第七章 冒険者あらわる!
『見事であった。』
その晩。
エマから結局、「どうせ使わないんだから、そのまま使いな。」とあてがわれた、あの日と同じ離れの小屋に、再びトト様がお見えになった。
「やってくださったのは村の人たちです。私は何も…」
『…そなたの国では謙遜は美徳かもしれんが、そこは素直によろこぶところじゃぞ。』
「…。」
綾子は白い歯を見せ照れ笑いになり、「…ありがとうございます。」
『しかし、ようも焼けたな。』
そう。白い歯が目立っているのは、綾子の肌がこんがりと日に焼けたからだ。
半年前瀕死の状態だった姿からは想像もつかない。いかにも健康そうだ。
「楽しい時でした…。私、本当に植物が好きだったんだなって、思いました。」
もちろん、ここまでの道のりは平坦ではなかった。病気や虫にも気を付けないといけなかったし、収穫期には鳥もやってきた。村の者たち総出で網をかぶせたのはいい思い出である。
『しかもあの呪いによって失われた魔力まで取り戻すとは…。しかもあのような方法で…。儂も考えが及ばぬところじゃった。』
「ああ…あれは…。」
綾子はまた照れ笑い、「私の手柄では無いですよ。」
そうなのだ。
今回綾子は、この村の土壌の質を改良させただけではなく、魔力も取り戻すことに成功したのである。完全に、とまでは行かないが、この方法を数年継続すれば、元に戻っていくはずだ。
それは、綾子がこの村に拾われてから一ヶ月ほどが経ったある日のことだった。
あれから村の人達が行った堆肥づくりは無事終わり、今は発酵の真っ最中だ。昨日も様子を見に行ったが、触ると熱がしっかり出ていて、湯気も出ている。順調だ。
しかし綾子は、浮かない顔だった。
(村の誰も、石灰の存在を知らない…)
これであった。
ここの気候はまだよく分からないが、一般に土というものは風雨にさらされると酸性に傾くものである。
なので、それをアルカリ性に傾けるために石灰を撒く、というのが重要になってくる。特に研究室や農業の実習時代に使っていたのが苦土石灰、というもので、これを土に混ぜることで、アルカリ性にするだけでなく、これに含まれるマグネシウムが葉緑素の形成を促してくれる。作物の育成には必須の改良剤だ。
ところが、その石灰のありかが全く分からない。村の者や領主のエドガーに聞いても、セッカイというものが何なのかがそもそも分からず、首をかしげるばかりなのだ。
…ひょっとしたらこの世界には石灰というものが無いか、発見されてないか…。
いずれにしても、これは代わりの物を考える必要がありそうだ。
…とここまで思考して、調べていた書類から顔を上げると、もう外は真っ暗だった。
現代の日本とはワケが違う。目の前のオイルランプもどこか、頼りなげだった。
…と、そこへ扉の向こうから足音がする。この音は多分エマだ。
開けると果たしてそこにいたエマが、にこりと綾子の赤い髪をなで、「たまには食べに行こうか。」と言った。
やった。外食だ!
綾子は目を輝かせて頷いた。
この村に、食事や酒を出してくれる所は一か所しかない。そしてそこは…街道沿いを歩く旅人用の宿も兼ねていた。先代の女主人の名から、クラリスの宿と呼ばれている。
大柄なエマに手を引かれていくと、村の人達が次々に、「おっ、姫さま。」と声をかけてくれる。トト様から神託を受けている巫女姫…が縮まっているのだそうだ。
「姫さま。あんた、凄いことをなすってますぜ。あのお作りになっている…タイヒって言うんですか?あれから物凄いエネルギーをわしらは感じてますで。あれを土にすき込めば、もう豊作はみえておりまさあ。」
堆肥作りを手伝ってくれていた初老の村人が、目を輝かせて言った。
聞くと、農業に元々従事しているほとんどの者が、それを感じているという。
これはこの世界でも行けるかもしれない。
綾子はなんだか、嬉しくなった。
その古びたベンチにつくと、エマに声をかけてきた男があった。
「あら!!ドウェインじゃないか!!」
振り返ったエマが、驚いた笑顔になった。
「…久しぶりだな。トムはどうした。」
男は辺りを見回した。どうも夫のトマスとも知り合いらしい。
「あの人は今日、急に回復薬の大量発注が舞い込んできてね…。大鍋を前にして今仕込み中さ。今夜はあたしも手伝って、寝ずの番だ。」
すでに、夫のためにここのおかずを持ち帰る予定でいて、店主にも頼んであるのだという。
そういえば今朝も森で薬草採取の手伝いをしたっけ。あれはとんでもない大量だったが、そういうことだったのか…と綾子は思い至った。
この辺りは本当に、魔獣が出ない。一日森に居たが、出くわしたのは本当に、こちらに実害のない獣たちばかりだった。あの鹿は本当にかわいかった…どうも、これもトト様の御力なのだという。
「ここは良いよなぁ…。」
男は遠い目になった。「川の向こうは、戦場だぜ?正直言って。」
「やっぱり…昔より強くなってるのかい?」
エマが、厳しい顔つきになった。
「あぁ…。ここ数年、また強くなってやがる…。」
男がうつむくと、その赤茶けた髪が頬にかかった。
この辺りは、本当に魔獣が出ない。
綾子もまだ、現物を見たことがない。
しかしその脅威は、綾子も村の者達も、身をもって知っていた。
つい数日前も……。
「大変だ!エマ。またやられた…!」
扉がまた開くやいなや、村の老人が口に泡を食って外を指さした。
トマスも一緒に三人で駆けつけると、そこには……。
「うっ……」
綾子の顔が引きつった。
敷かれた布に横たわっているのは、商人らしき小太りの男性だった。脂汗が噴き出し、苦悶の表情を浮かべうめいている。それもそのはずだ、彼の脇腹はえぐれ、血がどくどくと布を染めている。むしろよく意識を失っていない…。
「アヤコ!何をしてるんだい、血を止めるよ、早く!」
エマの叱咤に綾子ははじかれたように、鞄から清潔な布地と血止めの薬の瓶を取って渡した。トマスが受け取り、薬の蓋を開け、何か詠唱しながら布に薬を染み込ませる。その間に綾子はこの男の肩を全体重で抑えつけた。この薬は激痛を伴う。
トマスが黒い液をたっぷり染み込ませたその布を当てた。
男が絶叫を上げ、暴れた。綾子は必死に抑えつけながら、声をかける。
「がんばってください!!今治療に入ってます!!!お薬が入ってますから!!!」
こんなのが、二日にいっぺんは起きるのだ。
「一昨日のはたしか…タンカクジシでしたっけ。」
綾子がエマを見た。
「あの脇腹のえぐれとあの商人のおじさんの話からすると、多分そうだね。」
エマは頷いた。
タンカクジシとは、耳の手前に短い角と牙を持った、イノシシのような魔獣である。
普段は群れで生活していて大人しいのだが、出産のシーズン(春、秋)になると人を襲うことがある。
そしてこれは魔獣全体にも言えることなのだが、人の血肉の味を知った魔獣は恐ろしく強くなる。これは人の体内を流れる魔力を魔獣が吸収すると、相乗効果を及ぼすことが原因らしい。またこれは逆も成立する…魔獣の肉は人間にとっても大事なタンパク源で、特に魔力切れを起こしている人間には回復食として非常に有効だ(…が、魔獣とは違い、恐ろしく強くなったりはしない)。特にタンカクジシの肉は美味い。綾子もこの宿で食べさせてもらったことがある…噛むと、じゅわりとうま味が出てそれは美味かった。
話を戻そう。
「…で、エマ。この子は?」
男が、真っ正面でちんまりと座ってシチューをほおばる綾子を見た。
「ああ。この子はアヤコと言ってね…」
エマは男に、あらましを話した。
「…ほう。それは興味深いな。あの御神木から神託を受けているとは、お婆様以来じゃないか?」
「そうさね。でもまぁ、ここの土が元通りになるまでの期限付きだそうだよ。そうだね?アヤコ。」
エマがまた、綾子の頭をなでる。
「そうです。」
綾子は口元を持っていた手巾で拭くと、こっくりと頷いた。
「そうか…。大役を任されているんだな。立派だ。」
男は目を細めると手を差し出し、「俺はドウェイン。ドウェイン・タッカーだ。今は冒険者をしている。」
(うおぉ…出た冒険者…!)
握手に応えながら、綾子の顔がわくわくと輝いた。
「俺は昔、エマと組んで仕事を請け負っていたんだ。」
ドウェインは言った。
「こいつが攻撃。こいつは魔法と剣両方出来るからね。…で、あたしが回復。それであと二人くらい、その時の依頼に応じて魔導士だったり、斥候だったり…ここは入れ替わり立ち代わりで雇ってね。ギルドから色んな依頼を受けたもんさ。」
エマは懐かしい目になって、言った。
「斥候は、索敵だとか、潜入だとかそういった能力に長けてるんだ。攻撃は弱いが、探索には彼らが居ないとどうにもならないことも多い。大事な役割なんだよ。」
ドウェインは教えてやった。
「…それで、どうして今は…。」
綾子がおずおずと聞いた。
「見ての通りさ。あたしが足をやっちまってねぇ。」
「…あぁ…やはり足を悪くされていたのですね。」
前から気になっていたのだ。
よく見ていないと分からないのだが、少し歩き方がぎこちないのである。特に屋内を歩く時によく聞いてみると『ツ…タン、ツ…タン』、という音になる。右の足を少し、引きずっているのだ。
実は回復術師は、自身に回復魔法を使えない。しかも、他人からの回復魔法も、効きづらい…だから、冒険者や騎士団に居る回復術師は、他の攻撃役によって大事に守られながら、回復魔法を行使するのだ。
しかしエマはおそらく…その守りをかいくぐられ、攻撃を受けたということなのだろう。
「あれは本当に…油断だったな…」
ドウェインは苦い顔で笑った。
相手は、オークの群れだったという。
灰色の肌に透けて浮かぶ黒い血管。耳はとがり、鼻はひしゃげ、魔獣の中では数少ない二足歩行する種族である。知能も高い。そしてとんでもない怪力で…並みの人間では太刀打ち出来ない。
そのオークの仕掛けた罠…それは、山道に仕掛けられた落し穴だった…に、エマは落ちてしまった。そして足の骨を折ってしまったのだ。
「それで、どうなったのです」
「自分で言うのもなんだが、あの時のメンバーは充分強かったからね。広範囲で攻撃魔法を放ったり、あっちの大将と戦って見せたら、向こうも戦意を失ってくれて…退いたよ。でも、エマは負傷した。」
「足元を見てなかったあたしもあたしだったから、気にするなと言ったんだけどねぇ。」
エマは苦笑いになった。
「まぁ、しますよね…」
「だろ?まぁそんなこんなでコンビは解消になって、エマは冒険者を抜けて…今ここで治療院を開いてる、ってワケさ。」
ドウェインは言いながら、酒のおかわりを頼んでいる。
「トマスさんとはどこで?」
「あぁ。トムは俺の幼馴染なんだ。」
ドウェインが言った。「コンビがこんなことになって、俺、少々落ち込んでさ。で、久しぶりに故郷に帰ってトムと飲んでたら…何となくだけどエマと合うんじゃねえかなって思ってさ。あいつは知ってると思うが、回復もやれるが薬草も専門だ。あいつならエマの足を治せるかもと踏んだんだ」
で、会わせてみたら思った以上にトントンと話が進み、二人は夫婦になったのだという。
完全に歩けず麻痺まで出ていた足も、トマスの根気の治療で歩けるまでに回復した。
そして現在、二人の間には一人息子がいる。
血は争えぬそうで、その子も回復魔法が使えるのだそうだ。去年、無事入学試験をパスし、都にある魔法学院へ入学しているのだという。
「…なるほど。では君は今、トト様からの声を聞いて、その通りに土の改良をしていると…。」
「そうです。」
綾子は即答した。
お察しの通り…これは嘘である。実際は日本にいた頃の綾子自身の知識を活かしているのだが、彼女自身が『かつてニホンという国で植物を研究していた24歳の大学生だ』ということは領主のエドガーも含め、誰にも言ってない。これは単に、『言っても信用してもらえないだろう』という理由からである。なのでそのことを知っているのはこの世界ではただ一人…この村の守神、トト様のみである。
「そうか……。たしかに、魔力を一切使わずに農作業をする、というのは俺も聞いたことが無いな。」
耕す…だとか害虫を駆除とかは手作業だが…と、ドウェインが思案する顔になって言った。故郷に農家の友人がいて、知っているらしい。
「私は、そういった力を感知する能力が無いので分からないのですが、ドウェインさんにもこう、土の魔力がどうとかって、分かるのですか?」
綾子は素朴な疑問を口にした。
「ああ…そうだなあ…。ちょっと俺は分かりづらいかな。」
ドウェインは言って、「おいエマ。この子は魔法についてどこまで知ってるんだ?」
「体の中を、血と一緒に巡ってる、ってとこまでは教えたよ。最近は無詠唱で火を起こせるようになった。生活魔法はもう大丈夫だね。」
エマは正直に答えた。
「なるほど…。アヤコ。お前もそうだから言うんだが、俺たちが自分の身体に持ってる魔力量は高い。正直、『その年齢になるまでよく魔法学院の連中が気づかなかったな』というくらいには、お前のは特に高いし、まだ子供だから下手するとまだ増える可能性だってある。…そうなると、自分の魔力がこう、体の周りの空気にも漂ってくるんだ。」
…ほうほう。綾子は身を乗り出した。
「そうなると土の中にある魔力だとか…空中を漂ってくる魔力。これは正しくは魔素って言い方をするんだが、これはもう微弱過ぎて分からなくなってしまう。だから、俺たちは感じ取れないんだ。」
おぉー…。綾子は感心した。と同時に嫌な予感がした。
「あれ…。ってことはひょっとして…私、農業向いてないです?」
「え!!!あんた、まさか農家やるつもりだったのかい!!」
エマがすっとんきょうな声を上げた。
見ると、周りで飲み食いしてた村の人たちの中にもビールを噴き出している奴がいる。綾子はなんだか恥ずかしくなり顔を真っ赤にした。
「あはは、ごめんごめん。馬鹿にしたとかじゃあないんだよ。ただね。もしあんたが農作業をしようとしたらとんでもないことになることは確実だからね。」
エマは言った。
「アヤコ。お前はもう知ってると思うが、農作業ってのはまず、手を土につけ魔力を流して、土壌の改良を促すというところから始まる、ってのは知ってるな?」
ドウェインは綾子が頷いたのを確認すると、「あれは実は、物凄い繊細な魔力操作が必要なんだ。例えるならそうだな…千本の縫針に髪の毛くらいの細さの糸を一本一本通していくようなイメージなんだよ。」
なんだって。綾子は開いた口が塞がらない。
「だから、今度は逆に農業をやる者はその体内に魔力をあまり宿していない人の方が適しているんだ。それによって、微細な土の中の魔素や、状態も感知出来る。」
ここまで聞いた綾子は、また嫌な予感がした。
「…えっ。ってことは、例えば私がここで魔力を使って畑を耕そうとすると…」
「天災が起きるな。地震、地割れ。下手すると地底からマグマを呼んでしまうかもしれない。この村はひとたまりもないだろう。」
のおぉぉぉぉおう。
ドウェインの即答に綾子は頭を抱えた。
異世界で農家になる夢、潰えたりし。その瞬間であった。
「まあ、それはそれとして…。その、魔力を使わずに土の改良をする、っていうそっちは順調なのか。」
「あ、はい。それは。でもあと一つだけ原料が足りなくて…。」
綾子は思い切って相談してみることにした。
「…うーん…セッカイ…。聞いたことがないな。」
ドウェインも首をかしげている。
「こう、白色の粉末なのですが…。一応、本当は人骨でも代用できるそうなのですが、倫理的にちょっと…。」
「それは厳しいね。」
エマもうわぁ、という顔になった。
「あとは、皆さんのお宅にある暖炉の灰かすですね。ただ、これは量が全然足りてなくて…。」
この村にある家の数は、12。12世帯しかない。
しかも、この灰は水に混ぜて噴霧することで殺虫剤としても使えるのだ…村の者はすでにこれを知っていて、毎年やっている。つまり、その殺虫剤として使われるために肥料として使う分が無いのだ。
「ふうん…人の骨が使えるのか…。」
ドウェインは思案した。
「…あんたまさか」
墓あらしでもするんじゃないだろうね。とエマがじろりとドウェインを見た。
「するかよそんなの。そんなことしたら牢屋行きだぜ。」
違う違う、とドウェインはかぶりを振って、「人の骨で駄目なら魔獣の骨ならどうだと思ったんだよ。」
「えっ。」
これは考えつかなかった。確かに、カルシウムを主体としたものなら良いのだ、魔獣の骨の組成がどうだかちょっと分からないが、行けるんじゃなかろうか。しかし…。
「確か魔獣の骨って、毒が含まれる場合がありますよね。」
「毒のあるヤツ、無いヤツの見分けは付くさ。第一、その鑑定を専門にしている職業もあるんだ。鑑定させてやれば、問題無いだろう。」
「あと、魔道具としての利用価値も高いと聞きました。かかるお金が天文学的になってしまうのでは…。」
「それも問題ないな。道具に使える骨は、熟練した冒険者でないと倒せないような上級魔獣だけだ。…実はなアヤコ。ついこの前受けた依頼で、とある低級魔獣を倒したんだが、それで大量の死がいが出ちまってな。困ってるんだ。」
「…?」
これには綾子、思わずエマと顔を見合わせた。