第十五章 ナメてた。全くと言っていいほどに。(上)
すみません…完全に月一更新になってしまい…。
ちょっと長いです。
こうして、3日が経過した。
朝は早くから起きる。中庭の薬草を採って、苗の具合をチェック。その頃には魔道具屋のおやじの奥さんがパンとスープを置いて行ってくださるので、それで朝食。そこからは一日、怒涛の対吸血鬼用の香油製造作業が待っている……そんな毎日だ。
綾子はもう、あの日から一度もこの作業場から出ていない。
しかし建物に囲まれた中庭はあって外の空気は吸えるし、この香油製造というのが結構な重労働で体を動かせているので、上手い具合に気がまぎれる。おやじも奥さんも気のいい人たちで(この二人は接触を許されている)、夜は談笑したりもする。
そして何よりありがたかったのが、サイラスやローガン、ライラなどから毎日届く手紙だった。
サイラスからは毎回のように、『愛している』『早く君に会いたい』と言う旨が手を変え品を変え書かれている……なんとも気恥ずかしい。そして、その後は決まって、外……ナスカヴァルの街の様子を伝えてくれる。
この内容と、ローガンから送られてくる手紙の内容は、被っている事も多い。
それもそのはず。サイラスは現在ローガンの屋敷に留め置かれ、綾子同様ローガンの保護下にあるのだ。
表向きは使用人、ということになっているらしい。
ただ、サイラスはとある理由で、外には出られていてすでに回復術師の仕事も再開しているらしい。
その理由についても、手紙に詳しく書かれていた。
二人からの報告によると……。
ナスカヴァルは今、大変なことになっているらしい。
あの魔王の弟、フリードリヒ覚醒から一日後。
国境を越えて、イスルから難民がどっと押し寄せてきたのだ。
前にも述べたのだが、イスルと辺境伯領、そしてゼルグ公国との国境を成しているのは山脈である。
山脈、と言うからしてどの山々も標高は高い。軽装で越えられるような山では、とても無かった。
しかし彼らはそこを越えてきた。
聞くと、イスル側の辺境の村の長が度重なる重税に耐えかね、役人にばれないよう秘密裏に、その山の中でも比較的に低い山を選んで横に手彫りで穴を掘っていたと言うではないか。
10数年かけて、その秘密の横穴は通したのだという。彼らはそこを通ってきたのだ。
「穴を抜けると、そばに沢がございました。それをたどって行くと、右手にこの街が見えてきたんでございます」
難民の中にシゲルダ語を話せる者がいて、その者は丁寧な語彙でもってローガンにそう言ったのだとか……。
当然、ローガンも手ぶらで待ち受けてはいない、こうなることは想定済みだ。
蓄えておいた緊急用の資材は全て投げ打った。
そして兄である国王も協力してくれた。首都イスカヴァルにいた人足をかなりの数で手配してくれたものである。
ローガンはその日、荷馬車に詰め込まれやってきた屈強な人足をナスカヴァルの東にある森へと案内した。
行くと、そこだけがぽっかりと空地になっている。真っ黒なそれは頑丈そうな一枚岩がどんと地面を覆っていた。かなりの広さだ。草も生えていない。
あ然とする人足の男の一人が聞いた。
「伯爵さま。これは一体……?まるで魔王さまでもお通りになられたようだ……」
するとローガンはこともなげにこう言ったものである。
「ここにマグマを喚んで魔獣を20体根絶やしにした冒険者がいたのさ。」
無論、綾子のことである。
「さぁ」
ローガンは手をたたいて、「皆の者。仕事だ。ここに設計図がある。この通りに小屋を建ててほしい。ここを難民収容地区にするんだ」
わらわらと男たちが設計図の周りに集まり、口々になにか相談をしたり、指示役とおぼしき男からを受けたりし始めた。
ローガンは空を見上げた。
今にも冷たい雨が降り出しそうである。木々も落ち葉が全部落ちきっている……寒い。
ナスカヴァルはまもなく、雪に閉ざされる。
急がねばならなかった。
この後、イスルからの難民の内動けそうな者……十数人ほどだろうか……彼らも、この作業に加わってくれた。
自らの住む場所を用意してくれようとしているのだ。皆涙をながし、感謝の言葉を口にした。
「うちの村とは大違いじゃ……これが国の差じゃわ……。」
ボロ布を着たような老父がぽつりぽつりと言っている。
「おいじいさん。」
遠い親戚がイスル人で、国の言葉が少し分かったその人足の男は、老父にパンとスープを手渡してやる。
ここから一時間ほど、昼休憩だ。
「おや。これは恥ずかしいところを」
老父は涙をふきふき、ありがとうと言ってそれを受け取る。
「こんな美味いスープはなん十年ぶりじゃ」
老父は美味い、美味いと言ってそのじゃがいもと干し肉が入ったスープをぺろりと平らげてしまった。
「……そんなに国は酷かったのか?」
「それは酷いもんさ。作物は全部国に没収されて、ほんのちょっとの金しか入らんのじゃもの。王城のやつらばっかりが私腹を肥やしおって……」
挙句逃げようとすると最悪死刑になるそうだ。鎖国も、そのために敷かれたのだろうと老父は言った。
「じいさん、教えてくれ。あの日、何があった。どうやってあの穴から逃げてこれたんだ」
聞くと、
「あの日の翌朝よ。村から、役人だと名乗る男が手下の者を従えてやってきた……」
その男たちは、いつもの取り立ての役人ではなかった。
老父がいぶかしんでいた、次の瞬間。
突然、老人の左半身になにか、生暖かい液体がばしゃっとかかった。
血だった。
見ると、たまたま隣にいた男性の首がない。
そこからおびただしい血が噴き出していた。
すると手下の男たちが、まるでえさをついばむ鳥の群れのようにしてそこに群がり、その血をすすり始めたではないか。
役人と名乗る男のの左手に、男のものと思われる首が掴まれていた。
男はニタァと笑った。
目が合った。
老父はたまらず、そこにいた数人とともに震える足腰を叱咤してそこから逃げ出した。
逃げ遅れた村人のたまぎるような悲鳴が後ろから聞こえたが、振り返らない。
(振り返ったら死ぬ……)
これであった。
家につくと、年老いた妻が薄い、具の無いスープを煮込んでいた。
「あんた……!どうしたのそれ」
妻が血相を変えている。
「話はあとじゃ……!わしは殺しとらんから安心しろ……逃げるぞ」
こうして家にいた妻とともに、その村をあとにしたのである。
国境の警備は、誰もいなかった。
代わりにあったのは、騎士の服に身を包んだ大量の死体であった。
全員、真っ白な顔をしている。まるで血が抜かれているようだった。
目の前にいる死体は皆、若い。
息子より、年下だった。
老父の眼からみるみる涙が噴きこぼれてきた。
「あの時は……わしはじじいだから、助かったんじゃろう……。」
他の村人はどうなったか分からん、と老父は言った。
「奥さんはどうしたんだ……?息子さんは?」
男はいやな予感がした。
「あいつは山で足をやっちまってな……」
老父は言って、「わしがおぶった。今街の治療院におる。」
その言葉に、男は思わず力が抜けた。
また、その後老父はこう続けた。
「息子は……実は、この国に嫌気がさして、鎖国前に舟でイブライムに逃げておってな……。ただ10年も前のことじゃから、今どこでどうしておるか……。」
今さら頼るのものう……と老父は言う。
男はすぐに、この話を辺境伯ローガンに伝えた。
ローガンの顔色が変わった。
「その男は朝に来た、と言ったか?」
「……はい」
男もここまで来て、ようやく恐ろしい事実に気が付いた。
日の光が平気なくらい高位の吸血鬼がすぐそこまで、迫っている。
例のゴーレム作戦を取り仕切っていた綾子の同級生、パトリックから朗報がもたらされたのはそんな時だった。
『サイラスの血は、先祖返りを起こしている』。
これはつまり……聖女ネネ様と、ポルタ村の守護神トト様の血が非常に濃いということを意味する。
特に今回ものを言っているのはネネ様の御力らしい。
本来回復術師というのはその元を辿ると『白魔法』と呼ばれ、回復や解呪の魔法しか使えない。つまりその他の魔法はほとんど使えず、火も出せないし水も喚べない者がほとんどだ。
しかし、そんな回復術師が唯一使える攻撃手段がある……それが『回復術師の血』だ。
呪いの属性を持った魔獣、魔族に限定されるのだが、奴らにとって回復術師の血は猛毒だ。聖属性をふんだんに含んだその血は一滴落ちてきただけで全身に大やけどを起こし、ましてや飲むと中の臓器が一気に不全症状を起こし瀕死の重症を負う。今でこそ禁忌行為として厳しく禁じられているが、その昔回復術師の血は高値で取引されていたのだとか……。
そんな回復術師の血だが、サイラスはその力が特別に濃いというものらしい。
それはパトリックがあの襲撃の際現場に残っていた彼の血を解析にかけ、判明したものだった。
曰く……。
「例えていうなら、二級術師のおよそ50倍といったところでしょうか。一級の方でも4、5人分……ここまでの方はいらっしゃらないのでは。どのくらいの力かって?そうですね……例えば……。皇太子アーノルド様がグラスでワインを飲んでいたとしましょう。もし、一滴その中に貴方の血が混じっていたら……今でしたら、一口で即死させられますよ」
これを聞いたサイラスは、すぐにローガンに願い出た。
「辺境伯。治療院にいる同僚の術師から嘆願が届いてます。日中、昼過ぎまででいい。俺を現場に出させてもらえませんか。人手が足りない。このままでは治療院の人間は倒れてしまいます」
全くもってその通りだった。
今、ナスカヴァルの治療院は野戦病院のような様相を呈している。中には吸血鬼に襲われた者、呪いをもろに食らって廃人状態の者、先ほどの老父の妻のように、イスルから来た難民も大量に押しかけている。病床も足りていない……サイラスが抜けた穴は大きかった。
ローガンは一瞬口を引き締めたが、すぐに肩を落して執事にこう言ってよこした。
「チャールズ。すぐにライラさんを呼んできてくれ。彼に変化の魔法をかけさせるんだ。」
そしてサイラスに向かい、
「サイラス。今、うちのジミーが治療院に詰めて怪我人の介助を手伝っている。彼と行動を共にするんだ……いいか。単独で行動するんじゃないぞ。」
ジミーというのはここの使用人らしい。
「分かりました」
サイラスはしっかりと頷いて見せた。
こうしてその日の昼過ぎには、サイラスはダークブラウンのはげ頭に髭をたくわえ、元の二倍はあろうかというずんぐりとした体格で治療に当たっていたものである。
翌日には、難民の数は倍に膨れ上がっていた。
そして綾子の元にはもう一通、手紙が届いていた。
それは、あのパトリックからのものであった。
それによると……何とあのゴーレム作戦は功を奏しているらしい。
現在、あの二体のゴーレムはゼルグとの国境付近まで行っているという。
その間の二晩……いずれも付近住民の巻き添えを避けるため、近郊の農村で使われていない小屋を借りたり、野宿もしているそうなのだが……いずれも、吸血鬼による襲撃があったそうだ。
見事に、あのゴーレムを本物と見間違えている。
そしてその二回ともパトリックが一人で返り討ちにしたり、朝日が出るまでのらりくらりとかわしておき、日光で一網打尽……などと、なんとも無双なことをやってのけているようだ。
『今日はロカツスク(国境近くの宿場町)に詰めていた研究員に吸血鬼の遺灰を渡したよ。熱烈に歓迎されちゃった。』
(こいつ、また鼻っ柱が伸びてやがるな……)
パトリックの伸びた鼻っ柱は学院時代に嫌と言うほど見ている。
『あまり調子に乗らないように。怪我の無いようにね。』
綾子はそう、返事を返しておいた。
そうこうして……。
魔王の弟……フリードリヒ・ヨーゼフ・ヘルネルスト大公崩御の報せがナスカヴァルにもたらされたのは、その日の晩のことだった。
その日。
ゼルグ公国首都、イブライムにはみぞれ混じりの雨が降っていた。
王城正門から城にかけて一直線に続く、石畳の道の周りに人々が集まっている。皆、黒い傘をさしている。
その手には紙だろうか……いや違う、旗が握られていた。その模様は黄色地に竜と黒い翼…魔王旗だ。
そこへ、馬とも牛とも、カバとも知れぬものに乗った異形の者たちが、ざっ、ざっ、ボク、ボクと音を立てて次々とあらわれた。
魔王軍だ。
見事な凱旋である。
しかしその異形の者たちの表情は皆暗い。
まるで敗戦…いや違う。それはまるで、葬送の列のようであった。
すると、旗を振りその様子を見守っていた人びとの中にいた少女がひとり、こんな歌を歌い始めた。
愛する人がかえってきた
その人は黒い髪をなびかせて
茶色いおうまに乗っている
その人はわたしをみつけて
いちもくさんにかけよってわたしを抱きしめて……
それは、戦地から帰ってきた恋人の歌であった。ゼルグではよく歌われる、民謡のようなものである。
しかし少女の透き通ったその声と物悲しい旋律はまるで、愛するものを失ったかなしみを歌っているようであった。
そのたった一人が歌い始めたその歌は一人、また一人と増えていき、気が付くと数百人の大合唱になっていた。
魔族の一人がたまらず、嗚咽をもらしている。
その腕の中では木箱が、大事そうに抱えられていた。
「さ……ようやくだ。本当にご苦労だったね。」
ライラはねぎらった。
「お世話になりました。ライラさん」
綾子は思わずホッとした表情になっている。
「念のため、この結界はあと一日そのままにする。大丈夫だとは思うが……。ただ、近しい者ならここに入って大丈夫だ。サイラスが待ちかねてるぞ……」
ライラは言いさして、ようやく綾子の様子がおかしいことに気づいた。
「おい、どうした」
綾子は答えない。まるで聞こえていないようだった。ただ横を向いて、庭先の一点を見つめている。
つられてライラも、そちらを見た。
中庭の真ん中、レンガが敷き詰められたそこに、火も立てていないのになにか煙のようなものがゆらゆらとしている。
(なんだ、あれは……)
ライラは急に嫌な予感を覚えた。ここは結界内のはずだ。
なぜあんなものがいる…?
「おいアヤコ」
その時だった。
バタン。
綾子の体が横ざまに、椅子から落ちた。
「おい!!!しっかりしろ!!!!!!」
魔道具のおやじが、持ってきていた茶をガチャンと割り落し駆け寄ってきた。
ありがとうございます。




