第四章 辺境伯領
シゲルダ王国、辺境伯領。
王国の東のさいはてに位置する、山あいの領地である。
その東側には大陸を真っ二つに線を引いたように高い山脈がそびえていて、その向こう側はもう隣国、イスルである。なのでこの山脈が国境線の役割も担っているのだ。
ちなみに北側はゼルグ公国。よってこの領地はゼルグとも接している…公国と辺境伯領との交誼は深い。
その昔、イスルとシゲルダは領土を巡って争っていた。
ときのシゲルダ王はその弟や、末の息子などにこの国境を死守するよう、命じた。
これが辺境伯領の成り立ちである。
イスルとの戦争……。
そんな時代もあった。
大多数のシゲルダの民や、ゼルグ公国の民はそう思っていることだろう。
しかしシゲルダ王国の中枢やゼルグの女王セシリア、そして綾子をはじめとする、この密命に携わっているほんの一部の人間は知っている。
…イスルはあきらめてなどいない。
冷戦状態にあるだけだ、ということを。
「ん?俺がここに来た理由?そりゃあアヤコをだな…」
「冗談は抜きでお願いしマス。」
次の日の朝の会話である。
綾子は完全に、サイラスの借りた小さな借家に入り浸ってしまっていた。
日当たり良し。風の通りもある。綾子が住んでた湿気でもわもわの部屋とは大違いであった。
(引っ越そうかな…)
綾子は本気で考え始めている。
「二割は本当だよアヤコ。残り八割は…これだ。」
言うとサイラスは、丁寧に折りたたまれた上質紙を懐から出して、見せてくれた。
見ると、こうあった。
『記
サイラス・ヒースをネブラ騎士団配属とし、第一級回復術師としてシゲルダ王国辺境伯領への異動を命ずる。
なお、任期は本件終了次第とするが、2年を超えた場合はすみやかにその任を解き、ネブラ騎士団としての地位も失効となる。』
そしてその下には女王、セシリアの直筆のサインと共に小さく、『いい加減、アヤコをモノにして参れ!諦めの悪い男は嫌われるぞ』とあった。
「……あなたも霧の騎士団に……。」
「この件限り、という条件付きになるそうだ。まあそうでなくとも回復術師というのは今はゼルグ公国の傘下に置かれることがほとんどだからな…今回も陛下の一声で、ってやつさ。言ったろ?二割は本当だって」
確かに。この女王陛下のメモは…二割と言っていいだろう。っていうか女王にすらサイラスの執着がバレているのか。何とも…恥ずかしい。
「と、いうことは…」
綾子は言って、「サイラス。あなたもこの辺境伯の現状を知っていると…?」
「…ああ。」
サイラスはきびしい顔つきになって、「回復術師が足りていないと聞いた。そりゃあそうだ…あんな巨体な奴が毎度あらわれたら、たまったもんじゃない。しかもそれが、イスルの差し向けたものかもしれないんだって?…とんでもないことだぞ。これは」
この地は現在、魔獣被害に悩まされている。
その強さは、ゾハスにあらわれていた魔獣どもの比ではない。
何がどう強いと聞かれると…まず揃いも揃って巨体だ。この前綾子が倒したサイクロプスの体長も軽く六間(三階建てのビルに相当する)はあったし、他にもトロール、冬ともなると今度はイエティ(雪男)、時にはこれまた三間はあろうかというゴジラみたいな岩みたいな体をした竜のようなものが口から火炎を吹いてくる。
しかもこれだけではない。
奴らは魔法を詠唱出来る…攻撃魔法を、それもまあ強力なやつを…放ってくるのだ。
魔獣というのは本来、知能が低い魔物のはずである。
この辺境伯にあらわれる魔獣は、まさにゼルグ公国が誇る魔法研究の常識を覆す代物であった。
その日。
この街の治療院へと向かったサイラスと別れた綾子は、ギルドに顔を出した。
「お、来たな。聞いたぜ。」「S級女冒険者もとうとう年貢の納め時、ってやつだわね。」「俺のアヤコ嬢が…ヨヨヨ」「何ウソ泣きしてんだテメェ」
…顔を出すと、もうあの酒場での一幕はギルド中に広まっていた。
(あっちゃー……)
これには綾子、穴があったら入りたいの一言であった。
「ご苦労様だった」
その低い声とともにやってきたのは、小さな四角い盆に載せられた白金貨の山であった。
「確かに。ありがとうございます。」
綾子は慣れた手つきで内容を改めると、傍らに置かれた紙にサインをして金を懐にしまった。
「身体の方はもう大丈夫なのか?」
この低い声の主は、オズワルド。オズワルド・ブレイクスという男である。
この辺境伯領都…ナスカヴァル支部のギルド長であった。
「はい。足をやった時はもう終わったかと思いましたが…」
「おう。聞いたぞ。回復術師のカレシがここまで追っかけてきたんだって?領都中でウワサになってるぞ」
オズワルドはにやにやと言った。
「…お恥ずかしい限りで…」
綾子、肩身が狭い。
「実はサイラスとは一昨日会ったんだ。お前を探してたから、教えてやったんだよ。良い青年じゃあねえか。」
「…そうでしたか。」
「良い腕してると見た。一級回復術師ともなればまあ引っ張りだこだろう。ただでさえここは魔獣との最前線だからな…。」
「本人に伝えます」
「おう。」
「ところで…オズさん。あのサイクロプスは…どうでした」
綾子は気になっていたことを聞いた。
「今ちょうど解体してる。見に行くか。」
オズワルドは茶を飲み干すと、立ち上がった。
建物の中庭へと降りると、正にその解体の真っ最中だった。
仲間の冒険者達も皆、見学している。何人かが手を振っている。
綾子は振り返した。
見ると、サイクロプスの四肢はすでに切断され、食肉を扱う商人たちが隅のほうで群がって、ギルドの職員を相手に金の交渉をやっている。
結構な賑わいであった。
しかし、綾子達冒険者はそちらには目もくれず、そのど真ん中に鎮座している胴体を見つめている。
首は切り離されていた。綾子が渾身の魔術で、斬ったものだ。
すると、解体をやっていた男の一人がサイクロプスの胸あたりに立ち、助手らしい男から一本のそれは大きい…人の半身くらいはありそうな包丁を受け取った。
ざくり。という音がここまで聞こえてきた。
刃を入れるのも屈強な男二人がかりだ。そして前後に揺らして、徐々に切り開いていく。
どす黒い血がどくどくとあふれてきた。
すると今度は、これまた大きな鉄製の、まるで釣り針を大きくしたような物がついたロープを持った男が五、六人やってきて、その切り開いた口に次々とそれを差し込み始めた。
そして左右から引っ張る。「せーの!」という掛け声が中庭に響いた。
そのスキにどんどん刃を入れていく。
男たちは皆、噴き出てくる血潮で真っ黒だ。
綾子もオズワルドも、皆その様子を見守っていた。
と、その時である。
「オズワルドさん!!」
胸に大きな包丁を突き立てていた男がオズワルドに声をかけた。
「今行く!」
オズワルドは大声で返事をすると、綾子を見た。
綾子は頷くと、オズワルドに続いて現場へと向かった。
「…あんたがこれを仕留めなすったか。見事な手際じゃわ。」
男がにっかりと笑って綾子を見下ろした。
「ご苦労様です。いかがでしたか。」
「ご覧になった方が早い。汚い手だが失礼しますよ。」
男は手を差し伸べた。
「かまいません。ありがとうございます。」
綾子は血まみれの手を取って、怪物の死体の胸ぐらに上った。
オズワルドも続く。
目の前は、切開された裂け目と血の海がある。
サイクロプスの血は黒い。まるで墨汁が溢れだしているようだった。
「ちょっと水を出して、中をお見せしますんで。」
男は言うと手際よく、生活魔法でもよく使う水を召喚して切り口の血を一気に洗い流した。
中の臓物が見える。
「あれが、肺。これは胃でさぁ。ってことは本来は、ここにあるはずなんです」
綾子も覗き込む。
そこには、確かにそこにあるべき重要な臓器がぽっかりと無くなっていた。
「…。」
綾子はまるで、幽霊を見たかのようなうすら寒い気分になった。
「うむ…アヤコ。噂は本当だったか…」
「…ですね。」
綾子は頷いた。そしてこう続けた。「まさか、本当にいたなんて…。」
『心臓の無い魔獣。』
そう。これこそが、ここ最近起きている異常事態であった。




