第十章 王子様、白馬に乗って・・・ない!!
モーガン・ヒックスがあわてて向かおうとする。
そんなモーガンに綾子は牢の中からゆっくり声をかけた。
「失念しておりました、ヒックス殿。」
「……。」
「あの婚約指輪は、只の指輪ではありません。」
「何……」
「私が昔、ゼルグの守神の一人、トト様の巫女であったことはご存知と思います。あの指輪にはその妻、かつて聖女と呼ばれていたネネ様の祝福が付与されている。呪いの属性を持った吸血鬼が万が一、そんな物をはめたりしたら……」
「……!!!」
この建物は、外からはボロの山小屋にしか見えない見た目をしている。
地下牢をカモフラージュするためであることは言うまでもない。つまり、一階部分はただの物置のような間取りになっている。
そこに取り付けられた隠し階段をモーガンが上がり、その一階部分を覗き見ると、そこにはおぞましい光景がお目見えしていた。
「たすけて……!!焼ける……!!!!」
ナタリーがドレス姿のまま、床でのたうち回っている。
しかしそのドレスの露出部分から全身にかけて、おびただしい数の血が流れ出ていた。血の海だ。
明かりもなく薄暗いはずの部屋がまるで、太陽の真下にいるような明るさだ。
そして、その光の元をたどると……それはのたうち回るナタリーの、すぐ目の前にいた。
真っ白なワンピース姿の少女である。
三つ編みにまとめた銀髪。綾子そっくりの、エメラルドグリーンの瞳。それがまばゆいばかりの光を全身から発していて、無表情でナタリーを見下ろしている。
間違いない。えらく若返っているが、あれはポルタ村にいた頃おばば様と呼ばれていた……ネネ様だ。
するとネネ様は、ひょいとナタリーの顔を覗き込んだ。
途端にナタリーの顔が傷だらけになった。
「ぎゃあぁああ!!!いた!!!いたい!!!」
耳をつんざくような悲鳴である。
(くそ……)
モーガンは階段の陰に隠れ、思わず舌打ちをした。
モーガンの身体には、地獄からあの化物を召喚するための呪具や紋が大量に埋め込まれている。
あの光は、モーガンにとっても毒なのだ。
「そなた……」
ガラスの中で氷がカラン、カランと音を立てたような、澄んだ声である。「アヤコをどうした」
「わたしは何も知りません!」
「うそをつけ!!!!」
ネネ様の声が突如、ドスの効いた低い声に変わった。光がさらに強くなる。
「ひいぃ!!ぎゃああぁああああああ!!!!」
ナタリーの顔がみるみる崩れ、ただれ始めた。
(くそっ……何て力だ……)
どうする。
モーガンは逡巡した。
しかしそれは一瞬であった。
モーガンはローブを翻すと、ためらうことなく地下へと戻った。ナタリーを見捨てたのである。
その時であった。
「アヤコを拉致したのはそなたか」
「!!」
いつの間に移動したのだろうか。
ネネ様はモーガンのすぐ後ろにきていた。
光は弱まっている。しかし代わりに、そのフードをかぶった黒いローブの背中にトンッ、と人差し指を置いていた。
今のモーガンには、これで充分な威力であった。
おそらくネネ様がその人差し指をちょいとでも動かせば、モーガンの全身に埋まった呪具が全部、爆発する。ひとたまりもないだろう。現に今も一部がビクリ、ビクリと動いている。
「くっ……。」
モーガンは痛みに顔をしかめ、歯を食いしばっていたが……観念したようだった。
視界のすみでは、先ほどまでナタリーだったものが真っ黒な炭と化している。
「アヤコ!!!」
「おばば様……」
ネネ様が駆け寄ってきた。
「おお、おお。かわいそうにこんな物をつけられおって……それでは我を喚び出せぬわけじゃ」
「はい。ご心配を……。」
綾子は言って、「大分に、御力を使われましたね。」
「うむ。何せこの身体は指輪を使った分身体じゃからの。これが限界じゃ……すまぬ。本体が来れればその魔封じも敗れるのじゃが……」
もう、ネネ様の身体は半分、透けていた。力は失われている。だからモーガンも平気で、この場を見守っているのだ。
「いかがする。まだあの者を少々懲らしめることもできるが……」
とネネ様が言うのへ、
「いいえ。大丈夫にございます。」
綾子はきっぱりと言った。
ネネ様は少し目を見張って綾子を見ていたが、すぐにそれを細めた。そしてあの指輪を綾子に返すと、
「それもそうであったな。相分かった」
ネネ様の姿はかき消えた。
牢の中には綾子とモーガン、二人だけが残された。
モーガンが思わず、ふうと息をついた。
すると……。
綾子はそんなモーガンに向かい、こう言ってよこした。
「ヒックス殿。実はもう一つ、言い残しておりました。
この指輪にはもう一つ、能力がございます。『この指輪を私以外の人間が身につけると、即座に相手にその位置が通達される』……サイラスも馬鹿ではございません。この場所はすでに、辺境伯側に筒抜けかと」
「何……だと」
モーガンが顔をひきつらせた、次の瞬間であった。
チッ……ドーーーーーーーン!!
凄まじい轟音と揺れがやってきた。
牢の外の、通路の天井が崩れ落ちる。
支えを失った鉄格子が向こう側に倒れ、ガシャアンとけたたましい音を立てた。
そして綾子は見た。
崩れた天井の穴から覗き込む、それは巨大な……恐竜のような姿かたちをした、顔であった。
(ドッ…竜!!)
「クエェエッ!!」
その竜はアヤコの姿を認めると、キラキラと目を輝かせた…ように見えた。
そして、その首をつたって、すたっと下りてきた男がいる。
男はいちもくさんに綾子の元へと駆け寄ると腰を抜かすモーガンなど見向きもせず、ぎゅうと抱きしめたものだ。
「アヤコ……ごめん遅くなった」
その男は、サイラス・ヒースその人であった。




