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第十三章 略奪とか、こっちのセリフだっつの。

 人々が小雨の降る中、傘をさして山の向こうを指さしている。

 雨雲が、その火柱のようなもののあたりだけぽっかりと空いて、そこから青空が見えていた。

 火柱はまがまがしい赤い色と、そして黒い色をまだらのように混じらせながら、上へ上へと一直線に上がり続けている。

 とんでもない大きさなのが見て取れた。おそらく、この山脈のすぐ向こうでは起きていない。

 しかし今、確実に言えるのはあの山脈の向こうはイスルであること。そして……。

「いかん……あれは叔父上の……」

 アーノルドの血が、逆流したようになっているのが綾子にも分かった。

「殿下。早くなされませ。」

 綾子は励ますように言った。

「うむ。すまぬ。これで失礼する。」

 アーノルドは言って、「良いかアヤコ。そなたは狙われておる。くれぐれも……」

 綾子は厳しい表情で、頷いて見せた。






 その数時間後、ゼルグ公国城内……。

 その謁見の間で、黒いマントと軍服に身を包んだシルバーグレーの髪色の男が、この城の主に詰め寄られていた。

「大おじい様。これは一体どういう事です。」

 ゼルグ大公、セシリアは口調こそ静かであったが、確かに怒っていた。

「……。」

 男は言葉に詰まっている。

「フリードおじい様は、この北西大陸にはとても来られぬと、そうおっしゃっていたではありませんか」

 セシリアはさっき、この男のことを『大おじい様』と呼んでいたが、どう見ても50を超えたセシリアの方が上に見える。

「すまぬ。セシリア……」

 男は絞り出すように、「まさか、奴がここまでやるとは……」

「我が国をはじめとするこの北西大陸と、おじい様のいらっしゃる北東大陸とは、不可侵の条約を結んでございます。それをたがえたのやもしれぬのですよ?フリードおじい様は」

「分かっておる」

 男…おそらくこの男は魔王、ルートヴィヒなのだろう。

「イスルが国交を断って10年……中は一体どうなっているのか……」

 あの大きな火柱はこの城がある首都、イブライムからもしっかりと見えた。

 一人や二人の犠牲では済んでいないだろう。

「間もなく、我が軍が到着予定だ。数日で……決着を付ける。」

 セシリアは、魔王のその赤い瞳の奥に、言いようのないかなしみを見た気がした。





 その後、セシリアはすぐ行動に出た。

 この大陸にある4国はすでにこの一件を知っている。あとは自分の国のことだけ考えていれば良い。民の犠牲は絶対に避けたかった。

 そこでまず、東の国境……つまりイスル側との国境の警備を2倍に増やし、厳重にした。

 ここは綾子達が今いる辺境伯領とも、足並みを揃えた。

 イスルから人間の生き残り……難民が押し寄せる可能性も考慮しなければならない。

 救援物資も限界はあったが運び込ませた。

 続けてセシリアは『北東大陸の帝国国王の弟、フリードリヒ・ヨーゼフ・ヘルネルスト大公が反乱を起こし、イスルを乗っ取った可能性がある。イスルの民の中にはすでに低級吸血鬼が生まれている可能性がある。夜は決して出歩かないように』と、全国民に対しておふれを出した。

 ほぼ包み隠さず、公表した形である。

 そして、その夜。

 東の山の向こうからズドン、ドン、バリバリバリという轟音がこだまして、やってきた。

 はじまったのだ。


 国境を警備する騎士たちはそんな中、夜の闇の中目を光らせている。

 予想されていた難民たちは、全く押し寄せてこない。

 気味の悪いほどの、静けさであった。






 3日後。

 綾子はその日も、薬草やら魔獣の臓物の干物やらを大鍋に放り込み、時折、少しずつ魔力を流し込みながら煮込んでいた。

 ここは、辺境伯領都ナスカヴァル近郊の魔道具屋に隣接した、作業場である。

 冒険者ギルドには、あれから一度も顔を出せていない。

 サイラスにも、会えていない。

 綾子は、魔王がその弟を倒すその日まで、この作業場から出られないのだ。

 この敷地にはゼルグ公国が誇る大公直属の魔術師が作ってくれた強力な防護結界と隠蔽の魔術が施されている。綾子本人も赤い髪はブラウンに変え、さらにエメラルドのような緑色の瞳は藍色に変わり黒いフードを被った老婆の姿に変装している。ミックに教わった魔法だ。

 さらに、今煮込んでいるのは対吸血鬼用にここの魔道具屋のおやじが開発したオリジナルの香油だ。

 そう。ここのおやじは以前『魔獣寄せの香』を見破った、綾子やサイラスと同じ霧の騎士団のメンバーの、あのおやじだ。

 今回の一件を受け、ゼルグ大公殿下に言い出て、綾子をかくまってくれている。

 おやじ曰く、この香油は本当に効果があるらしく売れ行きが凄いらしい。

 それもそうだろう。

 あの晩からというもの、本当に低級吸血鬼スレイヴがこうもりのようなその翼でどこからともなくひらひらとあらわれ、この街をうろつくようになってしまったのだ。

 幸い、奴らはアーノルドのような本家?とは違いレベルが低いのだそうだ。なので、日光に当たると死ぬ。また、どうも血を分け与えるというのが出来ないらしく、万が一噛まれても吸血鬼化することはまずない……ただし、ひとたび血を吸われると全身の血を抜かれ、死んでしまう。とにかく、民は夜だけ気を付けていれば問題はなかった。

 しかし綾子とサイラスは、そうはいかなかった。

 あのアーノルドとやり取りがあったあの夜から、事件は起きた。

 あれから病状が回復した綾子は、サイラスと共に家に戻り、休んでいた。

 すると、ほとほとと扉を叩く音がする。

 二人はベッドの中で、ぱちりと目を開きお互いの顔を見た。

 家じゅうの窓は木戸によって、固く閉じてある。外の様子を伺うことはできない。

 すると次に、若い男の声がしたものだ。

(もし……。ここはヒース殿のおたくですか。騎士のロビンソンという者です。団長から手紙をことづかっております。ここをお開けください……)

 ロビンソン、という騎士は確かに、辺境伯配下の騎士の中に、いた。綾子もサイラスもよく知っている。声もそっくりだ。

 しかし二人は知っている。

(ヴィンセント団長は、『俺は直接、霧の騎士であるお前に命令することはできん。権限が無いんだ。もしそんな奴がいたら……そいつは偽者だと思え』と言っていた)

 のである。

 綾子は簡単な火魔法をつかって、部屋の四隅よすみに取り付けていたろうそくに火をつけた。

 すると、その真ん中に、大きな魔法陣があらわれた。

 家に帰り着くやいなや、数時間かけて描き上げた強力な結界である。

(まさか、もう使うことになるとは……)

 用意していて正解だった。

 サイラスが、綾子の杖を持ってきてくれた。

 外からぼそぼそと、声がしている。明らかに、数を増やしている。

 綾子がその杖を手にして結界を発動させた、その時だった。


「わがイスル帝国の妃、マーガレット・ブラントンを略奪した悪魔サイラス・ヒースに死を!」


 すると、

「死を!!」

 何人もの大音声が、それに応えた……次の瞬間。





 どんッ。




 家の上から何か、大きな衝撃がした。



「死を!!!」




 ドンっ。ばりばりばりばり。

 一気に屋根が崩落した。

 物凄い力である。

 外の冷気が一気に、入ってきた。

 そして二人は見た。

 その夜空。月明かりの下。

 こうもりのようなかたちをした翼を持った、人間……ともつかぬ、ぎょろりとした目をしたものがボロ布を身にまとい、骨と皮ばかりの姿で、それが何十体も、家の周りを飛んでいたのである。

 目がまるで電光のように、黄色く光っていた。

 そのうちの一体と、目が合った。

 真っ赤な唇がニタァ、と笑い、牙がそこから覗いている。

 サイラスが綾子が張ったその結界の中で、ふらりと立ち上がった。

 その手にはナイフが握られている。

 目に生気がない。

「!!」

 綾子の顔から血の気が引いた。

(魅了にかかっている……!!)






 今、二人の前には一体の吸血鬼とおぼしき化け物が、ひらりと舞い降りている。

 それは、女であった。

 長い金髪を振り乱し、骨と皮ばかりの姿かたちであったが、それはたしかに、女であった。

 サイラスは、もう綾子のことなど見えていないようだった。どこか恍惚とした表情で、その女を見つめている。

 綾子は歯噛みした。

 今綾子は術の展開で手一杯だった。サイラスを止める手立てはない。

 その時だった。

 サイラスが、口元に微笑を浮かべ、たしかに、こう言ったのだ。

「やあ。久しぶりじゃないか。ナタリー。」

「!!」

 綾子は思わず、その女かどうかもわからぬそれを見た。

 言われてみればあの髪の色は……そうかもしれない。よく見るとあのボロ布も、あの時身に着けていたドレスの切れ端のように見えなくもなかった。しかしその見た目はあまりに、違い過ぎた。

「かわいそうになぁ……。あんなにきれいだったのに。あの聖女にやられたのか。」

 サイラスは哀れな目をして、それに話しかけている。

 と思ったら次の瞬間、その表情が一変した。

「……なんて、言うと思ったか?」

 言うなり、サイラスは持っていたナイフで手のひらを切った。

「サイラス!!」

 綾子は杖から手を離しそうになった。

 サイラスはそれを押しとどめる。

 ごめんね。大丈夫。

 その時、綾子は確かにサイラスの口がそう動いたのを見た。

「そら。やるよ。」

 言うなり、サイラスはその血にまみれた左手をぱっ、と、その女に向かって振り上げた。「あれだけ欲しがってた、俺の血だ。」

 サイラスの血がパパッ、と、その女の顔にかかった。

 女が「アァ、アァ、アイシテルワ……」と言いながら、その血を手に取り舐めている。

 すると。


 ばしーーーーん!!!!!


「……ぎゃああぁあああああ!!!!!!」

 真っ白い閃光が走った。

 その身体が炎に包まれている。

 雷だ。雷が落ちたのだ

「何も知らなかったんだな。俺はポルタ村の出だぞ……あそこの村人はほぼ全員、トト様とネネ様の末裔なんだ。聖女の血を引いてるんだよ……どうやら、ネネ様はたいそうお怒りだったようだ。」

 サイラスは冷ややかに言ってよこした。

「アァ……アァ…サイ……ラス」

 燃え尽きた身体がみるみる、灰になっていく。それでも女は名前を呼び続けていた。

 上空を飛んでいた低級吸血鬼スレイヴどもが、悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように飛び去って行く。

 女の声が不意に消えた。

 全部灰になっている。

 綾子は術を解いた。

 そして綾子はその時、たしかに聞いた。

「俺のアヤコに手を出したな。次はXX、XXXX……」

 その後、身の毛がよだつような単語が聞こえた気がしたが、気のせいだと思うことにする。

「サイラス、手を」

 綾子は、そこにあった手拭き布を切り裂き、手早くサイラスの左手の手当をした。

「……無茶をして。」

 綾子は手を止めぬまま、憮然としている。

「いつも守ってもらってばかりだからさ。」

 サイラスは、穏やかに笑っている。


 その顔を見た綾子は唐突に……。


(私は今日までどれだけ……心配をかけていたのだろう)


 そう思った。


 綾子は何度も、この人の前で倒れ、手当を受けているのだ。








 空が白み始めていた。


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