第八章 セイレーンの 正体見たり マネボラウオ(下)
数日後。
ビリーは再び、例のまき網漁の船隊長に掛け合って、一晩借り上げる旨頼み込んだ。
しかし、前回と異なる所がある。
今回はS級冒険者ドウェイン・タッカー。そしてゼルグ公国エストフ自治区所属の騎士団長、アンソニー・ジャクソンとその部下、ニコラス・ドラモンドが同船することとなった。
「此度は、ご協力に感謝します。」
ドウェインは漁師達を前に頭を下げ、「セイレーンの正体が、おそらくなのですが…分かりました。」
「な……っ」
これにはどよめきが起こったが、ビリーが厳しく制する。
「天候、風等の条件が揃い次第、その捕縛を行います。皆さんにはこれからいうことに従ってもらいたい。宜しいですか」
「それは願ってもねぇことですよ旦那。わしらも、漁場でこんなことされて迷惑しておるし、気味が悪いんでさ。なんでもやりますで。」
船員の一人…彼はこの道三十年を超えるベテランだった…は、頼もしく請け合ってくれた。
そして、その夜はやってきたのである。
星の綺麗な夜であった。
月は無い。灯り船による投光が無ければ、真っ暗闇に星が良く見えたろう。
ドウェインは、漁をしている男達をしり目に、海面に目をこらしていた。
船酔いしそうである。
ウソだ。さっきもう、吐いた。
「冒険者の旦那も船には勝てませんですか。」
エディが笑った。
「そりゃそうだよ、俺は船乗りじゃねえもの。」
ドウェインは、それでも海面から目を離さない。
「しかし…本当にあんな低級魔獣なんですかい?俺、信じらんなくて」
エディがこそこそと言う。
「あぁ。それは間違いない。それでな……」
なにか言いかけたその時、ドウェインの目がキラリと光った。そして…。
「来るぞ!…皆さん!!」
ドウェインが叫んだ。ビリーも続く。
「網から手を離せー!!」「灯りを消せー!!!」「雷撃が使える奴はこっちへ!!」「耳栓も忘れるな!!!」
ドウェインは海面から目を離さない。
と…。
その海面からほんのわずかに、顔を出した生き物があった。しかし、その数がおびただしい。
数千、いや、数万…。
魚。魚だ。
いっせいに海面から顔を出し、口をパクパクさせるその様は、正に異様であった。
辺りに温い空気が充満しはじめた。
と、その時だった。
その数万の魚の口から…歌が流れ始めたではないか。
『もし…そこの漁のお方…』
なんてことだ。数万の魚が一斉に空気を合わせ、同じ声で、女の声で、大合唱しているではないか。
一尾であれば大したことはなかっただろう。しかしこの大群ともなるとどうだ。
すると…その大群の真ん中に淡い光があらわれ、女の形を作り始めた。
耳栓をしていないドウェインは正気を失いそうな心を必死に押し戻した。精神操作の魔法をはじく魔道具が胸元でギリギリギリ…と歯ぎしりしたような音を立てている。なんて強い術だ、もう限界だ。
ドウェインは漁師たちに合図を送った。雷撃を使える漁師が一斉に構える。そして彼らとともに…一斉にその魔法を、海面に向かって投げつけた。
ガパアアアァン!!バリバリバリバリ…!!!
凄まじい音がした。
女の姿と音が消えた。
ドウェインはすかさず光の魔法で辺りを照らし、漁師たちへ、右手をぐるぐると振り回して見せた。
網から手を放していた漁師達が一斉に耳栓を外し、仕掛けていた網を引き上げた。
中には先ほどドウェイン達が雷を放ってねむらせた例の小魚がどっさりとかかっている。そしてその魚たちの中には、いまだ小さな声で、女の声で歌っているやつも居た。
「アレ、聞いても大丈夫なんですかい…?」
ビリーが気づかわし気に言う。
「…えぇ。もうあの群れは統制が取れていません。一匹や二匹ならどうってことない。」
ドウェインは言いながらも、油断なくその網に鋭い視線を向けていた。
とそこへ、同船して一緒に網の引き上げていた騎士団の二人が、
「居た!」「居たぞ!!」
と叫んだ。
「うわァ、なんてこったァ!!」「出たァ!!!」「おえ…っ」
漁師達からも悲鳴が上がる。
ドウェイン達もかけつけた…そして見た。
そこには、大量の魚たちに守られるようにして横たわる、腐敗した人間の死体があったのである。
その遺体はもう、性別も分からないくらいに膨れ上がっていた。
マネボラウオ。
この世界ではスライムに並ぶ、低級魔獣である。
海から河川の下流を生息域としている、雑食性である、住んでる環境によっては生臭く、食べられないこともあるが、水質さえ良ければ高級食材…と、ここまではこちらで言うボラと変わらないが、決定的に異なることが二つあった。
一つは、海に出ている漁師の言葉や、航行する船の音を真似して、その口から音を発することがあるということ。
そしてもう一つは、その能力を使って漁師をおどろかせ、そのすきに海面から飛び跳ねてその口でかみつき、襲うことがあるということ。マネボラウオの歯は鋭くはないものの、胃の筋肉が恐ろしく発達していて吸引力がものすごい。油断していると、露出している腕や足が、まるでタコの吸盤に吸いつかれたようになってしまう。…そしてこの時に、この魚は蚊のように人から魔力を吸い取るのだ。
前にも言ったように、マネボラウオは群れで泳ぐ。一匹一匹の力は大したことないのだが、数十匹数百匹ともなると洒落にならない事態に陥る…魔力切れを起こして昏倒してしまうのだ。油断大敵な魔獣である。
そんなマネボラウオが、何故この遺体を守るようにして生息していたのか…この遺体は一体だれなのか…また、果たして本当にこいつらがセイレーンの正体なのか……?
「マネボラウオというものは、人の魔力を食らうと恐ろしく強くなる、ってのはさっきも話したと思うんだが、このマネボラウオの場合はそれが別の方向に作用する…ってのが最近の研究で分かったんだ。」
ドウェインは言うと、ちんまりと座ってお茶をすする綾子を見た。
時は戻る。
ここは、エマとトマスが暮らす家である。すっかり話し込んでしまったので、トマスの顔を見たかったのもあり店から移動してきたのだ。
「それは一体どのような…?」
「ものまねのレベルが上がる。」
大真面目に言うドウェインの顔に、綾子は思わず飲んでいたお茶を吹きこぼすところだった。
「な、なんですかそれ…ぷぷっ…ものまねのレベルって…」
いかん。頭の中であの大御所ものまねタレントが変顔と共にシンデレラハネムーンを歌いはじめてしまった。
「シャレじゃないんだぞアヤコ。大量の人の魔力を吸い取ったマネボラウオは、その能力のレベルを飛躍的に上げてくるんだ…だから本来はただのものまねだったところがその人間そっくりの思考も手に入れて、しまいには標的に対して催眠、精神操作、幻覚の魔法まで行使できるようになるんだ。そうなったら、それを食らった人間は正気を失うどころじゃなくなる。廃人になるおそれだってあるんだぞ」
これには思わず綾子の顔が引きつった。それはもう、ものまねの範疇を超えている。
「それで…」
綾子は最も気になっていることをたずねた。「その、ご遺体は一体誰だったのです」
身元は、間もなく判明した。
遺体の腐敗、損傷は激しく、そのままでは性別の判定も難しい状態だったのだが、ここでもこの国の魔法技術の高さがものを言ったのである。
その都から派遣されてきた、もやしのような体つきをした男性の研究員(…しかし彼は国の直轄する機関に所属する、遺体鑑定者…エリートである)が、ドウェインにも判別のつかぬような、複雑怪奇な術を行使した末に目に入ったそれに、ドウェインは思わずうめいた。
頭蓋骨だったはずのそこには、白骨前の状態の本来の顔が、一時的に復元されている。
知っている顔だった。
その研究員は両手で、その魔法陣を維持している。ブウン…ブウン…とその手元の陣がうなりを上げていた。
そんな研究員に向かって、団長のアンソニーが声をかけた。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
「もう大丈夫なのですか?」
研究員が術を解かぬまま、えっという顔になった。
「あぁ。これは絵姿を取るまでもない…。有名人だからな。」
アンソニーの眉間に、しわが寄った。
「…だな。」
ドウェインも同意した。
研究員が頭を下げて、その場をあとにする。
二人とも、言葉を失っていた…が、やがてアンソニーの低い声が、その沈黙を破った。
「…ここにおられたか。都中の人間が、貴方を探していましたよ……イレーネ嬢。」
イレーネ・コルヴィジエリ。
首都イブライムどころか、この大陸一ともうたわれる歌手・女優である。
この世界にはテレビや映画というものは存在しないので、女優というとすなわち、舞台女優をさす。
彼女は苦労人であった。
生まれがどこかも分からない。物心ついたときには、旅芸人の一座の中できらびやかな衣装に身を包み、くるくると踊っていた。
親も分からない。すくなくともこの一座の中には居なかった。ひょっとしたらあの一座の座長が何か知っていたかもしれないが、それも死人に口なしである。
座長が死んだのは、まだイレーネがようやく彼の身長の半分をこしたくらいの背丈の頃だった。
その日。
一座はシゲルダ王国での講演を終え、その属国であるゼルグ公国へと入った。
国境での検査場を越えると、しばらく山間の道を進む。両方には山や崖が連なり、日中も薄暗い。
一座は馬をなだめ動かし、その道を行っていた…その時だった。
突然、片側の崖が崩れた。
逃げ道などない。ひとたまりもなかった。
首都イブライムと、シゲルダ側の辺境伯領から騎士達がすっ飛んできた時はもう手遅れだった。
助かったのはイレーネ少女、ただ一人だったのである。
その後も、波乱ずくめの彼女の人生は続いた。
そして10年後。
彼女はとある舞台で主役に抜擢され、一躍スターの座へと登りつめる。
その舞台の名こそ、『セイレーン』。
あのエストフの海に巣くっていたセイレーンをモチーフに脚色された、それであった。
彼女はこの悪役兼主役のセイレーンを、その生まれ持った美しい歌声とともに、見事に演じきって見せた。
文句なしの大ヒットであった。
この公演を観て、彼女の歌う悲恋の歌に涙しない者は居なかったという。
しかし、そんなある日…。
彼女は突如、行方をくらました。
公演関係者、興行主である商社、スポンサーについていた伯爵までもが伝手をフルに使って探し回ったが、いない。
彼女は自らの稼ぎで手に入れたその可愛らしいお屋敷から、こつ然と姿を消してしまったのである。
そしてその一か月後、彼女はこのような姿で、ドウェイン達によって発見されたのであった。
綾子は絶句していた。
その後ろではトマスが、ぷうぷうと寝息を立てている。エマと入れ替わり、仮眠に入ったのだ。
二人の声も、自然と小さくなる。
「…つまり…そのマネボラウオは、イレーネっていう歌手の身体にあった魔力を使って、幻覚の魔法で漁師を襲っていたと…?」
「そうだな…」
「さっきドウェインさん、『大量の人の魔力を吸い取ったマネボラウオは、その人間そっくりの思考も手に入れ、幻覚の魔法まで駆使できるようになる』っておっしゃってましたよね…。てことは、彼女は最期…」
「そうだな…。」
ドウェインは苦い顔で、「きっと、そうだ…。」
彼女はきっと、もっと歌いたかったのだろう。
舞台に立っていたかったのだろう。
そして、いまわのきわに、こう叫んだのだろう。
"わたしは、ここにいます。たすけて…迎えに来て…たすけて…一緒に来て…わたしをたすけて…わたしを"
その後。
アンソニー率いるエストフ自治領所属の騎士団は、目ざましくはたらいた。
あの時目撃した漁師たちには、ビリーを通じてかたく口止めを頼んだ。そのときアーサーがビリーに少しばかり、その懐に何か忍ばせていてビリーが(いやいや、ちょっとこまりますって旦那!)とかやっていたが、ドウェインは見て見ぬふりである。
そしてアンソニーは次に、あの時いた漁師達の中の一人に監視を付け、泳がせることに決めた。
そう、あの時。
「うわァ、なんてこったァ!!」「出たァ!!!」「おえ…っ」
この声の中にこんなのが混じっていたのを副官のニコラスが聞き洩らさなかったのだ。
「なんで…なんで出てきた……」
それは、魚を探し出す船に乗っていた、それは目立たぬ風采の初老の漁師であった。
こうなれば、あとは芋づる式だった。
その漁師が向かった、明らかにヤミ営業と分かる何を出してるか分からない店の店主を少しばかり揺さぶって、『アンタあの男にナニ依頼した、あァ?』とお伺いし。(これにより、あの漁師がイレーネの遺体に大量の重しを付けてあの海域に遺棄していたことが判明。ちなみにこの漁師はギャンブルに手を出して借金があった。)
その依頼主をたどったところ、その者が、とある別の街の領主の屋敷ではたらく使用人であることが分かり。
さらにその領主のそのまた上司にあたる、その街を含む一帯を治める伯爵がなんと、舞台『セイレーン』の興行主に大量の投資をして、行方不明になった時も必死になって探していたあのスポンサーであることが判明したのだ。
他にもうす暗いものや状況証拠、物的証拠もゴロゴロ出てきた。
こうして、丁度綾子がドウェインと出会ったこの日の昼。
この芋づるどもは根こそぎ連行、逮捕された。
最も難航したのがこの伯爵だったが、何度も申し上げるようでアレなのだが…この国の騎士団員があやつる例の尋問魔術は、こちらの自白剤より強力である。
天下の伯爵も、これには勝てなかった。
ドウェインとアンソニーは以前、別の依頼(向こうは任務)で合同で動いた時に意気投合。以来、エストフに来たら酒を酌み交わす仲です。
アンソニーは娘さんと息子さんがいらっしゃいます。