第十五章 夢のおわり
ゼルグ公国の夏は短い。
それもそのはず、この国の北はもう北極である。
そして、日本のような蒸し暑さが無い。からっとしている。
綾子はこの時期を最も好んだ。
今、綾子は一人、ゾハス市街地の北にあるだだっ広い広場に一人、立っていた。
夜の入りである。
月が出ていた。
この世界にも月はある。2つあるのだが、今夜は青い方の月だ。
最早城塞と化したこの街の壁には、いくつもの目が綾子の背中を見守っている。
いざとなったら、すぐ駆け付けられるようにしているのだ。
ここはかつて、処刑場であった。
これからここで、あのアンデッドを仕留める。
レスターが、トゥリスにいたアイザックと綾子に帰還命令を出した二日後。
二人は無事、戻ってきた。
「報告書は読ませてもらった。アヤコ。ご苦労であった。まさかイェールダー家そのものにあのようなことが…」
「いたみいります。そちらも…師匠より伺いました。」
綾子は座ったまま目礼をして、「サラ・イェールダーは事件の数日前に殺された可能性があると」
「ああ。その下手人とおぼしき男も判明した」
レスターはぽいと書類を投げ、「隣国、イスルの外交官だ。位は伯爵…事件の二日前から当日まで、ホテルに滞在している。ただあの国は今、国交を断絶しているからな…こいつの現在は分かっていない」
綾子はその書類に添付された人相書に目をやった。金髪碧眼に整った目鼻だちに口髭を蓄えた…若い頃はそれは美男子であったろう。
(この男さえ居なければ事件は起こっていなかったかもしれない……)
綾子の心中にどろっとしたものが溜まった。
「それで…今後はいかがなさるおつもりです」
聞いたのは綾子の師、ドウェイン・タッカーである。
「うむ…正直言って、あのアンデッドがサラだという証拠はまだ無い。状況証拠だけだ…しかし、一旦『あのアンデッドがサラだ』という仮定で、事を起こしてみようと思う。」
「それが宜しいかと思います。」
大きく頷いたのはレスターの隣にいたアイザックだった。「この街は本当に長年、魔獣被害に苦しめられてきましたから…」
今、四人は団長室のソファで談じている。
その後、話し合いは数時間に及んだ。
翌日。レスターは現在のイェールダー家の当主ご夫妻。サラの夫となる予定であったジョシュ。そして、トゥリスの現当主、ジェームス・ウォルター子爵をゾハスに呼び寄せることにしたようである。
その夜。
綾子は久しぶりに、武具ではなく杖を手にしていた。
今日の綾子の役割は、あのアンデッドを仕留めるのではない。
あのアンデッドをおびき寄せるための罠を、今からここで仕掛けるのだ。
ゆっくり空気を吸い込み、糸のように吐く。
みぞおちのあたりでゆっくり、魔術が練り上げられていくのが分かる。
(…よし)
時は満ちた。
綾子は呪文を唱えると、杖を大きく振りかぶり、その杖先(持ち手とは逆)をトンッ、と地面に刺した。
するとどうだ。
草一本も生えていなかった旧処刑場の地面から、ぽこりぽこりと芽が出てきたではないか。
そして、みるみるうちにそれらが伸びていく。生い茂っていく。
数分もする頃には、そこは辺り一面、草原へと姿を変えた。
つぼみが顔を出す。
その一個がぽちりと白い花を咲かせると、まるでそれが合図であったかのように、他のところも一斉に小さな花を咲かせた。
リンゴのような甘い香りがする。これはカモミールだ。
綾子は次に、杖を持っていない方…つまり左手…を上へかざした。
すると…カモミール畑の真ん中に、藁ぶき屋根の可愛らしい家が突如、出現した。
薬草畑の間を何か、小さな光がふわり、ふわりと飛び交っている。
あれは蛍だ。
城塞の壁に取り付けられた物見の小窓から、混成部隊の者と共に事を見守っていたジョシュ・イェールダーは思わず息を飲んだ。
「これは…!」
「アヤコの発案でしてね…。この広場に一時的に、イェールダー家の近辺の景色をそっくりそのまま、再現させているそうです」
傍らでアイザックが小声になって説明している。
「なんと見事な…」
ウォルター子爵も絶句していた。
「アヤコだからこそ、出来る芸当です。我々では数分で魔力切れですよ」
団長のレスターが腕組みをしている。
と、その時だった。
見張りの方がにわかに慌ただしくなった。
(…来たか)
「御二方。アンデッドがあらわれたようです。これで面体を…」
あらためて欲しい、ということだ。
ジョシュはその望遠鏡のようなものを、受け取った。
思わずつばを飲み込む。
ウォルター子爵と、ヨハン・イェールダーが…励ますようにして、肩に手をやっている。
その藁ぶき屋根のの家のすぐそばには井戸と、木製のベンチ、そして揃いのテーブルがあった。
綾子はそこにあの香油のびんを置くと、ふたを開け、そのふたも傍らに置き…そしてその場をあとにした。
小走りになる。
いやな感じがした。
私の血の中に、まだあのアンデッドの血が居るのだろうか。
どうもあのアンデッドが近づいているように感じるのだ。
綾子は、着ていた灰色のマントのフードを被ると、そのカモミール畑の中に身を隠した。
このマントには強い認識阻害の魔法がかかっている。
外からは、完全に周りの風景と同化しているはずだ。
綾子はそのマントの下で地面に伏せ、息を殺した。
…やがて。
(来た)
綾子の心臓がどくりと跳ねた。
ぼろぼろになった、赤のお仕着せ。
白髪の混ざったブラウンヘアー。
少女のようなその面ざし。
間違いない。
少女はふわりと、その家に舞い降りた。
ふらふらと、テーブルに向かっている。
まるで、香油に誘われているかのようだった。
なつかしいにおいがする。
昔、このにおいに囲まれていたような気がするが、思い出せない。
においに誘われて降り立つと、そこは一面の薬草畑だった。
むかし、この景色を見たことがあるような気がする。
ふらりふらりと、その古ぼけた木製のテーブルへと向かった。
そこには、小さなガラスの小瓶が置かれていた。
やさしい香りがする
蓋が空いている。
見ると中には、とろりとした液体が入っているようだった。
良い香りだ。
どんな色をしているのだろう。
少女がその白骨化した手でその瓶を月明かりにかざした、その時だった。
ドスッ。
後ろから不意に衝撃がして、足元を見ると…そこに黒い固まりが刺さった一本の槍が、自分の胸から突き出ているのが見えた。
衝撃に、瓶を取り落した。
「…っぐっ…あ…あぁ…!」
視界が真っ暗になっていく。
「師匠!!!」
綾子はがばりと飛び起きると、一目散に駆け寄った。
アンデッドの口からごぼり、ごぼりと黒い煙が吐き出されている。
その胸には一本の槍が突き出ている。そしてそれをしっかと後ろから握っていた…つまり後ろからどすりと刺した…のは、ドウェインであった。
いけない。
このままではいつぞやの私のように、重体化してしまう!
しかし、その時であった。
「アヤコ来るな!」
ドウェインの叫び声がした。「俺は大丈夫だ!!そこにいろ!!!」
「しかし…!…あれ?!」
近づいてみて、綾子はようやく気が付いた。
うっすらだが、ドウェインの全身が光っている。
黒い煙りはドウェインを飲み込もうとするが、その光がそれらをしゅうしゅうと白い蒸気へと変えているのだ。
「これは…!」
「俺が何も対策を取らないと思うかアヤコ…。この武器は瘴気を無効化する術が付与されてるんだよ。」
おかげですげえ魔力吸われてるがな、とドウェインは言う。
見ると、槍の刀身で呪文が黄色く光り、浮かび上がっている。
アンデッドの少女の口から、何も出てこなくなった。
白目をむいている。
綾子はそっと近寄ると、その槍の切っ先に刺さっていた黒い血の塊…それはどくり、どくりとまだ脈打っていた、これが魔獣の核だ…それに、弱い火炎魔法を投げた。
核は弱い。これで十分だ。
ぼっ…と、それは勢いよく燃えた。
アンデッドの身体が膝から、崩れ落ちた。
後ろから、レスター達が走り寄ってくる。
悪い夢を見ていたようだった。
目を開けると、そこには未来の夫になる人が、私を抱きかかえている。
たしか、そうだったはずだ。
「…ジョシュ」
名を呼んだ。
するとその人は驚いた顔をしたあと、泣きそうな顔になって、こう言った。
「こんなところで寝ていたら風邪をひくよサラ…帰ろう。いっしょに」
なぜだろう。
酷く安堵した。
遺体がみるみる朽ちて、ジョシュの腕の中で灰になっていく。
綾子は術を解いた。
カモミール畑も、藁ぶき屋根の家も、もう無い。
だだっ広い、枯れた地面があるばかりだ。
ジョシュの嗚咽が聞こえる。
義父のヨハンとその妻が、その背中をさすって「よく頑張った…よく…」と声をかけている。
ウォルター子爵も、鼻を啜りながらそれを見守っていた。
「…よくやった」
そこへ綾子にも声をかけてきた者があった。
声からして、多分レスターだろう。
しかし視界がにじんで見えない。
綾子の両目にみるみる、熱いものがふきこぼれてきた。
事実上、こちらで最終章となります。
このあと、余談を追加して冒険者編1は終わりとなります。
お読みいただきありがとうございました。




