最終章 またね。
イスルは滅亡した。
あの火柱はやはり、魔王の弟フリードリヒ・ヨーゼフ・ヘルネルストが起こしたものだった。
あの日……の前日。
魔王の息子、アーノルドによって重傷を負ったモーガン・ヒックスは残った体力をふり絞り、イスルの首都……王城まで戻った。
暗闇の目立つ城内。かろうじて見えるその玉座に座っていたのは確かに、イスル国王であった。
ぶよぶよと水太りした体躯。大きな宝石がはめられた指輪がどれも食い込んでしまっている。
しかし様子が変だ。
顔色は真っ白で、息をするのもしんどそうだ。
すると……。
玉座の後ろからしわだらけの手がにゅう、と伸びてきたかと思うと、それがついと動いた。すると王の体がぐらりと傾き、板戸が倒れるようにドシャア、と倒れた。
その場にいた侍従も、宰相らしき男も、誰一人気にもとめぬ。いや、正確には……皆白目をむいて口からよだれをボト……ボト…と垂らしていた。皆、立ったまま気を失っている。
やがて、その手の主が暗闇からあらわれた。
もしここにゼルグ大公、セシリアがいたら小さく悲鳴を上げていたに違いない。
魔王、ルートヴィヒうり二つの整った顔。しかしその眼窩は落ちくぼみ、シルバーの髪もぼさぼさで、それはまるでルートヴィヒを死に際まで老け込ませたような姿だった。
「見ておったぞ……」
フリードリヒは白のマントをひらめかせドカリと座るやいなや、また左手を下へひょいと振った。
ズドン、というものすごい音がした。
跪いていたモーガンの口から血が吹きこぼれた。とっさに手で抑えるも、ぼたぼたと冷たい床に落ちてしまっている。
「お前には失望した……」
「まことに、申し訳なく……」
重傷の上にこの仕打ちだ。モーガンの声は蚊の鳴くようであった。
「こうなることが分かっておれば……はじめから我の血をそなたに持たせておくのであったわ……」
もしあの場にフリードリヒの血があったら綾子は間違いなく、吸血鬼と化していただろう。シゲルダ王国は壊滅していたに違いない。
「陛下。まだ不安定な御身です……もし血を抜き取れば、お身体は再び煙となられていましたでしょう……」
すると、フリードリヒは苦虫をかみ潰したような顔になって、黙ってしまった。
モーガンの言い分は正しい。
フリードリヒはモーガンの必死の治療でようやく、刺さっていた銀の矢じりのほとんどを抜き去ることに成功した……ここまで、10年もの歳月を要した。その姿がここまで実体を保てるようになったのもつい最近の事である。
「……チッ」
フリードリヒは舌打ちをして、「この状態ではまだあの男には勝てぬ。勝つには……この忌々しい銀を全て取り除かねば始まらぬわ。そして妻の生まれ変わり……あの魔力と血は間違いない。あれをこの手にすればあの男はすぐにでも……」
「それにございます、陛下。」
するとモーガンは目から血を流しながら震える手を掲げ、こう続けた。
「陛下に良いお知らせがございます……先刻、私はあの魔族の眷族の竜から鱗を盗み出すことに成功いたしました」
「なに」
フリードリヒの目がギラリと光った。
「これで、残り20本の矢は全て抜き取れましょう」
これを聞いたフリードリヒは急に満足気な顔になり、「良かろう」と言った。
すると、次の瞬間。
モーガンの身体の傷は全て、きれいさっぱり無くなっていたものである。
こうして、あの日はやってきた。
その日。
フリードリヒは王城のてっぺん……屋根の上にいた。
どんよりと曇った空。
白昼である。
ようやくフリードリヒは日の下で真っ白いマントをはためかせ、堂々と立つことを得た。
すると、フリードリヒの両腕がスウ、と上がった。
「ママ、あれ……」
城下で母親に手を引かれていた男の子が一人、豆粒ほどにしか見えぬ屋根の上のフリードリヒを指さした。
それが、この親子の最期であった。
ドン、という衝撃が街を一瞬で飲み込んだ。
二人の体はまたたく間に干からび、枯れ木のような姿にされていく。
悲鳴を上げる暇すら、無かった。
あの火柱はこうして起きた。
フリードリヒはあの一瞬のうちに、首都にいた一般市民、貴族、王族……つまり全員……二千人の血、生気、魔力、これを全てごっそりと奪った。
即死である。
生き残ったのはモーガンと、王城にいた騎士一名。冒険者くずれの男一名。そしてゼルグ公国で罪を犯し国外追放となっていた元伯爵令嬢…これだけだった。
彼らはたまたま、魔族による遠隔攻撃を無効化する特殊な魔道具を身に着けていたため、助かっただけだ。
しかし、この三人も助からなかった。
モーガンの手によって、無理やりフリードリヒの血を飲まされ吸血鬼にされてしまったのである。
三人は首都を出ると、西へ東へ、南へと散った。そして次々と周辺の村や町を襲い、時に人を食料にし、時に吸血鬼へと変えながら、その勢力を拡大していった……。
ルートヴィヒ率いる魔王軍が到着したのは、その翌日であった。
焼け野原と化した、首都。
その中に二間(3.6m)ほどの間をあけて、男が二人大剣を構えている。
魔王ルートヴィヒと、その弟フリードリヒ。
かつては仲の良い兄弟だった。
しかし今、その弟は狂人と化して、兄に剣を向けている。
すでにその記憶も、失われていた。残っているのはただ、ルートヴィヒに対する恨み、呪い、怨念。
その怨念に当てられ、干からびた大地から次々と黒いヘドロのようなものがボコボコと湧き出ている。毒だ。土が腐って、毒を出している。
「近寄るな!!触れたら我々でもひとたまりもないぞ」
アーノルドの叫び声がしている。
二人の周りには魔王軍の半数近くが、戦いの行く末を見届けようとしていた。
そして。
ダンっ、という地を蹴る音と共に沈黙を破ったのは、魔王ルートヴィヒであった。
勝負はわずか数分で、決した。
無理もない。
フリードリヒは全快して二千人の人間の力を奪ったとはいえ、完全に回復出来てはいなかったのだ。
今、ルートヴィヒの剣は深々とフリードリヒの胸に刺さっている。そしてその切っ先にはどくり、どくりとうごめく肉の塊があった。
フリードリヒの手から大剣が、ガシャンと音を立てて落ちた。
ルートヴィヒがその身体を抱きとめた。
「兄さん……一体俺は」
これが、フリードリヒの最期であった。
「各員結界!!!」
ルートヴィヒが涙声で大音声を上げる。
そうだ。悲しんでいる暇は、今は無い。
もし前回のように煙になって逃げられてしまったら、また同じことの繰り返しになってしまう。
ただ前回は、聖属性をまとわせた銀の矢を大量に撃ち込んだのみだ。今回は吸血鬼が確実に死ぬ方法……心臓を撃ち抜き、それを日光に曝す、という手段を取っている。前のようなことにはまず、ならない……しかし万が一があっては大事であった。
そして……、その『万が一』は、起こった。
キイイイィーーー……と黒板に爪を立てたような、いやな音がした。
次の瞬間、アーノルドたち魔王軍の精鋭二十人は目を疑った。
その二十人がかりで張った結界がバリン、ガシャンと割れてしまったのである。
粉々になる結界の残骸。
魔王ルートヴィヒはしかし、前を睨み据えていた。
視線の先には、男が一人いる。
フリードリヒの遺体を盾にして立つ、モーガン・ヒックスであった。
後に『五日間戦争』と名が付いたこの戦いは、この北西大陸の歴史上類を見ない事件として、教科書にも載る事となった。
その5日のうちの大半が、このモーガン・ヒックスが放った大量の改造魔獣、その身体に埋め込んだ呪術によって地獄の底から召喚された化け物との戦闘。そして……モーガンが奪取したフリードリヒの遺体の奪還に費やされた。
幸い、フリードリヒの血によって吸血鬼にされてしまった三名はその血の主が死んでしまったため、人間に戻ることができた。その三名が与えた血によって吸血鬼にされてしまった者も同様である。
これにより、元首都の外側で戦闘していた魔王軍は全員、ルートヴィヒの元に戻って加勢することができた。
これにより、魔王軍の数は約200。
対して、モーガンが放った改造魔獣は約1500いた。
一体一体は倒せる。しかし数が多い。しかも倒しても倒しても、またボコボコと新しいのが出てくるのだ……数が一向に減らない。
さらに、まだあった。
あろうことかモーガンは、フリードリヒの遺体を改造……その場で別の魔獣の心臓やらをねじ込み無理やり復活させ、闘わせるという非道に出たのだ。
これには魔王軍の怒りも頂点に達した。
しかし、この八本もの足と六本もの手を持って蜘蛛のように這いまわり、毒や呪いのような物をまき散らし剣を縦横無尽に振り回す『かつてフリードリヒだった物』は、それは強かった。
魔王軍からも何名か死者が出た。一事は撤退を余儀なくされた。
しかしその終わりは突然、訪れた。
モーガンの魔力が底をついたのだ。
戦闘から五日目の、朝の事だった。
こうして……
綾子がフリードリヒの残滓によって命を持って行かれそうになった原因は、あの時モーガンが結界を壊したため、ということが判明した。
しかし、ナタリー・フリーマンが吸血鬼となった経緯だが……これは分からずじまいであった。
見つかったのは、ナタリーが落盤事故で死ぬ二日くらい前に、彼女の独房から男の声がしていた、いつもは見かけない黒いローブ姿の男を見た、という証言があったのみである。あとは何も、分からなかった。
そして今、綾子は……。
ポルタの村にいた。
村の女たちが総出であつらえた、純白のドレス。
傍らではサイラスがおだやかな笑顔で、綾子を見下ろしている。
そして参列者も錚々たるものであった。
元S級冒険者、現冒険者ギルドイブライム支部長ドウェイン・タッカー。ゼルグ国内のギルド長もほぼ全員顔を揃えている。そして近衛隊団長、レスター・コリンズ。シゲルダ王国辺境伯、ローガン・アーサー・カウリッツ・リンドバーグ。ゼルグ大公、セシリア・ウル・イェルス・レゼルグ(お忍びで来ているが全然お忍びになっていない)。とどめには魔王の皇太子、アーノルド・ウォルフ・ノーデンフェルド卿も妻を伴って参列している。
師匠ドウェインはときおり、鼻をすすっていた。もう号泣だ。そしてその隣にはすっかり青年となったドウェインの息子、ルドウィグが憮然とした表情で二人を見ている……どうやら綾子が初恋の人だったらしい。
ゾハス時代にお世話になった騎士団長、レスター・コリンズはあの後、近衛兵に抜擢されさらに昇進を重ね、現在は家族ともどもイブライムにいるのだそうだ。
綾子達二人はそんな参列者に見守られながら聖堂の外へと足を進めた。
外に出ると、どっと歓声が沸き起こった。
ポルタは村から、すっかり町へと変貌を遂げていた。
二人が出てきたこの礼拝堂も、昔はもっと小ぢんまりとしていたし椅子もボロボロだった。それが今や二回りは改築して大きくなっているし、こんな荘厳なステンドグラスも前は無かったものだ。
前は地面丸出しで、馬がひとたび通ろうものなら酷い土煙を上げていた道も、今ではすっかり石畳が敷き詰められ整備されている。綾子がこの世界にやってきた頃はびこっていた前の領主の妻の呪いは、もう消え去った。あの夜、綾子がトト様を復活させたからだ。
二人の前に馬車が着いた。
馬も、馬車も真っ白だ……見事な婚礼の馬車だった。
馬車は町を出、小高い丘を上っていく。
着いた先にあったのは、お墓であった。
この国では、結婚の誓いの儀式の後先祖の墓にご挨拶をしに行く、というのが習わしになっている。披露パーティーはその後だ。
ここへの同席が許されているのは近親者のみだ。なので、サイラスの後ろにもすっかり可愛らしいおばあちゃんとなったエマとずんぐりとしたおじいちゃんのトマス。そして綾子の後ろには……四十を越えたあたりだろうか……男女が子どもを連れて、立っていた。
実はここまで登場出来なかったのだが、彼らはこのポルタの前領主、エドガー・ブラントンの実の息子夫婦とその子どもだ。綾子からすると義兄にあたる。
すると、花嫁姿の綾子がそのお墓に向かい、こう声をかけた。
「義父上」
そう。元領主、エドガー・ブラントンは二年前に無くなっていた。
少し風邪をこじらせたかと思っていたら、その日の晩には容体が急変……帰らぬ人となっていたのだそうだ。
この世界で74、というのは大往生である。
妻、ミランダもすでにこの世に無い。エドガーの亡くなる、数か月前のことだった。
今、二人ともこの墓標の下に眠っている。
綾子の語りは続いた。
「義父上の大量の釣書を蹴って、この人を選んだ親不孝をどうか、おゆるしください。
学生のころ義父上は何度も、社交界に出てみてはどうか。貴族令嬢として、貴方は申し分ない資質を備えているとおっしゃってくださいました。
でも私は結局、冒険者としての道を選んだ。
そんな自由奔放な私を最後は笑って送り出してくれ、やるんだったらS級を目指しなさいと背中を押してくださったこと、今でも昨日のことのように思い出します。おかげさまで……去年、私はSに昇格しました。本当に、感謝しています。
一方で義母上、あなたの口ぐせはいつもこうでした。
『幸せになるのよ。』
『貴方は幸せを手にする、権利があるの。差し伸べた手を信じなさい。掴みに行きなさい。あきらめては駄目。』
私はずっとこの言葉を胸に、今日まで生きてきました。
正直、まだこの言葉の真意は汲み取れていません。
でも、少なくとも、今私は幸せだと思う。これは確かです。
私はこの世界に12年前に、やってきました。
お二人が教えてくださったこと、その中でも一番、身に染みたことがあります。
それは、『自由には責任が伴う』ということ。」
皆、綾子の言葉を静かに聴いている。
はるか後ろには大きな栃の木があって、そこから鳥の声がしているのみだ。
「あの時、義母上は『幸せになりなさい』と言った……。私はこの言葉を胸に、生きてまいりたいと思います。この人と、いっしょに。」
隣で綾子の肩を抱いているサイラスの目に、光るものがあった。
こうしてポルタでひと月ほど、蜜月と休養、旧交をあたためた二人はその後、旅へと出発した。
今回はイスルの旧首都に残留した、あの時モーガンが放った改造魔獣の残骸……それが、どうもフリードリヒの出した毒の沼と混じり、生き返った挙句独自に進化、凶悪化してしまっているものらしい……それの討伐、というのが依頼であった。
依頼主は現在、イスルを分割統治しているゼルグ公国とダエロニア帝国。両国の署名が入っている。異例中の異例だ。
どうも、相当困っていることが見て取れた。
それもそうだろう。
あそこはただでさえ、今回の件で壊滅的な被害を被り、半数以上の民を失っている。復興の最中なのだ。そこへコレだ……これ以上の犠牲は何としても避けたいのだろう。
綾子はその手紙を読み返した。
当然だが、この依頼は他の冒険者のところへも行っているらしい。こちら側からは合わせて15人ほど……中には受けられないという者もいるだろうから現実的には10人ほどになるだろう……そのくらいの数の討伐隊を結成して、事に当たるというものらしい。すでに受けて、イスルに入っている者もいるようで、その中には懐かしい名前もちらほらと見えた。
「アイザックさんか……懐かしいね。」
頭上からサイラスの声がしている。
今、二人はイブライムの宿に入り二人で手紙を読み返していた。明日にはこの先の検問所を通り、イスルへと入る。
外は雪がちらついている。
明日の道のりも、苦労をしそうだ。だが、街道沿いはダエロニア製の除雪が働いているはず……魔獣も物凄い減っているし、まあ問題はないだろう。
外から、酔っぱらいらしい男のご機嫌な鼻歌が小さく聞こえている。
背中は、サイラスのぬくもりで暖かい。
綾子はしあわせを、かみしめていた。
サイラスは、綾子の頭が急に船をこぎ始めたので、手紙をサイドテーブルに起き、ゆっくりとその身体を横たえた。
すやすやと眠っている。
こんな小柄な女性が、こんな細い腕に強化魔法をかけ、十尺(約3m)はあろうかという巨体の魔獣を一人で、打ち倒してくるのだ。
サイラスは気が気ではなかった。現に何度も、彼女は怪我をして運び込まれている。
しかしサイラスは決めていた。
これからは俺が、アヤコを支えるのだと。
サイラスの脳内に高村明の記憶が怒涛のように流れてきたのは、魔法学院で初めて会った夜のことだった。
三日三晩、酷い熱が出た。
しかしその翌朝。すっかり熱も下がりスッキリとしてサイラスが思ったのは、これだった。
「ふざけるんじゃない。」
きっと明とやらは、この世界まで綾子を追いかけてきたのだろう。六十年も死んだ女性を想い続ける……相当なものだ。
しかし俺は俺だ。とサイラスは思うに至っている。
(あくまで一目ぼれしたのは俺であって、明の記憶が流れこんで来たからでは断じてない。)
これであった。
むしろ、少しイラっとしていた。
(こんな男に渡してたまるものか)
これであった。
ひょっとしたら、あの三日三晩は明が、サイラスの身体を乗っ取ろうとしたんじゃないか。とまでサイラスは考えていた。
理由などは無い。ただ、カンであった。何とはなしに、あの三日間サイラスは……戦っていたように感じたのだ。
まあ今となっては、そんなことはどうだっていい。
今自分の腕の中でアヤコが妻となって、幸せそうに眠っている。
充分じゃないか。
サイラスは乱れたアヤコの赤い髪をすこし整えてやり、額にキスをした。そして灯りを吹き消し……眠りについた。
魔獣の襲撃は無い。
穏やかな夜であった。
これにて完結となります。
長きにわたり応援いただき、本当にありがとうございました。




