番外編・別れ際に大変情熱的な求婚をされましたが、承諾した結果おどろきの溺愛が始まりました。《後編》
寝支度を終えてメイドも下がった。だけど眠れそうになくて本を片手に取り、長椅子にすわる。
でも、本を開いても読めない。
今日はあまりに濃厚な一日だった。
「明日起きたら、全部夢だったなんてことはないわよね」と、ひとりごちる。
それくらいに信じられない。ずっと好きだったひとが自分の婚約者だっただなんて。きっと恋愛小説家だってびっくりな展開だわ。
――そういうのは読まないからわからないけど。
と、コツンと窓が鳴った。
ここは三階だ。コウモリでもぶつかったのかしら、と窓に目を向けると、ラウレンツ殿下がいた。目が合うと、笑顔になって手を振ってきた。
慌てて窓に駆け寄る。
どういうこと? この部屋にはバルコニーはない。
窓を開けて身を乗り出し、驚いた。なんとラウレンツ殿下は壁面を飾る装飾にしがみついている。
「なにをしているの!」
「会いに来た」
「まさか壁をよじ登って?」
「ちょっと違う。自室から伝って来た」
「嘘でしょ!?」
彼は「失礼するよ」と窓枠を軽々と乗り越えて、部屋に入った。
「よく抜け出していたから得意なんだ」と自慢気な顔をするラウレンツ殿下。
「抜け出してなにをしていたのよ」
「もちろん、対魔獣騎士を」
そう言った彼は目線を下げると、ほほを赤らめて少しだけ困ったような表情になった。
「寝るところだったか」
「大丈夫。眠れそうになくて困っていたところ」
「よかった」
その言葉と同時に抱き寄せられる。
「せっかくヴァルがヴァネッサだとわかったのに。どいつもこいつも邪魔をして。全然ヴァネッサが足りない」
侍従や侍女たちに「マナーが!」と騒がれて、ふたりきりで話すこともままならない。私だってもっとたくさんレイと話したかったのに。
「――というか」とラウレンツ殿下は私を引き離した。「この細い肩でよく対魔獣騎士をしているな」
「女性としては細くはないはずよ」
「そうなのか?」と殿下は私の肩や二の腕をペタペタとさわる。「まあヴァルは魔法の比重が高かったが。だが剣だってそんじょそこらの騎士よりよほど腕が立つし。――うん、確かにいい筋肉はしている」
それからラウレンツ殿下は吹き出した。
「これで病弱令嬢設定は無理があるんじゃないか」
「あのね。婚約を無理やりさせられなければ、私が貴族社会に出ることはなかったのよ?」
「そうか。父上のせいか」
「そのとおり」
「でも今は父上に感謝している」
彼が私の手を取り、甲に口づけようとして動きを止めた。
「なるほど。ずっと手袋をしていたのは」と私の手をひっくりかえして、潰れたマメだらけのてのひらをみつめた。「この手を隠していたのか」
「そうよ。一発で病弱令嬢ではないとバレてしまうでしょう?」
「だな。でも」と彼はてのひらにくちづけた。「世界で一番美しい手だ」
「そんな物好きな王子様がいるとは思わなかったわ」
ラウレンツ殿下は微笑むと、また私を抱き寄せた。
「婚約破棄をして王族を離脱して、ヴァルに会ったら伝えたいことが沢山あったんだ。俺がどんなにヴァルに惹かれているか、なにも言わずに別れたことをどれほど後悔したか」
「ええ」
「なのに、今はなにも出てこない。幸せすぎる。夢なんじゃないかと心配になる」
「私も!」
顔をあげると、目が合った。ふたりで笑う。
「ヴァルにはフラれると思っていた」と殿下。
「そうなの?」
「全然俺に興味がなさそうだったじゃないか!」
「がんばって、そういうフリをしていたのよ。なにしろ強制された婚約者がいたから!」
「だからそれは、父上が悪い」
クスクスと笑い、ふと笑っているのが自分だけだと気がついた。
殿下はまっすぐに私を見ている。
「ヴァルと話したいことが山ほどある」
「ええ。すわりましょうか」
「でも」と殿下は眉を寄せた。「ヴァネッサにキスをしたい」
とくん、と胸が高鳴る。
魔獣退治にしか興味がなかったから、そういうことにはあまり慣れていない。こうやって抱きしめられているのだって、けっこう緊張しているのだ。
でもレイに、カッコ悪いところは見せたくない。
動揺が顔に出ないよう気をつけながら、
「両方すればいいのじゃないかしら」と提案する。
「そうか、両方か」
うなずくと、ラウレンツ殿下の顔が近づいてきて唇が重なった。
それを二、三回繰り返すと、彼は私の肩に顔をうずめた。
「ヴァネッサ。やっぱり、もう帰る」
え……?
どうしよう。私のキスが下手だったとか? なんにもしていないけど。それがよくなかったとか?
「今退かなければ、俺は朝まで居座る」
体に回された腕に力がこめられ、強く抱きしめられる。
「父上に、『ヴァネッサに逃げられないよう既成事実を作ってしまえ』と言われた」
「まあ。では朝までいたら、誤解されてしまうわね」
それにしても侍従侍女たちがあれだけ『マナーが!』と叫んでいる中で、陛下はそんなことを言ったの? 私を信用していないのかしら。
「……ヴァネッサ」
「ん?」
「俺は話をしたくて来た。そのつもりだ。が、自信がない。というより、まあ、無理だ。ヴァネッサがヴァルだと分かってから、可愛さも愛おしさも百倍増しだし、まさかそんな薄手の寝巻き姿だとは考えていなかったし、とにかく可愛くて愛おしい」
愛おしいと可愛いを二回も言ったわ!
「でも」と殿下。「今ヴァネッサに手出ししたら、父上の言葉に従ったと思われる。それだけは絶対にイヤだ」
「……」
ええと、つまり『朝まで居座る』というのは、そういうことなのね。
やぶさかではないけれど、
「陛下にそう思われるのは癪ね」
「だろ?」
ラウレンツ殿下は頬にちゅっと軽くキスをした。
「残念だが、積もる話は明日にしよう」
それから彼は窓から帰ろうとした。
「それこそ夜這いみたいだわ」
「そうか。侍従がうるさいからこのルートをとったんだが」
ラウレンツは笑うと部屋を横切り、廊下への扉を開けた。
「おやすみ、ヴァネッサ」
「おやすみなさい」
彼はまたも私の頬にキスをする。そして、
「これはまだ言っていなかったが」と微笑んで「好きだヴァネッサ」
ドキリと心臓が跳ね上がる。
確かに彼に言われたのはヴァルに対してだった。そして私が伝えたのもレイへだ。
「私も好きよ、ラウレンツ殿下」
「殿下は余計だ」
唇が重なる。
今回は、少し長い。
いや、結構、かもしれない。
「殿下! お姿が見えないと思ったら、いつの間に!」
どこからか侍従のそんな声が聞こえてきた。
けれど今は最高に幸せな気分だから、聞こえなかったことにしておこう。
《おしまい》
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