第三章 なんか領主のおじさん来たよ
その優しそうなロマンスグレーの男は、エドガー・ブラントンと名乗った。
どうやらこの人が、例の領主らしい。
そしてその後ろには、紅色の制服(軍服かもしれない)に身を包んだ若い男が二人、のっそりと入ってくると、「オスカー・ハリスだ」「アレン・ウェーバーです。大変だったね。」と代わる代わる綾子に握手してきた。体が鍛え抜かれているのが見て取れる…騎士団の人なのだろう。
看病してくれたエマ、トマス夫妻は同席を許された。意識を取り戻したとはいえ、綾子の身体はまだ万全とは言い難かったからだ。
ベッドの傍らに、机と椅子が運ばれてくる。綾子はベッドに起き上がり、その様子を見ていた。
エマの言った通りだった。
アレンが、申し訳ないんだけど…と言って、首元を見せるように言われた。
その通りにすると、アレンの指が空中で何かを描いた。すると、そこに小さな円形の魔法陣のようなものが光り現れ、それがすいっと綾子の首元へと吸い込まれていった。
(これが尋問魔術…!)
元研究者の綾子、恐怖よりも先に興味の方が勝ってしまっている。
「今、君に尋問の魔術をかけさせてもらった。これからの質問には正直に答えるように。」
オスカーが無表情で綾子を見下ろす。
「は、はい。」
(怖ぇ…)
軍人ってこんなんなのか…と綾子は思った。
今のところ、体調に変わりはない。少しふわふわした感じがあるが、多分これが例の魔術の影響なのだろう。
こうして、尋問は始まった。
「…分かりません、何も覚えてなくて…」
繰り返す問答に、綾子はだんだん申し訳なくなってきた。
しかしどうしようもなかった。事実である。
自分がどこから来たのか。なぜあんな川べりで倒れていたのか。分からないのだから答えようがないのだ。
「嘘はついてませんね…。本当に記憶を失くしているようです。」
綾子の状態を見ていたアレンが、首を横に振った。彼のくせ毛のハニーブラウンの髪がふるふると、横に揺れている。
「そうか…弱ったな。」
オスカーが思案して、「この通りの魔力持ちだ。おそらくゾハスかあの辺りの子じゃないかと思うんだが…。しかし例の一件にアヤコ・イワタなんて女の子はリストに入ってなかったしな…。」
そう。綾子は名前を聞かれたため正直に答えていたのだ。
と、その時だった。
綾子の頭の中に突然、映像が流れてきた。
めまいもする。みるみるうちに、綾子の身体から冷たい汗がだらだらと流れ始めた。
「?!」
エマとアレンが真っ先に気づいた。
「大丈夫か!」「しっかり…!」
綾子の手を握ったエマは、思わずギクリとした…彼女の手がびっくりするくらい冷たく、汗でべったりだったのだ。必死に回復の術を流し込む。…すると。
「…ぷは、はっ…」
綾子がようやく、息をした。
「飲むか…?」
夫のトマスが水の入ったコップを差し出した。綾子はそれを受け取ると、一気に飲み干した。そして、こう言った。
「エドガーさん。私の記憶ではないのですが…おそらくこれは、この体の記憶ではないかと思われます。一気にすごい量の情報が流れてきたのでちょっと整理出来ないのですが…聞いていただけますか」
「承った。」
その少女の名前は、マーガレットと言った。
この国…この国の名はゼルグ公国というのだが…の街道沿いにある宿場町、ゾハスの娼館で下働きをしていた女の子だった。
ゾハスは、ゼルグ公国一の大きな宿場町である。二つの街道の交差するところに丁度位置しているし、この国で最も大きな河川であるゾグレス川も流れていて大きな船着き場もあった。大変な活気である一方、治安も少々問題があった。
彼女はここの、スラム街の出である。
親は分からない。父は物心ついたときにはもう居なかった。母親もどうもろくでもない女だったそうで、毎日酒浸りで、ある日酒を飲み過ぎた挙句、付き合っていると勘違いした男だったかなんだったか…に、刺されて死んだんだよ、と人づてに聞いた。
なので、育ててくれたのは、彼女を買った娼館の主人と、そこで働く女たちだった。
そんなマーガレットだったからまあ、たくましかった。8歳の頃には、その辺りをうろついてるイキった年上の少年どもを腕っぷしで次々とのしてしまい、気が付けば彼女がリーダー格だった。
影のうすい岩田綾子とは大違いである。
話を戻そう。
そんなある日のことだった。
お店のシーツを洗い終え、一息ついていたマーガレットの元にその手下の子供の一人が駆け込んできた。
「姐さんたいへんだ、ミックがさらわれた!」
「はぁ?どういうことだよ落ち着きな。」
マーガレットは噛んでたガムもどきをペッと吐き出すと、足で土に埋めて立ち上がった。
話を聞いていくうちに、マーガレットの顔つきがだんだんと厳しいものに変わっていった。
その話とは、こうだ。
その日、珍しく機嫌の良かった主人からお小遣いをもらった少年…彼の名はジョー、と言った…は、友達の住んでいるあばら家へと遊びに行った。
すると、なんてことだ。そのミックが、見かけない顔の、明らかにお天道さまの下で歩いてないような感じの男ら数人にはがいじめにされ、今にも馬車に押し込まれそうになっているではないか。
見ると、ミックの母親も、こちらはそのあばら家の軒先で、同じようになって地べたに跪かされている。二人とも泣き叫んでいた。
近所の人たちも何事かと集まり始めた。しかし何もしない。巻き込まれたくないのだ。
ミックはその馬車に押し込められ、鍵を閉められてしまった。
するとその男達の中にいた、唯一何もしないでその様子を見ているだけだった男が一人、そのでっぷりと太ったお腹を揺らし、その母親に金貨を数枚投げ捨ててこう言った。
「そんなうまい話、あるワケが無いだろう。だまされた方が悪い。あの子はあきらめるんだな。」
そういうと、楽し気に嗤いながらその母親の頭をぐりぐりと踏みつけたのだ。
ここまで話を聞いていたエドガー達は思わず、顔を見合わせた。
どうやら、彼らが追いかけていた一件とやらが、それらしい。
「それで、そのひどいことをした男は、どんな男だったね?」
エドガーはそれでも穏やかに聞いた。
「それで、結局私達も一緒に捕まってしまったので、その男の顔はしっかり見ました。顔は赤ら顔で、でっぷり太った腹で…とにかく肥えてました。目はうすい青色で、小さくて、落ちくぼんでクマがあって…。髪の色はアレンさんより少し濃い色でした。で、てっぺんが禿てて…。それから、頬のこの辺りにホクロが…」
これには今度こそ、エドガーがオスカーを見た。オスカーもしっかり頷く。どうやら、何か確信を得たようだ。そして、オスカーが懐から、一枚の紙を出してきた。
「それは、こんな男か?」
「…!!!」
綾子はぶったまげた。それもこれも、この男だ。この男が、ミックと弟分のジョー、そしてマーガレットも芋づるみたいに拉致してゾハスから連れ去ったのだ。
「…やはりな…。お前たちが捕まった、と言っていたが、それはこのミックを助けようとしたためか…?」
「…おそらくそうだと思います。その日すぐに手下の子たち数人を集めて、町中を探し回ってたら、裏通りでその馬車を見つけたんです。で、鍵をこじ開けようとしたんですがすぐにバレてしまい、もろとも捕まってしまって…」
同じ馬車に入れられてしまったのだ。飛んで火にいる夏の虫である。
中には、同じようなぼろぼろの服を着た子供が10人ほど、入れられていた。泣いている子もいたし、呆然として表情をなくしている子もいた。
数日後。逃げられなったマーガレット達は、馬から船へと乗せ換えられた。
「もう帰れないんだ…」「おしまいだよう」「ママ―!」
泣き声が一層大きくなった。
すると、見張りをしていた男たちは決まって、その子供たちを檻から出すと、殴る蹴るの暴行を加えた。
マーガレットも、何故か目を付けられそれに巻き込まれた。
腕っぷしが強いのはあくまで子供が相手のときだけである。大人には太刀打ちできなかったのだ。
そんなある日のことだった。
その日はめずらしく、見張りの男らがご機嫌で赤ら顔になっていた。酒の臭いがぷんと漂ってくる。
彼らは檻のすぐそばで再び一杯やっていたが…30分もしないうちに一人、また一人と寝てしまった。
右足に重い鉄製の枷を付けられていたマーガレットは腫れあがった頬をズキズキとさせながら、その様子を何の気なしに見ていたが…不意に目の前に見えたそれに、あっと思わず声を上げそうになった。
そこには、眠りこける男のお尻があった。そしてそのポケットの中は、不自然に膨らんでいた。
マーガレットは、懸命に手を延ばした。そしてやがて、そのポケットの中身を…スッた。
何てことだ。
それはここの檻の、鍵だった。
「…それであとは…。鍵をこっそり手下の子達に渡して、全員分の鍵を開けれて、全員逃がしたんですけど…、私の鉄枷の鍵だけがどうしても見つからなくて。それで逃げ遅れて、そうこうしていたら、別の見張りがいたみたいで。私はやむを得ず、足を無理やり引っこ抜いたんです。物凄い激痛でした。とても走れる状態ではなかったので、そのまま見張りの人たちをかいくぐって、川に飛び込んだんです。でも泳げなかったんですよね…それで…」
説明が面倒だったので、途中から"私"とマーガレットのことを表現してしまったが…まあ良いだろう。
おそらくだが、この時マーガレットという女の子は、溺れ死んでしまったのだ。そして綾子の魂がそっくり、そこに入った。これが一番しっくりくる推察のように綾子は感じた。
「お前は本当に、勇敢だったよ。」
オスカーが綾子の手を取り、そう言った。そして、こう続けた。
「お前が助けた14人はな…全員無事だ。子供たちはたまたま街道を行き交ってた人に助けを求めてな…。今騎士団で預かってる。身元が分かり次第、親元へ返されることになるだろう。」
これを聞いて綾子は思わず、布団に突っ伏した。自分がやったことではないのに、何故か涙が止まらなかった。
「この男はね、」
続いて口を開いたのは、アレンだった。「人身売買に手を染めていたんだ。子供を狙って、さらっては隣国のイスルっていうところへ売り飛ばしていたらしい。僕たちも追っていたんだけど、なかなか尻尾がつかめなかったんだ」
聞くと、この国では人身売買は立派な犯罪なのだそうだ。すでに裁きも下っているという。
「…えらい。あんたは…凄いことをしたんだね…。」
なんだかただ者じゃないと思ってたんだ、とエマは感じ入ったように言った。
「…よし。今日はこんなところで充分じゃろう。」
領主のエドガーがどっこらせと立ち上がった。「すまなんだな。ゆっくり休んで、治すが良い。エマ。頼んだぞ。」
「あいよ。」
エマは頼もしく、頷いてみせたものである。