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第二章 とらがうまうま

本編にプロ野球選手、マスコミに関する記述がありますが、誹謗中傷しているものではありません。


本作はフィクションです。何卒、ご理解ください。



 昔、サイラスは綾子の同級生からこんな話を聞いたことがあった。

「いや、この前私たち実習で数日、山に入ってたんですけどね。夜、火を囲んでたらやっぱりそういう話になるじゃないですか。それでアヤコにも『最近、どうよ』なんて話を振ってみたら急に…、なんて言うんですかね。寂しそうな表情になりましてね。それでこう言ったんですよ。『実は昔ね。好きだった人がいたんだけど、その人にはもう良い人が居て…。もう恋愛はいいかな』って」

(何、だと……!!!)

 サイラスの心臓がいやな音を立てた。

「あんまり悲しそうに笑うもんだから、こっちもたまらなくなりましてね。何も聞けませんでしたよ。勇気振り絞って聞いた猛者も一人いたんですが、笑ってはぐらかされてね…。みんなして思わず、『アヤコ、次だよ次!そんな酷い男忘れちまえ』とか『うちの兄ちゃんどうよ。』とか言って肩を叩いたもんでした。」


 サイラスは躍起になって、それとおぼしき男が誰か探りを入れたが、結局分からなかった。





◆◇◆◇◆◇



 一方綾子は…


 …思えば、自分の初恋も、さんざんなものだった。


 そう思うに至っている。






 その少年の名は、高村たかむらあきらといった。

 たまたま家が隣同士だったこともあり、綾子はよく公園に一緒に行ってはブランコを押してもらっていたものだった。歳はたしか…5つかそこら、離れていたように思う。

 彼は野球少年だった。おそらく元々センスがあったのだろう、小学校高学年ともなるとめきめき頭角をあらわし、地域で所属していたチームではレギュラーで、背番号は1番でピッチャーをやっていた。中学に入ってもそれは変わらず、さらに高校も県内の強豪校に入りその野球部は甲子園まで進んでいた。綾子にとっては自慢のお兄ちゃんだった。


「将来、やこはお嫁さんにする。約束。」


 小さいころ、お互いに指切りげんまんをしたのを今でもおぼえている。




 しかし、その約束は他ならぬ明自身によって、破られることになる。


 それは綾子が高校二年生の時だった。

 数年前、ドラフトで見事プロ野球選手の仲間入りを果たした高村明が、ある時週刊誌にスッパ抜かれたのである。

『高村選手、都内ホテルで美女と密会!』『お相手は××社長のご令嬢、25歳』

 実はこの数年前、明から「俺…一軍に上がったら迎えに行く。」と約束を貰っていた綾子はそれはもう、ショックを受けた。

 しかもそれだけではなかった。

 どこからか、『綾子が明と将来を約束した仲である』という情報が週刊誌の記者にばれたのだ。

 その日から綾子の周りには週刊誌の記者がうろつくようになった。通っていた高校の正門、裏門にもいる。高校の電話はパンク状態になった。自宅にも電話はかかってくる。

 さらにまだあった。その、密会したという社長令嬢が自宅に押しかけ、200万円の束を置いて、「明さんと別れてください」と迫ってきたのである。


 綾子の精神は限界を超えてしまった。





 その後……。


 綾子は明との交流を一切断ち、京都の大学に進学して一人暮らしをはじめた。

 実家からは時折、「話を聞いてあげたらどう…?明君ね…」と言われたが、こうなると綾子は頑固であった。


 …あ、いや、正確には"あの日"の一週間後。

 綾子は明の実家で思いっきり明の左頬をひっぱたいて「こっちから願い下げよ!このクズ!!」と言ってのけていた。絶交したのはその直後である。






 そしてその6年後……。


 綾子はあの事件に巻き込まれ、命を落した。



◇◆◇◆◇◆



 男の低い声が歌っている声がする。

 これは…ゾグレスの舟こぎが歌っている舟歌だ。日本のものではない。

 綾子は目を開けた。

 どうも夢を見ていたらしい。

 酷く昔の、悲しい夢だった気がするがもう思い出せない。

 そしてその歌の主は、ものすごく至近距離から聞こえてくる。というか、包まれている。

 顔を上げると、そこには……。

「起きた?」

 サイラスのご尊顔が、目の前にあった。

 澄んだ青い瞳がきらきらとしている。上半身裸だ。顔を洗ったのだろうか、昨日まであったおひげが全部なくなって、元の美形顔がお目見えしている。

 綾子はたまらず赤面して、ひゃあぁと声にならぬ悲鳴を上げながら薄い毛布にくるまった。

 サイラスがクスクスと笑いながら、その綾子の顔のところだけをぺろっとひっぺがしておでこにキスをしている。






 あの夜。

 綾子はサイラスの告白を受け入れた。



 固唾をのんでいた酒場の一角は次の瞬間、床が揺れるくらいの歓喜の渦に包まれ、それはもう大騒ぎになった。

「おいやったな!兄ちゃん!!」「でかした!!」「おごってやるよ!!今夜は祝いだ!!!!」「めでたい!!!」

 その渦の真ん中で…サイラスは綾子の手を握ったまま、その綾子の前にひざまずいたまま……。

 はらはらと涙を流していた。


 その瞬間、綾子はようやく気づいた。


(この人、こんなに長い間私のことを想ってくれていたんだ……)


 勿論、2度目の告白を貰った時にそれは頭で知ってはいたのだが、ここまで来て腹まで理解した。




 あのサイラスの涙は一生、忘れないだろう。


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