さしずめ『高嶺の花(笑)』といったところだ。
そうは言っても勿論、『口説く』云々は軽口。冗談で口にはしても、実際に行動に移せる猛者などいない。
──少なくとも、この隊には。
「ほう……エーベル。 貴様、随分余裕があるようだな?」
「たたっ隊長!?」
「いっいつお戻りに!?」
何故なら、彼女は『鬼の第二隊長』のお気に入りだからである。
『鬼の第二隊長』こと、フランビット・ロンバルスキー。現在30歳。
彼は28歳という若さで栄えある王国騎士団第二部隊・隊長という地位に就いた。
貴族のエリートなら兎も角、平民の叩き上げでこの早さの出世は異例中の異例だが、更に彼の場合、王太子殿下の側近近衛として召し上げられるところを『自分の存在意義は現場にいてこそ』と丁重にお断りしたという経緯付き。
そもそも彼が評価された南方戦役ではフランビットはまだ14の一兵卒に過ぎず、騎士爵を与えるにも色々と知識に欠けることから学園に入れられた……という異端の麒麟児であった。
再びどこぞで戦が始まれば、真っ先に前線へ赴く精鋭先鋒部隊の第二部隊。
フランビットがここの隊長になるのは至極当然であるといえる。
とはいえ今のところ王国は平和。
平時の第二部隊は王都内の巡回警備と、訓練・育成が主な仕事だ。
フランビットは強面だが真面目で面倒見がよく、なにより強い。国王陛下や他騎士からの信頼も厚い。
彼を尊敬する者は少なからずいるが、なにを隠そうクララもその一人。
オンディーヌ家は代々王国騎士を排出する武人の家系。
長女で末娘であるクララは騎士団長の父と優秀な兄ふたりに憧れ、騎士を目指した。丁度クララの5歳下に王女殿下が生まれたことにより、家族も当初は応援したのだが──残念ながらクララに武の才能は受け継がれていなかった。
特に剣技と体術は壊滅的。それでも前向きに努力と鍛錬を重ねるクララに『秘書官』への道を提示したところ、彼女は意外にもアッサリ進路を変えた。
それも、長兄の友人で5歳上の天才の存在……フランビット・ロンバルスキーがいたからこそ。
15で正式な騎士として出た戦での様は勇猛果敢で、初陣にして『疾風迅雷』と名を馳せる。その裏には影の並々ならぬ努力。
まさに理想の騎士。
クララは自らが騎士になるより彼の支えになりたくなったのだ。
努力家のクララは優秀な成績を修めて秘書官になったが、第二隊への所属はコネも使っている。
『経緯などさしたる問題ではない』と言わせるだけの働きをする、と約束して。
「──ふう」
「お帰りなさいませ、隊長。 お疲れ様です」
「ああ、オンディーヌ嬢。 君もお疲れ様、待たせてすまない。 もう帰っていいぞ」
「お気遣いありがとうございます」
そう言いながらもクララは、フランビットの為に茶を淹れてくれた。
礼を述べると、形の良い唇が僅かに弓を描く。フランビットは意識せず、それに見蕩れていた。
「──ふぐっ?!」
「隊長?!」
急に謎の激しい圧迫感に襲われた胸を抑え、フランビットは呻き声を上げる。
「どうなさいました?」
「いや……最近なんだか調子がおかしくてな……謎の動悸が。 先程も何故かイライラしたし」
「! そういえばこのところ時折隈も。 今は特に忙しくもないのに、どうなさったのかと」
「……はは、『どこでもどんな状況でも熟睡できる』と豪語していたこの俺が、みっともないことだ」
自嘲気味にそう苦笑したフランビットの目の周りには、確かに隈。
どうやらよく眠れていないらしい。
クララは、気付いていたのに『もしかしたら幹部はなにかしらやることがあるのかも』……などと放置していた自分を恥じた。
「みっともないだなんて……軍医殿には診て頂いたのですか?」
「ああ。 だがホルスマンの奴は『むしろ人より健康です』と小馬鹿にした顔で宣った挙句、『一昨日きやがれ』など吐かす始末で」
軍医に診てもらうくらいには、このところ体調に異変を感じている。
──尚、軍医であるホルスマン医師は悪くない。
彼は全くの健康体だった。
賢明なる読者様は既にお察しのことと思うが、フランビットが罹患しているのは所謂『恋の病』である。
馬鹿と同様、つける薬のないやつ。
無論、ホルスマンだけでなく第二隊の騎士は皆気付いている。
しかし残念なことに、当の本人達だけはこれっぽっちも気付いていないのだ。
そんなわけで、ふたりとも大真面目に身体の不具合について話している。
鈍感にも程がある、とはこのこと。
「軍医殿がわからないとなると、心的要因……つまりストレスではないでしょうか?」
「ストレス? いや、そんな繊細では」
「いいえ、隊長のお仕事は重責の伴うモノです。 そうと意識してなくても、お疲れが溜まることもあるかと」
クララは隊長の体調(※駄洒落ではない)が兎に角心配。
そしてフランビットはそれを真摯に受け止め、『ストレス緩和』に向けて真面目に考えることにした。
「ふむ……そういえば騎士達が話題にしていた薬師がいたな。 『エリスタン』だったか」
「エリスのことでしょうか?」
「ん? そうだったか」
エリスは薬師を生業とする魔女である。
見た目は16、7の美少女で、金髪の巻き毛……『エリスたん』などと呼ばれているが、決して『エリスタン』ではない。
「なんでもとても癒される、とか」
「そ、そうですか」
おそらく彼等の『癒される』は、フランビットが考えているのとは違うのではないだろうか。
そう思ったが、黙っておく。
実はクララとエリスは友人関係にある。
いつも休みの前日は彼女の家に遊びに行く程仲が良く、今日もこの後行く予定だ。
クララは騎士達とはまた違う意味で、彼女に癒されているのである。
そのことをあまり誰かに言いたくはないのだが、他ならぬ隊長のお身体の為。それに彼が人に余計なことをペラペラ喋るとも思えない。
少しの逡巡のあと、クララは「このあと一緒にエリスのところへ行かないか」と提案した。
最初は控え目な提案だったものの、『クララが手ずから料理を作る』と聞いてからまた胸を抑え出したフランビットを見て、仕事を切り上げさせ半ば強引に連れて行くことにしたのだった。
「大丈夫ですか?」
「ああ、スマン……」
(しかし今日はなんだか動悸が酷いな……)
夕食の材料を買う為に寄った商店街。
度々フランビットは謎の動悸に襲われた。
「あの、荷物は私が持ちましょうか」
「いや大丈夫だ。 多分、魔女殿と会い不調の原因を特定することへの高揚と緊張だろう」
彼なりにそれがなにかを考えてはいるが、『高揚と緊張』という分析は兎も角、そこに至る経緯の推察は大分、的外れであると言える。
「いらっしゃ~い♪」
エリスの家に着くと大量の猫と共に歓迎された。
魔女であるエリスは猫を眷属として使役しているのである。
クララは動物や可愛いモノが好き。
ちょっとずぼらな美少女……に見える女性の面倒を見つつ、猫と戯れ、ご飯とお茶を楽しむ。
これがクララのストレス解消の秘密。
つまり、私的な猫カフェとして利用しつつ、エリスの家に通っていた。
休みの日の前日は大体、エリスの家と言っていい程頻繁に。
ずぼら美少女(風)も、部屋の掃除と美味しいご飯作りを美人のお姉さん(仮)がしてくれるのに大喜び。まさにwin-win。
細かいことを気にしないエリスは、客人がひとり増えても嫌な顔を見せるどころか、当たり前のように迎え入れた。
むしろフランビットの購入したイイ食材とワインに大喜び。
いつも通りクララは軽く掃除をして手際よく食事を作ることにし、その間フランビットには、猫と戯れて貰うことにした。
「はい、隊長」
「ん?」
擦り寄ってきたとりわけ愛想のいいハチワレを慣れた様子で抱き上げると、クララはフランビットに向けた。
「猫ちゃんと遊ぶと癒されますよ」
(『猫ちゃん』……)
意外にも敬称付き。
しかも心なしか声が優しい。
それにフランビットはなんだかモヤモヤした。
「随分慣れているのだな?」
「ええ。 実は私、ここで癒されているんです。 だから隊長ももしかしたら、と」
そもそもクララは、フランビットに対する尊敬から彼を真似ているところがある。
日々の隙のなさや、キリリとした表情を崩さないところは、フランビットへのリスペクトから発生しているのだ。
クララはそんな自分が好きだし、なんなら誇らしく思っているけれど、やはりそれは『仕事の顔』であり、それなりに負荷はある。
だからこそ存分に猫(ついでに美少女風の同性)との戯れで、自分を解放しているのである。
フランビットはクララの腕の中で、胸に擦り寄るような仕草をしながらゴロゴロ喉を鳴らす猫ちゃんと、クララを交互に見た。
「癒される、か。 あまり猫を可愛いと感じたことはないが……可愛い、ような?」
「そうでしょう!」
可愛いと感じたのは実のところ、『猫ちゃんと戯れるクララ』なのだが、交互に見たせいかフランビットの脳はバグっていた。
言われるがまま、暫しフランビットは渡された猫と戯れた。
使役されているだけあり、特に従順なハチワレは己の役目をわかっているかのように、フランビットにも愛想よく振る舞った。
(確かに可愛い……が)
「にゃ?」
「よしよし。 もういいぞ」
最後にハチワレの頭を撫でて解放してやるとフランビットは立ち上がり、何故かクララの方へ向かう。
「隊長?」
「猫は可愛いかったが、なんだかモヤモヤするというか、なんとなく落ち着かない」
(気を使わせてしまったのかな)
「……逆にストレスになってしまいました?」
「いや、そうではない。 ただ君の手伝いをした方が楽しそうな気がする。 買い物も楽しかった」
「えぇ……?」
フランビットが真顔でそう言うので、クララは少し狼狽えた。
買い物中、散々胸に違和感を訴えていたので、連れ出したことが更にストレスとなっていたのかと心配していたのに、まさか『楽しかった』と言われるとは。
だが基本的に彼は冗談を言わない。
褒めるときも、ドがつく程ストレートなので、照れるのを隠すのに最初は苦労したことを、なんだか思い出す。
クララは恋愛には疎いが、それはフランビットを男性として意識してないということではないのだ。
ただ『恋』と『憧れ』の区別がサッパリつかないだけで。
「そうですね、普段と違うことをするのがいいとかも聞きますし……」
(そういえば仕事外で接する機会なんて滅多にないしなぁ)
過ぎた尊敬や憧れはあるが、クララがフランビットに対する気持ちを恋愛感情だと認識しない理由の根本は、コレ。
『仕事上のお付き合い』だからである。
「料理は野営で慣れている。 なにをしたら?」
「で、ではお芋の皮を」
「任せろ」
(なんだか距離が近く感じる。 おかしいな、普段だってこれくらいなのに)
少しドギマギしながら料理を手伝って貰うクララには、遅まきながらようやく恋愛感情が芽生える──
(いや、でも考えてみればコレも仕事の延長か。 いやだ恥ずかしい、意識して)
──程、培ってきた年月の壁は甘くはなく、そう思い至り『すんっ』となっただけだった。
一方、芋の皮むきをしながらフランビットも内心でドギマギしていた。
強面で無表情なだけにわかりにくいが。
彼の方もクララを女性として意識していないわけではない。
むしろ出会ってからいつも意識している。
それもクララにだけ。
ただただそれが『恋愛』に結び付かないだけである。
フランビットの女性への意識とは性欲という理解なので、彼は欲の分離を徹底づけていた。
彼が思春期にいた環境は戦地。
周囲にも性欲に愛が伴わない場合が多かったのでそれを不思議に思うことはなく、分離を不自由に思ったことも特にない。
なんせ有望だが平民上がりの世間知らず。戦地から戻っての学園入学という異例の経歴だ。
入学の際には『貴族の女には気を付けろ』と散々言われていた。むしろ欲を切り離してしまえば、寄ってくる女性を紳士的にあしらうのも簡単で都合がいい。
フランビットの中で、クララへの興味関心は性的な欲求と理解され、それが彼女のみなのは
『クララが可愛過ぎる為に起きる反応であり、それは自分の理想が高過ぎるが故(※他の美人でも起こり得るが、そんな女性は滅多にいない)』
というかたちで納得してしまったのである。
散々、性欲を感情とを別に置いてきた結果。生真面目さが裏目に出た、と言えるかもしれない。
だがそのせいで、フランビットは恋愛が未だによくわからないままだった。
「オンディーヌ嬢は料理も上手いのだな」
「お恥ずかしい。 たいしたモノでもなく嗜む程度ですよ」
「いや、見事な出来だ。 君はつくづく素晴らしい女性だよ」
「もう、やめてください!」
珍しく照れるクララに、フランビットの方も珍しく相好が崩れる。
(……可愛い)
浮かれている自覚はある。
──なんでこれで恋だと気付かない。
そう思われるかもしれないが、フランビットの認識として、美人と一緒にいて楽しいのは至極当然なのである。
確かにクララは美人の部類だが、そう特別でもない。美しさで勝る者は数多くいる。しかしフランビットには、クララ以上の美人と出会ってもそう認識されていないのだ。
故に彼にとってはずっと、クララが一番の美女。
傍から見たら『恋は盲目』そのものなのだが、彼の中では恋に繋がっていないのでなんともはや。
『浮かれてる』という自覚のように、他の感情でも起こる反応ならば多少バグが緩和されるようではあるが、およそ恋愛に於いてのみに発生するあの『きゅん』がサッパリわからず、不具合にしか思えないのだ。
そして大きな不具合以外は彼の中で『性欲』として認識されている為、表に出すことはないのでクララにも全く伝わらない。
「できたの?! わー豪華ぁ!」
完成したあたりでエリスもやってきた。
エリスはいても邪魔にしかならないので、調理中は猫にご飯をあげ、あとはダラダラするのが常。
(本当はその間に隊長の相談に乗ってもらうつもりだったんだけど……後でいっか。 隊長の気晴らしにはなったみたいだし)
暫く3人で食事を楽しむと、頃合を見てこれまでの経緯をエリスに話し、クララは席を立った。
「オンディーヌ嬢?」
「仕事からのストレスでしたら、相談の間は私がいない方がいいかと」
気にはなるが、もしかしたらストレスの一因は自分かもしれないという懸念もある。
研修の1年が終わり、第二隊に配属されて早5年。今は『優秀な御局様』でも、まだ配属された当時はなにもわからない新人で、それなりに迷惑はかけてきた。
思い出すと色々恥ずかしいので、席を立ちついでに猫に癒されることにする。
そんなわけでクララは猫まっしぐら。
某猫餌CMフレーズとは逆の意味で。
残されたフランビットは、諸々気を利かせ心配てくれるクララの為にも、早々にストレス緩和方法を模索したい、とエリスに細かく症状を訴えた。
当然、エリスはそれがなにかに気付いた。
彼女はズボラだが、別に察しは悪くないのだ。だが察したところで、空気を読む読まない、気を利かせる利かせない……などはまた別の話である。
「ふむふむ、隊長さんの不調の原因は確かに仕事に関係するようですわね!」
「やはり……」
「生真面目過ぎて自分を律しすぎるのがいけないのではないかしら?」
「ふむ。 そうは言ってもなかなか自覚はないのだが……なにをどうしたらいいだろうか?」
「まあまあ、まずはコチラを御覧になって♡」
今いるダイニングは、クララが移動したリビングと続き間になっている。
エリスがご機嫌に指を鳴らすと、ふたつの部屋を遮る壁が消え、一部屋のようになった。
しかし、こちらを向いた状態で猫を構っているクララは全く異変に気付いていない様子。
もう一度エリスが指を鳴らすと、クララがまるで傍にいるかのように拡大された。
『よちよち♡ きゃわいいでちゅね~♡』
しかも、声までハッキリ聴こえる。
そこに映るのは、だらしなくゆるゆるの笑顔に、いつもよりワントーン高い赤ちゃん言葉で猫を構い倒している、クララのあられもない(※特に卑猥でもない)姿。
「……!!」
「クララはこうやって自分を解放して英気を養っていますのよ~♡」
「ま、魔女殿……! ほ、本人に無断でこんな……!」
(※)で言及した通り、特に卑猥でもなんでもないが、覗き見るあまりに無防備な表情にフランビットは狼狽え、目を逸らした。
「あら、猫を構っているだけじゃないですか。 微笑ましいでしょ?」
「そ……!」
(そう……か? 確かにそうかも……)
自分がいやらしい目で見ているからで、別にいやらしいところではない。
反省すべきは己……ということにして、フランビットはそっと視線を戻した。
言わずもがな、ただ単に『見たい』という欲求に屈しただけである。
しかし──
「!!」
そんなフランビットは更なる衝撃的なクララの姿を目の当たりにする。
クララの細く白い指が艶めかしく上に上がったと思った瞬間、彼女は外したのだ。
……そう、眼鏡を。
「ああっ……ダメだ! コレはダメだろう!!(※小声)」
「眼鏡を外しただけじゃないですか~」
エリスは呆れた感じで言うが、眼鏡キャラの眼鏡外し……それはエロス。
『眼鏡を外しただけ』では済まされない。
フランビットは両手で目を隠しつつ、指の間からバッチリ見ている。
止めてはいるが小声なあたり、理性が辛うじて仕事をするも完全に敗北しているのが窺える。
眼鏡を外したクララは猫の腹に顔を当て、モフり堪能している模様。
所謂『猫吸い』である。
『……ああ~♡』
そのあとのクララのなんとも言えぬ、充足感に包まれた表情。
そして映像は消えた。
「あら隊長さん、お顔が赤いですわ。 コレをどうぞ♡」
「す、すまない」
エリスにコップを渡されたフランビットは、クララへの気まずさを隠すように反射的に中味を飲み干した。
「──ぷはっ」
(しかし猫め……オンディーヌ嬢にあんなことをされているとは……)
猫を可愛いと感じたのは嘘ではないが、最早可愛く思えない。
──というか妬ましい。
ナデナデされたり膝に乗ったりしたいし腹に顔を埋められて甘やかされたい。
(ん……?)
自分の脳内がどうかしていることに気付くより先に、フランビットは体内の異変に気付いた。
(なんだか……身体の調子が……)
「──それでエリス、なにかいい方法は見つかりそう?」
そこに戻ってきたクララ。
「もっちろん♪ っていうか処置済よ♡」
「『処置済』? まさか……」
「隊長さんも時折自分を解放すればいいってだけだもの。 そろそろ効いてくるんじゃないかしら」
「……隊長ッ!?」
──ガタッ
クララが振り向いたと同時に、フランビットは勢いよくテーブルに突っ伏した。
そしてもくもくと彼を包む、謎の煙。
「ふっふっふ……始まったわね」
「なにを飲ませたのォ?! たっ隊長!」
──ぼふーん。
間抜けな音とともにフランビットを包んだ煙が大きく膨らみ、散っていく。
フランビットはテーブルに手を付けたまま腕を伸ばしてゆっくりと起き上がる。
クララがどうやら無事なようだ、と安堵したのは一瞬だけだった。
「えっ……」
「あれっ?」
ついている筈のところに耳がなく、側頭部に移動している。
ケモ耳になって。
「おっかしいなァ~? なんか中途半端」
大きな手はそのままに軽く握って顔をこしこしと擦り、猫の顔を洗う仕草を見せるフランビットに、エリスは「キモッ」と悪魔のような一言を漏らしたあと「でも成功♡」と満足気に頷く。
「ちょっと!? だからなにを飲ませたの!」
「ん? 猫になる秘薬。 猫? になったっぽい」
「ねねねね猫に!?」
「にゃーん」
一体どういう意図で、とクララが続ける前に鳴いたのは、ハチワレではない。
猫耳を生やしたフランビットである。
「た……隊長?」
「にゃ?」
フランビットは小首を傾げた。
その瞳は非常に澄んでいる。
再びエリスは「キモッ」と口にした。
「で? 結局なんなの、コレ……」
満足気な顔でゴロゴロ喉を鳴らすフランビットを膝に乗せたまま、クララはげっそりしながら尋ねる。
『じゃ~ん♪』と言いながら、エリスは謎の丸薬を取り出した。
「魔女の秘薬……猫になる薬よ♡」
まんまである。
そして……滅茶苦茶怪しい。
「いや~だって彼、猫になりたそうだったし? なんか中途半端になっちゃったけど。 薬への耐性が高いのかしら」
本当は完全に猫になるらしかった。
エリスに使役された状態で、安全に猫として暫く遊ばせておくことでストレスは緩和される……と考えたらしいが、悪ふざけ感が否めない。
クララはここに連れてきたことを後悔した。
自分に親切な人が、他人にも親切であるとは限らないのである。
「……で、戻るの?」
「戻る戻る、寝て起きたら! さあ、遊んで甘やかしてあげて♪ それに使役が効いてるみたいだからちゃんと猫よ。 見た目はこんなでも(笑)」
『使役が効いている、ちゃんとした猫』──つまり膝に乗ろうが身体を擦り寄せて甘えてこようが、今のフランビットには全く下心はないのである。
とはいえ、思い出したら地獄だ。
気の毒過ぎる。
「今の状態……猫になった時のこと覚えてるの?」
「深層には残るかもだけど、ちゃんと忘れるから大丈夫よ。 まあ精々、『なんか夢を見た』程度ね!」
「……」
仕方ないのでクララはフランビット(猫)を甘やかし、遊んであげることにした。
第一、寝て起きるまでは猫化が解けないようなのだ。
考えたら負けだ。
──ピチ……チチチチ……
「ん……」
小鳥の囀りで目を覚ましたフランビットの視界には、まだ明けきらない朝の光にぼんやり照らされた、知らない天井。
(ここは……? 魔女殿の家?)
慌てて飛び起き、周囲を見渡す。
一人であり、着衣に乱れがなかったことに安堵して息を吐いた。
なにしろ途中から全く記憶がない。前後不覚になるまで飲んだ覚えもないのだが。
しかもその割によく眠れた。
とても身体が軽い。
ついでに、なんか幸せな夢を見た気がする。
(とりあえず……一旦素早く家へ戻らねば)
クララのことや昨夜のことが気になる。なにもなかったようだとはいえ女性の家に泊まったのは事実。
噂になっては相手が困るので、おそらく酩酊したのであろう自分の不明を恥じながら、なるべく人に見つからないように帰ることにした。
クララは休みだが彼は今日も仕事である。
まだ起きていないのかリビングには誰もいないので、書き置きで謝罪と礼を述べてエリスの家を出た。
更に翌日──
「オンディーヌ嬢、一昨日はありがとう。 お陰で身体が軽い」
「い、いえ、お役に立てて幸いです」
クララが出勤し、執務室でふたりになるとフランビットは改めて礼を言った。
記憶がないお陰でフランビットはいつも通り。それに安堵はしたが、クララはバッチリ覚えているので色々複雑である。
「申し訳ない。 あまり記憶がなくて……なにか迷惑をかけなかっただろうか」
「迷惑だなんて……」
フランビットが寝ていた部屋は、いつもクララが使用している部屋。(※そこ以外掃除をしてない)
エリスが使役しているにも関わらず、フランビットはクララにベッタリで引き剥がすことが出来なかった。
とりあえず健全に同衾し、フランビットが寝たのを見計らって抜け出し、エリスの部屋に避難したのである。
(迷惑ではなかったけれど……)
思い出すと流石に恥ずかしく、なんとかポーカーフェイスを保っていたクララの頬が染まる。
「──うっ?!」
「隊長?!」
「急に心臓が止まるかと……クソッ、なんでだ?」
「ああ……おいたわしい。 でもそうですよね、ストレスって早々に完治するようなモノでは……」
「……また、一緒に過ごさせて貰ってもいいだろうか?」
「え、ええ是非!」
咄嗟に元気よく返事をした。
間をあけてしまうと、きっと気にする。
フランビット(猫)をエリスは容赦なく『キモッ』と言っていたけれど、クララは別に嫌ではなかった。
慣れると可愛いとすら思える程。
エリスはゲラゲラ笑っていたし、フランビットは覚えてないものの、いつもより顔色がいい。
これが習慣化していくことを、クララは受け入れるよりなかったのである。
猫になるのが終わるのは、フランビットが自身の恋心に気付いた時になるだろうが……いつになるかは不明である。
Xでの落描きから。
ちゃんと書くとしたら多分ムーンさんになる。
Xだけに。