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第六章 ハドソン・ウィンバリー(下)

 その手がかりは意外にも、辺境伯ローガン本人によってもたらされた。






 その夜。

 ローガンは、首都イスカヴァルにいた。…正確に言おう。兄である現国王から、「うちのが今度誕生日の宴を催すからお前も出てこい。いい加減顔を見せておくれ」などと公式文書で来られたら、出ぬわけにもいかない。

 で、その誕生日祝いという名の舞踏会に顔を出した。

「我が国の至宝、クラリス妃に拝謁仕ります…おめでとうございます。義姉上」

 とローガンが正式な挨拶をすると、

「堅苦しいのはよして頂戴ローガン。元気そうでよかったわ。」

 シゲルダ王妃、クラリスは鷹揚にこう言ったものである。

 そしてその傍らには国王、ギルバートもいた。

「久しいなローガン。」

「兄上。無音にて失礼をしておりました。」

「全くだぞ。もう少し顔を出せ…あれからもう四年だ。社交界もあの話題にはもう興味もない。」

 あれ、とは、ローガンの例の離婚騒動のことだ。

 今、三人の眼下では招かれた貴族やその令嬢たちが色とりどりのドレスを身にまとい、手を取りダンスをしている。

 華やかであった。

「ええ、それはもう分かっておるのですが…。今は民の安全を守らねばならんので正直手一杯なのです」

「…そこまで酷いのか」

 ギルバート、まさかそこまでとは思っていない。

「月に一度か二度、S級クラスの魔獣が10体ほど、街や近隣の村を襲いに来る状況です。騎士団と冒険者で食い止めていますが…毎回とまでは言わないが、死者も出ています」

「…なぜ余にそれを言わんのだ」

「…お手をわずらわせるのもどうかと…」

「馬鹿者。お前は小さいころから変わらぬわ。近衛とゼルグのセシリアにも声をかけるぞ。人を増やさぬとならぬわ」

 ギルバートは呆れた顔で言ってのけたものである。






「ローガン。貴方。まだほかにも言ってないことがあるんではなくて?」

 クラリスの目が吊り上がっている。

「…もうございませんですよ義姉上。この前送った文に全てしたためてございます。」

 ローガン。どうもこの二人の前では縮こまってしまっている。

 今三人は別室で話をしていた。

 宴の開始からすでに4時間が経過している。そろそろ閉会の挨拶を二人の息子、今年20歳になる皇太子が執り行っているはずだ。

「ふむ。あれは読んだ…面倒なことになったな」

 ギルバートは思案して、「背後に相当強い術師がいるのは確かだろう…。あんな化物を地獄の底から召喚したのだ。この大陸で禁忌とされている呪物や魔道具の類もかなり使われている…となると、その術師を雇っている貴族がいるのは明らかだな」

「この国の者だとお考えですか」

「…そうだろうな。そしてあからさまにお前の領地を狙っているということは…」

「俺個人を恨んでいるか、あるいは…」

「謀反か」

 ギルバートはずばりと言った。

「…それはあまりにも大げさでは…」

「いいや。可能性はあるぞ…辺境伯領は長年イスルが狙っておった地だ…それにな。」

 ギルバートは言うと傍らに座る王妃を見やり、「あの『ハドソン・ウィンバリー』という名。うちのが面白い考察をしておるのだ。聞いてやってくれるか」

「勿論です」

 ローガンは大きく頷いて見せた。今は手詰まりなのだ。

 すると王妃クラリスが侍女に、「あれを」と言って何かを持ってこさせた。

 トレイに載せられあらわれたのは、口紅である。

「昨今、イスカヴァルの貴族の間で流行っておりますの。これは一度付けると取れづらく、グラスにも写らない。しかも、これまでの品とは違い唇が痛みにくい。去年の末くらいからだったかしら。急に流行り出したのです。わたくしも気に入ったものですから、この口紅を作っているのはどなたか伺いましたの。そうしたら…その商会の名が『ウィンバリー商会』と」

「なんですって」

 考察も何も。ドンピシャではないか。

「それでね。わたくしも当時これは素晴らしいと思ったものですから、この商会の主に一度登城してもらって、目通りを許したことがあったのです。実直そうな男性だったのを覚えております。その者の名を調べてもらったのだけれど、残念。ハドソンではなかったわ。」

 クラリスは肩をすくめ、「ともあれ。ウィンバリー商会の口紅はは去年から大流行しておりますの。ですから、イスカヴァルの上流階級の女性のほとんどがこの名前を知ってるはずです……もし、彼女たちに『ハドソン・ウィンバリーって知ってる?』と聞いたら、そのほとんどが『ハドソンって方は存じ上げないけど、ウィンバリーといえばあの商会のことだわね』って答えると思いますわ。」

 クラリスは言った。ローガンは唸った。

 クラリスの話は続く。

「それでね?ローガン。わたくし、ちょっと伝手を頼りましてね…あと、陛下の影の者を一人お借りして。このウィンバリー商会の素性を調べてまいりましたの」

 これはまた大胆な事をしたものだ。ローガンは思わずギルバートを見たが、

「心配には及ばん。うちの影が優秀なのは知っておろう。ほれ、そこにおるぞ」

 と、ギルバートは顎でしゃくってみせた。

 そこは部屋のすみだった…小さなテーブルにバラの花が活けられた花瓶が置かれている。

 …と思ったら、その辺りの空間が突然、ぐにゃりと歪んだ。そしてその裂け目のようなところから隊服に身を包んだ男が一人、にゅうとあらわれた。そして男がひざまずいた時にはもう、テーブルも花も消え失せてしまっている。

「おお。ハオユウではないか」

 ローガンが声をかけた。男もにこりと応じる。漆黒の髪を後ろに束ね、目が異様に細い…こちらではあまり見かけぬ顔だちだ。

「ハオユウ。大義であった」

 クラリスもねぎらいの言葉をかけ、話を続けた。「それで…そうしましたらね。まず、この商会。今はイスカヴァルに店を構えているんですけど、元々はコンタルナスにあることが判明しましたの。今も拠点はそこらしいのね」

「コンタルナス…というと、グレスラー領の?」

 グレスラー領と言えば、辺境伯領のすぐ隣の領地だ。ひどく土が痩せていて、作物が育ちにくい。それにここの当主、アドルフ・グレスラーと言えば……。

「たしか一昨年からあの地に移封となったと聞いております。なんでも……」

「ああ。余が命じた。元々あの男はこの城で内務を担っておってな。有能な男だったんだが…収賄があったとなると目をつぶることはできん。おまけにあれの娘がとんでもない女でな…よりにもよって息子に色仕掛けしようと薬を盛りおった。どうあっても看過はできん。本来なら爵位はく奪相当だったんだがな…あいつは本当に仕事は出来る男でな。議会からも恩情の声が上がったこともあって、左遷という形を取ったのだ。」

 ちなみにその娘とやらは修道院へ送られたものらしい。

「ただその後なんだがな…。そこのハオユウから報告が上がってきた。『アドルフ・グレスラーにイスルとの内通の動きあり』と…」

「…!!!」

 これは寝耳に水である。

「ただ確たる証拠は掴めずでな…。それとなく目は光らせておるんだが…。」

 ギルバートは煮え切らぬ、という風でそう言って、「ともあれ、そのウィンバリー商会はグレスラー伯爵領内に拠点がある。さらに、アドルフがその商会に多額の出資をしていることも、すでに判明しておるのだ」

「!!」

 それも五割に上る率だというから相当なものだ。

「そこは元々、蝋燭ろうそくを扱う小さな店だったそうなのです。それをグレスラー伯爵は買い取って、口紅の原料が蝋である、というのをヒントに化粧品を作らせたら大ヒットした…という流れのようなの。それ自体は悪いことではないわ。」

 ごもっともである。

「それでね?」

 クラリスは続けて、「わたくし、ハオユウに頼んで、あの商会に入り込んでもらって、ある物を見てきてもらったの。」

 いとも簡単に言ってのけているが、実際ハオユウは相当な困難を極めたはずだ。

 ハオユウに見てきてもらった物。それはこの商社の従業員のリストであった…その中に、『ハドソンという名の人物がいないか』見てきてもらったのだ。

 そうしたら……いた。

「あの商社の中に、ハドソンという名の者は一人だけでした。ハドソン・マクゴナガルという人だそうです…34歳。コンタルナスにある蝋の精製工場の…工場長だそうよ。」

 ローガンは思わず唸った。

 推察も考察も何もない…おそらくアマンダを殺したきっかけとなった『ハドソン・ウィンバリー』の正体は、『ウィンバリー商会で働くハドソン』…これだろう。

 コンタルナスから辺境伯領都、ナスカヴァルまでは街道で一本。男の足であれば一日かからない。

「さあてローガンよ。どうする?」

 ギルバートはにや、と笑った。



 ローガンは逡巡しゅんじゅんした。

 しかし、それも少しの間だけだった。

「…兄上。貴方の名義で令状をいただけますか。私の出頭命令には応じぬ可能性が高い。」

 実は以前、自身の領内から盗賊がグレスラー領に逃げ込んだことがあったのだが、その時も「このリンドバーグ卿のサインは偽物である。出直して参れ」と門番にせせら笑われ、結局その盗賊は逃げてしまった…という事があったのだ。

「そう来ると思ったよ」

 ギルバートは言うと、ぽんと巻紙をローガンに渡した。






 その数分後……。

 イスカヴァルの王城から、まるで流れ星のような光る物体がぴゅん、と音を立て、東の空へと飛び立っていった。




 そして翌朝、夜も明けきらぬ中……。

 辺境伯領都、ナスカヴァルから騎士団の一行が馬に乗り、グレスラー領へと駆け向かった。

 実はこの中に、綾子もいた。

 領の境目にいた門番も、今回は通さざるを得なかった。王直々のサインが入っているのである。

 一行は悠々と、馬を進めた。




 しかしこの後、全ては徒労に終わることとなる。





 行くと、商会の建物の前に人だかりができていた。現地の騎士たちが慌ただしく動いている。

「これは?」

 副隊長、ヴィンセントが聞くと、その騎士の一人がぶっきらぼうにこう答えた。

「これもそれもありませんよ!見てわかりませんか?中で人が自殺したんですよ!!」

 見ると担架にシーツが被せられ、何かが運び出されている。

 その担架に引きずられるようにして女性が一人、「あなた!あなたしっかりして…」と泣き叫んでいた。





 その後……。

 商会の一室で発見された遺体は、ハドソン・マクゴナガル本人と断定された。

 遺書も見つかった。そこには、「このところ睡眠もとらず働いている。もう限界だ、どうかゆるしてください」と、家族に向け書かれていた。


 どうしようもなかった。

 出頭してもらう予定だった人間が死亡したのだ。

 一行は手ぶらで、帰るしか無かったのである。




 しかし、綾子は見ていた。

 あの担架に縋り付き号泣していたと思われた女性。

 ようく見てみると、涙が出ていない…ウソ泣きだったのである。

 さらにあの後、安置室で遺体と対面した時、その女性と手をつないでいた幼い子供。どうも母親らしきその女性をいぶかしげに見ていたり、その遺体を前にすると突然、「うわーん、こわいよー!」と泣いたりしていた。

 どうも、父親でもない遺体を突然見せられて怖くて泣いているようにしか見えないのだ。


 しかし、証拠は無い。


 綾子もまた、何の手がかりもつかめぬまま辺境伯領へと戻るしか無かったものである、

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