第十二章 イェールダー家の惨劇(下)
グレイ家とイェールダー家は、それこそ互いに数百年もの歴史を持つ調香師の家であった。
当然ライバル関係にある。
互いの家で産出される香油の評価はいずれも非常に高く、同じくらいであった。正にしのぎを削っていたのだ。
モーリスはそんな家で、それは厳しく育てられた。
「イェールダーの香油に勝たねばグレイ家の恥だ。そんな役に立たん香油を造りおってこの出来損ない」
「あそこの娘はあんなに出来るのに……」
両親はこぞって、いかにサラ・イェールダーより自分が劣っているかをあげつらっては、滾々(こんこん)と説教した。
すると、いつしかモーリスはあろうことか……。
『だったらいっそのこと、ひとおもいに向こうの家を丸ごと潰してしまおう』
と、思考するに至った。
しかし、それだけではモーリスの気は済まなかった。
サラとモーリスは同い年である。だからこそ、ここまで比較されたのだ。
(あの女は生かして、地獄を味わわせてやらねば……)
両親の行き過ぎた教育が、モーリスを…狂人に変えてしまったのだ。
こうしてモーリスは……。
・村長と団員に金を掴ませ、イェールダー家の当主夫婦、さらにその時たまたま馬を操っていた御者までもを殺害したこと。
この時モーリスは、サラの香油を奪取し、何食わぬ顔でそれを自分の物として品評会に出す、ということまでやってのけている。
・その後起きた、サラの身の異変(鼻が効かない、虫が全く使役出来なくなった)は、モーリス本人が盛った毒によるものであったということ。
あろうことかモーリスは、イェールダー家の敷地にあった井戸水に、無味無臭の毒薬を混入させていた。
イェールダー家の敷地は広大であるとはいえ、地下の水脈は繋がっている。下手をすると、近隣の住民にまで被害が及んでいる可能性があった。
・タウンゼントホテルの応募は、当時ここら一帯を治めていた領主、デニス・コンラッド伯爵に口利きをしてもらった、ということ。
デニスとモーリスは少々遠いが、母方の親戚筋にあたる。
トゥリス族の女性は前にも話した通り、成人しても見た目が子ども…少女のままである。かつて奴隷制があった昔は愛玩奴隷として非常に珍重され、貴族の間で『トゥリス族の女性を奴隷に持っていること』がステータスとされた時代が存在した。つまり…現在も違法に人身売買される危険と隣り合わせで、娼婦としての価値は非常に高い。
タウンゼントホテルで女性の清掃員…というと、娼婦を指すのだそうだ。
…以上を、自供した。
モーリスに拉致されていた、騎士団員の妻と子どもは、この男の自宅の地下に押し込められていたが無事であった。
こうなると、町の一介の騎士団で扱える規模の犯罪ではない。
この件は、国の中央評議所というところへ回された…こちらで言う、最高裁判所のようなところである。
国はこれに対し、厳しい裁定を下した。
首謀者、モーリス・グレイは死刑。
村長のロブ・ターナー及び村人二名も、同じ刑に処された。
この国では殺人罪は非常に重い。
さらに、事件をもみ消した騎士団員、アレン・ウィテカーは騎士の位をはく奪。さらに国境にある炭鉱で10年の労働刑に処された。
上長である騎士団長も引責により、職を辞している。
領主、デニス・コンラッドも爵位をはく奪された。こちらは資産没収の上国外追放の刑に処されている…この男がタウンゼントホテルに口利きしなければ、少なくともサラは殺されずに済んだ。ましてや今回は本人の意思を確認することなく、勝手にホテル側に娼婦としてサラを紹介している。このことを国は重く見たようだった。
さらに国はグレイ家…モーリスの両親にまで量刑を課した。
父母、二名共にそれぞれ15年の労働刑に処したのである。
殺人の罪で、その被告の両親にまで刑が及ぶなど、過去に前例が無い。当然波紋を呼び、一部の国民から国に対し批判の声も出たが…両親二名は粛々とこれに従ったという。
炭鉱労働は、それは過酷である。常に命の危険と隣り合わせな上に…ここは囚人が収監されている炭鉱だ。命の保証は実質、無いようなものである。
綾子は、言葉を失っていた。
「この事件は、トゥリスに大きな衝撃をもたらしました。ショックを受けなかった村人や町の者は、居なかったと言って良いでしょう。」
この村が誇る、世界でもトップクラスの評価を持つ調香師に、信頼していた村長…それに領主までもがこんな罪を犯し、刑に処されたのだ。それはそうだろう。
「その後私たち夫婦は、デニス・コンラッドの後任を言い渡されました。正直申し上げてわたくしたちは、商会の経営で手一杯。領地の経営、運営などとても務められないと固辞したのですが…大公殿下にまで説得されてしまうとどうにも……。」
カサンドラは苦笑して首を振った。
「それは…断るということはお出来にならなかったでしょう。」
退路を断たれたようなもんである。
「そうなのです…。本当に…。ですからこの十年は本当に、あっという間でしたの。皆、よくやってくれました…。」
何故かこの一言は、綾子の心にずしりと響いた。
翌朝……。
アイザックと綾子はトゥリスを発とうとしていた。
ゾハスから、『至急』の旨で帰還命令が出ていたのだ。
そこへ、2人の乗る馬車へと向かって走ってくる者がある。
二人とも、とっさに武器の柄に手をかけ身構えたが、よく見るとそれはジョシュであった。
「!」
「御二方…!これを…!!」
息を切らせジョシュはそう言うと、綾子に一本のガラス製の小瓶を手渡した。
「これは…」
中にはトロリとして液体が入っている。
「…生前、サラが造り上げた香油です」
「…!」
「もし、そのアンデッドがサラであれば…きっとこの香油に反応するはずです」
ジョシュは言って、「上手く…使ってください。」
綾子は受け取った。
そしてアイザックが頭を垂れ、こう応えた。
「ジョシュ殿。礼を申し上げる。何か分かったらすぐに、文を寄越します。待っていらしてください。」
二人は、固い握手を交わした。
こうして、二人はトゥリスを発った。
この時綾子に託された香油が後に、閉ざされていた重い扉を開く鍵となったことは言うを待たない。
夜が、明けようとしていた。




