第九章 綾子、拉致られる(上)
降りしきる雨の中、一行は乗り合い馬車を借り、グレスラー伯爵の私邸へと向かった。
ところが……。
「団長さま」
馬を歩かせていた御者が妙な面持ちで、「着きましたんですが…門の前に誰もおりませんです。いかがいたしましょう?」
見ると確かに、いない。
これはおかしい。
通常、こういう屋敷の前には門番というのが立っていて、そこで用件を伝え、通してもらう。今回の場合は令状を見せて話をする手立てになっていて、グレスラー側からも、「ではこの日時に…」と前もって連絡を受けていたものだ。
それが、いない。
鉄格子の扉がまるで、一行が来ることを予期していたかのように開いているのみだ。
馬車から降り立って、無人となった門番の詰め所を覗き込んでいたヴィンセントは何ともいやな胸さわぎを覚えたが、「…ひとまず、正面玄関までやってくれ。」
と御者に言ってよこした。
玄関の前に馬車が停まった。
ヴィンセント、部下の騎士、そして綾子ともう一名のS級冒険者合わせて八名の一行は馬車から降り立った。
しかし馬丁すら出てこない。
「ったく一体どうしたってんだ…」
御者の老人が、馬の身体に付いた水滴をはらってやりながら、こぼしている。
そうして、一行はその屋敷の扉の前に立った。
一人が、扉に取り付けられたノッカーを叩く。
しかし返事が無い。
扉を押す。
音もなく開いた。
(…!!!)
押したその若い騎士は青ざめた顔でヴィンセントを見る。
(これは何かあったか…)
もしやこれは…事件に巻き込まれたやもしれない。
ヴィンセントがその若い騎士に代わり、扉からするりと中へ入った。
あとの七人も続く。
暖かい空気が一行を包んだ。火が入れてあるようだ。
しかし人の姿が無い。使用人の足音すらしない。
ただただ、しんとしている。
不気味であった。
すると突然、ばたん!と大きな音がした。
扉が突然閉まったのだ。
しんがりにいた綾子が慌てて明けようとするが、開かない。鍵がかかっている。
騒ぎを聞きつけたらしき御者の老人も外から開けようとするが、これも開かない。
すると、
「ひっ」
誰かが小さな悲鳴を上げた。
「団長、うしろ!」
「?!」
後ろを指さされヴィンセントが振り返ると、そこにはひょろりとした老紳士が、杖をついてふらりと立っていた。
(グレスラー伯爵…!)
ヴィンセントは目を疑った。
確かに顔かたちはアドルフ・グレスラーなのだが、顔色は土気色に変色し生気が無い。そしてあまりの痩せこけようである。その証拠に服のサイズがまるで合っていない。ぶかぶかなのだ。
「た…」
するとこの老紳士は口を開いた。
その口の中の物を見た若い騎士が吐き気をもよおした。
中に何か、虫が大量に蠢いている。
「たすけてくれ…」
その老紳士がようやく言った、次の瞬間。
ぼろぼろぼろぼろ。
老紳士が吐いた。
卵だ。真っ白い、真円形のそれがコロコロと口から吐き出されている。
一行はとっさに飛びのいた。そして老紳士と距離を取り、円形に取り囲んだ。
老紳士がさらに痩せこけ、ついには骨と皮ばかりになり、その場に倒れた。
すると、その卵がぴしり、ぴしりと次々に割れた。
中から現れたのは、カラスのような真っ黒い産毛を蓄えた……ひよこであった。
そして…。
なんということだ。
一斉にそいつらは老紳士の肉をついばみ、むしゃぶり食いはじめたではないか。
おぞましい光景であった。
若い騎士が一人たまりかねて離脱、嘔吐している。
あとの七人は何もできず、武器を身構えるしかできない。
すると、その割れたように目と口が付いたそのひよこどもが一斉に、取り囲む七人をくるりと見上げ一斉に「ケタケタケタ!!ケタケタケタ!!」と笑い始めた。そしてそのうちの一個がまるでスーパーボールのようにぽーんと弾み飛んだかと思うと騎士の一人の目の前に迫り、その首にかみついた。
凄まじい悲鳴があがった。血が噴き出た。
そしてそれをまるで見計らったかのように、他の玉も一気に一向に向かい、襲いかかってきた。
「うわぁああああ!!!」「ぎゃああぁ!!!」「各自結界!!」
すると、その時であった。
上からズズ……ンという重い音がした。
玄関ホールの向こうにある階段からあらわれたのは、今度はムカデであった。しかしその頭には老女の顔が乗っっている。化け物だ。
それはドシン、ドシンガシャンと辺りのものを破壊しながら、百本以上はあるその足をカサカサと動かしとんでもないスピードでこちらに向かってきた。
たまたま階段側にいた綾子が、持っていた細い剣でその鞭のような体当たり攻撃をもろに受け止めた。
(硬い!!!)
綾子の体が横ざまに吹っ飛んだが、しっかりと受け身を取っている。
「なめるなよこの……」
剣を構える綾子の体から、おびただしいばかりの魔力が真っ黒な色をして、吹きこぼれた。
大変なことになった。
その戦闘がようやく終わったのは、一時間ほども後のことだった。
七人とも、満身創痍ではあったがなんとか無事である。首を噛まれた若い騎士も、自力でハイポーションを飲んで即座に戦闘に入っていて、あの黒い化物を一体倒している。
結局あの黒い化物は、六体も出た。
たまたま今日は全員手練れの者を連れていたからどうにか倒せたが、一人でも実力不足の者がいたら、無事では済まなかっただろう。
外からはドォン、バァンと大きな音がしている。屋内にも響いていた。
なんとか中に入ろうと、グレスラー領の騎士たちが大きな槌を持って扉や窓を壊そうとしているのだ。
どうやら、外にいた御者が助けを呼んでくれたようだ。
しかし窓は強化のものでも使っているのかひびすらはいらないし、扉も同様であった。びくともしない。
「……。」
ヴィンセントは、壁際で並んで座り休んでいる一行を見回して、ようやく恐ろしい事実に気が付いた。
「おい」
ヴィンセントは同行していた冒険者に声をかけた。「アヤコはどこへ行った」
「えっ」
その声に、他の者たちも一様にあたりを見回す。
いない。
綾子の姿だけが、忽然と消えてしまったのだ。
その扉がようやく壊され、グレスラー領の騎士たちが「大丈夫ですか!」とやってきたのは、その直後のことだった。
グレスラー領の騎士らが動き回っている。
団長も出てきてくれたようだ。回復術師も数人呼ばれ、かいがいしく七人の手当をしてくれた。
「ハーラン団長!ご無事で。」
「ブラウン団長。手間をかけています。」
「いえ。これは…大変なことになりましたな。」
ブラウン団長、と呼ばれたその男は呆然と辺りを見回している。
ロドリゲス・ブラウン。歳はハーラン団長より十は離れているだろうか。ヴィンセントは今日が初対面だった。どうも数日前に急に配属になって、右も左も分からぬところへこの事件だったらしい。
その後。
彼らの手によって、例の化物の調査と、アヤコ・マーガレット・ブラントンの捜索、さらにミック少年の証言の通り地下にモーガン・ヒックスが潜伏しているのか、その調査が行われた。
ヴィンセントのいやな予感は当たっていた。
六体いたあの化物は、元々は人間……綾子が相対したあの一体はグレスラー伯爵夫人、そして残る五体はその使用人、料理人であることが判明した。いずれも、殺された上に強力な呪術をかけられ、あのような姿になり果てていたものらしい。
モーガン・ヒックスの潜伏先であったが、これは地下室の奥にそれらしき部屋が見つかった。
しかし本人は当然ながら、発見されなかった。
そして、肝心の綾子の行方だったが……。
やはり、見つからない。
殺されたとは考えにくかった。彼女はS級冒険者だ。魔法による攻撃、戦闘力は正直言ってここにいる七人より上だ。
と、そこへ騎士の一人が息せき切ってやってきて、こう告げた。
「団長!使用人部屋に子どもが倒れています!!」
「何っ」
部屋に行くと、確かに子どもが一人、気を失って倒れていた。
「おい!しっかりしろ!!」
「あっ、お前!!」
冒険者が目を剥いている。それもそのはずだ。
倒れていたのは、あのミック少年だったのだ。
「ヴィンセントさん…ごめんなさい」
ようやく気が付いたミックは弱弱しい声で、「アヤコねえさんに頼まれて、こっそりついてきてたんだけど…僕をかばってねえさんは……」
「よし……。ゆっくりでいい、話してみろ」
ヴィンセントは静かに言った。




