感動を呼び起こす絵画
不埒な連中をよこした貴族への対応はまだ少しお預けです。
始末した連中の死体を『収納』に収めて幻を消せば、そこにはもう何も残っていない。この場所で賊が10数人命を落としたことなど、誰も知り得ないのだ。
このまま連中の後ろにいる貴族の元へ顔を出しても良いのだが、後回しだ。そんなことよりも今は観光を楽しむのだ。
2週間もの間お預けをくらっていたからな。早く街を見て回りたくて仕方がないのだ。
正直言って、今の私の目に入って来る景色が非常に新鮮に映っているからな。
雪降る街の景色というのは、今までの街の景色と全く雰囲気が異なっていたのである。
なにせ、雪によって全体的に街が白く染め上げられているからな。見ているだけでも楽しい光景と言える。
子供達をそれぞれの目的地に送り届けたら、しばらく街全体を眺めていたくなるぐらいには、私はこの景色が気に入った。
そうだな。この景色、絵にしよう。雪が積もった街の様子を、家の皆に見せてあげるのだ。
私ならば自分の見た光景を魔術によって映し出す事ができるので、必要ない行為と言ってしまえばそれまでなのだが、今は無性に絵を描きたい気分なのだ。
多分、アリドヴィルで久しぶりに絵を描いたからだと思う。何かを作るのは、やはり楽しいからな。思うままに、街の景観を描くとしよう。
「この街を一望できる場所ってあるかな?この街の景色を絵にしたいんだ」
「それでは、城壁を登らせてもらいましょう!入場料は取られますが、ハッキリ言って私達ならタダ同然ですからね!そうしましょう!」
一般人も城壁に入る事ができるだけでなく、上に登って街を見渡すこともできるらしい。入場料は僅か銅貨1枚。
確かに私達ならば入場料などあってないようなものである。折角だし、子供達も連れて行くのはどうだろうか?
って、ダメだダメだ。子供達はこれから行くべきところがあるんだから、私に付き合わせて予定を変えてしまうわけにはいかない。
子供達をそれぞれ錬金術ギルドと騎士舎に送り届けたら、早速城壁へ入らせてもらうことにした。今は絵を描きたくて仕方がないのだ。
ちなみに、新聞によって私がこの街に来た理由を大抵の街の人間が知っていたわけで、当然錬金術ギルドの人間達は私が訪問して来るのを心待ちにしていた。
だが、私がこの街に訪れたその日にセンドー家から騎士が遣わされ、私が錬金術ギルドに登録することはないと伝えていったのだ。事後報告ではあるが、私もヒローから教えられている。
私がギルドに登録しないことを知った時には非常に落胆してしまったらしい。
姉妹達から聞かされたことだが、その日は一日中ギルド内の空気が重苦しくなっていたのだとか。
なにやら悪いことをしてしまったように感じるが、姉妹を錬金術ギルドに送った際に見たギルドの職員達の表情は、皆が皆上機嫌だった。
理由を聞けば、私がギルドに登録しない分、ヒローが定期的に資金を提供するのだとか。しかも、私が解読してヒローに渡した千尋の研究資料を一部ギルドにも共有することが決まっていると教えてくれた。
早速千尋の研究資料を領地の発展に役立てるつもりのようだ。
ギルド側としては、定期的に多額の資金が振り込まれるだけでなく、未知の情報が提示されることも機嫌が良くなる理由になったのだろう。
この調子なら、錬金術ギルドとセンドー家は良好な関係を保って行けるだろう。
次にこの街を訪れた時にどのような変化があるのか、その時を楽しみにしておくとしよう。
話を戻して城壁である。
城壁の高さは35m。これだけの高さがあれば、十分街を見渡すことができる。
高所から見下ろした街の景色は、非常に心に響くものがあった。
屋根に積もった雪に太陽の光が反射して、街全体が光輝いているかのように見えたのだ。
非常に美しい光景だ。景色に見惚れてその場に立ち尽くし、気付けば30分ほど時間が経過していた。
しかし、こういった経験は今後も何度もしていきたいものだな。我を忘れてしまうほどの感動を得られるだけの景色。きっとこの世界には数えきれないほどあるだろうから。
さて、景色も十分堪能したことだし、そろそろ絵を描いていくとしようか。
この景色、一般的な紙のサイズでは流石に小さすぎて魅力が伝わり辛い。
ここはファングダムで王族達の絵画を描いた時のように、大きな布を用いて描くとしよう。
厚さ2㎝、高さ1.5m、幅3mの板を用意して、しわができないように真っ白い布を張り付けてキャンバスを作る。布の固定は魔力を使用すればいい。
『補助腕』を使用して、今のこの街の景観を思うままに描くとしよう。
私が『補助腕』を使用した瞬間、"ダイバーシティ"達が一斉に驚愕しながら納得の表情をしていたが、一体なんだというのだろうか?
まぁ、今は別にいいか。絵を描き終えてこの景色を存分に堪能し、昼食を食べる時にでも聞かせてもらえばそれでいい。
まっさらで何もなかったキャンバスに、少しずつ世界が広がっていく。
私が描く、私が作る世界。それは私が見た、私の模倣ではあるが、確かに私の世界なのだ。私の瞳に映った光景が私の思い、解釈と混ざり合い、それがキャンバスへと反映されていく。
製作しながら思い描いた完成図へと近づいていく様は、自分で引き起こしている現象だというのにとても面白く感じられた。
やはり創作という行為は何であれ面白い!絵画も、模型も、錬金術や魔術具もそれは同じだ。
思い描く理想に向けて試行錯誤を繰り返して完成に近づく過程が、そして完成した時の達成感が、私は堪らなく好きなのだ。
………良し、完成だ。今回も、我ながらいい出来だと思う。私が受けた感動をそのままキャンバスに込めながら描いたからな。この満足感は、アクレインで立体模型を製作した時以上のものがある。
絵画が完成して画材を『収納』に仕舞い始めると、私の背後から拍手が聞こえてきた。
"ダイバーシティ"達、だけでは無いな。いつの間にか私の背後には50人近い人間が集まってきていたのである。
絵を描く事に集中したかったから周囲を察知する感覚を排していたので、まるで気が付かなかった。
城壁に勤めている兵士も勿論いるが、彼等だけではない。むしろ彼等はここに集まってきた者達を誘導することに尽力している。
この高さだからな。落ちたら一般人はただでは済まない。そんな事故を防ぐために、兵士達はこの場に集まっているのだ。
拍手をしていた者達の中には、記者と思われる者もいるな。キャメラを担いでいるから嫌でもわかる。
私が拍手を送っている者達の方へ振り返ると、キャメラを担いでいない記者と思われる人物が待っていたと言わんばかりに私の元へ来て取材を開始する。
「いやあ、実に見事な絵画ですねぇ~!息を呑むような美しさとは、まさにこの事を言うのかもしれません!」
「ありがとう。それで、何故これだけの人だかりができているのかな?」
この状況を見てまず最初に思ったのはそれだ。一体何故これほどのまで人が集まってきたのか?
いや、今までだって私のことが気になるから後を追う者達はいないわけではなかったのだが、それにしても今回は随分と多い。一体何事なのだ。
「そりゃあ『姫君』様がこの街に来たと思ったら、すぐさま領主さまのお屋敷へ向かってしまって、それっきりでしたからねぇ。皆さん、『姫君』様の姿が見たくて仕方がなかったんですよ!」
「私としても早くこの街を見て回りたかったのだけどね。私が何をしていたのか、ヒローからは何か聞いている?」
「はい!稀代の錬金術師であった初代センドー子爵様の研究資料の解読をなさっていたとか!」
記者に教えていたのか。チヒロードを訪れた日、この街に住まう人々からは私を歓迎しようとする気持ちがとても強く伝わってきていたのだが、それがあっという間に子爵家に籠ることになってしまったのだ。
センドー子爵が領民達から強い支持を得ているとはいえ、反感が凄まじかったんじゃないだろうか?
「そりゃあもう!お屋敷にまで足を運ぶことはありませんでしたが、『姫君』様を解放するように署名運動まで行われる程でしたよ!」
「私、そんなこと聞かされていないんだけど?」
「知れば『姫君』様はきっと我等の元へ行くのだろうと判断したのでしょうね。実際のところ、どうでしょうか?」
うん、まぁ、そうだな。そんなことを知っていたら、間違いなく私は一度街に顔を出していたと思う。
監禁されていたわけではないが、街の人々からしたらそんな風に見えていたのかもしれない。
よく署名運動だけで済んだものである。もしもシセラのように多くの人々から支持を集めていてかつ私に対して熱狂的な人物がいたら、暴動が起きていたんじゃないだろうか?
「我々も領主さまから事情は聞かされていますので、『姫君』様が懸念なさるような深刻な事態にはなりませんでしたよ。」
「そう?それならよかった」
「……ところでぇ…」
私の質問に記者が答えたところで、彼から何やらもどかしさを感じ取れた。すぐにでも聞きたい事があるらしい。
視線の先には、今も『収納』に仕舞われる事なく設置されているキャンバスであり、私の絵画だ。
絵画について色々と尋ねたいらしい。そういえば、最初の会話の切り出しも絵画のことだったな。集まった大勢の人間達も、私よりも絵画の方に視線が向かっている。
絵画を鑑賞している者の中には、ここからの街の景色を見た時の私のように、我を忘れてしまっている者もいるようだ。
どうやら今回私が描いたこの絵画、私が思っている以上に人間に影響を与えてしまうものらしい。
家の皆に見せるためだからと、思うままに描いた事が原因だろうか?
「こちらの絵画を描くことになった経緯を、よろしければ教えていただけますでしょうか?」
「私が雪を見るのが今回が初めてなのは知ってるかな?」
「はい。"ダイバーシティ"の皆様から伺っております」
「それはつまり、雪が積もった街並みを見るのも初めて、と言うことでね。私には街の景色がとても衝撃的だったんだ。この光景を絵にしよう、なんて突発的に考えてしまうぐらいにはね」
記者の質問に答えていると、絵画を鑑賞していた人の中に、チラホラと涙を流す者達が現れ始めた。
一体何故だ?
「ああ…そうです…。私も、幼い頃にこうして城壁に登り、この街の景色を見て感動したものです…。今となっては当たり前の光景の筈なのに、この絵からは、あの時私が感じた感動がそのまま伝わって来る…」
「忘れていた何かが、色あせてしまった何かがよみがえってくるようで、とても胸を打たれます…」
私が受けた感動をそのまま絵画にしたのが原因のようだ。
この街の人々も、考えることは同じなのだな。幼い頃にはこの街の景色を高所から眺めてみたいと思う者が多くいたようなのだ。
そして、その時の感動を私の絵画に込められた思い、この景色に対する感動が働きかけて再び呼び起こされたのだろうな。
「実を言いますと、私も今、すんごい感動しております!『姫君』様。こちらの絵画、今後はどのように扱うのでしょうか?」
「うん?どのようにって、持って帰るよ?」
そう答えた途端、あたりの空気が一気に冷え込んだというか、落胆に包まれたような気がする。
いや、気に入ってくれたのは製作した私としては嬉しいが、この絵画は私が楽しむため、ひいては家の皆に見せるために描いたのだ。持って帰るに決まっているじゃないか。そんな悲しそうな顔をしないでほしいんだが?
キャメラを抱えている記者は何枚も絵画の写真を撮影している。
だが多分、この絵画と同じ寸法の写真を用意したとしても、この絵画と同じ感動を得られることはないと思う。
写真はあくまで映像であって、込められた思いまで読み取るわけではないからな。
「あ、あの~、『姫君』様は、チヒロードには後どれぐらい滞在する予定なのでしょうか…?」
「この街は"ダイバーシティ"達の地元らしいからね。一人一人自慢できる場所を案内してもらおうと思っているから、5日間ぐらいは滞在するかな?ちなみに、その間は、引き続きセンドー家の厄介になるね」
私が滞在予定期間を記者に伝えると、集まっていた人々から落胆の気配が消えていた。そして何故か彼等の瞳には熱がこもっている。
何やら成し遂げたいことができたらしい。それが何かは分からないが、成就されるように心の内で応援しておこう。
取材も終えて城壁から降りれば時間は午前14時25分。
街の至る所から美味そうな料理の香りが伝わってきている。
私は忘れていない。"ダイバーシティ"達が『補助腕』を目にした時の反応を。
一人だけならまだしも、彼等は全員が同じ反応をしていた。
それは驚愕と納得。
驚愕は分かる。いきなり腕が増えるのだから、大抵の者は驚くだろう。
だが、納得は?コレが分からない。
彼等は『補助腕』を見て、何に納得したというのだろうか?
"ダイバーシティ"達が『補助腕』を見た時の納得の理由が気になることだし、少し早いが昼食にするとしよう。
城壁に登ってきた人達は、ノアが描いた絵をもっと多くの人々に見てもらうべきだと考えています。




